寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

セブンカフェドーナツ・チョコオールドファッション

2015年06月17日 | 家飯
税込み価格100円。甘さは確かに控えめでほろ苦いアイスコーヒー(シロップ入れず)との相性はいい。たまにはこんな朝食もありだな。

アイスコーヒーとドーナツ

コンビニの店員が少し自慢げに「16日(火曜)オープンでおそらく福山で最初です」と語っていた。神辺から進出する十三軒茶屋も行くぞ、近い内に(笑)

幟

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セブンカフェドーナツの幟を発見

2015年06月17日 | 日記
昨日の夕方、セブンイレブン福山入船町店の駐車場で店員が旗を振り回していた。「何やっとんな」と思い目を凝らすとセブンカフェドーナツの幟が店の周りに立っているではないか。おまけに店の入口前にテーブルとイスまで置かれている。流石に座っている人はいなかったが、甘さ控えめのドーナツは売り上げ好調と聞く。アイスコーヒーに合うドーナツが無性に食べたくなったぞ。

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国旗掲揚・国歌斉唱を実施しない大学の存在

2015年06月16日 | 日記
19時のニュースを見て私は呆れた。いまだに反権力が恰好いいと思っている国立大学が地方に存在しているのだ。そのうちの3つの大学長のコメントを取り上げていたが、旧帝大以外は劣化サヨクの養成所に成り下がっているのではないかと疑いたくなった。

首相

文科相に「おまいら、ちゃんとせえや」と言われてブ―垂れたり、萎縮するとかほざく奴は金玉が小さ過ぎる。高校に毛が生えたレベルの三流大学なんてどんどん専門学校に格下げしたらいいのである。自由自治をウリにする大学が汚職まみれで世間の笑いものになっている事実をまずは反省しろ。

国旗

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岡山空襲で消滅した東西両中島の遊廓

2015年06月16日 | 
西中島で最も色街の雰囲気が漂う所に移動する。昔は相対する東中島とともに不夜城の様相を呈していたと思われる。左手奥の建物に売物件の看板が出ていたことは「岡山市中区東中島町の赤線跡再訪」で述べた。

東中島を望む

東中島よりも残っている妓楼の数が多いといっても取り壊されるのは時間の問題であろう。妓楼を歴史的建造物として保存しようという動きは聞いたこともないのだから。中島地区が繁栄を極めるまでの流れは『岡山市史 産業経済編(昭和四十一年)』の記述が非常に参考になる。

 岡山宿の庶民に対する宿泊施設は西中島町の旅籠町であった。西中島町は旭川を隔てて船着町に相対し、船着町は旭川の高瀬舟はもとより、吉井川からも延宝七年以後は倉安川によって高瀬舟の廻航してくる河港であるとともに、海からも小船は直接、大船は福島沖に船繫りして上荷舟によって連絡した海港でもあったので、西中島町は領内はもとより他国からの諸商人にとって旅籠町にふさわしい位置にあった。
 また、西中島町は宇喜多秀家による文禄年中の旭川架橋(京橋・中橋・小橋)によって山陽道沿いの町となり、道往く旅人の旅籠として恰好の場所でもあった。さらに、それが旭川の中洲にあって一応城下の営みから隔絶された地域であったことは、藩側にとって軍事警察上好都合でもあった。

旅籠に非合法の飯盛り女が置かれ、お上の取り締まりを潜り抜けながら営業を続け維新後漸く遊廓地として正式に認可されるに至ったのである。

岡山市西遊廓は岡山県岡山市西中島新地に在つて、鉄道は山陽本線岡山駅で下車する。市内電車及乗合自動車の便がある。岡山は女に恵まれた処で、東廓の外に西廓をも持つて居る。両廓共何れ劣らぬ賑かな殷盛振りを示して、昼猶絃歌の絶え間無いと云ふ有様だ。貸座敷は目下五十九軒あてて、娼妓は約三百五六十人居る。茲も矢張九州地方の女が多い。店は写真店で陰店を張つて居る家もある。娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は時間制と通し花制で、廻し花は取らない。費用は一時間遊びが一円五六十銭で、全昼は六七円全夜は七八円見当である。台の物は別だ。
『全国遊廓案内』

