漸く私は六百年の歴史を語る中津薬師堂入口と刻まれた標石の前に辿り着いた。ここから北に参道がのびている。岩国市楠町一帯は中州(=中津)の中でも最も早く人が住み始めた場所で、その誕生は鎌倉時代中期と言われている。

明治22年4月1日に玖珂郡川下村中津となる前は中津村という名称だった。現町名は1丁目にある(樹齢350年を超える)クスノキの巨樹群に因むのだろう。薬師堂の南西に説明板が2つ立っているが、まず手前の方から目を通した。
12朝日長者やしき跡
長者はたった一人の娘に死なれ、悲しみにくれました。娘のれいをとむらうために薬師堂を建て、仏様をまつりました。自分がなくなったあとも、とむらいに役立てるようにと、お堂の近くに、黄金千両、うるし千ばいをうめました。その場所を「朝日さす、夕日かがやくその下に黄金千両うるし千ばい」とだけ言いおきました。それから、人々は、この長者を朝日長者とよびました。
岩国市川下地区社会福祉協議会
岩国市川下地区連合自治会


明治22年4月1日に玖珂郡川下村中津となる前は中津村という名称だった。現町名は1丁目にある(樹齢350年を超える)クスノキの巨樹群に因むのだろう。薬師堂の南西に説明板が2つ立っているが、まず手前の方から目を通した。
12朝日長者やしき跡
長者はたった一人の娘に死なれ、悲しみにくれました。娘のれいをとむらうために薬師堂を建て、仏様をまつりました。自分がなくなったあとも、とむらいに役立てるようにと、お堂の近くに、黄金千両、うるし千ばいをうめました。その場所を「朝日さす、夕日かがやくその下に黄金千両うるし千ばい」とだけ言いおきました。それから、人々は、この長者を朝日長者とよびました。
岩国市川下地区社会福祉協議会
岩国市川下地区連合自治会

