寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

平成23年建国を祝う会(その2)

2011年02月11日 | 日記
壇上左脇に1名右脇に2名、そして客席最前列両端に各1名のSP(計5名)がついて警護にあたっている。笑みを浮かべた安倍晋三さんは簡単に挨拶をしてから昨日の小沢・菅会談に触れて「いいかげんにしてもらいたい」と言った。そして議員会館でばったり会った岡田幹事長にエールをおくると「こうなったら明るくやるしかない」と暗い顔をして答えていたことを暴露した(場内大爆笑)

元総理の舌の回りは絶好調と見え「伊達直人が贈るのはランドセルだが…菅直人(がやっているの)はランドセール(=売国)…」と扱き下ろした。話は戦後レジームからの脱却に移った。アメリカや中国の子ども達に比べて日本では「国のために何かしたい」とか「自分に自信を持っている」と回答したのは約半数だったことが教育基本法を変える決意に至った理由だと語り「(GHQに押し付けられた)憲法に65年間指一本触れずにきたが、書き換えて行かなければならない」、新憲法制定が「真の国造りだ」と説いた。

それから資源獲得のため軍事費を増やし我が国の領海(尖閣諸島など)を侵犯する中国に対してははっきりと拒絶の意思を示す必要があるとし、海外で危険にさらされている自国民(拉致被害者)を自分達の手で救い出すためにも憲法改正は急務であると結論付けた。問題が分かっているのに議論を始めないのが現政権の大きな特徴で支持を失った主たる要因とも言える。

丸の内の商船ビルに勤めていたジョージ有吉さんが親しくなった靴磨きの少年に同情してパンを差し入れた話が意外にも最後に出た。たった1人となった肉親である妹のためにパンを道具箱にしまう幼い兄の姿に感動した日系アメリカ(軍)人は「自分にも日本人の血が流れていることを誇りに思った」という回想を引用して「日本に誇りが持てる教育を行っていきたい」と力強く締め括り会場から大きな拍手と声援を浴びた。基調講演はおよそ33分だった。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成23年建国を祝う会(その1)

2011年02月11日 | 日記
リーデンローズに着いたのは12時半頃。大ホール入口に行ってみると既に入場可能であった。主催者側からファイル一式を受け取り1階の中ほどに席を取った。

クリアファイルの中に入っていた日本会議のパンフレット、日本時事評論の紙面などに目を通す。13時25分、ブザーが鳴り撮影・録音禁止、携帯の電源を切るようにとのアナウンスが流れた。会場は聴衆でほぼ埋まっていた。予定通り式典は30分から始まった。

一同起立しての国歌・紀元節斉唱。橿原神宮の方角に礼拝して着席した。徳山威雄さんが式辞を述べて府中市長が登場した。彼は祝辞の中で「8年前までは堂々と国旗を掲げることができなかった(日本ではなかった)」と発言し荒廃した学校教育を立て直した経緯を説明していた。日狂組と恫喝団体の影響力が凄まじかった事を皮肉交じりに語る市長を見て私は苦笑した。そして政治の表舞台から追放されて今では蓮如の思想を説いて回っている男のことを思い出して顔を顰めた(笑)

続いて林商工会議所会頭は「自国の文化と風土を理解し国を愛す」ことの重要性を説いた。司会の女性が祝電を紹介した中に宮沢洋一さん(参議院議員)の名があった。13時56分、安倍晋三元内閣総理大臣がさっそうと現れ国旗に一礼して壇上に立った。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の建国記念日は晴れ

2011年02月11日 | 日記
昨晩からの雨が上がり目出度い晴れの建国記念日となった。昼食を済ませた私は手袋をはめて自転車に乗った。向かう先はリーデンローズである。

先日、左傾新聞の折り込みチラシの中に「平成23年 建国を祝う会(基調講演 安倍晋三)」のビラが入った。それで家族を代表して話を聴きに行くことが決まったのだ。

新聞に入ったチラシ

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豆苗(とうみょう)の再生を試みる

2011年02月11日 | 食材
料理に使った豆苗の残り(豆と根)を水につけて再生栽培してみることにした。毎日1回水を換えて10日ほどすると元の背丈位まで芽が伸びるという。2度食べられるのであれば1袋100円は安い(笑)

