寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

中山道武佐宿を歩く(その10)

2011年02月22日 | 
静まり返った武佐宿の東入口に向かう途中に明治天皇御聖蹟碑があった。天皇と関係のある寺の伝道掲示板を見て旅人は微笑んだ。

近江八幡市武佐町にある明治天皇御聖蹟碑

 手をあわす 姿のうしろに 子や孫も

「これは寄って行かねばならんだろう」と思い真っ白い参道をつま先歩きしたが、雪は容赦なく靴の中に入ってきた(笑)

浄土真宗広済寺の伝道掲示板

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さかなクンがお魚大使に任命される

2011年02月22日 | 日記
昨日人気者のさかなクンがお魚大使に任命されたニュースを見て「今の日本にこういうキャラは必要だろう」と思った。魚介類に関する知識が豊富で味へのコメントもなかなか鋭い。

彼には今後ともマイナーな魚(安価で美味しい)が食卓に上るようにPRに努めてもらいたい。盲目的なマグロ信仰はそろそろ終わりを告げてもよい頃だから。

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人寄せパンダと政治

2011年02月21日 | 日記
上野動物園にパンダがやって来る。東京都は年間約8千万円のレンタル料を10年にわたって中国に支払うという。集客のための看板動物が喉から手が出るほど欲しいのはわかるが、元は取れるのだろうか?

さて、年内には行われることが濃厚な解散総選挙でも人寄せパンダは重要だ。R4女史や進次郎君などの周りに集まる熱狂的な人達が今回も見られるだろう。裸祭り開催を求める国民の声が高まっていることを落ち目の権力者は次第に無視できなくなっている(笑)

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中山道武佐宿を歩く(その9)

2011年02月21日 | 
武佐宿脇本陣跡は分署のすぐ先にあった(道路の左手)。現在は武佐町会館となっており街道沿いに大きな木戸が再現されている。私は敷地内にある馬頭観音碑の前でお茶を飲んで休憩をとった。

武佐町会館敷地内の馬頭観音碑

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中山道武佐宿を歩く(その8)

2011年02月21日 | 
武佐町交差点の横断歩道を渡る。最近造られたと思われる綺麗な常夜灯(ポケットパーク)を見て北東に進む。

明治初期創業の料理屋「魚友楼」の先に古い木造二階建てが現れた。旧八幡警察署武佐分署(国登録有形文化財)は料理屋の洋館となっている。徳川幕府瓦解からわずか20年足らずで西洋文明が急速に浸透し統治体制も大きく変わったのが分かる。

分署が建てられた明治19(1886)年は我が国にとって重要な意味を持つ。文部省管轄の東京大学が帝国大学(大日本帝国唯一の大学という意味)と改称され官僚養成校の色合いが強くなっていくのである。

旧八幡警察署武佐分署(1886年築)

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中山道武佐宿を歩く(その7)

2011年02月20日 | 
宿場町を歩く楽しみには蔵を見ることも含まれる。地方によって造りに特色があることが多い。頑丈な造りの蔵を併設する家は紅殻格子戸が印象的であった。私は武佐町の交差点に着いた。ここで中山道と国道421号線が交わる。

滋賀県近江八幡市の武佐町交差点

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新報道2001の最後だけを見る男

2011年02月20日 | 日記
午前8時50分過ぎにチャンネルを変えて新報道2001を出した。しばらくして内閣支持率16.2%という数字が表示された。

退陣論が噴出してもにやけ顔の総理には当然「居座り続ける」という選択肢もある。しかし、そうなれば夢の一桁台に突入して解党の可能性がますます増大する。解散に打って出る度量はないと国民からも見放されている点は深刻だ。

問題を先送りしても最悪の結果から逃れることはできない(笑)

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中山道武佐宿を歩く(その6)

2011年02月19日 | 
武佐宿本陣下川家は取り壊されて現在は武佐郵便局に変わり中山道沿いに黒ポストと立て札が設置されている。

武佐郵便局の書状集箱と立て札


 お知らせ
 近江八幡市武佐町は、中仙道の宿場町として栄え、
 多くの旅人が往来した町であります。
 武佐宿としての景観づくりのため郵便局や
 書状集箱(郵便ポスト)も往時の様式を
 模したものとしました。
 皆様のご利用をお待ちしております。
 平成九年七月十四日
                        武佐郵便局長