しかしその繁栄も長くは続かなかった。岡山空襲による被害は遊廓地である中島にも出たのだ。『岡山市史 戰災復興編(昭和三十五年)』には驚くべき事柄がたくさん書かれている。なお巻末の「燒夷彈爆撃に依る燒失状況(戦前の岡山市街地図を用いて焼けた町を赤く着色している)」も貴重で平和教育の資料として活用すべきだ。

岡山市の戦災-町内会別に見た戦禍
 西中島町 戦災前の戸数一三〇 焼失戸数一一九 死者(※著者註 記載)なし 二一・一〇月~二二・三月現在復興戸数九十 備考 焼失家屋中貸座敷数四十九軒
 東中島町 戦災前の戸数三〇〇 焼失戸数二九〇 死者(※著者註 記載)なし 二一・一〇月~二二・三月現在復興戸数一五〇 備考 焼失家屋中貸座敷数五十九軒

宗教及び文化財-寺院の戦災と再興
15.源照寺 真宗 東中島町
 寛永年間の創立で本尊は阿弥陀如来である。戦前の寺域一一三坪九、本堂と庫裡があった。空襲の際東中島町は国道より北側を残して南側の遊廓地帯は全焼、源照寺もまた灰燼となった。戦後は進駐軍などの関係で東西両中島は急速に復興したが、寺院は再興することが出来ず、この寺は花畑操町に移って再建された。
16.教徳寺 真宗 東中島町
 阿弥陀如来を本尊とし、元和六年二月の創立(寺伝)とも寛文十年の創立(吉備温故)とも云われる。戦前は遊廓地帯の狭い屋敷に本堂と庫裡があった。戦災で全焼したが源照寺と同様、旧知に復興することができず、門田に移って再建した。

焼け残った町筋
 西中島町北側、東中島町北側も残った。

岡山県特殊娯楽施設協会
 進駐軍の慰安施設としては中島遊廓の焼跡に、資材を優先的に特配して慰安所を建てさせたり、又磨屋町柳川筋にバラック建てにした岡山劇場をダンスホールにするなど手を尽くしたが、それもその筈、米軍先遣隊が進駐した第一日に早くも中島に繰り込んで遊んでいたという慰安風景が見られ、又言葉が通ぜぬため慰安所で交渉にまごずいたり、代金の勘定に戸惑うなり、様子がわからぬためか支払をそのままにして帰って行くお客さんもあって、そうした問題が県に持ち込まれることも度々であった。

日本家屋2

日本家屋2玄関

敗戦国の官僚・政治家は進駐軍がやってくる前に性の防波堤として慰安所を用意する手筈を考えていたと思われる。損失分を早く取り戻したい楼主にとって旨味の多い申し出であったことは容易に想像がつく。こうして進駐軍の意向に沿う形で慰安所が旧遊廓地に急ピッチで造られ赤線地帯として復活するのであった。だが、売春防止法の施行で第2の繁栄はわずか10年ほどで終わりを告げた。

日本家屋3

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梅干し・本漬け

2015年06月16日 | 食材
赤シソを塩でもみアクを出してから白梅酢(梅を塩漬けにして出た汁)を加えると赤紫色に変わる。シソニンとクエン酸の化学反応によって赤梅酢が出来たのだ。梅の入った瓶に赤シソと梅酢を戻して本漬けは一応完了。今年は塩分をやや高めにしたのが変更点である。

本漬け

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デパそら・福山天満屋・屋上ビアガーデン(6月30日~)

2015年06月16日 | 日記
今月末に福山天満屋の屋上ビアガーデンが復活。私はバブル期に天満屋の屋上で飲んだことがある。大学1年の夏休みに収容所で臭い飯を食った仲間が集まったのだった。ほとんどが県外に出ており、都会での生活を嬉しげに語っていた。