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豆苗(とうみょう)と牛肉の炒め物

2011年02月10日 | 食材
予め下味をつけておいた牛肉(今回はランプを使用)をニンニクオイルで手早く炒める。続いて半分に切った豆苗を投入し、塩とコショウで味付け(お好みで少量の醤油を追加)する。

肉の旨みを吸い込んだ豆苗を噛み締めるとニンニクと豆のかおりが鼻腔をくすぐる。この素朴な美味しさをもっと多くの人に知ってもらいたい。飯のおかずとしてピカイチと言ってもよいだろう。

にほんブログ村 料理ブログ 男の料理へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑黄色野菜である豆苗(とうみょう)

2011年02月10日 | 食材
豆苗(とうみょう)はえんどう豆の新芽のことで中華食材として有名である。豆の風味を活かした炒め物、和え物にすることが多い。豆苗のウリは歯ざわり(シャキシャキ感)と独特の香り(モヤシほどは強くない)であろう。緑の美しさも人気の一つだ。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤穂市の坂越港でカキ豊漁(報道ステーション)

2011年02月09日 | 日記
夏の暑さの影響で広島産カキは例年と比べると小ぶりと聞いていたが、今日のニュースを見て驚いた。赤穂市周辺と岡山県東部ではカキが豊漁とのこと。番組では坂越港で養殖業を営む人を取材し豊漁で養殖筏が沈みその劣化を心配する声を伝えていた。

猛暑であるにもかかわらず豊漁になった原因の一つに(6、7月の)大雨で揖保川と千種川から栄養分が内海に流れ込み、カキの餌となる植物プランクトンの増殖につながったのではないかと分析していた。

私は昨年秋にカキフライを食べただけである。今度寄島産を購入して「酸ラー煮込み」を作ってみようかなと思う。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島平和記念資料館で新着資料展を見る

2011年02月09日 | 
公園内にある噴水の横を歩いて広島平和記念資料館に入る。東館地下1階では新着資料展が開催されていた。昭和20年8月5日で途切れた梅北トミ子さん(県立広島第一高等女学校の生徒)の日記を読んだ。

そして私は彼女と同じ年に何をしていたのだろうかとふと考えた。プラモデル作りに熱中して親に小言を言われる日々を回想してから「運命」についてしばらく思いを馳せていた。

新着資料展

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西平和大橋西詰から広島平和記念公園に向かう

2011年02月09日 | 
西平和大橋東詰から川に沿って上流に少し歩くと大きな慰霊碑があった。碑の裏面を見て広島市商業学校(※市立広島商業高校の前身で当時の校舎は南観音町にあった)に関係するものであることを悟った。

 …広島市商は当時造船工業に転換を余儀なくされていた…学徒動員市内建物疎開作業に出勤中の生徒二七〇名付添職員三名もまた全滅の悲運に遭った…

私は「この年になっても知らないことが多すぎるな」と呟き黙祷をささげた。

広島市商業学校・広島市造船工業学校原爆戦没者慰霊碑(川向こうの建物は中国新聞本社)

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和大通りに出て西平和大橋を渡る

2011年02月08日 | 
広島の旧花街(西地方町、西新町など)界隈をぶらつく。現在の中区土橋町は安宿街に変貌している。平和大通りに向かい西平和大橋西詰に到る。

橋の欄干に車のホイールが寄りかかっていた。眼下には太田川水系本川(旧太田川)が流れる。昭和初期までは船が頻繁に行き交っていたという。当時は蜆もたくさん獲れたことだろう。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島市西地方町は花街だった

2011年02月08日 | 
床屋から南に進路を変え「浄国寺」の前に出た。現在の土橋町はかつて西地方町という名だった。花街の名残とも言える置屋「広島券番」が寺のほど近くにある。

 …西地方町の町名であるが、もともとこの界わいは広瀬村、のちには畳屋町といわれた。一般に近くの海を表わす場合「近海」というが、陸の場合は「地方」(じがた)という表現を使ったものである。そして「西」の字を使ったのは、東の台屋町の旧名「地方町」に対してつけたものといわれる。また、この町を「畳屋町」といったが、これはそのかみ毛利氏が吉田から広島に城を移した当時、畳職人がこの界わいに移住してきたので名付けられたという。

 …浄国寺の土地は毛利輝元の別邸のあったところで、福島氏のときも下屋敷になっていたところである。

 著者の少年時代の思い出には、この浄国寺の境内で大相撲が興行されて当時の奉納番付板が残されていた。名横綱常陸山の引退興行がこの境内で行なわれたのは、確か大正三年十月四日のことであった。

