寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

「鳩の街」に残るカフェー調建築(その1)

2008年12月11日 | 

「ひらの寿し」のもう一軒先を左に曲がると「中華料理屋」が見える。そのすぐ近くに妙な造りの建物がある。一階は洋風だが、二階は純和風になっているのが面白い。

丸窓の竹細工は遊里によく見られる

二階の丸窓がいかにも「遊里」という感じで、窓の桟は竹で拵えているのが判る。旧特飲街の建物の多くはカフェー調(表は洋館の雰囲気で中は和室)である。

丸柱に貼られた青いタイル

そして派手な色彩の細かいタイルが丸柱に張られているのも特徴の一つだ。とにかく目立つことを第一目的にした色の選び方に私は苦笑した。「寺島保育園」の南側に位置する大きな建物にはブルーのタイルが使用されていた。

「鳩の街商店街」の目抜き通りから一本東に入った筋にはモザイクタイル装飾の家(かつての娼館)が数多く確認できた。

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赤線廃止から既に半世紀が経過した「鳩の街」

2008年12月10日 | 

「鳩の街商店街」の目抜き通りから右側が東向島1丁目そして左側(墨堤通り寄り)が向島5丁目である。

赤線の灯が消えて今年で丸50年が経過したことになる。風俗街が普通の商店街になるまでおよそ10年かかったという話からもぐりの営業がしばらく続いていたものと思われる。

赤線の全盛期に東向島1丁目は「寺島町1丁目」、向島5丁目は「向島須崎町」と呼ばれていた。昭和40(1965)年3月1日から現在の町名に変わっている。

アート&カフェ「こぐま」は中央の建物

鄙びた雰囲気が漂う商店街には興味深い建物がたくさんある。昭和2(1927)年に建てられた木造家屋をカフェとして甦らせた「こぐま」は話題になった。もう一方のアーチまで歩いて引き返した。

「鳩の町通り商店街」の終点近く

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鳩の街(墨田区東向島1丁目)ができた経緯

2008年12月09日 | 

水戸街道(国道6号)を横断して「鳩の街通り商店街」のアーチをくぐった。道幅がやけに狭いのはこの一画が空襲被害を受けていないからである。「鳩の街」ができた経緯は『東京人no.186』の赤線・青線跡一覧に簡潔に書かれてあった。

 東武線曳舟駅から隅田川方向に歩いていくと「鳩の街商店街」の看板が見える。やや幅が狭い道路を目抜き通りとして広がっていたのが、鳩の街のカフェー街。羅災した玉の井の業者が、玉の井と向島花街の中間にあたる焼けなかった住宅地に注目し、移転。昭和二十年五月に数軒が営業を開始し、戦後、進駐軍が出入りしていた頃に、”平和”にちなんで「鳩の街」と名付けられた。(125頁)

また同誌に昭和の生き字引である小沢昭一さんがこんなエッセイを寄せている。

 鳩の街では、元気一杯の従業婦が多く、服装も髪型も戦後風で人気を呼びました。

以下省略

 それはそうと、あの頃、鳩の街のお遊び代がチョンの間(三十分足らず)で三百円。当時カケダシの私のNHK出演料が三百円。お女郎さんと同じ値打だなと、妙に感じ入ったものです。(116頁)

売春防止法施行により特殊飲食店街は昭和33(1958)年3月31日をもって姿を消した。新興の色街は非常に短命だった。「鳩の街通り商店街」には当時の建物がまだ残っている。レトロな造りの「田中写真館」を見て、北北西に進んだ。

中央の建物が写真館(墨田区向島5丁目50辺り)

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墨田区東向島2丁目界隈を歩く

2008年12月08日 | 

手打ちうどん店「ぜんや」を知っている方はかなりの麺好きだろう。ふじのき公園裏手の道を進み突き当たりを右に曲がる。

商店街に向かう道

昭和のにおいが強く残る通りには古き良き時代の遺物のようなスナックが点在している。通行人の先に有名な商店街が見えた。

東向島2丁目にあるスナック

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東武鉄道「曳舟駅」に下り立つ

2008年12月07日 | 

関東で生活していた頃、東武鉄道はよく利用していた。ただし、降りる駅は大抵「浅草」で「曳舟」は通過駅だった。面白い駅名があるものだとは思っていたが、実際に乗り降りし出したのはここ数年のことである。

江戸期には現在の葛飾区四つ木から墨田区向島1丁目辺りまで葛西用水(亀有上水)が流れ、野菜を積んだ小舟が行き来していた。また縄を括り付けた小舟をこいで対岸に向かい人を乗せて、船頭の仲間が川辺から舟を曳く様子が当時の「浮世絵」に描かれている。こうして葛西用水は「曳舟川」と呼ばれるようになった。

