関藤藤陰(せきとうとういん)の功績について福山でも再評価の機運が高まっているが、グッドタイミングでお隣の岡山県笠岡市で彼に関する講演会が今月18日に開催される。
関藤なる人物の生い立ちは上記を参照してもらいたい。水野家の時代、笠岡は福山藩領だった。笠岡が天領となったのはお家断絶後の話だ。最近開発が盛んな尾道市東端も実は旧福山藩領であることからも水野勝成公の凄さ(先見の明)がよく分かる。関藤藤陰の石碑は福山市三吉町1丁目に保存されているので笠岡の郷土史研究家にもぜひ足を運んでいただきたいと思う。
関藤なる人物の生い立ちは上記を参照してもらいたい。水野家の時代、笠岡は福山藩領だった。笠岡が天領となったのはお家断絶後の話だ。最近開発が盛んな尾道市東端も実は旧福山藩領であることからも水野勝成公の凄さ(先見の明)がよく分かる。関藤藤陰の石碑は福山市三吉町1丁目に保存されているので笠岡の郷土史研究家にもぜひ足を運んでいただきたいと思う。