tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

快著!塩崎省吾著『ソース焼きそばの謎』(ハヤカワ新書)

2023年09月13日 | ブック・レビュー
本書を読んでから、毎日のように「ソース焼きそば」を食べている。これまで、「お好み焼き」は家でも外でもよく食べたが、こんなに焼きそばを食べ続けたのは、初めての経験である。そこで発見したことの第一は、「市販の焼きそばは、安い!」。

近所のスーパーでは、最もよく知られている「マルちゃん 焼きそば(3食)」が198円(税別、以下同じ)、イオンのPB商品(大徳食品製)「もっちり麺のソース焼きそば(3食)」だとわずか138円だ。最も高価な日清食品の「鶴橋風月 ソース焼きそば(2食)」でも358円。そこに具のキャベツ、もやし、豚肉を加えても、たかが知れている。

閑話休題。これまで私は「ソース焼きそばは戦後、大阪で生まれた」「大陸からの帰還者が考案した」という俗説を漠然と信じていたが、そのような先入観を見事にひっくり返してくれたのが本書である。著者の本業はRettyのソフトウェア・エンジニアだ。Rettyが作成したPRTIMESには、こんな「著者コメント」が出ている。

【著者コメント】
焼きそば好きと歴史好きが高じて、焼きそばの発祥と普及の過程を徹底的に調べ、数年前に電子書籍『焼きそばの歴史 上下巻』を個人で出版しました。このたび、その上巻を加筆修正して、早川書房さんより出版される運びとなりました。300ページ超・カラーページ多数の読み応え満点な一冊として、同社の新レーベル、ハヤカワ新書のラインナップに加わります。ソース焼きそばという食べ物が秘めた数々の謎と、それらを解き明かす爽快感を堪能してください。


綿密に史料にあたり、「謎」を1つ1つ解いていくさまは、まるでハヤカワ・ミステリだ。世の中の食物史や食文化史に関する本には、きちんと検証することなく由緒などを書き流しているものが多い。そこは古代史学や考古学とは、全く違う。だから本書のように丁寧に検証してくれると大いに助かるし、信頼できる。

当ブログの「ブック・レビュー」では、たいていは私が「ここがポイント」というところをかいつまんで紹介しているが、本書は買っていただいて、ご自身で「目からウロコ」を体験していただきたい。なので以下、「まえがき」の一部と目次、および本書に記載の「この節の要約」を紹介しておく。皆さん、ぜひ本書をお読みください!

【本書まえがき(一部抜粋)】
ソース焼きそばはいつ頃、どこで、どのように生まれたのか? 中華料理の炒麺(チャーメン)とは、どのような関係にあるのか? 土地土地の味を食して聞き取りを行い、明治時代や大正時代の史料にあたることを繰り返した。通説は覆り、答えがさらなる謎を呼んだ。我ながら、探偵のような作業だと思う。

なぜその時と場所に誕生しえたのか? どのように日本各地へ広まったのか? そこには明治以降の日本の近代化、国際関係が大きく関係し……と、ネタバレはこの辺にしておこう。鉄板で焦げるソースにも似た、むせ返るほど濃密で刺激的な歴史探究の成果を、存分にご堪能いただきたい。読み終わる頃にはきっと、ソース焼きそばへの興味と食欲が倍増していることと思う。

第1章 ソース焼きそばの源流へ
第1節 謎の多いソース焼きそばの起源
・2011年頃まで、ソース焼きそばは戦後に発祥したという説が主流だった
・2012年に、昭和10年代発祥説が出てきた
第2節 近代食文化研究会『お好み焼きの物語』
・2018年に電子書籍『お好み焼きの戦前史』が刊行され、翌年に書籍化された
・同書によれば、ソース焼きそばはお好み焼きの一種で、支那料理の「炒麺」「ヤキソバ」のパロディとして生まれた
・最古のソース焼きそば証言は、大正6年・浅草千束町生まれの女性の子供時代で、大正末期から昭和初期頃
第3節 戦前から続く浅草の老舗焼きそば、3軒
・戦前からソース焼きそばを提供している店が、浅草周辺に3店現存している
・西浅草の浅草染太郎、清川の大釜本店、千束のデンキヤホールがその3店
・デンキヤホールでは、大正時代の初期から「オム巻」を提供し始めたと語り継がれている

