「まだかな会館」の東側に「まだかな橋」跡を示す石柱が立っている。私が赤丸をつけたのが橋欄干の親柱である。要するにこの辺りは埋め立てられてすっかり景観が変わってしまったそうだ。

その昔下津井港には北前船などが寄港(汐待ちで)していた。遊廓の遣り手婆が橋のそばで船乗りに「遊んでいかんか」と声をかけていたという説明を読み、学生時代を思い出して笑った。
当時、中区弥生町界隈に「マン○ル(既に死語)」があり、痩せぎすの老婆が暗闇で学生を捕まえて価格交渉をしてくるのだった。
「30分1万2千円のところ、1万円にしてあげる」
「はー!婆さん相手に1万円も出す馬鹿がどこにおるか(笑)」
「何よーるん。ウチはとっくの昔に引退しとるが。冗談きついわ。綺麗な娘つけるから遊んでいき」
「コンパの会費を払って財布は空。大体そんな金あったらええもん食うで」
こんな風に老婆をからかって怒らせたことがあったのである。あの女はもう墓の下に入ったかもしれない。
