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小倉つき子著『廃寺のみ仏たちは、今』(京阪奈新書)が奈良新聞に大きく掲載!

2020年07月08日 | ブック・レビュー
月曜日(2020.7.6)の奈良新聞に、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員で奈良佐保短期大学講師の小倉つき子(小倉涼眞)さんの著書『国宝仏から秘仏まで~廃寺のみ仏たちは、今~奈良県東部編』(京阪奈新書)が大きく紹介されていた、おめでとうございます!

神仏分離や寺勢の衰えで流出した廃寺の旧仏の行方を追った本で、ブログ「観仏日々帖」でも、詳しく紹介されていた。奈良新聞の記事内容は画像でご覧いただくとして、大淀町教育委員会学芸員の松田度(まつだ・わたる)氏がご自身のFacebookに見事な書評をお書きなので、以下に全文を紹介しておく。


著者の小倉つき子さん。奈良県文化・教育記者クラブで6月22日に撮影

ブックレビュー『廃寺のみ仏たちは、今 奈良県東部編』
奈良県内では、飛鳥時代から近現代にいたるまで、数多くの寺院・仏像が造られてきた。でも、時代の波に翻弄されて廃寺となり、そのあおりをうけて流転していった仏たちも数多く存在する。この度、京阪奈情報教育出版から刊行された『廃寺のみ仏たちは、今 奈良県東部編』(以下、本書)は、そんな埋もれた奈良県の歴史を訪ねるドキュメンタリー(記録書)である。

著者の小倉つき子さんは、NPO法人奈良まほろばソムリエの会・保存継承グループに所属し、そのような奈良県内の廃寺と旧仏の来歴を取材し続けている。今回は「奈良県東部編」。おもに奈良市東部・山添、宇陀・桜井といった地域の仏像に光をあてている。

本書は、豊富な写真資料で仏像の来歴を伝えるガイドブックでもある。巻頭のカラーページには、32箇所の仏像が紹介されている。普段簡単にみることのできない仏像の写真も本文中に多数登場し、著者の目指す「記録書」としての役割を十分に果たしている。

章立ては次のとおり。「桜井市の廃寺と旧仏」「宇陀地域の廃寺と旧仏」「山添村の廃寺と旧仏」「大柳生の廃寺と旧仏」「旧東山村の廃寺と旧仏」「高円山麓の廃寺と旧仏」。桜井市周辺の廃寺と仏像の来歴調査に大頁がさかれているのは、この地域にあった大寺院の廃寺率がいかに高かったかを示している。

魅力あるストーリー満載の本書から、評者の興味ある部分についてとりあげてみたい。今、国史跡となっている粟原寺跡(おおばらでらあと・桜井市粟原)ゆかりの旧仏は、近隣の寺院に引き取られている。その原因は「粟原流れ」と呼ばれた江戸時代の土砂災害ではないかとされているだけで、詳しい史料はない。



本書では、詳細な仏像の来歴調査をふまえて、粟原寺の寺運の衰退とともに、近隣の寺院へ仏像が引き取られていった事情を想定している。いわば「粟原流れ」は、すでに廃寺同然だった粟原寺の命運を決定づけたできごとだったのだろう。

三輪山麓にある大神神社の摂社・大直禰子神社(若宮社)の本殿一帯には、幕末まで「大御輪寺(だいごりんじ)」があった。その本尊・十一面観音立像(国宝・奈良時代の制作)は、慶應4年(1868)に多武峯山麓の聖林寺(桜井市下)に引き取られているが、その「お前立」であった江戸時代制作の十一面観音立像は、兵庫県神戸市灘区の金剛福寺に安置されている。県外に流出した仏像で、その来歴を追えるものは希少であるが、本書では一般に紹介されることのないこのような仏像も写真入りでとりあげている。

著者の取材力にはまったく頭が下るのだが、「はじめに」で述べられているように、在家の仏教徒として、過疎と少子高齢化のさなかで廃寺の諸仏をどのように次世代に引き継いていくべきかを自問自答し、取材を重ねるなかで導きだしたひとつの答えが本書なのだろう。

なにより、各地域で廃寺の旧仏を守り伝えている地域の人々の声も聞こえてくるのが、本書の魅力である。今後、奈良盆地編・奈良県南部編といった続編の刊行にも期待したい。小倉つき子『国宝仏から秘仏まで 廃寺のみ仏たちは、今 奈良県東部編』京阪奈新書 2020年6月刊行(新書判・246頁)


※7月11日追記 産経新聞奈良版(7/8付)にも《廃寺の仏さま、数奇な運命探る 「ソムリエの会」小倉さんが書籍刊行》の見出しで大きく紹介されました。以下に記事全文を貼っておきます。

