ビースターズ:ドラマツルギーとエイターテイメントの完全なる融合

2019-02-22 12:56:42 | 本関係

前にも書いたように、『BEASTARS』の大きな魅力の一つは、キャラクターの獣物(?)造形と重層的な内面描写(これは外見とのギャップも含む)だと言っていいだろう。

 

一周目に読んだときはそのパワーとリズムで引っ張られるのだが、改めて読み返すと、一つの描写が持つ重層性が見えてきて、展開が極めてよく計算されたものであることが理解でき、感嘆さえするほどだ。

 

その典型は9巻冒頭の「事故」だろう(ネタバレなしで書くとこんな感じ)。
部活の準備運動中にある事故が起こる。それは「5年に一回くらい学園内にも起こる」という意味で、生徒が在学中に経験するかしないかという頻度だが、ともあれその事故は、微妙に保たれてきた共生のラインを断絶させかねないものである(これを例えば黒人と白人間で起こった事件と捉えなおしてもよい)。その事故の傷が物理的には縫合できることが示唆されるけれども、その説明の後「でも・・・」という留保がつくのは、心理的・社会的な距離はそうではない、という暗示である(少年誌だけあって、そこが変にひねらずシンプルに描かれている点も好感が持てる)。

 

そしてこの場面で「加害者」と「被害者」の橋渡し役が主人公レゴシであるのは、ここまでの物語展開を考えれば自然な流れだろう。なお、この事故については、当事者ではないキャラ達のリアルな心のざわつきが、それを生々しいもの感じさせることに成功しているな・・・と感心したあたりで、急転直下の展開に思わずざわつくことになる。橋渡しになるかと思われた二匹の肉食獣には、超えられない深い溝(まあ地面じゃないが)があることが示される。そして二匹の間に入ってくるあのキャラ・・・

 

おう、なるほど。こうしてラインを設定することで、構図をわかりやすくしたんだな・・・てのは見ればわかるとして、その描写のなんと演劇的なことか(言うまでもなくこれは演劇部の話でもある)!それに感心しているうちに、次は間に入ったキャラの芝居がかったセリフが続き(さっきのリアルな心のざわつき描写あればこそ、異化効果でこれが際立つ)、そしていきなりお葬式シーン・・・

 

WHAT'S??????と思ったところで、レゴシの背景が暗示され、なるほど!となる。あの二匹の境界線には、もっと深い意味があったのか!そしてレゴシが橋渡しになる必然性も、そしてレゴシがなぜ引っ込み思案だったかの理由も、そして(将来的には)彼の格闘センスの理由も・・・

 

スゲーな・・・これらちょっとした描写で色々なものの伏線を回収し、かつ新たな伏線も張るってハンパねーぜ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルそしてこういう物語的な深みを出しながら、テンパるゴウヒンかぁいいとか、レゴシをフォローするジャックがまじカワイ過ぎるとかエンターテイメント部分もしっかりフォローされとり〼wで、そうこうしているうちに、学園の決定とそれに対する生徒たちの闘争が始まる・・・

 

とこんな具合で、ドラマツルギー・テーマ制・エンタ―テイメント全てがバランス良く組み込まれていることに、再読すると改めて気づくのである。このような傑作であるのは今さら言うまでもないが、アニメ化もされるということで、まだ未読の方は『BEAST COMPLEX』も併せてぜひ読んでほしい作品である。

 

 

【補足】

偉そうな言い方になってしまうが、ビースターズのキャラって他の漫画を見る時にしばしば感じるのと違って、「製作者サイドによってしゃべらされてる感」が非常に少ないんだよね。すっと入ってくるというか・・・またそうだからこそ、一部のキャラの芝居がかった言い方が、それはそれで劇的効果をもたらすのだが。その代表例はルイであるが、生い立ちで描かれる彼の根本にあるもの(損得勘定を超えた行動)、そして「演劇部部長」という現在の役職と生き方、そしてそれゆえに、あのキャラに惹かれるという構造など、非常に重層的な意味合いを持っており、これも極めて興味深い。

 

なお、「共生という社会的擬制」がむしろ演劇という場で剥ぎ取られるという逆転現象は、ビーストコンプレックスのクッキング番組で作者がすでに描いている手法であり、かなり意図的なものであることがわかる、という点も付言しておきたい。


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