第2章 ソース焼きそばの発祥に迫る
第1節 大正7年のソース焼きそば思考実験
・大正初期でも、子供向け屋台の価格帯でソース焼きそばを提供することは可能
・決定的な証拠はないが、大正7年の時点でソース焼きそばが存在した可能性は高い
・「デンキヤホール」のオム巻が大正初期から提供されていた可能性も否定できない
第2節 明治40年の小麦粉事情
・ソース焼きそばが生まれるには「お好み焼きの成立」と「支那料理の大衆化」が条件
・明治40年頃に国内産の良質な小麦粉が安価で安定的に出回るようになった
・その結果、明治40年代の浅草でお好み焼きと支那そばという2つの必須条件が揃った
第3節 昭和10年前後のソース焼きそば
・ソース焼きそば単独の屋台や店舗も出現し、オムそばやジャガイモ入りなど当時から多彩だった
・しかし戦時下体制が進むにつれて、ソース焼きそばの屋台は姿を消してしまった

第3章 戦後ヤミ市のソース焼きそば
第1節 ヤミ市のたいへんな人気者
・戦後に復活したソース焼きそばは「ヤミ市のたいへんな人気者」だった
・戦後のソース焼きそばで最も古い記録は、昭和23年の浅草ひょうたん池にあった露店
・戦前は下町に限られていたが、戦後は新宿や池袋など山の手のヤミ市にも姿を現すようになった
第2節 昭和20年代の小麦粉事情
・昭和24年頃までアメリカからの食糧輸入はごく限定的で、ヤミ市の食糧は供出を免れた国内生産物が中心だった
・冷戦や朝鮮戦争の影響で、昭和25年頃から輸入が再開され、アメリカの小麦が出回りはじめた
・昭和30年からアメリカの余剰小麦の大量輸入が始まり、日本政府の後押しで小麦粉食が農村や家庭にまで浸透した
第3節 戦前からの微妙な変化
・焼きそばに必要な麺・キャベツ・ソースは、戦後食糧難の時代でも比較的入手しやすかった
・戦後のソースには人工甘味料が添加され、加熱すると苦みが出るためソースの後がけスタイルが定着した
・その後、濃厚ソースの発売やチクロの認可で、炒めながら味付けするスタイルが復活したと思われる

第4章 全国に拡散するソースの香り
第1節 戦前の関西のソース焼きそば事情
・少なくとも知識としては、戦前の関西にソース焼きそばが伝わっていたのではないか
・蒸した中華麺の代わりに、うどん玉や茹で中華麺を使った事例が複数ある
・店舗業態のお好み焼き屋の伝播はソース焼きそばの伝播とほとんど同じとみなすことができる
第2節 全国の老舗焼きそば店・お好み焼き店(前篇)
・関東、東北、東海、甲信越・北陸、近畿の老舗を列挙した
・富士宮やきそばや横手やきそばなど、ご当地焼きそばの多くは昭和20年代から30年代に生まれた
・近畿では、発祥地の東京を凌駕する勢いで、お好み焼きや焼きそばなどのコナモンが普及した
第3節 鉄板台の上のホルモンとうどんの偶然の出会い
・神戸市長田区では、戦前から「にくてん」と呼ばれるお好み焼き店が地域に根付いていた
・それと同時に、内臓食も定着しており、ホルモンを炒めて食べる事例もあった
・長田で「ホルモン」と「うどん玉」が結びつき、中国地方に「ホルモン焼うどん」だ伝播したのではないか
第4節 全国の老舗焼きそば店・お好み焼き店(後篇)
・シャオヘイ著『熱狂のお好み焼き』によると、広島でお好み焼きに麺を入れた最古の事例は昭和23年
・小倉・だるま堂の焼きうどんは、焼きそばに使う中華麺をうどんで代用した事例のひとつ
・北海道ではソースやコナモンの需要がなかったため、ソース焼きそばやお好み焼きの普及が遅れた
第5節 ソース焼きそばはいかにして広まったか
・戦後日本の食糧事情の変化に伴い、ソース焼きそばが日本全国へ段階的に伝播した
・「大陸からの帰還者が作った」「戦後の大阪で生まれた」という俗説には、それなりの背景があった
・ソース焼きそばが浅草で生まれたことを示す事例もいくつか残っている
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『続・大学的 奈良ガイド』(昭和堂)は、こんなスグレモノ!