NPО法人「奈良まほろばソムリエの会」の会員、小倉つき子さん(69)が、廃寺となった寺院に祭られていた仏像の現状を探る活動に取り組み、その成果をまとめた「『廃寺のみ仏たちは、今』奈良県東部編」(京阪奈情報教育出版、税別950円)を刊行した。現在安置されている寺院や地区収蔵庫など約50カ所を対象としており、貴重な記録になりそうだ。(岩口利一)

古代から数々の寺院が建立された県内では、神仏分離令や寺院の衰退で行方知れずとなった仏像もあれば、県内外の寺院や地域で大切に守られている仏像もある。小倉さんはそうした数奇な運命に興味を抱き、平成30年秋から約1年かけて取材。さまざまな事情に翻弄された仏像の「今」に迫った。

「『廃寺のみ仏たちは、今』奈良県東部編」では、各地の廃寺と移された仏像について紹介。国宝仏から秘仏まであり、このうち古代に桜井市に創建され、その後廃寺となった粟原(おうばら)寺から流出したと口伝されている仏像は、長野市の清水(せいすい)寺などに行き着いたとされる。

また、神仏分離令により一帯で唯一残った山添村の薬音寺には、廃寺の仏像が集められ、木造仏像群として村文化財に指定されている。十一面観音菩薩立像など18体が平安時代の一木造りという。

このほか、由緒不明の極楽寺(奈良市)の阿弥陀如来坐像(ざぞう)など県文化財3体や、宇陀市西峠区の住民に守られる薬師如来坐像(県文化財)も紹介。仏像がたどった運命に思いをはせることができる。

小倉さんは「取材を通じ、仏さんだけは守ろうという奈良の人たちの信仰心を感じた。だが、山間部では70~80代の人が守っているところが多く、次世代にどう引き継いでいくかが課題となっている」と話しており、今後は奈良盆地編にも取り組む意向だ。
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小倉つき子著『廃寺のみ仏たちは、今/奈良県東部編』(京阪奈新書)が発刊!

2020年06月23日 | ブック・レビュー
これは力作だ!NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員で、奈良佐保短期大学講師の小倉つき子(法名:小倉涼眞)さんが『国宝仏から秘仏まで 廃寺のみ仏たちは、今』(奈良県東部編)を京阪奈情報教育出版株式会社から刊行された。新書版246ページ、税別価格950円で、啓林堂書店の全店と、amazonで販売されている。小倉さんは過去に『ドラマチック奈良』を同じ出版社から出されているから、これが2冊目ということになる。

取材には約1年かけたそうだ(2018.10~2019.10)。私はすでに読了し、「よくここまで詳しく調べ上げたものだ」と感心した。アポを取り、現地に足を運び、関係者の話を聞き、写真を撮る。また市町村史(現行のものではなく過去の市町村史)にあたり、情報の裏付けを取る。大変な作業の末、完成された労作だ。その記者発表が昨日(2020.6.22)、奈良県文化教育記者クラブで行われ、私も同席した。出席したのは小倉さん、久門たつおさん(奈良まほろばソムリエの会理事で、保存継承グループ担当)、住田幸一さん(京阪奈情報教育出版社長)。本書の「はじめに」から一部を抜粋すると、


向かって左端が久門たつおさん、右端が住田幸一さん

所属しているNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の保存継承グループが2017年から行っていた、奈良県指定の仏像や建造物などの現状調査に参加していました。特に仏像に関心を寄せながらまわっていたのですが、山間部や僻地で無住の寺や公民館の収蔵庫にポツンと安置されている指定仏にしばしば出合い、感慨深いものがありました。

若い住民が減少していく集落では、諸仏を次世代にいかに引き継いでいくべきか。今、厳しい問題に直面されています。



奈良県下の廃寺となった寺院の旧仏をつぶさに追い、読み物としてはもちろん、ひとまとめにした記録書になればと、県東部の桜井市、宇陀市、宇陀郡、山添村、奈良市東部から取材を始めました。

本書を通じて、廃寺になった寺院の諸仏の軌跡とお姿を楽しんでいただければ幸いです。合掌



さらに目次には、

桜井市の廃寺と旧仏/粟原廃寺の旧仏と伝わる諸像/旧多武峰妙楽寺の旧仏/旧大御輪寺(大神寺)の旧仏/旧山田寺の旧仏/宇陀市と宇陀郡の廃寺と旧仏/山添村の廃寺と旧仏/奈良市の東部地域/大柳生の廃寺と旧仏/旧東山村の廃寺と旧仏/高円山麓の廃寺と旧仏

小倉さんが調査された仏像は約300軀。約半数は神仏分離で、残り半数は寺勢が衰えて廃寺になった寺の仏像だそうだ。記者会見では、「奈良県東部編の次は?」という質問があり、小倉さんは「奈良盆地編になると思います」とのこと。

さまざまな苦難を乗り越えて、無住寺や公民館の収蔵庫に安置された仏さま。こんな切り口で書かれた書籍は前代未聞だ。皆さん、ぜひ『廃寺のみ仏たちは、今』をお買い求めください!
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出口治明著『還暦からの底力~歴史・人・旅に学ぶ生き方~』講談社現代新書

2020年06月21日 | ブック・レビュー
元気が湧き出る本を読んだ。出口治明著『還暦からの底力~歴史・人・旅に学ぶ生き方~』(講談社現代新書)だ。出口氏は1948年(昭和23年)生まれで、今年72歳。版元のHP「担当編集者より」には、

立命館APU(大分県別府市の「立命館アジア太平洋大学」)学長に就任した出口治明氏の今までの歴史書、読書論、ビジネス書とは一線を異にする本です。50代から新しく事業を展開し、還暦後も豊かな交流関係、幅広い視点からの講演活動等、業界内外から篤い信頼を寄せられる氏の満を持した本書です。

本書の主題である「還暦後の人生を充実させる考え方」は、「飯・風呂・寝る」の会社人生から脱却することを提案し、「60歳は折り返し地点」に過ぎないと新しい生き方に一歩を踏み出す高齢者へのエールでもあります。

「還暦後」と謳ったのには、理由があります。定年制廃止を訴える氏の意思を強く反映させるためです。出口学長ならではの思想・哲学をベースに、還暦後の底力の付け方を独特のおおらかな語り口で伝授します。還暦後(定年後)のみならず、現役のビジネスマン、学生にも役に立つ本です。


サブタイトルの「歴史・人・旅」は、本書では「人・本・旅」と出ている。これは「働き方改革を行い、早く職場を出て、いろいろなことを学ぶべきです。たくさんの人に会い、たくさん本(歴史書や古典など)を読み、いろいろなところに出かけていって刺激を受ける」ということである。

私は齋藤孝氏のすすめに従って三色ボールペンで傍線を引きながら読んだが、「おわりに」(あとがき)に、見事に本書の内容が凝縮されていたので、以下に抜粋して紹介する。

人生は楽しくてなんぼです。楽しい人生をおくるためには行動しなければなりませんが、「人・本・旅」できちんと学んで腹落ちしないと本気の行動はできません。

「還暦を超えたらもう仕事はせず、のんびり過ごそう」 そんな人もいるでしょう。各人の好みなのでそれはそれで結構です。ただし、「仕事をせずにのんびり」は寝たきり老人への道です。

大事なことは平均寿命より健康寿命で、医者は口を揃えて「健康寿命を延ばすには働くことが一番いいい」といっています。なぜ働くことが一番いいのか。それは規則的な生活をもたらし、かつ頭と身体を使い続けるからです。

メディアで取り上げられる高齢化社会の話題が暗くなる理由は単純で、ヤング・サポーティング・オールドという敬老思想に毒されているからです。つまり「若者が高齢者を支える」という、高度成長期に人口がどんどん増えた特殊な時代の理念や方法がいつまでも続くと考えていたら、若者が減って高齢者が増えれば社会構造的に続かなくなってしまうので、もうお先真っ暗と考えてしまうのです。

しかし、先進的な国ではもう年齢フリー社会、オール・サポーティング・オールの世界に入っています。年齢に関係なくみんなが能力と意欲、体力に応じて働く。そしてシングルマザーなど本当に困っている人に給付を集中する。すなわち、年齢で優遇するのをやめ、困っているかどうかで優遇する人を決める。

敬老思想から脱却し、きちんと数字・ファクト・ロジックで考えていけば、高齢化社会の将来は暗くないし、人はいくつになっても楽しい人生を過ごすことができます。還暦後でも社会的に大きな活躍をしたり、好きなことを追求して卓越した成果を残したりした人がたくさんいる事実は、本書でここまで述べた通りです。望むなら仕事や勉強だけではなく、恋愛だってガンガンすればいい。読者の皆さんにはそれぞれのやり方で、「還暦からの底力」を発揮していただきたいと思います。


出口氏はよく「いつまで働くのですか?」と聞かれるそうだ。氏は「そんなことは考えても仕方ないと思っています。今日も朝起きて元気だから仕事をしているだけの話で、しんどいと感じるようになったら、そのときに引退すればいいだけの話ではありませんか。年齢に意味がないというのは、そういうことです」と喝破する。

還暦を過ぎて将来を案じている皆さん、まだ若いけれど自身の行く末を考えている皆さん、この本はオススメですよ!
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「説明力」を鍛える55の方法(by 齋藤孝)詩想社新書

