現在、東京都美術館で催されている「藤田嗣治展」はとても興味深いものだった。藤田といえば「乳白色(blancheur de lait/blanc Foujita)の肌」、あるいは「素晴らしき乳白色の地(grand fond blanc)」の裸婦像で有名で、1913年の渡仏後、そこに至るまでは他の画家と同様に紆余曲折はしている。
上の作品「花を持つ少女(Young Woman with Flowers)」(1918年)の少女の顔はパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)のキュビスムを想起させるものだが、実際は「親友」と呼んでいたアメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(Amedeo Clemente Modigliani)からの影響らしい(もはやどちらでもいいのだが)。
上の作品「フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂(Quai aux Fleurs, Notre-Dame)」(1950年)などはモーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)の作風を思わせるものである。
「モンマルトルのノルヴァン通り(La Rue Norvins à Montmartre)」1910年
藤田嗣治の「乳白色」は水墨画をヒントにタルカム・パウダーを使った彼の発明ではあるのだが、藤田本人はあくまでも他の画家との違いを示す「キャラ」としての画法という認識で、それほどこだわりがないように見える。
上の作品「優美神(The Three Graces)」(1946-1948年)でも見られるように藤田は「乳白色」と同様に意外とけばけばしい色彩も好きだったようである。
そこで気になってくるのが晩年の藤田の作風である。
「すぐ戻ります 蚤の市(I'll Be Back Soon)」(1956年)
「礼拝(Adoration)」(1962-1963)
上の作品のように藤田の晩年の作風は限りなくグラフィカルに近づいている(「礼拝」では自身と君代夫人を描いておりふざけている)のだが、そこで重要な作品として「争闘 猫(Combat Cats)」(1940年)を挙げてみたい。
実物を観るとよくわかるのだが、この作品は「下地」となる猫の身体を描いた後に、ペンで猫の顔の表情を細い輪郭線で描いているのである。さすがの藤田嗣治であってもモダンアートの流れには逆らえなかったのではないだろうか。