2022年05月01日 | ブック・レビュー
奈良女子大学文学部なら学プロジェクト編『続・大学的 奈良ガイド ― 新しい見どころ60編』(2022年4月25日 昭和堂刊)税別2,000円を入手した。言わずと知れた同プロジェクト編『大学的 奈良ガイド ― こだわりの歩き方』(2009年4月20日 昭和堂刊)税別2,300円の続編である。続編の帯には「奈良の謎と魅力が盛りだくさん」とある。

正編が出たのは、私が「奈良まほろばソムリエ検定」1級に合格し、最上級の「奈良まほろばソムリエ」をめざして「これから頑張るぞ~!」というときだった。だから随所に黄色の蛍光ペンでマークし、付箋もたくさんついている。かといって、どれだけマスターしたかは心許ないのであるが…。

続編は1編を4頁で統一しているので、60ものテーマがずらりと並んでいる。これらはすべて、『月刊大和路ならら』(一般社団法人「 なら文化交流機構」刊)に連載されたものだという。目次から拾ってみると

第1章 モノは語る
 木簡と史書は語る ――平城宮大極殿建設の真実  舘野和己
 葡萄の道――「ボ・ダウ」「ぶだう」「ブドウ」  矢島洋一 など
第2章 まなざしと表現
 高松塚古墳のメディア学――発見当時の新聞記事を読む  小川伸彦
 大いなる『正倉院模造宝物』――吉田包春の美の世界  六車美保 など
第3章 横顔に映る奈良
 宇多上皇、吉野宮滝へ――道真の「御幸記」を繙く  西村さとみ
 澤田四郎作を知っていますか――大和が生んだ知のネットワーカー 寺岡伸悟 など
第4章 時空間を超えて
 「国のまほろば」という言葉――その理由と時  小路田泰直
 景観に見る奈良の風――見えないものから奈良を見る  浅田晴久 など
第5章 暮らしの今昔
 女性の暮らしやすさから見た奈良――家事・育児負担とサポート・ネットワーク 水垣源太郎
 あとの祭りにしないために――祭礼継承のためにいま何をなすべきか  武藤康弘 など


版元の「内容説明」には、

前著『大学的奈良ガイド』は、一般のガイド本では満足できない「学び好き」の奈良ファンの厚い層の存在を発見した画期的一書であった。大学の教授陣による確かで清新な知を求める世の欲求や向学心はいまも健在であり、続編が渇望されてきた。

今回の本は、全体を5章にテーマ分けをして、より分かりやすい視点を新たに採用しつつも、一歩も二歩も踏み込んだ内容となっている。


正編が出たあと、奈良まほろばソムリエ友の会(当時)の故 小北博孝会長と、「当会も、ゆくゆくはこんな立派な本を出したいですね」と言い合っていた。それはいまだ実現していないが、これまで読みやすい初心者向けの本(すべて新書版)を4冊刊行したので、目標は半ば達成したとも言える(『奈良「地理・地名・地図」の謎』『奈良の隠れ名所』『奈良百寺巡礼』『奈良万葉の旅百首』の4冊)。

続編はこれから読むところであるが、1ページ目から読むのは大変そうなので、興味のあるところから拾い読みするつもりである。この大型連休中にはとても片付きそうにないので、カバンに入れて少しずつ読んでいくつもりである。これから「奈良まほろばソムリエ」をめざす人には、格好の手引き書となるだろう。皆さんも書店で本書を手に取り、よろしければぜひお買い求めください!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報満載の楽しい本!『奈良のトリセツ』(昭文社刊)

2020年12月14日 | ブック・レビュー
昨日(2020.12.13)の夕方、啓林堂書店学園前店を訪ねると、新刊本のコーナーで2人ほどが同じ本を手に取って立ち読みしていた。何だろうと思って平積みされていたその本を見ると昭文社刊『奈良のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話~』(税込 1,760 円)だった。パラパラとめくってみると、奈良県に関する情報が満載で、しかもフルカラー。

昭文社企画編集室とアーク・コミュニケーションズの編集で、執筆者は4人のライターさん。嬉しかったのは「主要参考文献」に、奈良まほろばソムリエの会監修の『奈良「地理・地名・地図」の謎』(実業之日本社)が出ていたこと。よく似たタイプの本なので、参考にしていただけたのだと思う。即座に買ってしまったことは、申すまでもない。大日本印刷のサイト「honto」に、 詳しい商品説明が出ていたので最後に紹介しておく。

都の繁栄を支えた大和川、日本一の私鉄・近畿日本鉄道、大坂城にも使われた吉野杉…。奈良県の地形・地質、歴史、産業・文化など多彩な特徴と魅力を地図で紹介。知られているようで知られていない奈良県の意外な素顔に迫る。

①地図、地形で読み解く奈良の台地
人類の文明発展につながった!? 二上山の成り立ちとサヌカイトの技術力/実は人工的に作られた山だった?古代史の舞台・大和三山/海外から来た使者へのアピールだった!? 都の繁栄を伝えた大和川/人々の営みに密接してきた 生駒山がもたらした恩恵とは?/世界最大級の対策工事が行われた亀の瀬地すべり地区の安全性は?/大和平原を潤す大動脈 吉野川分水は300年越しに完成/同じ県とは思えないほど!南北で大きく変わる奈良県の気候

②奈良を駆ける交通網
最古の市が開かれた 海石榴市は男女の出会いの場だった/生駒市と東大阪市にまたがる 暗峠の急こう配は法令値オーバー/営業期間わずか9年間! 大仏鉄道を阻んだ急勾配/かつては通っていた!? 奈良県に乗り入れてないJR奈良線/紀伊半島縦断の夢かなわず幻と消えた 五條市と新宮市を結ぶ五新鉄道計画/合併を繰り返して成長! 日本一の私鉄になった近畿日本鉄道/3度の変更の末、駅開業が転がり込んだ!? なぜ、王寺町が鉄道の町になった?/日本一長い路線バスでおなじみ八木新宮特急バスは昔もっと長かった

③奈良で動いた歴史の瞬間
古墳の密集地帯・奈良盆地 なぜ古墳が造られなくなった?/歴史上の悪役とされる一族の意外な姿 仏教が日本にあるのは蘇我氏のおかげ!?/美酒を一夜にして醸造!? 桜井市大神神社になぜ酒造りの神様?/日本最古と名高い飛鳥寺の大仏 飛鳥大仏が国宝になれないワケ/現存する最古の木造建築 現在の法隆寺は2代目だった!?/大化の改新だけではない!中大兄皇子が変えた時間の概念/大海人皇子勝利のカギとなった!? 壬申の乱における大和街道/日本初の条坊制の都 藤原京廃都の裏に参考資料のミス!?/陰陽道、兵法、囲碁、カタカナの生みの親!? 奈良時代のスーパー外交官、吉備真備/1300年で2人のみ達成!? 大峰山に伝わる千日回峰行とは?/藤原氏の権力の現れ!? 興福寺が高台にあるワケ ほか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『神仙境吉野の謎に迫る 壬申の乱と修験道の誕生』は、吉野の入門書&学術書!

2020年11月16日 | ブック・レビュー
先月末(2020.10.31)、『神仙境吉野の謎に迫る~壬申の乱と修験道の誕生~』(京阪奈新書)が発刊された。執筆されたのは「古代吉野を見直す会」(代表:富田良一さん)だ。第1章、第2章では吉野の古代史を深く掘り下げ、また第3章では同会のメンバーが6年にわたり現地を訪ね、詳しくレポートしている。同会のニュースリリースには、

『神仙境吉野の謎に迫る 壬申の乱と修験道の誕生』の発刊について
吉野の古代史については、宮滝遺跡、壬申の乱、修験道、万葉集等々個々には優れた研究がなされていますが、これらを総合的にとらえたものがありません。新しい仮説を提示することによって、吉野古代史の全体像を一体的に捉え直そうと試みました。

このため、徹底的に現地と周辺エリアを踏査し、複眼的に吉野古代史を見直しました。また、訪ねた寺社、古墳、遺跡、自然も分担執筆しました。なお、「古代吉野を見直す会」は、吉野が好きで吉野に興味を持つ会員10名で構成されており、全員「奈良まほろばソムリエの会(会員数420人)」に所属しています。

◆趣旨 
古代史最大の内乱である壬申の乱が吉野で発生したことは誰もが知っている事実ですが、なぜ吉野なのかは分かっていません。本書では古人(ふるひとの)大兄(おおえ)の吉野との関係や、蘇我氏の血を引く鵜野讃(うののさ)良(らら)(持統天皇)がこの大乱に大きく関わっているのではないかと考えました。

宮滝遺跡は、吉野離宮として有名ですが、斉明天皇が祈りの場として創始した事が意外と忘れられています。持統天皇が在位中に31回の行幸をした事、聖武天皇が疫病退散の祈りを捧げるために吉野行幸をした事、辺境の吉野にある大名持(おおなもち)神社(じんじゃ)が春日社に次いで正一位の神階を得た事の理由を、祈りの場としての吉野の宮との繋がりから探りました。

また、一般に丹生は水銀朱とされていますが、丹生を炭酸塩泉と捉え、なぜ、水銀鉱床のない吉野川流域に丹生川上神社が創建されたのかについて新しい視点を提供しました。神が降臨し祖霊が還る聖なる山(青根ヶ峯・山上ヶ岳)の水・岩への地元民の原始的な神信仰(自然・祖霊)と比蘇寺(ひそでら)(吉野寺)を拠点として山居修行する修行僧の信奉する密教が習合して奥吉野で修験道が誕生した経緯を探りました。

◆概要
執筆対象  寺院7、神社8、古墳2、遺跡3、自然4、大峯奥駈道
取材期間  2014年2月~2020年3月
取材エリア 吉野郡(大淀町・吉野町・川上村・東吉野村・下市町・黒滝村・天川村)
      明日香村・桜井市・天理市・和歌山県かつらぎ町
編  者  古代吉野を見直す会(代表:富田良一)
監  修  松田 度(わたる)(大淀町教育委員会)
発  行  京阪奈情報教育出版株式会社(京阪奈新書)
体 裁 等   新書版200ページ・税別900円


本書については、土曜日(11/14)の朝日新聞奈良版に詳しく紹介されているので、末尾に記事の画像を貼っておく。私も早速本書を拝読し、丹(朱=硫化水銀)の鉱床がないのになぜ「丹生(にう)」なのか、金が採掘されないのになぜ「金」のつく社寺や地名が吉野に多いのか、修験道はなぜ吉野で発生したのか、などについての謎が解き明かされ、目からウロコだった。また第3章は会員による平易な現地報告で、順序としては第3章から読み始めるのが良いだろう。

吉野の古代史に関心のある皆さん、ぜひ本書をお読みください!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出口治明氏の講演録「人生における「人」×「本」×「旅」の必要性について」

2020年07月15日 | ブック・レビュー
先日(2020.6.21)当ブログで、出口治明著『還暦からの底力~歴史・人・旅に学ぶ生き方~』という本を紹介した。毎日新聞(7/12付)に広告が出ていて、「大反響!たちまち20万部!」とあって驚いた。読者からのコメントも「本書は全世代に向けた内容だと思う。長い人生を考える上で常に意識しておくべき多くの事柄を、このタイミングで読んでおいてよかったと心から思う。(50代 男性)」などとあり、私も同感だ。

そんな出口氏の講演録(旅と学びの協議会)が、「logmi Biz」というサイトに載っていた。演題は「人生における「人」×「本」×「旅」の必要性について」。全文は末尾に載せるが、ポイント(主に前半部分)を以下に紹介する。

・どんな物事を議論する場合でも、まずベースとなる現状の世界をリアルに把握することが一番大事だと考えています。そのための方法論として「タテ・ヨコ・算数」が必要です。
・「タテ」というのは昔の人がどう考えたかということです。「ヨコ」というのは、世界の人がどう考えているか。
・タテとヨコで物事を考えれば、ほとんどの問題は正解が得られるような気がします。例えば僕は中学校で、源頼朝は平政子、北条政子と結婚して鎌倉幕府を開いたと習いました。このファクトからすれば、日本の伝統は夫婦別姓だということが簡単にわかります。
・世界はどうかといえば、OECDと呼ばれている先進37ヶ国の中で、法律婚の条件として夫婦同姓を強制している国は、実は日本を除いて皆無です。
・この単純なタテヨコのファクトがわかれば、夫婦別姓のような考えは、「日本の伝統ちゃうで」とか「家族を壊すで」とかいっているおじさん・おばさんは、単なる不勉強か、イデオロギーや思い込みが強い人である、ということが誰にでもわかりますよね。

・3つ目の「算数」は何かといえば、エビデンス(証拠)であり、データであるということ。
エビデンスに基づかない主張は、ほとんど価値がないともいえます。例えば一時よくいわれた議論に、「欧米の強欲な資本主義の時代はもう限界を迎えている。これからは日本的経営が世界を救うんやで」と。「昔から『三方良し』といってるやないか」と。
・データで見てみるとどうなのか。この30年間、日本の正社員の労働時間は2,000時間を超えていて、30年間まったく減少していません。じゃあどれだけ儲かったか。GDPの実質成長率で見ると、1パーセント以下なんですね。
・日本と人口や面積がよく似ていて、高齢化が進んでいて、化石燃料も出ないドイツやフランスと比べてみたらどうなのか。
・彼らは1,400時間の労働時間で、2パーセント成長を達成しているわけです。このエビデンスを見たら、答えは1つです。長時間働いて儲からないということは、経営がなっていない、マネジメントがなっていないということ以外に、おそらく答えはないと思います。
・このように、タテ・ヨコ・算数でいろんな物事を考えていく。タテ・ヨコ・算数で世界をきちんと丁寧に見る。そのことの上に、すべての議論が成り立つんだと僕は考えています。

・人間と人間は、互いにコミュニケーションをとろうとします。僕はコミュニケーションとは何かといえば、共通テキストの数だと考えています。
・共通テキストの最たるものは、実はエビデンスだと思います。データやエビデンスは、文化や習慣を越えて互いに理解し合えることです。
・ですから、ある学者が「知的な基盤社会のベースは、エビデンスベース・ファクトベースに切り替えて、数字・ファクト・ロジックで物事を考えることがすべてである」と語っていました。

では、講演録の全文を以下に掲載しておく。

出口治明氏が教える、人間が賢くなるための方法
「知識×考える力」を磨く3つの要素
基調講演「人生における「人」×「本」×「旅」の必要性について」


コロナウィルスがもたらすパラダイムシフトの中で、「旅」が本来持つ価値について科学的に検証する、「旅と学びの協議会」が設立されました。ANAホールディングス株式会社が各分野の専門家とともに、旅を通じた学びと幸せが人間の成長におよぼす効果を科学的に立証することに挑戦します。今回はそのキックオフイベントとして、同協議会の代表理事を務める、立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明氏の基調講演をお届けします。

現状を理解するために必要な「タテ・ヨコ・算数」
出口治明氏:みなさん、こんにちは。僕のほうから30分ほど話をさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

まず、どんな物事を考える場合でも、現状をしっかりと理解することがとても大事だと思っています。例えば家を建てるときに、土台工事をおろそかにして、いくら美しい建物を建てたとしても、土台がしっかりしていなかったら、台風が来たらあっという間に壊れてしまいます。

だから、僕はどんな物事を議論する場合でも、まずベースとなる現状の世界をリアルに把握することが一番大事だと考えています。そのための方法論として「タテ・ヨコ・算数」が必要です。ホモサピエンスは、少なくとも定住を始めたドメスティケーション以降、脳は進化していないというのが定説になっていますから、「タテ」というのは昔の人がどう考えたかということです。

「ヨコ」というのは、世界の人がどう考えているか。ホモサピエンスは単一種で、黒人や白人や黄色人種という便宜的な分類は、住んだ地域の気候の産物だということが100パーセント科学的に立証されていますから。みんなまったく同じ人間です。

ですから、タテとヨコで物事を考えれば、ほとんどの問題は正解が得られるような気がします。例えば僕は中学校で、源頼朝は平政子、北条政子と結婚して鎌倉幕府を開いたと習いました。このファクトからすれば、日本の伝統は夫婦別姓だということが簡単にわかります。

世界はどうかといえば、OECDと呼ばれている先進37ヶ国の中で、法律婚の条件として夫婦同姓を強制している国は、実は日本を除いて皆無です。この単純なタテヨコのファクトがわかれば、夫婦別姓のような考えは、「日本の伝統ちゃうで」とか「家族を壊すで」とかいっているおじさん・おばさんは、単なる不勉強か、イデオロギーや思い込みが強い人である、ということが誰にでもわかりますよね。

フランシス・ベーコンが述べたように、知識は力です。knowledge is powerです。タテヨコに学ぶことによって、いろんなことがわかる。

エビデンスに基づかない主張は、ほとんど価値がない
3つ目の「算数」は何かといえば、エビデンスであり、データであるということ。僕は先ほどの挨拶で、ホモサピエンスは大型草食獣のメガファウナを追って、ビフテキを食べたいがためにグレート・ジャーニーを始めたという話をしました。

どこに証拠があるのか? エビデンスが明確にあります。全世界の地層を掘っていくと、メガファウナの骨が激減する時期に、ホモサピエンスの骨が出てくる。これは誰が考えても、あとから来たコイツが昔からいたメガファウナを食べたにちがいない、という答えになるわけです。ですから、エビデンスはものすごく大事です。

エビデンスに基づかない主張は、ほとんど価値がないともいえます。例えば一時よくいわれた議論に、「欧米の強欲な資本主義の時代はもう限界を迎えている。これからは日本的経営が世界を救うんやで」と。「昔から『三方良し』といってるやないか」と。

データで見てみるとどうなのか。この30年間、日本の正社員の労働時間は2,000時間を超えていて、30年間まったく減少していません。じゃあどれだけ儲かったか。GDPの実質成長率で見ると、1パーセント以下なんですね。

日本と人口や面積がよく似ていて、高齢化が進んでいて、化石燃料も出ないドイツやフランスと比べてみたらどうなのか。日本ではアメリカと比べることが一般的ですが、apple to appleという言葉があるように、似たものを比べないとよくわからないと僕は思っているので、ドイツやフランスと比べてみましょう。

彼らは1,400時間の労働時間で、2パーセント成長を達成しているわけです。このエビデンスを見たら、答えは1つです。長時間働いて儲からないということは、経営がなっていない、マネジメントがなっていないということ以外に、おそらく答えはないと思います。

このように、タテ・ヨコ・算数でいろんな物事を考えていく。タテ・ヨコ・算数で世界をきちんと丁寧に見る。そのことの上に、すべての議論が成り立つんだと僕は考えています。

コミュニケーションとは「共通テキストの数」
人間と人間は、互いにコミュニケーションをとろうとします。僕はコミュニケーションとは何かといえば、共通テキストの数だと考えています。今KDDIという会社が、テレビで桃太郎・金太郎・浦島太郎のコマーシャルをやっていますね。

なぜあのコマーシャルが長生きしているかといえば、我々日本人はみんな子どものころに、浦島太郎や金太郎や桃太郎の物語を聞いて育って、お互いに共通テキストがあるから、すぐにあのコマーシャルがおもしろいと理解できるわけです。

浦島太郎の物語、浦島伝説は全世界にありますが、浦島伝説は共通テキストの物語だと思います。浦島太郎が日本に帰ってきて、なぜ絶望したか。それは何百年も経っていて、日本語は通じるものの、共通テキストがすべて失われたからです。人間は言葉が話せても、共通テキストがなければ、コミュニケーションができない。

共通テキストの最たるものは、実はエビデンスだと思います。データやエビデンスは、文化や習慣を越えて互いに理解し合えることです。ですから、ある学者が「知的な基盤社会のベースは、エビデンスベース・ファクトベースに切り替えて、数字・ファクト・ロジックで物事を考えることがすべてである」と語っていましたけれど、この協議会においても、エビデンスがこれからの議論の前提になっていくんだろうと、僕は考えています。

人間が賢くなる方法は「人・本・旅」に学ぶこと
人間はいろんなことを学ばなければ賢くはなりませんが、僕は人間が賢くなる方法は「人」「本」「旅」に尽きると思っています。いろんな「人」に会って教えてもらう。これは小学校や中学校の先生が典型ですよね。みなさんもきっと思い出に残る、小学校や中学校や高等学校の先生が、1人や2人いると思います。人間はいろんな人から学んで、自らを成長させていくんだと思います。

「本」を読むという方法もありますね。本は何かといえば、昔の人や遠くにいる人に教えてもらうことだと思います。身近にいるお父さんやお母さん、学校の先生からは直接教えてもらうことができますが、昔の人や遠くにいる人には会えない。本を読むことによって、いろんな人に教えてもらえる。本を読むことは、著者との対話だと思います。

人と本、この2つの学びはどちらかといえばコンフォートゾーンで、自分が今いる居所で、つまり定住の中で学ぶことですよね。家や学校、あるいは職場。自分のいる場所、コンフォートゾーンで、いろんな人に会ったりいろんな本を読んで、いろんな知識を得る。

これに比べて「旅」は、どちらかといえば、コンフォートゾーンを抜け出して学ぶことだと思います。昔デカルトという、少し鼻っ柱の強い学生がいました。彼は確か21歳前後に大学を去ったわけですが、このときに「学校の先生から学ぶべきものはすべて学んだ。学校にある本は全部読んでしまった。これからは世間という広い世界を旅して、世間という大きい書物から僕は勉強するんだ」といって、大学を去ったわけです。コンフォートゾーンから出ていったわけです。

ですから「人」「本」「旅」は、粗々に述べれば、コンフォートゾーンで学ぶのが「人」と「本」であり、アンコンフォートゾーンで学ぶのが「旅」だといってもいいかもしれません。

世襲議員が5割を超えている先進国はどこにもない
人間はホモモビリタス、移動する人であるという話をしましたが、実は移動の自由はとても大きい意味を持っています。今、我々は民主主義の世の中に生きています。民主主義の世の中では、投票に行くことがとても大事だとよくいわれていますよね。この「投票が大事だ」ということも、算数できれいに説明がつきます。

例えばどんな世界であっても、今の政権からおいしいものをもらっている人々、既得権益を持っている人々は20パーセント前後いるんではないか、という研究があります。ということは、この人々は必ず選挙に行くわけです。既得権益を守りたいから。

彼らは後援会を組織します。投票率が日本のように50パーセントぐらいであれば、講演会に推してもらった人は、すでに20票持っているわけですから、あと5票とれば過半数になるわけですから、当選できます。