私は確かジョッキで12杯ほど飲んで翌朝はひどい二日酔いに悩まされた。しかしビールはますます好きになった。広島市に帰ってからはキリンフォーラム(今はなき伝説のビアホール)を定期的に利用した。飢えた学生がソーセージ類を馬鹿みたいに食べるのでボーイ(従業員)が露骨に嫌な顔をしていた(笑)

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ザ・ブルーハーツの代表曲リンダリンダを別アレンジで聴く

2015年06月15日 | 日記
昨日のヨルタモリのゲストは岡山市中区出身のミュージシャン・甲本ヒロトさん。大好きな豆(特にだだちゃ豆)について熱く語るのが面白かった。番組終盤で沖仁さんがリンダリンダの有名なフレーズを弾き始めてセッションになった。

ギタリスト

ママ

作者の甲本さんがハーモニカを披露しりえママは大感激して泣いていた。リンダリンダは私が大学に入った年にリリースされ、ド田舎西条に移り住んでからはカラオケボックスで仲間と一緒によく歌った。私にとっては爆風スランプのランナーと同じくらい思い入れの強い曲だ。

吉原

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岡山県真庭市・蒜山の新グルメ・ジンギ丼

2015年06月15日 | 日記
蒜山(ひるぜん)の新しい味としてジンギ丼が登場。ジンギスカンの安価版として羊焼肉丼を売り出そうとしているのである。私は大阪でジンギスカンを食べたことがあるが、ラム肉のそれは非常に美味しかったことを覚えている。

調理

調理2

●級芸人と新人女子アナがヒルゼン高原センターでジンギ丼を作って観光客にPRする(=無料で食べさせる)試みは大変好評であった。羊肉が臭いという先入観は私の世代くらいまでかも。昔はマトン(濃いタレに漬けた物)が高い国産牛肉の代替品だった。

試食

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福山市東吉津町6‐1・十三軒茶屋吉津店は6月19日オープン

2015年06月15日 | 日記
珈琲茶館福山吉津店跡地が十三軒茶屋吉津店として生まれ変わることは以前に書いた。今日買い物の帰りに店の前を通ると「6月19日(金)オープン」の表示が出ていた。

新店

今週末は人が多いだろうから、来月辺りにのぞいてみるかな。福山市の中心部は新しい店が次々とオープンする。つくづく選択の幅の広い便利な街だと思う。

新店2

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レンジでチンするだけ・蒸しナス

2015年06月14日 | 家飯
焼きナスを作るのはちょっと大変だと思う人はレンジを使って調理することをすすめたい。ヘタを落として皮をむき水にくぐらせてラップで包み3分加熱する。こうすることで焼きナス風に仕上がる。甘みの増したナスには生姜醤油がよく合う。油炒めも好きだが、蒸し暑い日にはさっぱりした料理が欲しくなる。

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福山市三之丸町9・ビジネスホテル建設現場続報

2015年06月14日 | 日記
建設工事がなかなか進まなかったのは福山城西外堀の遺構が発見され発掘調査を専門の業者に依頼したためであった。もう既に石垣は全て撤去され基礎工事が着々と進んでいる。福山にもようやく東横インがオープンすることになる。

ビジネスホテル建設現場

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岡山市中区西中島町の赤線跡再訪

2015年06月14日 | 
中橋を渡り西中島の旧赤線地帯に入る。こちらも約7年ぶりだ。以前と比べて雰囲気が少し明るくなった気がするが、一度来たことがある場所ゆえの安心感なのかもしれぬ。

お堂

お堂の内部

小さなお堂に祀られたお狐さんや石仏に手を合わせる。石仏の顔が黒ペンキでへのへのもへじのように描かれているのが独特である。近所の奥さんに会釈をして妓楼の保存状態を確認することにした。

元妓楼

内田百は『六高土手(昭和三十一年二月)』に西中島の妓楼の跡取り息子・長さんとの思い出を詳しく綴っている。長さんと百は歳が近いのだが、実は叔父と甥の関係にあたる。長さんは百の祖父がお手かけさんとの間に設けた子で事情はよく分からないが大秀楼に養子として出された(推測)という。彼は百の(旧制)中学の先輩でもあったが、窃盗の罪で放校となり中島を飛び出し最後にはサーカスの団員になってしまったという暗い話である。

