森の案内人 田所清

自然観察「独り言」

キウイフルーツ(マタタビ科)

2006年07月01日 | 自然観察日記
 近所の家の片隅にキウイの可愛い実が見えた。今ではすっかりお馴染みの果物なのだが、私はこの果物との関わりには一際強い思い出がある。少し長くなるがしたためたい。
 社会人になりたての今から40年も前の話であるが、新宿の高野果物店でこのキウイを始めて目にした。新鮮な驚きで、世界の広さを痛感したものである。まだ、大卒の給与が4万に満たない頃の話で1個1000円以上するものを手に入れることはそれなりに決断が要ることであった。なけなしの小遣いを叩いた。
 当時の知識は浅いし、資料らしい資料はなかった。ニュージランドに住む飛べない鳥キウイに果実の印象が似ているから付けられた名前で、ここから輸入された果物という知識くらいである。
 果物から取り出した小さな種子を翌年長岡に帰郷した際に鉢に植え込み栽培を始めるのだが、全くの手探りであった。ただ、ニュージランドということから日本と大して気候が違わないだろうと考えたことと、まもなくマタタビの仲間で中国が原産地ということを知ることになるのだが、日本には近縁種にサルナシやマタタビが自生するからそれらを意識しての栽培になった。
 小さな種子故初期の成長が遅い。発芽した数個の個体を腫れ物にでも触るような扱いで管理して、越冬させ数年がかりで路地に移植し成長させる。コロンブスの卵で判ってしまえばどうということはないのだが、手探りのときはドラマの連続だ。マタタビ科だからオスとメスの個体があることは承知していたが、成長している木が果たして何なのかは開花まではわからない。ようやくオスの花が咲いたのが5年後、メスの花はさらに2年の時間を必要とし果実を手にするまでには長い長い道のりがあった。正確な記録がないが、新潟県でキウイを栽培したのは私が最初であろう。それから1・2年後、佐渡に栽培する人が出たという話を聞くことになるが、取れた果実を人にあげると大変喜ばれたものだ。それ以後の普及は著しく「珍しいもの」ではなくなり「普通のもの」になっていく。
 ところで、当時から栽培していた個体はどんどん成長し巨木になっていく。つる性だから路地に下ろした8個体は互いに絡んで大げさに言うと大変な「森」ができてしまった。これは大誤算で、狭くはないとは言え、我が家の庭がキウイに占領され異様なジャングルができてしまったわけである。
 ついに決断し、この「森」の伐採を敢行した。以来我が家にキウイは存在しない。出会いよりおよそ20年の歳月がたって、数々の思い出を持つ個体、それも直径が15cmを超える木を切るには偲びないものであり、仲間から「県内初の個体」を切ったことへの強い非難があり、ますます心を痛めたものである。
 どんな果物も大好きなのだが、キウイの消費はほとんどない。スーパーに並ぶキウイを点検しながら当時を思い出している。