黒金門跡を通過し長谷川秀一邸跡に向かう。織田信雄公四代供養塔の前でかじかむ手を合わせて一礼した。
二の丸に到着した時、私の息は上がっていた。予想以上に道は険しい。中央には信長廟が鎮座する。城主は普段ここで生活していたといわれている。彼が魅力的な武将として語り継がれる理由を考えた。天下統一を目前にしながら果たすことができなかった運命ゆえに評価が高まったという見方もあながち間違いではなかろう。
伊藤博文が山縣有朋のように長生きしていたらどう評価されただろうか、またジミー・ペイジがジミ・ヘンドリックスと同時期に鬼籍に入っていたら今のようにこき下ろされることもなかったのではないか。そんな余計なことが頭に浮かんでは消えた(笑)