高校二年、無常、永遠

2006-06-11 22:32:20 | 感想など
このあいだ「御先祖讃江」に触れたことで、そのころ心に残ったものがいくつか思い出された。

御先祖讃江、one、そして漱石の『こころ』である。今までそれらは個別の記憶でしかなかったが、改めて一つの共通した性格を持っていたことに気づかされる。

「永遠の生を得るということは、その苦しみもまた永遠に続くということ」

そういった永遠に対する感覚は、価値相対主義が根付き始めていた当時の私の考え方と強く共鳴するものだった。変わらないこと・続くことの苦しみ。それは、変わり続ける世界のあり方、そして変わるがゆえの一瞬の尊さと表裏一体になっていた。

そんな考え方をしていたから、oneの「永遠はあるよ」という有名なセリフも全く私の心を動かすことはなかった。しかしどういうわけか、時折現れる主人公の心象風景が強く印象に残り、モノローグとともに深く刻み込まれたことを記憶している。その風景は、まるで「彼岸」だった。

そんな中、『こころ』に出会った。
これはいったい何なのだろう?その時の私は思った。

「いったい、確実なものは存在しているのだろうか?」
「人の心とは、いったいどの程度確実なものなのか?」

人の心の不条理さを、漱石はこれ以上ないくらい明確に、不気味に提示していたように感じられた。人は、かくも不安定で理解し合えない存在なのか、と。だからこそ永遠を求めるのだろうか、と。

高校二年とは、そうして永遠と無常のことをよく考えていた時期であったように思える。
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