温帯の沢筋というか伏流水でも流れていそうな谷に生育する。サワグルミと同じような好みがあるようで似たようなところで見かける。大木になり鬱蒼とした森を形成しブナの森とは一味違った精霊の森を作る感じである。
トチの実で餅を作るということは結構知られているが、この実が大変渋くてリスも食わないと話していた物知りがいた。それを人が食べるのだが、食べられるまでに行う灰汁抜きの作業は大変なものである。しかも、橡(とち)の粉だけでは食べないで何かに混ぜての加工である。
それにしても、その技を身に着けるまでには並大抵のものではなかったろう。初めに食べようとした人の思いとかそれに走らせた文化的な状況はどうだったのだろうかと推理している。
橡餅は東北方面が主たる文化と考えているが、以前お話した「クリ」との関係が自分なりの答えである。クリはかつて三内丸山遺跡でもわかるように今より北に分布の中心があって東北に多く分布していたし、これを縄文人は主要な食料にいていた。その後、気候の冷涼化が進みクリの生育が衰えると人々は大きな集落を作れず各地に移住する。食料の不足が生じ、この過程で、トチの実に挑戦する人が出てきたと考えるのだが、いかかであろうか。
それにしてもトチノキの実は大きい。見た目は確かに美味しそうだから、この実を守るためにトチノキの大変は努力を褒め称えたい。
トチの実で餅を作るということは結構知られているが、この実が大変渋くてリスも食わないと話していた物知りがいた。それを人が食べるのだが、食べられるまでに行う灰汁抜きの作業は大変なものである。しかも、橡(とち)の粉だけでは食べないで何かに混ぜての加工である。
それにしても、その技を身に着けるまでには並大抵のものではなかったろう。初めに食べようとした人の思いとかそれに走らせた文化的な状況はどうだったのだろうかと推理している。
橡餅は東北方面が主たる文化と考えているが、以前お話した「クリ」との関係が自分なりの答えである。クリはかつて三内丸山遺跡でもわかるように今より北に分布の中心があって東北に多く分布していたし、これを縄文人は主要な食料にいていた。その後、気候の冷涼化が進みクリの生育が衰えると人々は大きな集落を作れず各地に移住する。食料の不足が生じ、この過程で、トチの実に挑戦する人が出てきたと考えるのだが、いかかであろうか。
それにしてもトチノキの実は大きい。見た目は確かに美味しそうだから、この実を守るためにトチノキの大変は努力を褒め称えたい。