2020年06月01日 | ブック・レビュー
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、原則として毎年1回、「講師養成講座」を開催している。会員の中から講演のできる人を養成し、いろんなセミナーなどに講師として出向いてもらうためだ。養成講座の講師役は、私が務めている。

当会が行う講演は、「PowerPoint」を使って行うのが特徴だ。なので私はいつも「話すテーマに関する知識、PowerPointを使いこなす技術、話す技術」の3つが肝心、と申し上げている。しかし最初の2つは経験を積めば磨き上げられるが、なかなか「話す技術」、つまり「説明力」が上達しない人がいる。

日頃から「この人には、どうアドバイスすれば説明力が上達するのだろう」と悩んでいたが、良い本を見つけた。それが齋藤孝著『頭の良さとは「説明力」だ~知性を感じる伝え方の技術~』(詩想社新書)。まず目次を紹介すると、

まえがき 九割の人は「説明力」を身につけていない
第1章 知的な「説明力」とは何か

実はほとんどの人が、説明下手である/説明力に、その人の知性が垣間見える/説明に必要なのは「時間感覚」、「要約力」、「例示力」/「時間感覚」は鍛えればすぐ効果が出る/「ヘリコプター方式」が上手な説明/究極の説明は一語で完結/「相手が覚えられるレベル」に要約する/ポイントは三つに絞る/身体感覚で「わかった感」を生む説明/まったくわからないものを、おおよそわかるもので説明する/一例を挙げるだけで説明し尽くす技術/説明では現物が最強の武器になる/だめな説明とはどのようなものか

第2章 「組み立て方」で説明は一気にうまくなる
上手な説明の基本フォーマット/本を使った要約力の実践的トレーニング/キーワードを選び、それをつなげるように要約する/聞き手の気持ちから説明の出だしを考える/ポイントを三つにするクセをつける/全体のなかで、どこを話しているか常に明確にする/説明の下準備に目次を活用する/心を動かす説明とはファストとスローの相乗効果/一気にわかりやすくなる比較を使った説明/比較説明の練習法/説明をわかりやすくする比喩、具体例の選び方/「A4一枚の構成力」で説明力は向上する/問いかけを説明の推進力にする/わかりづらい箇所は後回しする/察知・予測力で説明をグレードアップする

第3章 日常生活で「説明力」をアップさせる方法
日常会話で説明力に必要な瞬発力を鍛える/説明力を鍛える近況報告トレーニング/自分の経験と結びつけて説明する練習/説明話術が身につく「一五秒練習」/一五秒間の究極の説明であるCMをヒントにする/子どもにわからせるように説明するトレーニング/ストップウォッチを持ち歩いてみる/人の説明を採点しながら聞いてみる/簡単にできる本を要約するときのコツ/説明力アップのための事前の仕込み

第4章 心を動かす「説明力」の応用
出だしから相手を引きつける「通説but」の説明法/インターネットを超える説明力とは/理解させたければ、全部を説明しようとしてはいけない/参加型の説明が心を動かす/説明に必要な「お得感」を演出する/わかりやすい図解をつくる方法/相手の心に残る資料を使った説明の仕方/上手な説明は時系列にこだわらない/相手を納得させるタブレットの活用/最後の言葉を決めてから話し始める/説明が上手な人が持つ「雰囲気」/緊張感を見せてはいけない/ツツコミ力で説明のテンポを上げる/説明のときの話し方で注意すること/パーソナルな部分を見せるようにする
あとがき 上手な説明を褒め称える習慣をつける


上記見出しを数えると、55にのぼった。以下「講演会で講師として話す場合に、心がけておきたいこと」という観点から、参考になる箇所を紹介する。長くなるが「説明力」を鍛えたいという方は、どうか最後までお付き合いいただきたい。まず《実はほとんどの人が、説明下手である》(第1章)から。

説明力は小学校1年生のときから身につけていなければならないスキルなのに、意識して鍛えてこなかった。なので1分間に「ええと…」を5回も6回も連発する人がいる。《これは、説明と時間を結びつけて考えていないから起こることです。説明力の基本とは、常に時間感覚とセットで意識するということなのです》《上手な説明はまわりの人たちの時間を節約し、その幸せに貢献しているのです》。

《説明力に、その人の知性が垣間見える》(第1章)には、《限られた時間で過不足なく意味をやり取りするためには、高いレベルの要約力が求められる》《実は、説明力とはアウトプットする技術であり、その手法を意識して考えたことのない人は、もたもたと要領を得ない説明になってしまうことがあります》《説明とは、ある種のスキルですから、意識して取り組めば必ずうまくなります》。

《説明に必要なのは「時間感覚」、「要約力」、「例示力」》(第1章)には、《具体例を挙げる能力が乏しいと、説明がうまくいかないだけでなく、その発言者がぼんやりとした人思考力の乏しい人といったイメージも相手に与えてしまいます》《エピソード力、例示力というものは、相手の理解を一気に進めるパワーがあります》。

《「ヘリコプター方式」が上手な説明》(第1章)には、《わかりやすい説明とは、ヘリコプターで目的地に直接降りるようなものです。まず、ことの本質、ポイントから明示して、てきぱきとした話し方、簡潔な構成で、最低限の時間で完結するのが上手な説明です》。

《究極の説明は一語で完結》(第1章)のところでは、小泉元首相の「ワンフレーズ」を思い出した。鈴木大拙は禅マインドを英単語1つで表すと「let」(~ままにしておく)と言ったそうだ。《つまり禅というのは、自分が何々をするんだ、こうしてやるのだ、というものではなく、自分を無くして無くして、それを「let」の状態に置くのだということを一言で表したのです》《ただ、つけ加えておくと、一語で説明するといっても「愛」や「人生」といった一語では説明になりません》。

《ポイントは三つに絞る》(第1章)では、《みなさんも何かを説明する、プレゼンする際は、まずポイントを三つに絞ってみてください。そしてその三つの優先順位まで示せれば、かなりわかりやすい説明が可能になるはずです》。

《説明では現物が最強の武器になる》(第1章)の方法は、私もよく実践している。纒向遺跡の大型建物跡、柱穴は直径30㎝と15㎝の2種類だ。これを百均で売っている直径30㎝と15㎝の鉢受け皿(植木皿)を買ってきて、見せる。するとサイズ感をたちどころに理解してもらえるのだ。《現物の威力は、五感が刺激されるところにあります。目の前にしただけで、相手は瞬時にそれを理解できます。一発でわかるという意味では、究極の説明力と言っていいのでしょう》。

《だめな説明とはどのようなものか》(第1章)では、《だめな説明の代表例は、「分厚いマニュアル」です》《だめな説明とは情報が過多で、その優先順位も不明確で、情報の羅列でしかないものといえます》。

《上手な説明の基本フォーマット》(第2章)には「上手な説明の基本構造」として、こんな図解が載っている。
①まず、一言で言うと〇〇です(本質を要約し、一言で表現。キャッチコピー的)。
②詳しく言えば〇〇です(要約したポイントを最大で三つ。重要度や、聞き手の求める優先順位を加味して示す)。
③具体的に言うと〇〇です(例示。エピソード、自分の体験などで補足)。
④まとめると〇〇です(これまでの説明の最終的なまとめ)。


つまり、ワンフレーズ、スリーポインツ、例示、まとめ、という流れである。《本を使った要約力の実践的トレーニング》(第2章)では、齋藤氏が大学の授業で実践している「本の要約トレーニング」を紹介されている。A4用紙1枚に、以下のことを書きつけていき、1分間で発表するのだ。
①題名・著者名
②説明(一行で)
③趣旨(120字程度=3~4行 冒頭にはこの本の言いたいことをキャッチコピー的に入れる)
④引用(本から3つほど、各2~4行を引用)


本という《「意味」の山からひときわ輝いているものを取り出して集めるのが本の要約です。これを繰り返すことで、たくさんの要素から本質を素早く抽出し、要約する能力が自然と鍛えられます。説明力を鍛えたいと考えている過多は、まず、この本の要約トレーニングを一週間に一冊でも自分に課して取り組むと、半年もしないうちに自分の要約力と説明力がアップしたことを実感できるはずです》。

このとき力を発揮するのが「三色ポールペン」だ。《本を読んでいきながら、三色ボールペンで重要な箇所にアンダーラインを引いていきます。とても重要だと思う箇所は赤色で、その次に重要と思われる箇所は青色で、さほど重要ではないが面白いと思う箇所は緑色で印をつけていきます》。

早速私も百均へ三色ボールペンを買いに行った。三色ではなく四色のボールペン(赤、青、緑、黒)にシャープペンシルが付いていて驚いた。試してみると、これはいい。今までは黄色の蛍光マーカーだったが、これからはずっとこれを使おう。

《聞き手の気持ちから説明の出だしを考える》(第2章)は、さきほどの「趣旨(120字程度=3~4行 冒頭にはこの本の言いたいことをキャッチコピー的に入れる)」のキャッチコピーのことだ。《冒頭のキャッチコピーは、内容の要約とは少々違います。内容を要約して言い表そう、説明しようとそればかり考えていると、いいキャッチコピーにはなりません》《要約力は確かな論理力が基盤となっていますが、キャッチコピーはセンスによるもの。この二つの力がうまく作用することで、いい説明になっていきます》。

《心を動かす説明とはファストとスローの相乗効果》(第2章)では、映像・画像で直感に訴え、あとで文字情報で補足することの相乗効果をいう。《写真やイメージ画像も直感的に理解させるファストなものといえます。プレゼンの最初に、映像をまず見てもらって、「細かいことはこのパンフレットや資料に書いてあります」という手法も同様です。まずはイメージを伝え、細かな情報は文字情報として渡す。映像というファストな情報で相手の情動を動かして、直感的に理解してもらうことができれば、スローな文字情報も相手は進んで読みこなして理解してくれます》。

《比較説明の練習法》(第2章)では、《比較しながら説明すると、わかりやすい説明になります。この比較説明がうまくなるためには、以下のフォーマットに沿って、日ごろから比較して物事を理解する練習をすると効果的です。AとBの二つを挙げ、「比較のポイントはどこであるか」、「共通点はどこか」、「違う点はどこか」をA4版の一枚の紙にまとめるのです》。

《問いかけを説明の推進力にする》(第2章)では、《「問いかけ」をうまく使って、説明の質を上げるという方法があります》《このときの注意点としては、答えを聞きたいと思っている相手をあまりじらさないということです。問いをふったら、スパッと答えを述べて先に説明を展開してください》《「問いかけ、答え」、「問いかけ、答え」を適当に挟みながら、たたみかけていくと、聞き手はどんどん説明に引き込まれていきます》。

《人の説明を採点しながら聞いてみる》(第3章)では、《説明力を向上させるためには、人の説明を第三者として客観的に聞くことがとても勉強になります。誰かの説明を、この説明のいいところはどこなのか、よくないところはどこなのかを意識しながら聞くのです》《テレビの情報番組などの出演者の説明を聞くことがいちばん役に立つでしょう》。

《出だしから相手を引きつける「通説but」の説明法》(第4章)では、《上手な説明の応用型に、「通説but」の形があります。「いままでいわれていたことは〇〇ですが(通説)、しかし(but)実は、△△なのです」という説明の仕方です》。こんなフローが出ていた。
「いままでこう理解されていましたが、実は〇〇なのです」(通説but)
→「それはこういうことです」(詳しい説明、ポイントは最大で三つに)
→「たとえば、〇〇です」(具体例、エピソード、データなど)
→「つまり、こうなのです」(全体のまとめ)


《インターネットを超える説明力とは》(第4章)では、《人からの説明には、インターネットから受ける情報とは違う強みがあります。それはその説明をする人の感情や情熱、生き生きとした部分が伝えられるというところです。そういう部分が付加されると、聞き手も心を動かされるのです》《そのためには、自分の感情が生き生きと動いていないとだめなのです》《情熱に溢れた話し方は、自分の体験、エピソードをつけ加えることでやりやすくなります。説明している当人の血や肉になっているなと感じられる説明は、聞いている相手の心も必ず動かします》。

《理解させたければ、全部を説明しようとしてはいけない》(第4章)では、《私は「これだけ方式」と呼んでいるのですが、とにかくわかってもらえる部分だけに説明をとどめて、「これだけはわかってください」と説明するのです》《まじめな方のなかには、一生懸命、すべてを説明しようとする人がいますが、そこにこだわる必要はないのです》。

《説明に必要な「お得感」を演出する》(第4章)では《人は、他では聞けない「ここだけの話」にとても弱いものです》《「これは一般の方には見せないデータですが、それを特別にお伝えします」と言えば、相手は真剣に話を聞くはずです》。

《最後の言葉を決めてから話し始める》(第4章)では、《私は仕事や人生に対するヒントとして、「ミッション、パッション、ハイテンション」というフレーズをよく使います。この三つの要素によって、仕事も人生も壁を乗り越えていけるというのが私の持論です。しかしこの三つの要素を「使命、情熱、上機嫌」と日本語でそれぞれ表しても、聞いている人の頭にはなかなか残らないと思います》《このように自分のいちばん伝えたい部分を、うまく記憶に残るようなワンフレーズに落とし込むことが大切なのです》。

《パーソナルな部分を見せるようにする》(第4章)では、《いくら理路整然と簡潔に上手に説明したとしても、それはただ説明のうまい人というだけです。聞いている相手の心を動かし、何かを動かしだすような説明力というのは、ただ、わかりやすいというだけではありません。そのわかりやすさのベースに、その説明者の人間性、顔がはっきりと見えていて、それが聞き手に受け入れられ、好感を持たれているから、その説明力が人を動かす力を持つのです》《説明の技術と、さわやかで誠実な雰囲気という人柄がセットになったとき、人の心まで動かしてしまう上手な説明になるのだと思います》。

長々とした紹介になったが、いかがだろう。私は第4章の「人からの説明には、インターネットから受ける情報とは違う強みがあります。それはその説明をする人の感情や情熱、生き生きとした部分が伝えられるというところです」「説明の技術と、さわやかで誠実な雰囲気という人柄がセットになったとき、人の心まで動かしてしまう上手な説明になるのだと思います」というくだりに、膝を打った。

これまでの講演で反応が良かったのは、内容に私の「熱い思い」がこもっていて、それをうまく言葉や身ぶりやPowerPoint画像で表現できた時だった。「人間力」というか、それがうまく表現できたとき、聞き手は好感を持って迎えてくれるのだ。「ミッション、パッション、ハイテンション」もいろんなところで応用できそうだ。

齋藤孝氏の著作はこれまで何冊も読んできたが、これからはこのようなハウツー本にも注目したい。
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再読!アルベール・カミュ著『ペスト』新潮文庫

2020年05月07日 | ブック・レビュー
新型コロナ禍で「ステイホーム」のゴールデンウィーク中、カミュ著『ペスト』を読んだ。学生時代に一度読んでいるので、今回が二度目になる。長くなるが(何しろ458ページもの大作だから)忘れないうちに、以下にこの小説のあらましを記しておく。

致死率が30~60%以上というペストと、新型コロナウイルス肺炎(日本人の致死率は3.7%程度)とは比べものにならないが、この時期に読むと、やはり納得するところが多い、今回はそんな箇所を中心に引用させていただく。なお朝日新聞のサイト「好書好日」には、

新潮社によると、『ペスト』は2月以降で15万4千部を増刷し、累計発行部数は104万部になった。ペストにより封鎖された街で、伝染病の恐ろしさや人間性を脅かす不条理と闘う人々を描く。フランスやイタリア、英国でもベストセラーになっているという。

舞台は当時フランス領だったアルジェリアの港町・オラン県(本書では「オラン市」と表記されている)。なおカミュはアルジェリアの生まれである。小説はこんな書き出しで始まる。《この記録の主題をなす奇異な事件は、194*年、オランに起こった》《4月16日の朝、医師ベルナール・リウーは、診察室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠につまずいた》。

鼠の死骸はどんどん増えていく。《4月28日には報知通信社は約8,000匹の鼠が拾集されたことを報じ、市中の不安は頂点に達した》。4月16日に鼠の死骸を片付けたリウーのアパートの門番は、28日に発症した。《熱は39度5分で、頸部(けいぶ)のリンパ腺と四肢が腫脹(しゅちょう)し、脇腹に黒っぽい斑点が2つ広がりかけていた》。4月30日、救急車の中で門番は死んだ。

リウーはペストを疑い、保健委員会を招集してもらうが、医師会長のリシャールは、検査結果を待つべきだと主張した。《リシャールが最後にこういった―「つまりわれわれは、この病があたかもペストであるかのごとくふるまうという責任を負わねばならぬわけです」この言いまわしは熱烈な賛意をもって迎えられた》。翌日の新聞の扱いは小さく、県庁も目立たない場所に貼り紙をする程度の注意喚起にとどまった。

しかしその後も死者の数は毎日16人、24人、28人、32人と増え続ける。リウーは思い切って県知事に電話をかけた。知事は「(アルジェリア)総督府の命令を仰ぐことにしましょう」と答える。数日後、総督府から公電が届く。「ペストチクタルコトヲセンゲンシ シヲヘイサセヨ」。つまりオラン県の「ロックダウン(封鎖)」が命じられたのだ。オラン県には城壁が巡らされていたのだろう、封鎖はまたたく間に行われた。

《ペストは、彼らを閑散な身の上にし、陰鬱な市内を堂々めぐりするより仕方がなくさせ、そして来る日も来る日も空(むな)しい追憶の遊戯にふけらせたのである》《実際、まさにこの追放感こそ、われわれの心に常住宿されていたあの空虚であり、あの明確な感情の動き―過去にさかのぼり、あるいは逆に時間の歩みを早めようとする不条理な願いであり、あの突き刺すような追憶の矢であった》。

そんな中、キリスト教イエズス会の司祭・パヌルー神父は説教をする。《この説教はある人々に、それまではおぼろげであった観念、すなわち自分たちは何か知らない罪を犯した罰として、想像を絶した監禁状態に服させられているのだという観念を、一層はっきりと感じさせたのである》。

タルーは、旅行でオランを訪ね、ロックダウンで帰れなくなった男である。《タルーは、ペストに冒された町における1日のかなり精密な描写を試み、それによってこの夏の市民たちの仕事と生活について1つの的確な観念を提供している―「誰も、酔っ払い以外には笑うものはない」と、タルーはいっている。「そして、酔っ払いたちは笑いすぎる」》。

タルーは志願者による保健隊を組織することをリウーに提案し、リウーは協力する。パヌルー神父も、保健隊に協力することになった。いっぽうでリウーの医師仲間のカステルは、血清の製造に全力を尽くす。カステルは海外でペストの症例を見た経験があった。なお医療従事者は、基本的に血清により安全を保証されていた。

《8月の半ばというこの時期には、ペストがいっさいをおおい尽くしたといってよかった。もうこのときには個人の運命というものは存在せず、ただペストという集団的な史実と、すべての者がともにしたさまざまの感情があるばかりであった。その最も大きなものは、恐怖と反抗がそれに含まれていることも加えて、別離と追放の感情であった》。

《市民たちは事の成り行きに甘んじて歩調を合わせ、世間の言葉を借りれば、みずから適応していったのであるが、それというのも、そのほかにはやりようがなかったからである。彼らはまだ当然のことながら、不幸と苦痛との態度をとっていたが、しかしその痛みはもう感じていなかった。それに、たとえば医師リウーなどはそう考えていたのであるが、まさにそれが不幸というものであり、そして絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪いのである》。

《記憶もなく、希望もなく、彼らはただ現在のなかに腰をすえていた。実際のところ、すべてが彼らにとって現在となっていたのである。これもいっておかねばならぬが、ペストはすべての者から、恋愛と、さらに友情の能力さえも奪ってしまった。なぜなら、愛は幾らかの未来を要求するものであり、しかもわれわれにとってはもはや刻々の瞬間しか存在しなかったからである》。

こんな印象的なシーンも登場する。ある日、タルーは友人とオペラ見学に行く。その最後のクライマックスの場面で、道化師役が舞台の上でペストに倒れる。《最初はあたかも儀式が終わって教会から、あるいは弔問を済まして死者の部屋から出て来るときのように黙々として、婦人たちはスカートの裾を引き上げ、頭をたれて出て行き、男たちは連れの女に肘を貸しながら、補助椅子にぶっつからないように気をつけてやっていた。しかし、次第に人々の動きは急激になり、ささやきは叫びに変り、群衆は出口に殺到して押し合い、最後にはわめきながらもみ合いをはじめた》。

《舞台の上には、関節の自由を失った道化師役の扮装をしたペスト、そして観覧席には、椅子の赤いクッションの上に置き忘れられた扇子や、引きずっているレースというかたちで横たわっている、不要になったいっさいの贅沢》。

パヌルー神父は保健隊に入ってから、疫病に接する最前線で働いた。2回目の説教も、ある大風の日に行った。しかしその後神父にはペストと思われる症状が出たが、医者を呼ぶことを拒み、世を去った。

12月末になって、ようやくペストの最初の退潮のきざしが現れる。《病疫のこの突然の退潮は思いがけないことではあったが、しかし市民たちは、そうあわてて喜ぼうとしなかった。今日まで過ぎ去った幾月かは、彼らの解放の願いを増大させながらも、一方また用心深さというものを彼らに教え、病疫の近々における終息などますます当てにしないように習慣づけていたのである》。

《統計は下降していたのである。健康の時代が、大っぴらに希望はされなくても、しかも、ひそかに期待されていたという1つの徴(しるし)は、市民たちがもうこのときから、ペストの終息後どんなふうに生活が再編成されるかということについて、無関心めいた口ぶりながらも、進んで話すようになったことである》。

1月25日、ついに当局はペストの終息を宣言し、2月のある晴れた明け方、ついに門は開かれた。祝賀の花火を聞きながら、リウーはこの物語を書き綴ろうと決心する(つまり、この小説『ペスト』の書き手はリウーだったということが明かされる)。リウーは、決してペストの終息を手放しで喜んではいない。なぜならリウーは以下のことを知っていたからである。

《ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古(ほご)のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを》。

私の学生時代には、おそらく何日もかけて読んだのだろうが、今回は1日でこの小説を読み終えることができた。毎日毎日、本を読んでいるので、自然と早く読む技術が身についたのだろう。

カミュの文章は翻訳で読んでも名文であることがうかがえたが、最初の創元社版『ペスト』 (訳者は新潮文庫版と同じ宮崎嶺雄氏=明治生まれの故人)の刊行が昭和25年だったので、翻訳が固いというか古い。若い読者はその点を覚悟して読んでいただきたい。

なお『ペスト』のあらすじは、こちらのサイトに出ているし、中条省平氏(NHK「100分de名著」講師)の書評は松森重博さんのブログに出ているので、ぜひ参考にしていただきたい。
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