今朝冬や我と同名の葬を聞く 蹄花
 作者蹄花は私の高等学校の同級であり、この俳句は二年生の時の作である。俳諧一夜会と云う俳句の会を私共でつくり、しょっちゅう集まって運座をした。その席上の偶成である。

 蹄花が同名の葬を聞くと詠んだその葬列も六高土手を通って行った。古京の表通の家に下宿していた彼が、だれからかその事を聞いたのだろう。
 それは西中島の長さんの葬式であった。長さんの名前は長太郎であったか長十郎であったか、はっきりしないが、苗字は土井で家は大秀楼と云う女郎屋であった。
 蹄花の姓は土居である。土居と土井と、字は違うけれど音の響きは同じである。だから同名の葬を聞く、と云う事になる。…
 長さんは…北海道でサアカスの豹に食われて死んだのである。
 長さんの家の大秀楼は西中島の通にあって、…旭座へ行く道筋の左側である。子供の時一度母に連れられて行った事がある。

 上がった所に鏡台が幾つもずらずらと列んでいて、その前に綺麗なお姉さんがいた様である。一番こっちの端に坐ってい多お姉さんが私に構ってくれた。鏡台の上に小さな金色の狐があった。…
 おやじさんはあばた面だった様で、その顔をうすうす覚えている。秀なんとか云う名前だから、それで大秀と云ったのだろう。おばさんはお神さんで即ち女将で白っぽくて長くて平ったい顔をしていた。…

 しかし私はそんなに度度中島へ行ってはいない。大秀楼へ行ったのは子供の時一ぺんきりである。東中島の婆やの家へ行ったのも小さい時で、行った事は行ったが大秀の横の道から行ったとは限らない。旭座へ行くのに西中島を何度か通っているけれど、一体両側がそう云う家並みなので、そこいらをきょろきょろ見て歩くなぞと云う事は出来ない。あがった様な照れた様な気持ちになって、早足に通り抜けてしまう。どの家にも登楼した事はない。

百が芝居小屋(旭座)に行く際、妓楼をギョロギョロ眺めるのは気恥ずかしくてとても出来なかったと書いているが、尾道に流れてすることがなくてせっせと悪所通いしていた遊び人(志賀直哉)とは大違いで微笑ましい。私には百の気持ちが理解できる。東警察署で柔道の練習をした帰りに新町の旧赤線エリアを通り抜ける時に国道の向かいの住吉辺りの客引きが否が応でも目に入り同じ感情を抱いた記憶がある(笑)

妓楼2

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ナスに穴を開けるヨトウムシ

2015年06月14日 | 日記
自家菜園のナスの収穫が始まった。殆どのナスの頭の部分などに約5mmの穴が開いているのはヨトウムシ(夜盗虫)の仕業である。所謂ガの幼虫だが、悪さをし続けるので近い内に農薬散布を行う必要がある。

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福山市・父石家神田の餅つき実演販売

2015年06月13日 | 日記
本日の夜店(船町の商店街)の様子。父石家神田のおっさんが餅をつき(見物客にもつかせ)多くの人の注目を浴びていた。

よもぎ餅

販売風景

ホカホカのよもぎ餅が販売コーナーに運ばれると客が寄って来るというシステムである。延広町もかなりの人出だったが、船町も賑わっている。

JOYふなまち

昔ながらの遊びは今の子どもには逆に新鮮なのかも。ほのぼのとした雰囲気にほっこりした私。蒸し暑かったので冷たいビールがよく売れていた。

夜店

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サバのホットサンド

2015年06月13日 | 家飯
サバのトマトソース煮込みは冷めた方が味が馴染んで美味しい。食パンの耳を落としてトーストにし内側に辛子バターを塗りチシャとサバをサンドする。トマト味のサバはパンとも合う。ヒントはヨルタモリからいただいた(笑)


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