tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

観光地奈良の勝ち残り戦略(13)松下幸之助氏の「観光立国論」

2008年06月29日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略
週刊観光経済新聞の「視点 日本の観光」は、識者が交代で執筆する連載コラムである。その第40回(08.6.21付)で、石森秀三氏(北海道大学観光学高等研究センター長)が、松下幸之助の観光立国論を紹介されていた。引用すると

《松下氏が60歳の時に発表された「観光立国論」は54年の歳月が過ぎても、なお新鮮な論点を含んでいる》《その詳細は1954年5月に雑誌「文藝春秋」に掲載された「観光立国の弁」で展開されている》。

松下氏は《日本が持てる「景観の美」や「自然の美しさ」はいかなる埋蔵資源にも勝るとも劣らぬと強調した》《「戦後、経済自立の道として、工業立国、農業立国あるいは貿易立国など…に多くの金が費やされた」が、「観光立国こそ、わが国の重要施策」と提唱した。その背景には、当時の日本の貿易収入は約10億ドルであったが、国際観光の振興で約8億ドル稼げると予測し、「観光もまた広い意味での立派な貿易」と見なして、観光産業を「輸出産業」として的確に位置づけている》。

朝鮮戦争が終わり、重厚長大産業を中心に高度成長をめざそうとしていた時代にあって、観光で外貨を稼ごうという発想は慧眼である。

もう少し詳しく知りたいと思い、ネットで検索していると、ある個人ホームページに、こんな情報が出ていた。同じ1954年の9月に行われた講演会の話である(新政治経済研究会「1周年記念講演会」)。
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/bic/matusita.htm

《自然の美しさでは、日本の地位は世界の一、二位ではあっても、決して、三位とは下るまいと感じたほどです。例えばハワイが美しいといっても、所詮小さな一島嶼にすぎません。スイスがすばらしいと言っても、これはやはり、山と湖の美しさだけです》《美しい景観もまた立派な資源だとすれば、むしろ日本の場合は、その重要さにおいていかなる埋蔵資源にも勝るとも劣らぬと言えるのではないでしょうか》

《ドルを獲得するという点から見たならば、観光もまた広い意味での立派な貿易であるといえます。しかも8億ドルからの巨額です。…いわゆる物品の輸出貿易は、日本のなけなしの資源を出すのですが、富士山や瀬戸内海はいくら見ても減らないのです。運賃も要らなければ、荷造り箱も要りません》。

《こんなに何もかも揃っているのに、今までなぜこれを活かさなかったのか不審でなりません。もちろんこれには、日本人の人生観なり社会観がかなり大きな影響を与えていたのかも知れません。勤勉を尊んで遊びを卑しみ、遊ぶことが時には悪徳視されたことすらあります》。


奈良公園(6月下旬撮影)

《アメリカ人は政治もうまいし、商売もうまい。だから、もし今、日本人とアメリカ人が全部国を入れ替えたなら、彼らはたちまちのうちに、この自然の景観を活かして、日本を観光の楽土にして、世界を相手にドンドン金を儲けることでしょう》。

《観光客の中には、学者もあれば、実業家もあります。技師もいれば芸術家もいます。これらの人びとに接触するだけでも、お互いに啓蒙もされ、刺激もされます。勉強もできますし、考え方も広くなります。…観光立国によって全土が美化され、文化施設が完備されたならば、その文化性も高まり、中立性も高まって、奈良が残され、京都が残されたように、諸外国も日本を平和の楽土としてこれを盛りたてていくことでしょう》。

《この際思いきって観光省を新設し、観光大臣を任命して、この大臣を総理、副総理に次ぐ重要ポストに置けばいいと思います。そして、国民に観光に対する強い自覚を促すと共に、各国に観光大使を送って、大いに宣伝啓蒙もしたいと思います。また、現在、覚え切れないほどたくさんある国立大学のうち、そのいくつかを観光大学に切り替えて、観光学かサービス学を教えることによって、優秀な専門のガイドも養成したいものです》。

このHPには、別の話(「美しい日本への決意を」『PHP』71年2月号所収)も紹介されている。《瀬戸内海を人間の力で一からつくろうとすればどうなるか。すなわち、この平地をより味わいのある、すばらしい景勝地にしたいということで、土を掘り、そこかしこに変化に富んだ入江をつくり、外海から水を入れる。さらにはそうしてできた内海のあちこちに松を抱いた美しい島々を点々と配する。そういった一大事業を敢行したとすればどうなるか、ということです。…自然はすでにつくりあげ、われわれにそっくりそのまま与えてくれているのです。まさに瀬戸内海は日本人、ひいては人類共通の大きな資産であり、天与の尊い宝物だということができるでしょう》。