戦後「曳舟川」はドブになり、昭和29(1954)年から川の埋め立て工事が始まった。昔川が流れていた所は道路となり今は「曳舟川通り」という名が残るのみである。

「曳舟」で電車を降りた私は公園に向かって歩き始めた。

墨田区東向島2丁目

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煮込み通りの大衆酒場でモツ焼きを食らう

2008年12月06日 | 

浅草2丁目の「煮込み通り」はまたの名を「ホッピー通り」と言う。通りにはモツ料理を手頃な価格で食べさせる居酒屋が軒を並べる。有楽町のガード下よりも更にくだけた感じだ。

豚モツの処理と料理に関して東京は抜きん出ている。モツは鮮度でほぼ味が決まると言ってもよい。

店の顔でもある「煮込み」

腸などをこんにゃくと一緒に味噌味で柔らかく炊いたものが「煮込み」。大抵の客がまずこれを注文する。後は好きな部位を焼いてもらう。私が最も好きなのは「カシラ」だ。適度な歯応えがあって旨みは強い。ジューシーに仕上げるのが職人の腕の見せどころである。

モツ焼き「カシラ」

モツ焼きにはやはり「ホッピー」の甲類焼酎割りがよく合う。舌に残った脂肪分をきれいに洗い流してくれるのは無臭の焼酎だ。1人当り1500円程度の予算でほろ酔いになる(笑)

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いざ浅草寺へ!

2008年12月05日 | 

軽く腹を満たした私は「雷門」に向かった。「仲見世通り」は既に店仕舞いに入っていた。知らない人はまずいないだろうが一応書いておこう。「浅草寺せんそうじ」は決して「あさくさでら」とは読まない(笑)

閉店間際の土産物屋

浅草寺でおみくじを引くと結構高確率で凶が出るのだが、この日は何と大吉で「ん~」と首を捻った。珍しいこともあるものだ。

ライトアップされた五重塔を後にして通称「煮込み通り」に出た。

浅草寺の五重塔

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並木薮蕎麦で冷や酒を飲む

2008年12月04日 | 

「並木薮蕎麦」に駆け込むと座敷の方が空いており助かった。客のほとんどが酒を飲んでいる。こういう雰囲気が私は好きだ。

冷や酒とそば味噌

「冷や酒」と「もりそば」を注文した。そば味噌をアテに酒をかーっと胃袋に流し込んだ。それを後ろで見ていた店員が直様そばを持ってくる。実にいいタイミングである。

もりそば

つゆは辛口なのでそばの先を少し浸けるだけで十分である。旨みも濃厚だ。「東京人no.260」で神田まつやのご主人が汁の作り方についてこう述べている。

「薮」さんは神田も並木も池之端も、甘汁は鯖だけです

私はそばを食べる時にほとんど薬味は使わない。残ったそばつゆに薬味とそば湯を入れて綺麗に片付けるのだ。約10分で店を出た。他の客が「もう帰るのか」というような顔をしていたが、これが私の流儀なのである(笑)

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夜の浅草

2008年12月04日 | 

東京都台東区浅草は多国籍の観光客で溢れている。ここは江戸時代から続く一大テーマパークである。賑やかな夜の街を歩きながらこんなことを考えた。

「東京の人間は冷たい」と西日本の人間は簡単に言いがちだが、それは正しくない。関東で暮らしたこともない人間が無機的な都市「渋谷」や「新宿」を見て発言しているのだろうが、「本所」などに行ってみれば考え違いをしていることに気づくはずだ。

東京人は「野暮なこと」をあまり言わないだけである。おそらく、あれこれと「詮索する」のは卑しい行為だと考えている。一方、西日本の人間は「無粋な質問」を初めて会った人にも平気でする。これは自分から「私は育ちが悪いんですよ」と吹聴しているようなものだ(笑)

無駄口をたたかないことは紳士の常識である。友達付き合いでも適度な距離を置く「東京流」を私は支持する。「さらりとした空気」を異質なものとして認識するのは田舎町にずっと留まっている者の「視野の狭さ=ねちっこさ」に他ならない。

「浅草文化観光センター」の前を通り横断歩道を渡って左折した。目的の店はまだ営業しているようだった。

「浅草文化観光センター」前

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共栄堂(神田神保町)のスマトラカレー

2008年12月03日 | 

神田神保町に通うようになって自分がいかに文化レベルの低い町で育ったかを痛感した。広島県第2の都市と言えば聞こえはいいが、実際はガラの悪い人間で溢れかえっていた。私は高校で最低の教育を見て「本当に救いようのないのは垢教師と某恫喝団体だ」と思っていた(笑)

18歳で「不浄の地」を離れた時は本当に清清したのをよく憶えている。それから暫くして北関東の僻地に移ったが、そこはどうしても好きになれなかった。生まれ故郷と同じ「臭気」を感じたからである。

田舎を抜け出して神田神保町で本を読み、私は気分転換を図っていた。本を何冊か購入した後には喫茶兼カレー屋に入って寛ぐのであった。最初の内は欧風カレーの「ボンディ」を利用していたが、個性的な味を作り出す店の方に足が向くようになった。

