参道脇の平和観音、アゴナシ地蔵尊、法界地蔵尊の表情を眺めてから山門(※火災を免れた最古の建造物)を潜る。落ち着いた雰囲気の本堂は江戸後期の建築。

元々この寺は西福寺医光院と呼ばれていた。寛文年間に廃寺となりその後観音院として再興された。本尊の十一面観世音菩薩は50年に1度公開される秘仏である。奇祭・会陽はここから備前の西大寺に伝わったと言われているのは興味深い。


本堂の対面辺りに造られた鎮魂の鐘。天神山から日比の町を一望する。遥か昔には海がよく見えたことだろう。福山市鞆町の円福寺のように見張り所の意味合いもあったものと考えられる。

石段を下りて古い石柱を見落としていたのに気付いた。嘉永元申年八月吉日の銘から児島八十八ヶ霊場第十七番札所としての歴史は少なくとも160年を超えていることになる。

元々この寺は西福寺医光院と呼ばれていた。寛文年間に廃寺となりその後観音院として再興された。本尊の十一面観世音菩薩は50年に1度公開される秘仏である。奇祭・会陽はここから備前の西大寺に伝わったと言われているのは興味深い。


本堂の対面辺りに造られた鎮魂の鐘。天神山から日比の町を一望する。遥か昔には海がよく見えたことだろう。福山市鞆町の円福寺のように見張り所の意味合いもあったものと考えられる。

石段を下りて古い石柱を見落としていたのに気付いた。嘉永元申年八月吉日の銘から児島八十八ヶ霊場第十七番札所としての歴史は少なくとも160年を超えていることになる。