《産業の発展は大切ですが、その発展が一方で自然を破壊し、人間の幸せを損なうような姿を生みだすならば、これは本末転倒にもなりかねません。そしてこの、産業は人間のためにあるという基本の原則に必ずしも十分に徹していなかったところに今日のような好ましからざる姿も生まれてきたのではないでしょうか》。

話が具体的で面白いので、つい引用が長くなったが、現代にも通用する重要な指摘を含んでいる。

インバウンドによる外貨獲得には運賃も荷造り箱も要らない、何しろ向こうからお客が転がり込んでくるのだから。しかも観光資源は、いくら見ても減るものではない。遊びや商売の上手いアメリカ人なら、日本の観光資源を使って、どんどんカネを稼ぐことだろう。日本の素晴らしい自然・文化景観は、天与の宝物である。第二次大戦でも奈良や京都が保たれたように、これを大切にし磨き上げることは、文化的安全保障としての意義がある。環境破壊でこれを損なうのは、本末転倒だ。

わが国では、最近になってインバウンドなどによる「観光立国」が唱えられ、今年の10月には観光庁が発足する予定である。松下氏が50年以上も前からこの政策を提唱していたとは、驚きだ。

奈良は「観光立県」を標榜(ひょうぼう)しているが、戦災にも遭わずに守られてきた景観が、人間の手で破壊されつつあるのは見るに忍びないことだ。また貴重な文化財は、ひとたび失われれば、いくらおカネをかけても元に戻すことはできない。

日本には、そしてこの奈良には、いかなる埋蔵資源にも引けを取らぬ「観光資源」という天与の宝物があることを、もう一度肝に銘じておきたい。

※参考:観光地奈良の勝ち残り戦略(12)おカネが落ちる仕掛けづくり
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/a8f59e121c5fcff769197db93e828c29

※冒頭の写真は奈良市・東向商店街で(08年4月初旬に撮影)。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田寺跡

2008年06月27日 | 奈良にこだわる
写真の仏頭は、よくご存じだろう。7世紀後半、白鳳時代の銅造丈六仏の仏頭だ。山田寺講堂のご本尊だったが、興福寺衆徒により持ち去られ、今は興福寺国宝館に安置されている。ただし写真は飛鳥資料館にある精巧なレプリカだ。

5/31(土)、この仏頭のあった山田寺跡(桜井市山田)を訪ねてみた。



この寺は、641(舒明天皇13)年、蘇我入鹿の従兄弟・蘇我倉山田石川麻呂(そがくらやまだのいしかわまろ)が造営着手した寺である。金堂と回廊が造られた後、石川麻呂が反逆の罪を着せられて自害したことから造営は一時頓挫したが、後に塔や講堂が完成した。



《中世以降は衰微して、明治時代初期の廃仏毀釈の際に廃寺となった。その後、明治25年(1892年)に小寺院として再興されている。「山田寺跡」として国の特別史跡に指定されている》(Wikipedia)。



現在の山田寺(法相宗)には、観音堂と庫裏(くり)だけがある。あとはご覧の通りの原っぱだが、伽藍の跡が残っている。

《発掘調査の成果のうち特筆すべきは、昭和57年(1982年)、東回廊の建物そのものが出土したことである。土砂崩れにより倒壊、埋没した回廊の一部がそのまま土中に遺存していたもので、柱、連子窓などがそのままの形で出土した。腐朽しやすい木造建築の実物がこのような形で土中から検出されるのはきわめてまれなケースであり、日本建築史研究上、貴重な資料である。出土した回廊のうち3間分が科学的保存処置を施し、復元された形で奈良文化財研究所飛鳥資料館に展示されている》(同)。ご覧の写真が、その回廊跡である。




発掘当時の写真(現地の説明板より)




飛鳥資料館に展示された復元品

国の特別史跡に指定されたことで原っぱがそのまま残され、後の大発見につながった。よく若い人などが「平城宮跡を原っぱのままにしておくのは、格好が悪い。早く復原・整備すべきだ」というが、やたら手を入れて復原するのではなく、現状のままで残しておくことが第一なのだ。予算や体制が整った時点で、きちんと発掘調査を行えば良い。

土曜日というのに山田寺跡を訪れる人はほとんどなく、1時間ほどの間に私が出くわしたのは、犬の散歩に来たお1人(と1匹)だけだった。


参道(「磐余道」(いわれみち)の字は井上靖の揮毫)



帰途、沿道で不思議な山を見つけた。当ブログの「残したくない奈良の景観(3)」(5/7付)のコメント欄で、新浜一郎さんが指摘されていた「産業廃棄物の山」である。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/50649724edb5262060c0ed8c5f0be924

コメントによれば《桜井市街の南にそびえる丘陵は130万立方㍍もの産廃の山なんです》《一見、宅地造成や農地開発の工事中のように見えるので、見過ごしてしまいそうですが、でも、付近の住民は悪臭を感じているし、地震や大水で崩れないのかと不安にも思っています。また、近くの別の産廃の山からは汚水が流れている場所もあります》



《先日、その産廃の山の付近に登ってみました。大和平野を一望しその絶景に驚きました。奈良でもっとも美しい景色が見える場所かもしれません》《県は「景観、景観」と最近はよく言いますが、こんな産廃の山を認めたのも県ですし、甘樫の丘などから見える美しい景色で目障りなのはたいていが公共の建物(県市町村会館や万葉文化館)です》。



山のあるのは、聖林寺(国宝・十一面観音のある寺)の裏手(南東)だ。遠くから見ると、山を切り開いて宅地造成している最中のように見える。ここが《奈良でもっとも美しい景色が見える場所》とは、皮肉なことである。

よく保存された山田寺跡がある一方、見上げると産廃処理会社が築いた山がある。その高い山からは、大和三山など奈良盆地の美しい景観が一望できる…。残したい景観と残したくない景観がこれほど見事に揃っている例はまれだろう。

県(風致景観課)が募集している《「まほろば眺望スポット百選」&「残したくない景観」大募集!》の締め切りは11/30までと、まだまだ余裕がある。ご興味のある方は、ぜひいちどチャレンジしていただきたい。
http://www.pref.nara.jp/fuchi/keikan/mahoroba/index.htm

※残したくない奈良の景観(2)(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/33b61d134a0fdc5fdce79bfb06a5d979
※残したくない奈良の景観(1)(同)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/2991b2165a9b57cae76d9821b3c25223
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ならまちで昼食を(2)吟松

2008年06月25日 | ならまちで昼食を
ならまち(奈良町)の中心地、奈良町資料館のすぐ北側に、そば処「吟松(ぎんしょう)」奈良町店(奈良市西新屋町18)がある。
※奈良町資料館のホームページ
http://www.naramachi.org/ 



このお店は、高畑本店、若草店(若草山麓)と奈良町店の3店舗を展開している。もちろんおそばが美味しいのだが、私は天丼とのセットメニューをお薦めしたい。
※お店のホームページ(料金は値上げ前のまま)
http://bicycleweb.sakura.ne.jp/shop/ginsyou/index.html


店内の様子
 
冒頭の写真は1200円の天丼セットである。たっぷり天ぷらが載った1人前の天丼に、小ぶりのそば(またはうどん)が付く。ご覧の通り、白っぽくて細めのそばである。天丼(950円)とざるそば(650円)を別々に注文すると1600円になるので、(そばの量が少ないとはいえ)セットは割安感がある。他に天ぷら定食(2000円。そばまたはうどん付き)、ミニ天丼セット(950円。天丼が小さい)、ざるそば大盛り(1000円)など。


お土産コーナー

店内はご覧の通りの民芸調で観光客の方にピッタリだが、地元のお客も多い。手軽でお腹が一杯になる吟松の天丼セット、いちどお試しいただきたい。

※月曜休 11:00~14:00(売切れ次第終了)

※参考:ならまちで昼食を(1)喫茶お食事 みよし(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/a42f7428a0f365880d04eeffa470bb6e
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旬どき・うまいもの自慢会 奈良~08年夏の集い~

2008年06月23日 | グルメガイド
一昨日の6/21(土)、(株)今西清兵衛商店が主催する「第5回 旬どき・うまいもの自慢会 奈良」に参加した。旧知のKさん(同社・総務ご担当)にお声掛けいただいたものだ。

この「自慢会」は、全国の酒蔵によるネットワーク組織で、現在20社(20都県)が加盟している。春分・夏至・秋分・冬至の年4回、全国ほぼ一斉に開催され、その模様は各社がブログで紹介することになっている。
http://umaimonojiman.jp/

その奈良県版を担当されているのが、今西清兵衛商店だ。今回は「夏の集い」として、タイ料理の「RAHOTSU(ラホツ)」が食事を提供された。
http://www.h2.dion.ne.jp/~rahotsu/

開催場所は、猿沢池畔の「喫茶ならまち」(奈良市・ならまちセンター敷地内)だった。今回の参加者は、25人だった。



写真は、挨拶される社長の今西清隆氏である。代々春日大社に仕えた神官の家柄で、氏で48代目にあたるというからすごい。背後の女性はRAHOTSUのスタッフだ。
http://www.harushika.com/

とりあえずビール、ではなく「春鹿 純米吟醸生酒」で乾杯。春夏限定の商品で、さっぱりとしたお酒だ。これと「青乃鬼斬-ONIKIRI-」(山廃純米 超辛口生原酒)で前菜(タイ風の焼売、薩摩揚げ、大和牛の干し肉など)をいただく。こちらは名前の通り、メガ辛口のお酒だった。思い出すだけで、舌がしびれるほどだ。



次の料理は無農薬野菜のサラダ。これに鰺(アジ)のディップ(シーチキンの鰺バージョンで、タイ風味)をつけていただく。こういう食べ方は初めてだが、山の幸と海の幸が口の中でミックスして、美味しいものだ。お酒はおなじみの「純米 超辛口」だ。



良い匂いが漂ってくると思っていると、この炭火焼きウィンナーが出てきた。五條市の「ばぁく」特製の「黒豚とタイ米の発酵ウィンナー」だ。ここで登場したお酒が「活性にごり生酒 しろみき」(純米大吟醸)だ。発酵中のもろみを荒ごしして瓶詰めした濁り酒で、シャンパンのような発泡性がある(一度に開栓すると吹きこぼれるので、ゆっくりと開ける)。甘口なので、辛さのきいたウィンナーとよく合う。
http://a3haru.exblog.jp/4600922/

ここで、いよいよ大和肉鶏の炭火焼き(冒頭写真)が登場した。もも肉と胸肉を分けて丁寧に焼き上げてある。うま味たっぷりの大和肉鶏は、噛めば噛むほど味わいがある。



次は五條市「ばぁく」特製の「黒豚のチェンマイ風煮込み」だ。こういう料理だと、黒豚のうま味がよく分かる。



これは料理ではない。「カービング」というタイ宮廷の伝統技術である。特殊なナイフを用いて、野菜や果物などに細工を施したものだ。RAHOTSUでは、「カービング教室」も開催されているそうだ。
http://www.geocities.jp/rahotsu_a_table/index.html

ここでお待ちかね、「発泡純米酒 ときめき」が登場した。今回は、このお酒が目当てだった。同社蔵人の櫻井さんが苦労して開発されたお酒だ。櫻井さんは同社の「蔵寝坊チョコットBlog」というブログを担当されている。櫻井さんの別名は「イベント雨男」。その名の通り、この日も雨模様だった。

昨年3/14・16の同ブログに、「ときめき」の誕生秘話が書かれている。またこの話は、櫻井さんの実名入りで朝日新聞にも紹介された。
http://a3haru.exblog.jp/4851694/
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000140805140002



締めは、タイ風鮎そうめん。櫻井さんが前日に斬ってこられた太い竹を、当日の開会前に真っ二つに割られたというだけあって、青竹のみずみずしい香りが漂う。甘酸っぱく味付けされた鮎は、頭から丸ごといただいた。

それにしても、楽しい会だった。知人もたくさん来ていて、また当ブログ読者の方(初対面だが、当ブログの写真を見て私と気づいて下さった)ともご対面できた。



6:30PMに始まり、お開きになったのは10:00PMを過ぎていた。いろんなお酒を痛飲したが、翌朝には全く残らなかった。さすがに良い日本酒は違う。これで6千円ポッキリとは、激安だ。

旬の地元産品を使った料理と美味しい地酒が同時に楽しめるこの素晴らしい企画に、次回以降も都合がつく限り参加したいと思っている。

※参考:これまでの「旬どき・うまいもの自慢会 奈良」
第4回・菜一輪(さいいちりん)
http://ameblo.jp/yamato-no-umaimono/entry-10088185087.html
第3回・酒肆(しゅし)春鹿
http://ameblo.jp/yamato-no-umaimono/archive1-200712.html
第2回・ふらんす料理まるすらぱん
http://ameblo.jp/yamato-no-umaimono/archive1-200709.html
第1回・はり新
http://ameblo.jp/yamato-no-umaimono/archive1-200706.html
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

棚田嘉十郎翁を偲ぶ

2008年06月22日 | 平城遷都1300年祭
昨日(6/21)の奈良新聞に、嬉しいニュースが載っていた。見出しは《平城宮跡保存の先覚者 棚田嘉十郎(たなだ・かじゅうろう)を顕彰へ 財団職員が提案、市長も意欲》だ。記事によると

《きっかけは、市立南部公民館(同市生涯学習財団運営)施設長の上安董子さん(63)が今年4月、同館の書庫を整理中、「小説棚田嘉十郎 平城宮跡保存の先覚者」(中田善明著)という書物を見つけたこと》。
http://www.nara-np.co.jp/n_soc/080621/soc080621e.shtml

《「1300年祭で嘉十郎を顕彰してください」と本書を添えて藤原昭市長に手紙を出した》。その手紙が市長を動かし《具体的な検討が近く開始されるもようだ。市民との協働的な展開が期待されており、絶版となっている小説の復刻運動をはじめ、英訳活動、嘉十郎劇の上演など、いろいろなアイデアが出ている》。


第一次大極殿院(模型)

なお《嘉十郎は同市須川町の生まれ。奈良公園の植樹を担った植木職人で、たびたび上京して著名人の賛同に奔走。運動が軌道に乗ったところ、関係者の背任的行為に遭い、責任を痛感して自刃した。享年61歳。国の史跡指定はその翌年》。

私は『小説棚田嘉十郎』(1988年京都書院刊・定価1600円)を今年の2月に買って読んだ。絶版になったこの本を探すのに、上安さんは1か月もの間、古書店を回られたそうだが、私は幸運にも、Amazonのマーケットプレイスで、すぐに見つけることができた。
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4763640119/ref=dp_olp_2



嘉十郎は私財をなげうち、「大極殿狂人」と陰口をたたかれながらも、荒れ果てていた平城宮跡の整備と保存に奔走する。嘉十郎が保存運動に立ち上がる前の1900(明治33)年、大極殿跡の土壇に立った彼の様子が同書に描かれている。この年、彼は42歳であった。

《嘉十郎は驚いた。天皇が住居された跡にしては一面が田畑であり、大極殿の跡とされたところも、それらしき土壇があって納得されるものはあったが、その土壇は枯草で覆われ、農民の番小屋が建っていたり、牛が繋がれたまま放棄され、牛の糞(くそ)がところかまわず落とされていて、えもいわれぬ異臭を漂わせていたのである。「これは、恥ずかしい!」 大極殿の跡だといわれる土壇の上に立った時、嘉十郎は荒涼たる光景に眉をひそめると、思わず呟(つぶ)やいた》『小説棚田嘉十郎』 。


平城(なら)遷都祭2008(5/3 背後に見えるのが復元中の大極殿院)

奔走する嘉十郎は、貧困と疲労で失明の危機にまで追い込まれる(手術で3m先が見える程度には回復する)。構想実現まであと一歩のところで、怪しげな新興宗教団体の介入を許し、嘉十郎は自らの不明を悔いて自殺する。枕元には、保存運動に協力を得た陸軍中将、男爵、元奈良県知事、元奈良県内務部長などに宛てた遺書と辞世がしたためてあったという。
※参考:伝えたいふるさとの100話「1300年の時を経てよみがえった朱雀門」
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/100furusato/html/furusato062.htm

この本に感銘を受け、市長に手紙を書かれた上安さんのお気持ちは貴重なものだし、それに応えようとする藤原市長の態度も立派である。


朱雀門(5/3)

市長には嘉十郎翁の功績を顕彰すると同時に、現在、奈良の地域おこしに汗を流されている市民をバックアップできるような、何らかの支援策も期待したいと思う。

※冒頭の写真は、大極殿院跡を指さす嘉十郎翁(平城宮跡で09.6.24に再撮影)。私の読後感によれば、翁はこういう颯爽としたイメージではなく、貧困と失明と周囲の無理解と戦いながら、最後は無念の死を遂げた孤独な理想家であり、先覚者であった。合掌。
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする