中津薬師堂から東へ真っ直ぐ歩いて行き辻(仏性寺資料館前)に出た。南北にほぼ真っ直ぐにのびる通りは福山市鞆町の道路と同じくらい幅が狭い(戦前からほとんど変わっていないものと思われる)。資料館から少し南下した辺りに説明板が設置してあった。

22堀川(ほりかわ)の道
この道は江戸時代、小瀬から上の関までをむすんだ大じな道でした。また愛宕、灘、中洋地区から白崎八幡宮へお参りする人たちが通った道でもありました。むかしからお店も多く、川下で一番にぎやかな通りでした。
岩国市川下地区連合自治会
岩国市川下地区子ども会補導会長連絡協議会
通称:堀川通りの西側が楠町3丁目、東側が中津町1丁目となるが、岩国市が誕生するまでは玖珂郡川下村中津という住所だった。資料館から西へ50mほどの位置に浄土真宗本願寺派・徳光山佛性寺はある。小犬を連れて出て来た女性(おそらく現住職の奥さんと思われる)に無理を言って中に入れてもらった。彼女が何度も来訪の目的を訊ねるので「寺巡りが趣味でして…」と答えておいた。

寺は昭和4年(1929)に建てられたという話だが、昭和17年の岩国市街地図ではこの場所に寺は見当たらない。資料館の東に卍のマークがあるのでそこから移転したのであろうか。とにかく資料館と寺は大きくて立派な造りであった。


22堀川(ほりかわ)の道
この道は江戸時代、小瀬から上の関までをむすんだ大じな道でした。また愛宕、灘、中洋地区から白崎八幡宮へお参りする人たちが通った道でもありました。むかしからお店も多く、川下で一番にぎやかな通りでした。
岩国市川下地区連合自治会
岩国市川下地区子ども会補導会長連絡協議会
通称:堀川通りの西側が楠町3丁目、東側が中津町1丁目となるが、岩国市が誕生するまでは玖珂郡川下村中津という住所だった。資料館から西へ50mほどの位置に浄土真宗本願寺派・徳光山佛性寺はある。小犬を連れて出て来た女性(おそらく現住職の奥さんと思われる)に無理を言って中に入れてもらった。彼女が何度も来訪の目的を訊ねるので「寺巡りが趣味でして…」と答えておいた。

寺は昭和4年(1929)に建てられたという話だが、昭和17年の岩国市街地図ではこの場所に寺は見当たらない。資料館の東に卍のマークがあるのでそこから移転したのであろうか。とにかく資料館と寺は大きくて立派な造りであった。

