tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

出雲そば だんだん

2008年08月31日 | グルメガイド
8/27(水)、当ブログのコメンテーターであるNANARAさんから《JR奈良駅西側の大宮幼稚園前に、お蕎麦屋さんが開店しています。tetsudaさんの手にかかると、どのようなレポートになるのか楽しみです》という情報をいただいた。

会社の先輩が運営されている「いぐいぐサイト」にも同様の情報が入っていたので、早速8/28(木)に訪ねてみた。
※いぐいぐサイト(お洒落で楽しい奈良のグルメ情報サイト)
http://www1.kcn.ne.jp/~iguchi/

大宮幼稚園(奈良市大宮町2丁目1-16)は、「ホテル日航奈良」西側の大通りを少し北に上がって西側にある。その西に「出雲そば だんだん」がある。幼稚園の位置さえ間違えなければ、ごく分かりやすい場所だ。
http://local.yahoo.co.jp/detail/spot/ccd54388327edffa3750245de168cb49/

「だんだん」とは、出雲の方言で「ありがとう」の意味だ。9/29に始まるNHK
朝ドラのタイトルも「だんだん」(ヒロインは双子のマナカナ)で、松江などが舞台になる。

お店の人によると、オープンしたのは約1週間前の8/20(水)だという。ピカピカの内装は民芸調で、長椅子には畳表が貼ってあり、何だかホッとする造作だ。

説明書きには《出雲そばは殻のまま、ひきぐるみにしたそば粉を使った太めの茶色っぽい地肌を持った香りの強いそばである。ねぎ、大根おろし、のり、削りかつお節につゆをかけてたべる。割子(わりこ)そばは代表的なもので、野趣に富んだ、そして素朴な風習として、出雲地方に守り続けられている》とある。

もう1つ付け加えると、濃いツユも特徴で、かけ過ぎないよう気をつけなければならない。注文したのは写真の「割子そば」(840円 追加は1枚280円)だ。オープン記念として「出し巻き玉子」がサービスでついてきた。



想像していた通り、香り高い「ひきぐるみ」のそばだった。たっぷりの薬味をかけていただいた。煤竹(すすだけ)風の竹の割り箸も良い。合いの手に出し巻き玉子をつつくと、これがそばによく似合う。美味しく3枚いただいてそば湯(写真奥)を飲み干すと、ちょうど良い腹具合になった。

入店した時(午後7時頃)は、お客は私1人だったが、そのあと2組・5人のお客が来て賑やかになった。メニューには、釜あげそば(840円)、天ざるそば(1470円)、炊き込みご飯(260円)などの単品のほか、かきあげ付膳(割子2枚、ご飯、小鉢、漬物がついて1260円)や天ぷら付膳(1580円)のほか、おトクな1000円のセット(割子、天ぷら、きつね、玉子とじのいずれかと炊き込みご飯)もある。

美味しいそば屋さんは近鉄奈良駅周辺には多いが、この辺りでは珍しい。手軽に本格的な出雲そばが楽しめるお店である。いちどお訪ねいただきたい。

※出雲そば だんだん 奈良市大宮町2丁目2番34号
℡ 0742-30-6566 営業 11:00~16:00/17:00~20:00
月曜休(日・月連休あり) そばがなくなり次第閉店 P2台
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“水源地の村”からの提言

2008年08月30日 | 林業・割り箸
8/27(水)、川上村の「森と水の源流館」が主催するシンポジウム「“水源地の村”からの提言『地域をいかす環境教育とは』」を聞きに行った。開催場所は、橿原市商工経済会館(橿原神宮駅東口)7階大ホールだった。
http://watashinomori.jp/news/2008/20080821_44.html