 また、この浄国寺には延命地蔵があり、そのほかにも六つの石地蔵があった。この六地蔵の一つの首が、ピカドンで寺から三、四百メートルはなれていた土橋の近くに飛んでいたという。…この首はピカドン二年後にある人が拾って届けてくれ、六地蔵が全部揃ったという話を寺の人から聞いたが、原爆の爆発力がいかにすごいものであったかを物語るものである。

 浄国寺の墓地…の一角には大正六年四月七日の火事で亡くなった広中券番(西地方町浅岡庄太郎氏の家)の芸妓の墓もある。

 西地方町で忘れられないのは、浄国寺の隣にあった「三角」(さんかく)というウドン屋のことである。「三角」は文字通り三角形に建てられた店で、一串二銭だった極めて薄く切られた焼肉がうまかった。筆者たちが学生時代はもっぱらこの肉ウドンととりくんだものであった。

 券番の前身は大手町二、三、四丁目界わいにそれぞれ置かれたのだが、明治二十六年から本川の西部に区域が決められ、西地方町に置かれることになった。そのころの券番は東遊廓券番、東券番、西券番の三つであった。東遊廓券番は別名を柳券といった。東券番といわれたのは西地方町にあった島津、藤見、篠原の三つの置屋の総称で、西遊廓にあった広中、竹中、柴田、木市の四置屋四軒が西券番といわれた。

 「薄田太郎 / 続々がんす横丁(たくみ出版 昭和四十八年)」

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文は人を表す

2011年02月08日 | 日記
「文章を見れば大体その人物の頭のレベルがわかる」と私の師匠は常々語っていた。もったいをつけた長いだけの駄文を書く人、短文の中に芯のある主張・諧謔・毒を同時に盛り込む人、まったく日本語になっていない人など、様々だ。

私は他人の文章から生まれ育った環境、家族構成、性格、信仰する宗教、若い頃に本を読んでいたかについて推測しほぼあてる。異常な粘着性からは真の国籍までもが読み取れることを付け加えておこう。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島市中区堺町における印象的な建物

2011年02月07日 | 
堺町1丁目で私の目に留まった建物がある。重厚な造りからして復興期に建てられたものであろう。可愛らしい小窓が印象的だ。

所謂赤線地帯にぽつんとありそうな建築だが、現役の床屋さんである。このまま東へ進んで本川橋に出るのを止めてかつての花街に寄ってみることにした。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

極度のコンプレックスが人を醜くすることもある

2011年02月07日 | 日記
今月5日、元連合赤軍の永田洋子死刑囚が東京拘置所で息を引き取った。革命を謳い行き詰った末、仲間に対して総括と言う名のリンチ殺人を行ったことを私は忘れる(≒許す)ことができない。

獄中で脳腫瘍を患い最期は寝たきりだったそうだが、虚無感と罪悪感によって次第に体を蝕まれていったことは想像に難くない。愚行へ駆り立てたものは異常なまでのコンプレックスだったと思う。自分より優れたもの、華やかで美しいものに対する嫉妬心と嫌悪の念が燻り続けた結果爆発したのではないだろうか。

彼女と同じ世代で学生運動に夢中になった者の一部は政治の世界に紛れ込んで無責任なことをしている。ルーツと過去を語り反省することのできない、付和雷同型団塊の評価が低いのは当然とも言える。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悩んでいない人間ほど泣き言を口にする

2011年02月07日 | 日記
悩みのない人間なんていやしない。程度の差はあれ、誰もが不安や苦しみを抱え格闘しながら生きている。「泣き言を安易に口にする者ほど実は悩んでいない」というのが私の持論だ。本当に苦境に立たされた者は無駄な言葉すら吐けなくなる。だから泥沼から自力で這い上がった人間は強いし、弱き人々に温かい眼差しを注げるのだ。

女々し過ぎるある男に私は「我慢できないほど辛いのなら辞めるという選択肢もある。だが、お前にはそれほどのキ○○マ(≒覚悟)もないだろう。黙ってお似合いのルーティンワークにしがみついてろ」と言ってやったことがある。目出度い男は去勢犬のようにシュンとなり以後私には物を言わなくなった(笑)

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする