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寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

戦前の岩国市川下地区のメインストリートだった堀川通り

2012年06月23日 | 
中津薬師堂から東へ真っ直ぐ歩いて行き辻(仏性寺資料館前)に出た。南北にほぼ真っ直ぐにのびる通りは福山市鞆町の道路と同じくらい幅が狭い(戦前からほとんど変わっていないものと思われる)。資料館から少し南下した辺りに説明板が設置してあった。

堀川の道の説明板

22堀川(ほりかわ)の道

 この道は江戸時代、小瀬から上の関までをむすんだ大じな道でした。また愛宕、灘、中洋地区から白崎八幡宮へお参りする人たちが通った道でもありました。むかしからお店も多く、川下で一番にぎやかな通りでした。

岩国市川下地区連合自治会
岩国市川下地区子ども会補導会長連絡協議会

通称:堀川通りの西側が楠町3丁目、東側が中津町1丁目となるが、岩国市が誕生するまでは玖珂郡川下村中津という住所だった。資料館から西へ50mほどの位置に浄土真宗本願寺派・徳光山佛性寺はある。小犬を連れて出て来た女性(おそらく現住職の奥さんと思われる)に無理を言って中に入れてもらった。彼女が何度も来訪の目的を訊ねるので「寺巡りが趣味でして…」と答えておいた。

昭和17年の岩国市街地図(あき書房が復刻・販売)より堀川通り周辺を拡大(通りを赤色、そして近くの寺を水色で着色した)

寺は昭和4年(1929)に建てられたという話だが、昭和17年の岩国市街地図ではこの場所に寺は見当たらない。資料館の東に卍のマークがあるのでそこから移転したのであろうか。とにかく資料館と寺は大きくて立派な造りであった。

堀川通りから北方(仏性寺資料館辺り)を望む

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餃子の肉と野菜の割合は

2012年06月23日 | 食材
基本的に1対1と言われる。私も通常はこれで作っているが、季節によって配合比を微妙に変える。例えば夏では肉:野菜=4:6にしてあっさり目に仕上げる。また冬にはこの逆にして熱量を上げる。料理の腕が上がると、季節や体調に応じて楽にレシピをいじれるようになる。料理にも柔軟性は必要だ。

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岩国市楠町3丁目の中津薬師堂(後編)

2012年06月22日 | 
中津薬師堂は明治33年(1900)に設置された岩国南八十八霊場・第三十二番にあたる。平成19年から23年にかけてお堂東側の広場を岩国市教育委員会が発掘調査した結果、河口の三角州という軟弱な地盤に高度な土木工事を行っていることが判明した。

土塁で囲まれた内部に建っていた大きな屋敷は以前加陽和泉守(かやいずみのかみ)が住んでいたと考えられていたが、今では守護大名大内氏の重臣弘中氏一族の屋敷とする説が有力である。錦川と瀬戸内海を往来する船を監視する上でこの界隈は重要な見張り所でもあった。私はもう一つの説明板の文字を目で追った。

薬師堂の説明板

11薬師堂

 ここは瑞光寺の境内でもありました。寺は古く室町時代(一三三六年~一五七三年)にできたものです。
瑞光寺は江戸時代の終わりにこわされました。しかし、今からやく二四〇年前に建てかえられた薬師堂だけ残されました。
 この中にまつってある仏様は薬師如来で室町時代に作られた古いもので、この地方ではめずらしくりっぱな仏様です。

岩国市川下地区社会福祉協議会
岩国市川下地区連合自治会

瑞光寺(ずいこうじ)はこの地域で勢力を誇っていた弘中氏によって室町時代後期に門前に建立されたと考えられている。江戸時代初期にほとんど廃寺のような有様であったのを吉川広正が寛文2年(1662)に再興した。そしてとうとう幕末に廃寺となり、薬師堂以外は取り壊されてしまったという話である。姿の見えぬ仏に手を合わせて来た道を引き返した。

岩国市楠町3丁目の中津薬師堂(岩国南八十八霊場・第三十二番)

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聡明な湯崎英彦広島県知事が下した判断

2012年06月22日 | 広島県政
今日広島県は鞆の浦(とものうら)の埋め立て架橋計画を撤回する方針を発表した。多少建設工事費がアップしても景観保護を重視するということである。山側へトンネルを掘る案が採用されるものと私は睨んでいた。市の宝はすなわち県の宝であり、また我が国の宝でもあるからだ。昨年冬から2ヶ月に亘って鞆の浦旅行記第一部第二部を公開した甲斐があったと思う。

一部の特定の人間が談合して好き勝手なことをやる時代は終焉したと言えよう。今やインターネットで個人が自由でビビッドな感覚で情報を発信できる。ゆえに従来のような情報操作は非常に難しくなった。聡明な広島県知事が次々とひねり出した策に翻弄されただけの長は酔いたんぼうのようにぼやくのが精一杯であった。

※冒頭の画像は歴史発見福山鞆の浦マップの一部

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岩国市楠町3丁目の中津薬師堂(前編)

2012年06月21日 | 
漸く私は六百年の歴史を語る中津薬師堂入口と刻まれた標石の前に辿り着いた。ここから北に参道がのびている。岩国市楠町一帯は中州(=中津)の中でも最も早く人が住み始めた場所で、その誕生は鎌倉時代中期と言われている。

岩国市楠町3丁目の中津薬師堂

明治22年4月1日に玖珂郡川下村中津となる前は中津村という名称だった。現町名は1丁目にある(樹齢350年を超える)クスノキの巨樹群に因むのだろう。薬師堂の南西に説明板が2つ立っているが、まず手前の方から目を通した。

12朝日長者やしき跡

 長者はたった一人の娘に死なれ、悲しみにくれました。娘のれいをとむらうために薬師堂を建て、仏様をまつりました。自分がなくなったあとも、とむらいに役立てるようにと、お堂の近くに、黄金千両、うるし千ばいをうめました。その場所を「朝日さす、夕日かがやくその下に黄金千両うるし千ばい」とだけ言いおきました。それから、人々は、この長者を朝日長者とよびました。

岩国市川下地区社会福祉協議会
岩国市川下地区連合自治会

朝日長者やしき跡の説明板

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ひじきと油揚げの煮物

2012年06月21日 | 家飯
幼い頃ひじきは見るのも嫌だったが、今ではすっかり好物になっている。水で戻し湯通ししたひじきと油揚げを出汁で煮る。揚げを用いるのはコクを出すためだ。味付けは砂糖と酒と醤油でほんのり甘く仕上げる。

若い人に食べさせたいのであればベーコンや挽肉と一緒にヒジキを炒めてから出汁を加えるとよい。畜肉の旨みを利用するとかなり食べやすくなるはず。地味な乾物(海草)ではあるが、家庭料理の一品として覚えておいて損はない。

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岩国市楠町3丁目の浄土宗・無量山専念寺

2012年06月20日 | 
楠町3丁目ではなかなか人に出会えなかった。すんなりと道を尋ねることができない旅人はとりあえず近くの専念寺に入った。ここも人の気配がない。本堂横に吊るされた干し柿が寒風に晒されて粉を吹き始めていた。

岩国市楠町3丁目の専念寺本堂

専念寺本堂横に吊るされた旨そうな干し柿

専念寺の周辺を徘徊している内に段々嫌気がさして来た。勇気を出して何人かに声を掛けたが、土地勘のない者が道筋を理解するには難し過ぎた。困り顔で同じ道を行き来している時であった。部外者を待ち受けていたかのようなタイミングで年配のおじさんが飛び出してきた。

身の危険を感じた私は後ずさりして柔道の組み手の体勢をとった。しかし、これは取り越し苦労であった。おじさんがポケットから取り出したのはただの素手である(笑)

彼は無言で西の方角を指差した。「あっちに薬師堂があるんですね」と念を押すと彼はニコリともせず頷いた。どうやら町内で横の連絡が入り助け舟を出してくれたようだった。私は頭を下げて教えてもらった狭い道へ入って行った。

岩国市楠町3丁目の路地(軽自動車がギリギリ通行できる)

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ひじきを水で戻す

2012年06月20日 | 食材
乾物のひじきを水に20分程度浸けると嵩が増える。私は実際に測ったことはないのだが、重量でおよそ6~8倍になるらしい。

水切りしたひじきを一度湯通しすると臭みが和らぐ。余談になるが、商売繁盛の願をかけてひじきの戻し汁を料理屋の店先に撒くという慣わしはいかにも京都らしい。

水で戻したひじき

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岩国市の大正橋南詰から対岸の白崎八幡宮を望む

2012年06月19日 | 
岩国市楠町3丁目のスーパー丸久・川下楠店の前を通り大正橋の南詰に出た。対岸は今津町で左手に白崎八幡宮が鎮座している。

昭和17年の岩国市の地図(あき書房が復刻・販売)より今津川沿いを拡大

昭和17年の岩国市街地図をみると八幡宮下に御料理廣嶋屋や清原製材所などがあったことが分かる。橋の袂近くに岩国市川下地区社会福祉協議会と岩国市川下地区連合自治会の連名で説明板が2つ設置されていた。どちらも川下地区の歴史を知る上で重要である。

車川跡の説明(背後は今津川沿いに広がる畑)

8車川跡(くるまかわあと)

