ウルヴァリン:X-MEN ZERO
2009年/アメリカ
肉体と精神
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
最近のハリウッド映画の‘ヒーローもの’を観るたびに私が違和感を感じる理由は、ハリウッドが‘ヒーローもの’をエンターテイメントとしてではなく、まるでヒーローの本性を暴くような描き方をしているからだと思う。この『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』もそのような意味で挑発的な内容である。
主人公のローガン(=ウルヴァリン)は南北戦争や二度の世界大戦やベトナム戦争に従軍してきた正にアメリカ人にとって模範的な‘ヒーロー’である。しかしこの作品においてローガンの一連の行動は余りにも軽率ではないだろうか? ‘チームX’からの脱退は理解できるとしても、その後恋人のケイラ・シルバーフォックスの生死を確認することもなく殺されたと思い込み、兄であるにもかかわらず犯人をビクターであると思い込みすぐに手術を受けてしまい、生きていたケイラを見るとすぐに自分は騙されていたと思い込む。はっきり言ってしまうとローガンはバカなのであるが、ヒーローはバカであるという暴露がこの作品のテーマでは勿論ない。この作品のテーマはアメリカが関わった戦争がローガンのような‘安易さ’、長期的な展望を持たない場当たり的な感情だけで行なわれたのではないのかという問題提起である。
よくよく考えてみるならば私たちは肉体は滅んでも精神は生き残ると考えがちだが、それは思い込みなのであろう。何故ならば次々と新たな生命が生まれるのだから‘肉体’が滅びることはないが、記憶というものは薄れてしまうのだから同一の‘精神’が生き残ることはありえない。その結果‘新たな肉体’が‘あやふやな精神’で戦争を起こしてしまう。ラストの‘記憶喪失のウルヴァリン’という象徴は私たちのそのような思い込みを糾弾する。
しかしこれだけ深く掘り下げられると意図は理解できても観ていて楽しくなくなってしまうため、残念なことに昨今のハリウッドのヒーローもの映画は興行的には厳しい結果になっているのであろうが、この作品では『20世紀少年<最終章>ぼくらに旗』と同様に「場内が明るくなるまで、席を立たずに鑑賞してください」という本来しなければならない案内をしていない。このように洋画になるとプロモーションに手を抜いてしまう関係者の‘あやふやな精神’も変えなければ興行が成功するはずがない。最後の映像は‘肉体は死なない’というメッセージなのだから。
横浜開国博閉幕…有料入場者数、目標の四分の一(読売新聞) - goo ニュース
横浜開港150周年を記念して4月下旬から横浜市で「開国博Y150」というイベント
が開催されていた事を昨夜の「真相報道バンキシャ!」を見て初めて知ったのだが、
入場料を大人2400円も取るイベントとしては観客をナメたお粗末さである。中田宏
前横浜市長が出演していて言い訳をしていた。入場者数は少なくても横浜市全体の
観光客数は増加したとか、それまでの黒字の予算で補えるから横浜市民に負担が
掛かることはないという言い分は理解はできるが、問題なのはお金を払って入場
してくれた観客を満足させていないという事実である。今回がよくても次回横浜市が
イベントを開催する時にまた行きたいと思っている人は確実に減ってしまったことを
横浜市は忘れないようにしなければならない。完全に信用を失ったのだから。