
原題:『ドッペルゲンガー』
監督:黒沢清
脚本:黒沢清/古澤健
撮影:水口智之
出演:役所広司/永作博美/ユースケ・サンタマリア/ダンカン/戸田昌宏/佐藤仁美/柄本明
2003年/日本
「過剰なアイデンティティ」について
ドッペルゲンガーとは自分自身の姿を自分で見るという幻覚のことで、それは自分の死期が近いことを暗示するようなのだが、この定義に沿うならば作品の冒頭で永井由佳が弟の隆志のドッペルゲンガーを見たというのは正確な使い方ではないと思う。
しかしそんな言葉の厳密性は映画が面白ければどうでも良いのであるが、本作が面白いかどうかはこれまた厄介な問題なのである。確かに役所広司の熱演は評価されるべきものの、例えば、君島にロボットを積み込んでいるトラックを停めようとして主人公の早崎道夫はトラックの前に立ちはだかるのであるが、君島はそのままトラックを運転して早崎を轢いてしまう。ところが早崎は顔に大きな絆創膏を貼ってどこから調達したのか不明な車に乗って再び君島と対峙するのである。
その君島の末路も建物内に隠されていた大きなミラーボールに追いかけられた末、突然早崎が明けた扉にぶつかってしまうのだが、そのミラーボールは明らかに軽そうに見えるから手で止めればいいのに何故君島は逃げているのかよく分からないのである(もちろん村上が出合い頭に車に「ペチャンコ」にされるシーンなどはギャグとして問題ないのである)。
『CURE』が不明瞭なアイデンティティの物語であるならば、本作は過剰なアイデンティティの物語といったところだろうか?
gooニュース
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