週2回、和宮様を病院へ通院するためのアッシー役を仰せつかっている。その空き時間にぶらりとその周辺を散策することがある。「ふれあい公園」隣の交差点に小さな公園があった。地面には敷石が張り巡らされてはいたが、その隙間からは雑草がいのちの讃歌を必死に奏でている。そこに7~8mくらいの一本の「クズ」が一直線に公園を縦断していた。無謀ともいえるクズの航海の先は未来があるのだろうか。
一途なクズの先には銅像があった。平成6年(1994年)、宝塚歌劇団と春野町との交流を記念して建立された「ふれあいの像」だった。土台にはスミレの花が描かれていた。その上には二人のタカラジェンヌがポーズをとっている。この像の近くに宝塚の演出家・白井鐵造の生家がある。また、その周辺は「スミレ街道」として整備もされている。
白井氏が訳詞した「スミレの花が咲くころ」の原題は、「再び白いライラックが咲いたら」という、1929年に流行ったウイーンの歌だった。春野町で育った白井氏はスミレの花の美しさへの思慕が深かったことや日本人になじみやすいということで、ライラック(仏語ではリラ)をスミレに替えたということだ。
銅像は、「ベルサイユのバラ」のオスカルとマリーアントワネットと見た。熱烈な宝塚ファンであろうこの一本の「クズ」は、さまざまな苦難の中でも華麗な舞台のさまを心の糧として、この灼熱地獄の世界を生き抜こうとしているのかもしれない。