一日中雨模様だったので、晴耕雨読ではなく撮りためた映画の録画を久しぶりに観る。60年前に製作された映画、オードリヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」(1961年制作、米国、B・エドワーズ監督)だった。オードリが演ずる主人公はセレブを相手に小遣い稼ぎをするのだが、この小説の原作者は「アメリカン・芸者」を想定していたという。
ティファニー宝石店のウィンドウ越しにパンとコーヒーの粗末な朝食をする当初のシーンが主人公の置かれた立場を象徴する。同時に、その美貌はもちろんのことだが、それを支えたのは先端のファッションでもあった。オードリの魅力を引き出すために作られた映画のようなものだ。
その当初の華麗なファッションは、最終シーンのシンプルなファッションに変化しているところに監督の意図を感じられる。というのは、偽りの愛から本物の愛をつかもうとする主人公の覚醒の象徴でもあるからだ。1960年代の豊かなアメリカのまばゆいほどの暮しが背景として出てくる。しかし、階上の偏屈な住人は日本人を表現していたが、いかにも戦勝国らしい差別観がコミカルにでていたのが不愉快だった。
ストーリーとしては平板なラブロマンスだが、オードリの魅力だけが充満した映画だった。さらには、「ムーン・リバー」の名曲が所々に効果的に流れる。映画音楽が映画そのものより凌駕するのをたびたび感じられるが、この作品はどうだろうか。(表題のオードリの画像は、web「映画com.」から)