往時を偲ばせる建造物として郵便局隣に門と土蔵が残っているため江戸の情緒が幾らか感じられる。

本陣下川家の門と塀

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中山道武佐宿を歩く(その5)

2011年02月19日 | 
中村屋跡地のすぐ近くに建つ商家・大橋家。宿場町時代の建物としては最古という。虫籠窓(むしこまど)がいい味を出している。大橋家向かいにはかつて武佐宿の本陣が置かれていた。

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流行りの塩鶏を作る

2011年02月19日 | 食材
現在鶏胸肉が人気である。もも肉と比べると淡白な味のためかつては日陰者であったが、安さと栄養価が評価されるようになって地位が向上した。

塩鶏は蒸し煮の一種である。調味料は塩、砂糖、酒といたってシンプル。ポイントは観音開きにした肉の両面にフォークで穴を開けて調味料を浸透させやすくすることと加熱し過ぎないこと。

落し蓋をして皮目に火を入れてひっくり返す。それから火を止めて蓋をして蒸らすのだが、私の鍋での最適条件はまだつかめていない。もう1、2度作ってみる必要があるだろう。

中がしっとりの胸肉は素朴でやさしい味。このままでも十分合格だが、胡麻味噌だれや梅肉だれをかけると更に深い味わいになる。薬味や付け合せの野菜にもこだわりたいものだ。

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中山道武佐宿を歩く(その4)

2011年02月18日 | 
近江八幡市武佐町に入る。右手の広い空き地が料理旅館「中村屋(昨年12月の火災で焼失)」跡である。残された大きな看板を見上げた私は残念な気持ちで一杯だった。旅館に隣接した家屋の壁が黒く焦げており火事の凄まじさを如実に物語っている。

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中山道武佐宿を歩く(その3)

2011年02月18日 | 
松平周防守陣屋の先の辻に道標があった。石には「安土浄厳院道」と刻まれている。これは近江八幡市安土町慈恩寺にある浄土宗「金勝山慈恩寺浄厳院(じょうごんいん)」に向かう道という意味である。

石柱の背後に設置された「八幡東中生は一旦停止」の標識が微笑ましい。道路の中央から左側が長光寺町、右側が武佐町となる。

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身欠きフグの価格が下がる時期

2011年02月18日 | 食材
忘年会から新年会の時期はフグの価格が頂点である。これを過ぎて春に近づくほど値は下がっていく(カキと同様)。だから安く食べようと思えば今が買いだ(笑)

厚引きや鍋に飽きた人は唐揚げにすると良い。鶏肉ほど味がしつこくないので中高年には喜ばれる。そろそろフグマジックを体感したくなった。

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中山道武佐宿を歩く(その2)

2011年02月17日 | 
中山道を更に北東へ100mほど進むとまた右手に愛宕神社の常夜灯があった。雪の積もった武佐宿は静まり返りのどかな雰囲気である。雪への鬱陶しさが次第に消えて「こんな旅は滅多にできるもんじゃない」という思いが芽生えてきた。

松平周防守陣屋の案内板は武佐小学校の卒業生が手作りしたもので私には新鮮な感じがした。ここでの周防守というのは幕末の大名・松平康英のことを指すのだと思う。武佐が武蔵国川越藩(現・埼玉県川越市)の飛び地であったことは後で知った。

松平周防守陣屋(左)と愛宕神社の常夜灯(右)

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中山道武佐宿を歩く(その1)

2011年02月17日 | 
近江鉄道・武佐駅から東に歩いていくとお婆さんが腰を屈めて雪かきをしていた。私は「中村屋方面に行く途中なんですが…この道で大丈夫ですか」と尋ねた。

彼女は手を休めて「ここを真っ直ぐです。昨年の火事はひどかった…」と言った。平成22年12月歴史ある武佐宿の料理旅館(元旅籠)が全焼したニュースを見た時には唖然としたが、長光寺町の人の言葉を生で聞いて改めて失った物の重みをかみ締めたのである。雪道の少し先(左手)に愛宕神社の常夜灯が立っていた。

中山道武佐宿

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