私の中での1番は「共栄堂」で2番が「エチオピア」だ。奇しくも「東京人no.249」で「共栄堂」は神保町カレーベスト10の1位に輝いていた。ちなみに「エチオピア」は10位。

「ポークカレー」

「共栄堂」のスマトラカレーの特徴はスパイス感がじわじわと効いてきて心地よいほろ苦さが舌に残ることである。野菜はミキサー処理しているので固形物は肉だけだ。定番の「ポークカレー」を食べたが、他の肉片(鶏)も入っているのが面白かった。

デザートには季節限定の「焼きりんご」を頼んだ。酸味の強い「紅玉」は現在では使い道のない品種として日陰者扱いであるが、焼きりんご作りには欠くことができない。甘酸っぱいカリカリの皮の美味しさは癖になる。

私は「焼きりんご」が好きだ

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神田神保町で古書を物色

2008年12月03日 | 

神田神保町(かんだじんぼうちょう)で古書を手に取ってページを捲っていた時期が私にはあった。20代半ば頃の話だ。これほど古書店が集まっている地区を他に知らないし、初めて遊びに行った時には「流石、東京にはすごい所がある」と素直に感動した。

久しぶりに夜の神保町巡りをして私の目は次第に輝いていった。何も買う気はなかったのが立ち読みしている内にあれやこれや欲しくなる。そして2、3時間があっという間に経ってしまうのが古書街のマジックだ。

本好きの老若男女が吸い寄せられる聖地には書店だけでなく味の名店も数多い。

懐かしき「古書センタービル」の看板

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幕末維新展(靖国神社遊就館1階企画展示室)

2008年12月02日 | 

今月8日(月曜日)まで靖国神社の遊就館で「幕末維新展」を見ることができる。つまらないイデオロギーに縛られずに興味のある人は出掛けていくことを勧める。特別展の料金は大人200円・大学生100円・高校生以下無料。開館時間は午前9時から午後5時。

展示物で特に印象に残ったものをいくつか挙げておく。第9代水戸藩主徳川斉昭所有の陣羽織、西郷隆盛以下指名手配書、勝海舟指揮刀、戊辰戦記絵巻、赤熊毛頭(しゃぐまけがしら)・白熊毛頭(はぐまけがしら)。

中でも安政4年8月、松平阿波守より市内番所に張り出された告示と人相覚が注目を集めていた。西郷吉之助(隆盛)のひょうきんな似顔絵は維新後の風刺画に強い影響を与えたのではないかと思えるほどの出来栄えである。

上野戦争の頃から官軍幹部が冠物として使った毛頭は貴重だろう。毛頭の赤は「土佐藩」、白(見た目は灰色に近い)は「長州藩」、黒は「薩摩藩」が被ったと伝えられる。

この週末の遊就館は結構な賑わいかもしれない。

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靖国神社参拝

2008年12月01日 | 

上京の折には時間の許す限り靖国神社に参拝する。先の大戦で命を落とした人達に手を合わせたいという気持ちからで、私にとっては先祖の墓参りと同じなのだ。

思考回路がズタズタに分断された「極左」は靖国と聞いただけでアレルギー反応にも似た憎悪の念を燃やす。世の中には色々な考え方があって当然なのに「参拝者」を短絡的に「右傾」とみなすのは一神教を正当化しようとテロを引き起こす人間と思考能力のレベルは大して変わらない。

大きな違いは、自分の信じる道のためには命を落としても全然構わないという強い意識が「テロリスト」側にはあるが、悲しいかな「極左」にはそれがまるっきり欠如していることだ。

議論もしないうちから反対意見を持つ者を敵視し攻撃の機会を常に窺う姑息さは頭の悪さというよりも生まれ(血)の悪さに起因しているように思えてならない。人間は生れ落ちた瞬間から不平等が始まっているという事実をはなから否定しようとするから話がおかしくなるのである。

靖国神社にお参りしているのは元軍人と遺族だけではない。右翼もいれば自衛官もいるし、最近では若者の姿も結構見受けられる。実際に足を運んだこともない者がマスゴミの書いた屑記事を鵜呑みにして語りがちなのは情けない。

自分の目で見て、そして実際に調べた上(聞き取りも含めて)で文章を書かなければ何の値打ちもないのである。愚か者を増産してきた「日狂組」の悪行は徹底的に追求すべきだ。タブーという言葉を作りたがる組織は「利権確保」に執着する(笑)

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酢牡蛎で熱燗を飲む

2008年12月01日 | 食材

牡蛎の剥き身を食塩水でさっと洗って汚れと殻を落とす。水切りを十分に行い、自家製ポン酢をかけた。

いつもは橙で作るのだが、今年は柚子をメインに使った。これは非常に香りがよい。牡蛎独特の生臭さを柚子果汁がきれいに消してくれる。

生が苦手な人はピカタやフライがおすすめだ。加熱した牡蛎も美味しいことに変わりはない。牡蛎フライをアテにして冷たいビールを飲みたくなった。

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