この長雨の影響による伊豆の土石流の映像は迫力があった。それは山津波そのものだった。直面したらとても逃げられるものではない。わが家の隣の小さな道はすでに川となっていた。近くの小さな山からの水が流れているのだ。その雨水は澄んでいるのでいつもの風物詩のように眺めたものだ。
農作業が終わるころ、土で汚れたツルハシやスコップを洗うのにちょうど良い。和宮様は野菜をざっと洗うのに重宝している。わが家より上に住んでいる人もいない。今まで一番ひどいときは20cmほどの深さになったが、今回は10cmほどだった。これによって付近の降雨量の尺度がわかる。
しかし、茶畑があった石垣の隙間からは雨が止んでもどくどくと雨水が流れている。それが10か所くらいもある。もし、容量以上の雨が注いだら石垣を破壊して土石流が発生することも覚悟しなければならない。
近くの川を見に行くと、濁流の勢いに圧倒される。もし、この中に落ちたら水泳の選手でも溺れてしまうに違いないと思えた。この濁流の音がわが家にも一日中聞こえるのだ。ひどい台風のときはこの状況から3m以上の上まで水が来たこともある。この川の現況からも降雨量が感覚的に推定できる。
地球温暖化や気候変動の問題は一人の力ではとても太刀打ちできない。日本列島の成り立ちそのものからして自然とのかかわりは長いつきあいだった。その自然からの脅威に対し、自然を敬う心を育んだ。しかし、金満主義がはびこる現代になると自然は効率が悪い邪魔な存在になっていった。そうして環境破壊・公害問題をはじめ次々と自然破壊にいそしんだ。
今回の伊豆の土石流も盛り土による開発行為が大きな原因のようだ。経済優先の成長神話が崩れた瞬間だが、コロナ対応の日本の遅れとダブって見えてくる。この教訓はなかなか生かされないできた。これからもしばらく人間はこりないだろうから、同じ事態が繰り返されるしかない。