世の中には「感動のための感動」や「ハッピーエンドのためのハッピーエンド」が溢れている(その逆もしかり)。それらを無批判に受け入れていく行為は、思考能力の壊死を招くと私は思う。だがもし、「現実は辛い事が多いから、せめて作り事の中では楽しい事しか見たくない」と割り切ってそれらを鑑賞しているのなら、何ら問題はないだろう。そもそも虚構(あるいは娯楽)というものは、現実では得られないものや得難いことを求める . . . 本文を読む
安易な「奇跡」による救いで終わる話は、宗教における聖者奇蹟譚と大同小異である。前者は話を強引にハッピーエンドへもっていくための荒業であり、後者は信仰の篤さに対する報いや神の力の偉大さを示し、もって信者たちの信仰心を高めるという狙いのもとに作られている、という違いはあるけれども。
私が問題に思うのは、疑いを持つことなく前者に感動できる神経である。救いという現象のみに目をとられて、話の構造には注意が . . . 本文を読む