「普通」という基準への嫌悪・反発は、中学三年において「虜」というゲームを求めるという形で顕在化した。しかしそれは、自分の想像していたものと異なっていたのであり、むしろ狂気への希求が沈静化する結果となった(この辺りの事情は過去ログ「狂気への傾倒と現実」を参照)。行動原理を失った私が行き着いたのは、価値相対主義だった。そう言うと大げさだが、要するに「普通」か「狂気」かという二項対立的な考え方ではなく、 . . . 本文を読む
私にとってこの世は、笑顔で嘘をつく唾棄すべき者たちが支配する空間であり、しかも彼らはそれを疑いもせず「普通」として自分に押し付けてくる異星人たちであった。そういう思いの中で、私は小学校5年だか6年の時、世界に失望した。それは当然、「普通」という基準への嫌悪・憎悪に繋がった。おそらく、その時すでに「狂気」へ傾倒する準備は整っていたのだろう。それがすぐに顕在化することはなかったが、私は恐ろしく投げやり . . . 本文を読む
ゲーム熱が一段落しつつあるので、小説を大量に読もうと思って『チェーホフ全集』5,8,9,10、ドストエフスキー『罪と罰』上、中、下、ゴーリキー『どん底』、ゴーゴリ『外套、鼻』を借りる。『カラマーゾフの兄弟』も借りようとしたが、文庫で最も新しい版が貸し出し中だったため断念。チェーホフ全集はいっそハードカバーで全巻揃えようかと考えている。
ついでにペトラルカ『ルネサンス書簡集』、ヴィトゲンシュタイン . . . 本文を読む