古いむかしの本に、中津から車へ行くのに渡し舟でわたったと書かれています。その車川も今からやく三〇〇年前(一六九三年)にせきとめられました。こうして、川下が今のように三角形になるもとができました。川のあとには新しく田んぼが作られました。

麻里布の浦の説明(背後は今津川沿いに広がる畑)

9麻里布の浦(まりふのうら)

 今からやく二六〇年前、岩国藩の役所が各村々のようすを調べて作った本があります。その中津村のところに「古くからの言い伝えによると、中津村はふるい名を麻里布の浦と言った」と書かれています。
このあたりは、むかしは海辺で白い砂浜が続き、緑の松がはえて、景色の美しいところだったようです。

次に由緒ある薬師堂を訪ねることにしたが、迷路のような小道で迷い往生したのだった。

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梅酒の仕込みが終わる

2012年06月19日 | 食材
6月は青梅が出回る時期である。今年は例年よりも実が安いようだ。青梅は室温で数日放置すると黄色くなってしまうので入手後即洗浄して竹串を使ってヘタを取り除く。

大きなガラスビンに青梅と氷砂糖を交互に入れホワイトリカーを注ぎ蓋をする。あとは気長に1年待つ。琥珀色の梅酒を更にもう1年寝かせると非常にまろやかな味わいとなる。

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岩国市中津町の酒井酒造株式会社前を通過 

2012年06月18日 | 
もとはレストランホールだった食堂が最も繁盛したのは昭和30年前後であろうか。通りには昭和の面影が残っている。

川下出張所交差点を右折して少し歩くと杉玉が目に入った。明治4年創業の酒井酒造は銘酒・五橋(ごきょう)の製造メーカーである。

岩国市中津町1丁目1‐31の酒井酒造㈱

更に西へ進むと岩国南八十八霊場の三十番・椿地蔵菩薩(車町1丁目1‐35)がある。石柱の元字は昭和の妖怪と呼ばれた岸信介氏(一高→東京帝大→商工次官→A級戦犯→首相)によるもの。お堂の裏手(北側)に市立川下小学校が建っている。

岩国市車町1丁目の椿地蔵菩薩

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余計なお世話という見方もできる?

2012年06月18日 | 日記
牛レバーの生食が禁止されることになり食肉業界と一部の消費者から「自己責任で食べさせるべき」との声が上がっている。確かにお上からお前の好物を食べるなと強制されることほど嫌なものはない。

いくら規制してもこっそり食べる者はいるだろう。「好きにさせたれや」というのが私の考えだが、肉の生食にはリスクが伴う(寄生虫感染を含めて)ことすら知らなかった者達は素直に反省すべきである。

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岩国市の国道188号川下交差点から西へ向かう

2012年06月17日 | 
今津川と門前川の間のデルタ地帯は川下(かわしも)地区と呼ばれる。少し歴史を振り返っておこう。明治22年(1889)4月1日、玖珂郡中津村・向今津村・車村が合併して誕生したのが川下村である。

昭和17年に発行された岩国市街地図より川下地区辺りを拡大

明治期までは綿花栽培が盛んだったと聞くが、塩分濃度の高い干拓地では自然な選択だろう。私は国道188号の川下交差点を右折して西へ歩いた。

清誓寺境内にある親鸞聖人御像

川下町1丁目にある浄土真宗本願寺派「清誓寺」に立ち寄り親鸞聖人像と暫し対峙した。境内でコース確認を行った後、山口県道113号に出た。

岩国市川下町の清誓寺

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夏は、鰻丼。(吉野家)

2012年06月17日 | 日記
吉野家の期間限定メニュー鰻丼。写真を見て思わず唾を飲み込む男達の姿が目に浮かぶ。夏バテ予防に鰻を食べたくなるのが日本人だ。ライバルのチェーン店はうな牛なるメニューで対抗する。そのうちカレーを加えた3点盛が出てくるかもしれない。

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梅雨に聴くアビー・ロード

2012年06月16日 | 日記
今日は午前中から雨となり、まだ止んではいない。3日続いた蒸し暑さから開放されビートルズのアビー・ロードを聴いている。学生時代はお気に入りの1枚だった。

実質上のラストアルバムということもあってメンバーの方向性がはっきりと伺える。当時、人間関係は修復不能にまで陥っていたにもかかわらず最後の輝きを見せることができたのはジョージ・マーティン(プロデューサー)の存在が大きいと私は思う。

惜しまれつつ消えていくものがあるのに対して、存在悪と認定されても身分不相応な地位にしがみ付こうとする売国奴がいる。彼らの散り際の汚さは後々まで恥ずかしき例として語り継がれていくことだろう(笑)

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