君が望む永遠:遥の「記憶の混乱」の意味

2006-02-13 23:13:15 | 君が望む永遠
前回、鳴海孝之のキャラクターの見方について書いたわけだが、そういった見方をした上で、例えば「孝之の辛さはわからなくもないが、水月がいながら遥への気持ちが甦ったことが悲劇であり問題であった」という意見が出るかもしれない。 それは、なるほど妥当なものであるように思える。ただ、もし気持ちが甦ったという現象「のみ」を見て生まれた意見であるならば、甦る必然性がしっかりと演出されていることを指摘し、注意を喚起しておかねばなるまい。その演出とは、「目覚めたばかりで記憶の混乱した遥」である。その状況が持つ意味に着目する必要がある。

遥の記憶の混乱は、彼女の病状という側面から言えば、記憶の戻る前段階にすぎない(あくまでプレイヤー視点だが)。しかし、その状況がもたらす効果・意味合いは大きい。まず、孝之が水月との関係を切り出せなくなる。またそれと関連して、遥の容態が不安定なため、各々が言動に極度に気をつけることになる。そしてこれが、遥に恋人と認識されている孝之の思考・行動に強い影響を与える。あの場面にある緊張感はそのためであり、本文にもそのことは明示されている。 しかし、孝之の「眠っていた」感情を軸に考えると、別の側面が見えてくる。三年前から時間が経っていないかのような反応を示す遥に対して、孝之もまた三年前に恋人であった時のような振舞い(キスや「おまじない」)を強く要求されたということだ。言い換えれば、「時に忘れられた部屋」の中で、昔のままの遥と昔に戻った(ような)自分が、昔やった(しかし今では忘れようとしている)行為を行うのだ。かつての感情が思い出される契機・必然性はこのように演出されているわけだが、ここで感情が「思い出される」のであって「生まれる」のではないことに注意したい。孝之は、遥を「前の彼女」と見る中で恋愛感情を覚えているのではない。あの時点においては、昔のままの遥を(比喩ではなく)昔のままに愛している孝之がいるのである。つまり精神的な時間軸に照らせば、遥と水月は厳密な意味での「二股」ではないと言うことができる。これについて誤解を恐れずに別の言い方をすれば、「前の彼女」(遥)と「今の彼女」(水月)ではなく、どちらも「今の彼女」なのである。なぜなら、そもそも双方に抱く心の時間軸がズレているのだから(「それは二股だ」と言う慎二に対する孝之の反応を想起されたい)。遥の記憶の混乱という状況は、この精神的な時間軸のズレに必然性を与えていると言うことができるだろう。

これについて、病室の中と外における二面性も特筆すべきである。 それは前述した「時に忘れられた部屋」という音楽的演出のみならず、例えば病室で仲が良かった頃が装われれば装われるほど、外に出ての茜の冷えきった態度が鮮烈なコントラストを成すのである。これはもちろん、遥の容態の性質や茜の心情という必然性に基づいて生まれた状況であるが、構図として見た場合、病室内外の二面性の演出という側面を持っているのである。批評する際は、孝之の遥に対する感情が、以上のごとき特殊な閉鎖空間を媒介にして「甦った」ことを念頭に置く必要があるだろう。

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