盲目的な賞賛者であるより、真摯な評価者でありたい。それがたとえ、痛みを伴うものであったとしても。私にとって、「作品を愛する」とはそういうことなのだ。
作品に対する印象は、感情的・理性的なものが複雑に織り込まれた織物である(特に近代以前の社会―宗教間の関係のように)。私は、その織物を分解するつもりはないし、分解するべきでもないと思う。一本の糸として抜き出した時点で、それはもう別物になってしまってい . . . 本文を読む
前回の記事で推理という側面を取り上げ批判したように、推理ゲームという点でのひぐらしの株は暴落したと言わざるをえない。ひぐらしにおける推理とはまさに「羊頭狗肉」であった。もし製作サイドが羊頭と触れ込むようなことをしなければ、このように批判する必要もなかったのだが(まあ苦笑程度で済んだだろう)。これに関して突っ込むべき点はまだあるが、詳しくは次の機会に譲りたい。とりあえずここでは、皆殺し編のスタッフル . . . 本文を読む
ひぐらし推理スレで皆殺し編の感想がかなり掲載されるようになってきたが、中には脳がチーズケーキでできているとしか思えないくらい盲目的に賞賛してるものもあったので、ここにおいてぶった斬っておこうと思う。なお、題名は皆殺し編の“Requiem for the disaster”を基にしたもの。つまりdisasterが指すのは(ry
ただ、次の点は誤解の無いように言っておきたい。まず、これが本編に対する . . . 本文を読む