シンポは3部構成で、森林ジャーナリスト・田中淳夫氏の基調講演、学校関係者の報告、田中氏と辻谷達雄氏(森と水の源流館館長)との対談、と盛りだくさんだ。


冒頭で挨拶される川上村・大谷村長

私の目当ては、田中淳夫氏のお話であった。これまで田中氏の著書は何冊か拝読している。とりわけ07年5月に刊行された『割り箸はもったいない?』(ちくま新書)は、胸がすく快著であった。「マイ箸」運動など「割り箸は森林破壊だ」という誤解を解くための材料が、ぎっしり詰まっている。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063649/

私も吉野杉の割り箸には以前から関心を持っていて、インターネット新聞に記事を書いたことがある。今は吉野の林業問題を考えるための端緒として、間伐材利用のことなどをリサーチしているところだ。
※割り箸鑑定団(JanJan)
http://www.news.janjan.jp/business/0404/0404082947/1.php

まず、田中氏の基調講演「吉野林業は 学びの“びっくり箱”」から印象に残ったフレーズを拾うと、
○植林(造林)の発祥地は吉野である。今も残る人工林には、樹齢400年の杉(慶長杉)があるが、最古のものは1501年という記録があり、世界最古といえるのではないか。

○この造林法を確立し、吉野林業中興の祖と仰がれるのが土倉庄三郎(どくら・しょうざぶろう 1840~1917)である。乱伐により国内の森林率が45%にまで低下していた明治時代、政府は「吉野に見習え」と指令したことで「土倉式造林法」は全国に広まった。おかげで現在、森林率は67%にまで回復している。
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/100furusato/html/furusato063.htm

○吉野林業の特徴は「密植・多間伐・少主伐」である。1haに1万本以上植えて間伐を繰り返し、100年後に1haあたり100本の大径木を伐る。この間伐材を商品化(床柱、足場用の丸太、三宝・割り箸 など)して収入源とするのが吉野林業の特徴であった。


田中氏の基調講演

○しかし現在、吉野の林業は低迷している。森を作ることには成功したが、林業が成り立たなくなった。森林蓄積は増えるが、間伐などの手入れが不十分で、山が荒れている。間伐材を利用した新商品の開発も怠り、植林→間伐・商品化→主伐→植林というサイクルが回らなくなっている。
※このシンポに関する田中氏のブログ記事
http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2008/08/post_e46d.html

田中氏が師と仰ぐ辻谷氏との対談(森林放談)でも、鋭い指摘が続く。
○吉野の林業家に、林業が元気な他県の状況を伝えても聞き流すだけで、それを参考にしたり採り入れようとする気がない(逆に他県の人だと、すぐ現地に見に行って確かめようとする)。

○川上村は約20年前に「ホテル杉の湯」をオープンさせ、林業から観光へと舵を切ったようだが、ハコ物(ハード)ばかり作っても、ソフトがなければ観光客は1度来たら2度目は来ない(リピーターにならない)。

○手間暇かけて育てた吉野材は安売りすべきでなく、他県にはない特徴で高く売る工夫をすべきだ。例えば、木材1本ごとの歴史を調べ、文化やロマンを感じさせるとか…。


森林放談

吉野の林業が疲弊しているのは事実である。昔ながらの日本家屋が建たず、銘木や良質材へのニーズは減少している。山林経営の規模が小さく、ハウスメーカーが希望する大ロットでの出荷ができない。林道が整備されていないので、切り出しコストも高い。木が売れないので手入れもされず、放置されている森林が多い…。

辻谷氏は「材価(木材価格)が上がれば全て解決するのだが」という。中国やロシア材の供給減から材価はジワジワと上がってきているが、吉野材の伐り出しコストが回収できる価格にはほど遠い。多くの人手と時間を要する「土倉式造林法」は、もはや現代の林業には合っていないのではないか、とすら思える。

林業活性化の糸口が見えたというより、問題点が浮き彫りになった感のあるシンポジウムだった。入口(林業・木材供給側)に打開策が見つからないなら、出口(消費者・需要者側)を検討しなければならない。夏休みは終わったが、宿題はまだまだ山積している。

森林からのニッポン再生 (平凡社新書 (380))
田中 淳夫
平凡社

このアイテムの詳細を見る
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名仏いろいろ(5)大願寺の焼けずの観音&おちゃめ庚申

2008年08月28日 | 仏像
奈良検定テキスト(『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』山と渓谷社刊)の「大願寺」(宇陀市大宇陀区拾生)の項に、面白い記述があった。

《十一面観音菩薩立像は西国三十三ヶ所観音霊場の開基として名高い長谷寺の徳道(とくどう)上人が神亀元年(724)に彫ったもの、あるいは弘仁時代(810~23)の作という。明治18年(1885)に本堂が焼失した際に頭部と両腕が欠損したが、のちに発見されて復された。そのため「焼けずの観音」として、火災厄除けの霊験が加わった》《「おちゃめ庚申」の名で親しまれる漫画風の庚申石仏は天保14年(1843)の作である。寺は薬草料理でも知られる》。
http://www.mapple.net/spots/G02900061201.htm

あの堅いテキストにしては珍しく、観光ガイドに使えるような情報が載っている(本来そうでなければならないのだが、そこが執筆陣の限界だ)。だから、このお寺は気になっていたのだが、地図を見ると道の駅「宇陀路 大宇陀」のすぐ裏手だったので、8/13に宇陀松山を訪ねた折に立ち寄ってみた。



広い道路から1本入っただけなのに、一転して閑寂な雰囲気が漂う。うっそうとした木々に囲まれた山門には、「薩埵(さった)山」の文字が見える。宇陀松山藩第4代藩主・織田信武の直筆だそうだ。



門をくぐると、正面に毘沙門堂(室生山の大杉で彫った毘沙門像を祀る)、右手に本堂が目に入る。ここに観音さまがお祀りされているのだ。寺務所に声をかけると自由に参拝して良いとのことだったのでお堂に入ると、正面に「焼けずの観音」、向かって右には室生寺の観音を写したという十一面観音が祀られていた。これらの画像はネットにはあまり出回っていないので、希少価値があるだろう。


「焼けずの観音」さま


十一面観音

冒頭写真の「おちゃめ庚申」は、本堂と毘沙門堂の間の小さな祠(ほこら)の中で見つけた。なるほど、これは面白い。マンガ風ともいえるし、飛鳥の石仏とも共通したユーモラスな面持ちである。歴史街道(朝日放送)のHPによると、

《「おちゃめ庚申(こうしん)」と呼ばれる石造の青面金剛がまつられている》。《漫画的な戯画が浮き彫りされており、そのユーモラスな姿に親しみが持てる。青面金剛は憤怒の恐ろしい顔をしているのが普通で、このようなおちゃめな青面金剛は珍しい。石材は近くで産出される花崗岩を使っており、地元の石工が庚申講から依頼されて製作したと見られる》。
http://asahi.co.jp/rekishi/04-04-16/01.htm

なお、人気の薬草料理(3800円)は、予約が必要なので、ご注意いただきたい(3月下旬~12月上旬の11:00~14:00)。
http://kimonodaisuki.blog.so-net.ne.jp/2007-06-28

道の駅の裏手なので、食事や休憩のついでに気軽に立ち寄れる。道の駅には地元の名産がたくさん並んでいるし、ブルーベリーのソフトクリームも美味しい。いちどお訪ねいただきたい。
http://www.kkr.mlit.go.jp/road/michi_no_eki/contents/eki/n06_udajioouda/index.html
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すべてのそうめんは奈良に通ず

2008年08月26日 | グルメガイド
8/13の当ブログに「三輪そうめんと揖保乃糸」、8/21に「小豆島と島原のそうめん」という記事を書いた。
※三輪そうめんと揖保乃糸
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/ad76c540b6867d1cf8110f00e78da2af
※小豆島と島原のそうめん
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/74af27c6cb40a31506030d88260af5ac

揖保乃糸や小豆島そうめんのルーツが「三輪そうめん」だったことを突き止めたのだが、「もしかして、それ以外のそうめんは、全く別の系統では…」という不安が残る。私は「好きなそうめん」アンケート(07.8.14付 朝日新聞夕刊)の上位5品目を調査したのだが、念のため、残り5品目についても調べてみることにした。

なおアンケートに載っていたのは、1位.揖保乃糸(兵庫)、2位.三輪そうめん(奈良)、3位.稲庭そうめん(秋田)、4位.小豆島そうめん(香川)、5位.島原そうめん(長崎)、6位.半田そうめん(徳島)、7位.白石温麺(うーめん 宮城)、8位.五色そうめん(愛媛)、9位.北の手延べそうめん(北海道)、10位.神埼そうめん(佐賀) の計10品目だった。
http://17.pro.tok2.com/~soki/ibonoito.html

まずは6位の「半田そうめん」。冒頭の写真がそれで、太くてシッカリした麺が特徴である(8/22撮影)。四国放送のホームページによると、

《半田町の小野浜港は江戸時代中期、吉野川での帆船交通が発達していた頃に半田町の玄関口として栄えた港で、この港があったからこそ「三輪そうめん」で有名な奈良の三輪地方からそうめん作りの技術が伝えられたんです。そして、その技術を伝えたのは素麺職人ではない意外な人達でした。なんと船を操る船頭さんたちが見よう見まねで伝えたのが「半田そうめん」の始まりだったのです》。

《半田そうめんの大きな特徴であるこの麺の太さ。三輪そうめんに比べると10倍も太いんです。船頭さんたちが自分で食べるために手間をかけずに作った素麺が原形となったため「麺が太くなった」のだといわれています》。
http://www.jrt.co.jp/tv/asa630/databank/roots/011213.htm

なるほど、半田そうめんも三輪から直接伝えられたのだ。7位の「白石温麺」はWikipedia(温麺)に出ていた。

《江戸時代初めに白石に住んでいた大畑屋鈴木浅右衛門が、胃腸の弱い父親のため、旅の僧に教わった油を使わない麺の製法を苦心の末会得して創始したと伝えられる。浅右衛門は名を味右衛門と改めて温麺製造を業とした》。《油なしで細い素麺を作る製法はこれ以前に大和国を中心に上方に存在しており、その技術を取り入れたという経緯らしい》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E9%BA%BA

綿実油を使う三輪そうめんに対し、大和郡山の「石州麺」(油不入[あぶらいらず]麺)は、江戸初期に片桐石州が考案したもので、秋田の「稲庭うどん・稲庭そうめん」のルーツである。だから温麺は石州麺系である。秋田と宮城は県境を接しているから、旅の僧とは秋田のお坊さんだったのかも知れない。

なお温麺というネーミングは《その麺を父に食べさせたところ、父に食欲が戻りたちまち回復したそうな。この話は町中に広まり、白石の領主の片倉公からその温かい思いやりを誉められ「温麺」と呼ぶことになったと伝わっています》とある。
http://www.citydo.com/soumen/men/men_06.html


三輪そうめんと柿の葉寿司のセット(8/22撮影)

8位の愛媛「五色そうめん」は、一筋縄ではいかなかった。由来は「まんが五色そうめん物語」に詳しいが、簡単にいうと愛媛そうめんの歴史は、寛永年間に国替えで松山藩主になった松平定行に随行して伊勢の桑名から移住した長門屋市兵衛というそうめん商人に始まる。
http://www.goshiki-soumen.co.jp/

桑名そうめんのルーツはネットでには出ていなかったが、お隣りの四日市の「大矢知そうめん」(伊勢そうめん)の話がヒットした。

《大矢知そうめんは、約200年前(江戸時代末期)から「三重の糸」「伊勢そうめん」として知られ、農家の副業として生産されるようになりました。言い伝えによると、ひとりの旅の僧侶(そうりょ)が朝明(あさけ)川のほとりの農家に一夜の宿を請(こ)うた際、親切にもてなされたお礼として、そうめんの作り方を教えたのが起こりといわれていますが、また、播州(ばんしゅう)兵庫県、現在もそうめんの生産地であり、“揖保(いぼ)の糸”の名で知られています)からそうめん製造者が大矢知に移り住んだことが始まりとも言われています》。
http://jibasanmie.or.jp/home/2006/06/post_31.html

ここでも旅の僧が登場する。坊さんの出自は分からないが、兵庫県からそうめん業者が移り住んだという後者の説を取れば、三輪→揖保→伊勢→愛媛 というルートになる。

9位の北海道「北の手延べそうめん」は、食べたことはもちろん、聞いたこともなかった。ネットで検索してもうまくヒットしない。わずかに「NPO法人しもかわ観光協会」(上川郡下川町)のHPに「日本最北の手延べ麺の里を知る」という記述が見つかった。

《手延べ麺をはじめとする、下川町における製麺の歴史は、北海道内大手の製麺事業所である(株)菊水が「杉野製粉製麺工場」として下川町で創業したことに始まります。当時の菊水社長の杉野森一氏と町内で米穀店を営む倉本博氏が農家の副業用として「手延べ麺」の製造を考え、本場兵庫県より「手延べ」の技術を導入したことから下川町に新たに「手延べ麺」の歴史がスタートしました》。
http://www.shimokawa-kankou.jp/tenobe_top.html

(株)菊水は、よくスーパーなどで見かける「北海道名物寒干ラーメン」のメーカーだ。兵庫の手延べは「揖保乃糸」の系統だから、「北の手延べそうめん」は三輪発揖保経由のルートということになる。

最後は10位、佐賀県神埼(かんざき)市の「神埼そうめん」だが、こんな記述があった。

《寛永の中期(1630年代)に、小豆島の雲水が、諸国行脚の旅を続けているうち、神埼宿で病に倒れてしまいました。それを助け、手厚く看病してあげたのが、神埼宿の小間物振売り(行商人)でした。雲水は、感謝の印として郷里の名産である、『手延べそうめん』の製法を伝授したのが始まりだと伝えられています》。
http://men-monogatari.co.jp/hiroba/QA/menhis.html

またまた旅の僧(雲水)が登場する。そうめんと坊さんは、よほど前世の因縁が深いようだ。結局、神埼そうめんは、島原そうめんと同じく三輪発小豆島経由のルートだったのだ。

さて、これでベスト10すべてを調査したことになるが、まとめると

1.揖保乃糸(兵庫)<三輪そうめん
2.三輪そうめん(奈良)
3.稲庭そうめん(秋田)<大和郡山の石州麺(⇔三輪そうめんの改良型)
4.小豆島そうめん(香川)<三輪そうめん
5.島原そうめん(長崎)<小豆島そうめん<三輪そうめん
6.半田そうめん(徳島)<三輪そうめん
7.白石温麺(宮城)<石州麺(⇔三輪そうめん)
8.五色そうめん(愛媛)<伊勢そうめん<揖保乃糸<三輪そうめん
9.北の手延べそうめん(北海道)<揖保乃糸<三輪そうめん
10.神埼そうめん(佐賀)<小豆島そうめん<三輪そうめん

10品のうち8品が三輪そうめん系、2品がそのライバルの石州麺系ということになる(インスタントラーメンの、油揚げ麺とノンフライの2系統のようなものか)。

ふぅ~。そうめんのルーツ探しは骨が折れたし友人の助けも借りたが、これほどきれいに結果が出そろうと、私の気分はそうめんのように清々しい。

桜井市(三輪)と大和郡山市(慈光院)という違いはあるにしても、すべてのそうめんは奈良県にルーツがあるのだ。いずれ詳しく紹介するが、饅頭のルーツも奈良市である。奈良県民の皆さん、「奈良にうまいものなし」などというあらぬ誤解を払拭するためにも、そうめんのウンチクをぜひご活用いただきたい。
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宇陀松山の町並み

2008年08月24日 | 小さな旅
宇陀の松山地区(宇陀市大宇陀区)は2006年、重要伝統的建築物群保存地区(重伝建)に指定された。県下では今井町(橿原市)に次いで2番目である。
※自治都市・今井町(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/e090c2a0646a25aec5d36078d51e383e

Wikipedia「松山(宇陀市)」によると《宇陀松山城の西側の地区は古代は阿騎野と呼ばれた宮廷の狩猟場であった。現在の街区は戦国時代に国人領主秋山氏により築かれた城下町を起源とし、その後豊臣秀長配下の大名により現在の町並みの原型が形成され、地名が阿貴町から松山町に改められたとされる》。


松山西口関門(国指定史跡・この手前が冒頭の写真)

《関ヶ原の戦以降は織田信雄以後4代の支配を経て1694年からは江戸幕府の天領として栄え、明治時代になっても宇陀郡役所や裁判所がおかれるなど地域の中心として発展し、昭和40年代まで賑わったという歴史をもつ》。

私は8/13と15の両日、ここに立ち寄った。20~30年前に1度訪れたことがあるのだが、ずいぶん町並みが整備されている。道の駅「宇陀路 大宇陀」の近くに松山地区まちづくりセンター「千軒舎」があり、ここに行けば詳しい情報を提供していただける。「千軒舎」の建物は、台格子・虫籠窓・煙出しを備えた伝統的な町家で、もとは薬問屋・歯科医院として使われていた建物だったが、これを改修して03年10月にオープンした施設である。


「千軒舎」(旧内藤家)中庭

今井町は立派すぎて近寄り難い雰囲気があるが、宇陀松山は住民の生活感があり、今も現役の黒川本家(吉野葛商)、森野旧薬園や造り酒屋(久保酒造と芳村酒造)などが店を構えているので、故郷へ帰ったような親近感を覚える。「千軒舎」や「宇陀市大宇陀歴史文化館 薬の館」(旧細川家住宅)などの施設も充実している。
http://www.mapple.net/spots/G02900061604.htm


黒川本家(谷崎潤一郎ご用達)


森野吉野葛本舗(裏山が森野旧薬園)

醤油の香りに惹かれてお店に入ると「黒川醤油製造場」とあった。聞いてみると、黒川本家のご親戚で、いわば「黒川分家」であった。年季の入った杉の醤油樽も見せていただいた。家庭の必需品である醤油は、お土産にもピッタリである。
http://www.city.uda.nara.jp/04/ninteihin/c/index.html


森野旧薬園からの眺望

お土産といえば、松月堂の「きみごろも」(@105円)もお忘れなく。メレンゲに黄身をつけて焼いたもので、マシュマロのようにふわふわしていて、とても美味しい。甘さも控えめ(蜂蜜使用)なので、和菓子というより素朴な洋菓子のような趣きである。
http://www.mapple.net/spots/G02900061704.htm

このほかのお土産は、道の駅「宇陀路 大宇陀」で手に入る。併設された「新鮮野菜直売所」で買い求めた宇陀特産のブルーベリーは、粒が大きくてとても美味しかった。
http://www.kkr.mlit.go.jp/road/michi_no_eki/contents/eki/n06_udajioouda/index.html



町を歩き回ってびっしょり汗をかいたので、ここから車で3分の「大宇陀温泉 あきののゆ」に立ち寄った。夏休みとあって脱衣場は混雑していたが、浴槽はそうでもない。家族連れは、併設の温泉プール(バーデンゾーン)に向かったようである。さっぱりとしたアルカリ性単純温泉であった。
http://www.akinonoyu.com/spa/index.html


あきののゆ

大宇陀は、最近では「又兵衛桜」が有名になって春にはたくさんの人が訪れるが、他に見どころも多い。近鉄だと榛原駅、車だと名阪針インターが入口である。ぜひいちど、お訪ねいただきたい。
http://www.city.uda.nara.jp/04/index.html
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