みなさんが選挙にチャレンジすると、25票とらなければいけない。後援会の人はわずか5票とれば持ち駒が20あるわけですから当選するのに、自分は25票以上とらなきゃいけない。格差は5倍ですよね。短い期間に5倍もとれない、誰もがそう思うから、新しい血が政治に入らない。日本の世襲議員は5割を超えているといわれていますが、先進国で世襲議員が1割を超えている国はどこにもないといわれています。これはすべて投票率が低いからですよね。

投票率がヨーロッパの先進国並みに、80パーセントになれば、日本も明治の時代の投票率は90数パーセントありましたから、不思議ではありません。後援会に推してもらっている候補者は、80パーセントになれば過半は40票ですから、20票上乗せしなきゃいけない。みなさんは40票とらなきゃいけない。大変ですが、格差は2倍です。2倍ぐらいならひょっとしたらがんばれるかもしれない。そうですよね。

だから投票率の低さが世襲議員を生んで、世襲議員は後援会に推されているわけですから、改革をするはずがないということも、このように数字できれいに説明ができます。いかにエビデンスが大事かということ、数字・ファクト・ロジックで考えることが大事だということを申し上げたかったのです。

人々の「移動の自由」は世界を変えるもの
実は民主主義は、投票だけではないのです。お金による民主主義、つまり税金を納めるかわりに、ガンガン自分の好きなところに寄付をする。あるいは自分が伸ばしたい企業に投資をする。お金による民主主義もある。

もっとすごい民主主義は、足による民主主義です。悪い政治をやっていた地域から逃げ出すということですよね。イタリアのシエナに古い市役所があります。そこの壁画に「良い政治と悪い政治」という壁画があって。「悪い政治」の下のほうには、市民がロバに荷物を積んで逃げ出す姿が描かれています。

これはすごく大事なことで、みんなが逃げだしたら、政権はもたなくなるし、政治を行うこともできなくなります。移動の自由というのは、好きな所に行くということではなく、実はとても深い意味を持っているのだと思います。

旅をするということは、単にアンコンフォートゾーンに学びに行くという意味だけではなく、移動することによって、実は世界を変えるんですよね。今、難民問題がいろいろ議論されています。でも難民という言葉は、実はとても新しい概念です。難民というのは国境線があって初めて生じる問題です。我々が普通に考えている国境線は、19世紀以降のネーションステート、国民国家が国境の管理を厳しくして、初めて生じた現象です。

昔は国境線がなかった、管理できなかった。だから人々はどんどん移動して、その結果国や地域が変わってきた歴史があります。ですから旅というのは、移動するということは、ものすごく大きい意味を持っているんだ、という問題をここでは指摘しておきたいと思います。

おいしい人生は「知識×考える力」
「人」「本」「旅」で何を学ぶのかという話を、最後にしておきたいと思います。今日はオンラインの講義ですから、みなさんに手を挙げていただくことはできないんですが、おいしいごはんとまずいごはん、どちらが食べたいですか? たぶんほとんどのみなさんは、「おいしいごはんを食べたい」に手を挙げると思います。

おいしいごはんを因数分解すると、どうなるでしょう。一番平凡な答えは、新鮮ないろんな材料を集め、お肉や魚や野菜をたくさん集めて、上手に調理すれば……例えばミシュランの星がついてるシェフが料理したら、おいしいごはんが食べられる。つまり「材料×調理力=おいしいごはん」という式ができると思います。

もう1つみなさんに質問します。おいしい人生とまずい人生、どちらを過ごしたいですか? おいしい人生だと思います。同じように因数分解すればどうなるか。おいしい人生は、「知識×考える力」だと思います。いろんな材料を集めることがたぶん知識で、それを調理することが考える力です。

いくら物事を知っていても、現実の人生で使えなければ、食べられなければ、役に立ちません。いろんな知識を使うこと、それが考える力だと思います。ですから、おいしい人生は「知識×考える力」だと思います。

「人」「本」「旅」から何を学ぶのか。それは知識だけではない。いろんな人や、あるいは世界を旅して、いろいろな文化や伝統を目の当たりにして、そういった人々の考える「型」や発想のパターンを真似することによって、初めて考える力は鍛えられます。

これは調理力が、最初はレシピを真似して、その通りに作ることから始めるのと同じです。考える型や発想のパターンを学ぶこと。それを学んで初めて、「型破り」ができるんです。なにもないところに、型破りの発想は出てこない。

「人」「本」「旅」から学ぶべきポイントは、単なる知識ではなくて、考える型やパターンを学ぶことにあると、僕は思います。今日のプレゼンはこれで終わりたいと思います。みなさん、ご清聴ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする