tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

石上神宮の公式ホームページ

2011年11月30日 | 奈良にこだわる
天理市布留(ふる)町の「石上神宮(いそのかみじんぐう)」が、公式サイトを作られた(仮運用中。正式スタートは12月1日)。「古事記完成1300年」を来年(2012年)に控え、良いタイミングである。同HPの歴史(ご由緒)によると《当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました》。
※トップ写真の鶏は、「筆まめVer.8」より拝借。同神宮の境内には、たくさんの鶏がいる
 
《総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています》。
 
《当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています》。



※画像は「楽々はがき2009」より

同神宮の主祭神は「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」である。HPのご祭神(ご参拝の案内)によると《当神宮の主祭神で、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊(ふつのみたま)」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と申し上げます。韴霊とは、古事記・日本書紀に見える国譲りの神話に登場される武甕雷神(たけみかづちのかみ)がお持ちになられていた剣です》。

《またその後では、神武(じんむ)天皇が初代天皇として橿原宮にて御即位されるのに際し、無事大和(奈良県)にご到着されるのをお助けになられた剣でもあります。神武天皇は御即位された後、その御功績を称えられ、物部氏の遠祖 宇摩志麻治命(うましまじのみこと)に命じて宮中にてお祀りされました。第10代崇神天皇の7年に勅命によって、物部氏の祖 伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が現地、石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)にお遷ししてお祀りしたのが当神宮の創めです》。

ちょうど12/7(水)には、同神宮を題材としたお能「布留」が上演される。国立能楽堂の「企画公演」(観世文庫創立20周年記念 世阿弥自筆本による能)である。《当神宮を題材とした能「布留(ふる)」が、12月7日(水)東京の国立能楽堂で公演されます。能「布留」は、能の大成者とされる世阿弥(ぜあみ)の作となり、応永35年(1428)の奥書をもつ世阿弥直筆の本が観世宗家に伝来し、国の重要文化財に指定されています。今回、財団法人観世文庫創立20周年記念事業として「世阿弥直筆本による能」と題して、観世流宗家により上演されます》。

《この能は、複式夢幻能となり、当神宮の縁起を語り、女人が川で布を洗っているとその布に、川上から流れてきた剣が留まったという「布留」の地名の由来譚が説かれ、後シテが登場、神の正体が現れ、最後に神舞を舞い納めるというもので、今回宗家による復曲能となります。興味ある方は、国立能楽堂<東京都渋谷区千駄ヶ谷 TEL03(3423)1331(代)>にお問い合わせください》。

公式HPには「境内MAP」(石上神宮の歩き方)、「石上神宮フォトログ」(山の辺の杜から)、「山の辺の道[春夏秋冬]」(周辺ガイド&花ごよみ)など、楽しいページが満載である。写真がきれいだし、印刷用のPDFデータも簡単にダウンロードできる。記紀に登場する「日本最古の神社の一つ」が作られた最新の公式サイト、ぜひご覧になり、多くの方にお参りいただきたい。

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奈良の「食」 復活の10年 by こってり関西(毎日新聞 )&ミシュランガイド

2011年11月29日 | 奈良にこだわる
12/11(日)に学園前で「ミシュランで知った!奈良にうまいものあり」という講話をすることになったので、「食」に関する新聞の切り抜きをひっくり返していると、11/4付の毎日新聞夕刊(大阪本社版)の記事が出てきた。「こってり関西」という欄に、《「奈良はもむない」今は昔 原動力は郷土愛?》という大特集が掲載されていたのだ。ミシュランガイドに奈良の店が25ヵ店掲載されたことについて、「古都の復活劇」として紹介した記事である。
※トップ写真は、畿央大学での講話「3つの力(パワー)で奈良を元気に!」
3つの力とは、「もてなし力」「情報発信力」「食の魅力」である(8/28開催)

とても読みごたえのある記事だったので、以下に引用する。なお「もむない(=もみない)」は関西弁で「不味い」。語源は吉野にあり、Wikipediaには《日本書紀によると、吉野の国栖(くず)の人々は蝦蟇(ガマ)を煮たものを「毛瀰(もみ)」と呼んで食べていたという。この「毛瀰」が非常に美味しかったことから、関西では「もみない(毛瀰でない)」という言葉を「不味い・美味しくない」という意味で使うようになった》とある。
こってり関西 「奈良は、もむない」今は昔 原動力は郷土愛?
 今、奈良の食文化が元気だ。関西の老舗グルメ情報誌「あまから手帖」はここ10年、毎年のように奈良を特集、先月発売されたミシュランガイド関西版では奈良地域が評価対象に加わった。一躍、全国のグルメから注目されるエリアとなった。大阪、京都、神戸の3大グルメエリアに囲まれて忘れ去られがちだった古都の復活劇は、なぜ可能だったのか。

バブルはじけて「遷都祭」で点火 8年前は「最低ランク」
 これまで奈良の食といえば、茶がゆや柿の葉ずしなどの伝統料理が知られる程度で、「グルメ」のイメージからは、ほど遠かった。03年に地元調査機関「南都経済センター」が東京で奈良の魅力について市民アンケートしたところ、「おいしい食べ物」への評価は最低ランクだった。しかも訪問回数が多い人ほど評価が低かった。まさに、作家の志賀直哉が指摘したと言われる「奈良にうまいものなし」の言葉通りの結果だった。

上記の《「おいしい食べ物」への評価は最低ランクだった》は誤りである。《訪問回数が多い人ほど評価が低かった》も、間違いではないがいささか乱暴にすぎる記述である。この機会に、正確な調査内容を紹介しておく。この調査は03年1月24~25日、JR東京駅八重洲中央コンコース前で行われたアンケート調査で、回答者数は673人であった。内容は、南都経済センターの「センター月報バックナンバー」から「特集03年6月号」を探していただけれぱ、今でも読める。

まず、一般的に「旅行先決定のポイント」(複数回答)を問う設問があり、
1位 歴史・文化の名所がある(68.1%)
2位 自然や風景がすばらしい(65.1%)
3位 いい温泉がある(33.4%)
4位 おいしい食べ物がある(26.4%)
と続いた。なお最下位は「にぎやかで楽しい観光地」(1.2%)だった。

そのあとに「奈良のイメージ」に関する設問があり(奈良に行ったことのない人も回答している)、そのDI(「とても期待できる」と回答した人のパーセンテージから、「あまり期待できない」回答した人のパーセンテージを差し引いた数値)が出ている。
上位項目は
1位 歴史・文化がすばらしい(90.8)
2位 自然・風景が素晴らしい(80.6)
3位 落ち着ける観光地である(78.6)
4位 そぞろ歩きができる(70.8)

下位項目は
14位 おいしい食べ物がある(11.3)
15位 楽しい観光地である(0.5)
16位 ショッピングが楽しめる(△12.8)
17位 夜を楽しめる場所がある(△26.9)
と、「最低ランク」は「夜を楽しめる場所がある」であった。

また「おいしい食べ物がある」(11.3)を奈良への訪問回数別に分類すると
1位 1回・3回(17.7)
3位 0回(17.1)
4位 2回(15.0)
5位 4~9回(5.3)
6位 10回以上(△2.2)

一般的に「おいしい食べ物がある」ことは「旅行先決定のポイント」の4位なのに、奈良に「おいしい食べ物がある」という期待度は14位と低い。だから調査を担当した主席研究員の丸尾尚史さんは《奈良が観光地としての魅力を向上させ、より多くの観光客を引きつけるためには、奈良特有の「おいしい食べ物」の開発がより効果的でインパクトの強いキーファクターになりうる》という前向きの結論を導き出している。あとでも触れるが、新聞にある《「おいしい食べ物」への評価は最低ランクだった。しかも訪問回数が多い人ほど評価が低かった。まさに、作家の志賀直哉が指摘したと言われる「奈良にうまいものなし」の言葉通りの結果だった》というように単純に切り捨ててはいけない。

なお「奈良にうまいものなし」は志賀直哉の専売特許ではない。小林秀雄だって同じようなことを書いていたし(ただし「わらび餅はうまい」とした)、より強烈には嵐山光三郎がこんなことを書いていた。「今や昔」の話なので、あえて紹介しておく。小泉武夫著『不味い!』(06年1月刊 新潮文庫)の解説文である。

《奈良県にある高名な宿坊で、NHKの取材班5名と一緒に宿泊した。カチンカチンに固まったロウソクみたいなエビの天ぷらと、酸化して脂の浮いたハムカツと、海水よりしょっぱい吸物が出た。その不味さといったら、錆びた五寸釘を脳天から打ち込まれるようなシビレがあった。そのことを週刊誌に書いたところ、宿坊住職より内容証明郵便が来て、「裁判で決着をつける」といわれた。同行したNHKの取材班は、「たしかに不味かったことを証言します」と連名の署名をしてくれた。その署名のおかげで宿坊は提訴をあきらめた》。かつてはそんな時代があったのだ…。閑話休題、毎日新聞の引用を続ける。

 ところが今は様相が一変した。現在発売中の「あまから」11月号は「古都の食が動き始めています」との書き出しで、フレンチレストランや日本料理店、居酒屋など個性豊かな店を紹介している。ミシュラン関西版の最新号では、奈良市内を中心に三つ星1店、二つ星3店を含む計25店が星を獲得、先月18日の発表会ではミシュラン幹部が「奈良にうまいものあり」と高らかに宣言した。県マーケティング課の嶋本義隆課長はニンマリ顔で語る。「ここ数年の盛り上がりは肌で感じている。私たちが食事をしようとしても、なかなか予約の取れない店が増えてきた」

 この活気は、いつから出てきたのだろうか。「01年ごろには既に勢いが出始めていた」と証言するのは、「あまから」の中本由美子編集長だ。「読者から『いい店が増えている』と情報が寄せられ、調べてみると本当に高いレベルの店がいくつも見つかった」。同年10月号で「おそらく初めて」という奈良特集の掲載に踏み切ったところ、予想以上の反響があり、以来、毎年のように奈良特集を組むようになったという。


あまから手帖は2001年から毎年、奈良特集を組むようになった。11月号(実る奈良 特集)も充実しているし、約10年間の成果をまとめた『奈良 うまい店100選』という便利なガイド本も出ている。ミシュラン25か店のうち、14か店が『100選』に入っている。

「大仏商法」から脱皮
 01年といえば、バブル崩壊後にようやく訪れたITバブルが、あっけなくはじけた直後だ。この前後、奈良では大きな変化が起きた。NPO・奈良の食文化研究会の瀧川潔理事長は「かつて『奈良府民』と呼ばれた新住民のライフスタイルが変わった」と証言する。「奈良府民」とは、大阪や京都に通勤・通学し、県民意識が比較的薄い人たちのこと。県民人口の約8分の1を占めるが、外食は通勤・通学先で楽しみ、奈良には寝に帰るだけという人も多かった。しかし、一向に景気が回復しない中で財布のひもが固くなり、次第に地元の店に通い始めたとみられる。瀧川理事長は「(口の肥えた客が増えて)座ったままで努力しない『大仏商法』は通用しなくなった。外食業界で競争が起き、味とサービス、PRに力を入れる店が増えた」と推測する。


01年以降、「奈良府民」の多い新興・高級住宅地に美味しい店が続々登場するようになったのは事実である。ミシュランにも、「味の旅人 浪漫」、「食の円居(しょくのまどい) なず菜」、「蕎麦きり 彦衛門」、「花墻(はながき)」、「マスダ」、「万惣」、「ゆう座」、「ラ・カシェット」などがこのエリアのお店である(ミシュラン掲載順)。

 昨年開催された「平城遷都1300年祭」が起爆剤になったと証言する関係者も多い。県は遷都祭を盛り上げようと、02年に「奈良のうまいもの」キャンペーンをスタートさせ、特産の大和肉鶏や伝統野菜を使った創作料理などをPRした。さらに09年からは、全国の人気シェフが奈良の食材でコース料理を提供する「奈良フードフェスティバル」を開催。県の嶋本課長は「よい食材の存在が知れ渡り、県内のシェフや生産者に刺激を与えた」と指摘した。

 09年に東大寺のそばの古民家に出店したイタリア料理「イ・ルンガ」(奈良市春日野町)は、ミシュランの一つ星を獲得した。イタリアや東京で活躍した経験を持つシェフの堀江純一郎さん(40)は「イタリアでは各地に星付きの店が分散し、その土地ならではの食材を使った料理を出している。奈良は『日本のイタリア』になる可能性がある」と奈良の魅力を語った。

1300年祭の平城宮跡会場では、桜井市日本店のある「BUONO(ボーノ)」のパンや、東鮓の「遷都すしバーガー」が人気を呼んだ。奈良の地元食材に関しては、嶋本課長のいらっしゃるマーケティング課(奈良県農林部)が果たした役割は大きい。02年に始まった「奈良のうまいもの」づくり事業のおかげで、大和肉鶏・ヤマトポークや大和野菜などの美味しさが広く知られるようになった。クーカルin奈良(奈良フードフェスティバル)でも、一流シェフが大和野菜やアマゴなどの地元食材を使い、「奈良にうまい食材あり」をPRしてくださった。地元・南都銀行の食の商談会(<ナント>農商工ビジネスフェア)によるアピールも大きい。
高い潜在能力あった
フードコラムニストで「あまから手帖」編集顧問の門上武司さんの話
奈良は大和野菜などの食材が豊かなうえ、ここ10~20年で新しい街が造成され、新たな料理人が出てきた地域として潜在能力が高かった。だからこそ、あまから手帖も注目してきたのであり、ミシュランの評価も、おおむね妥当と言える。

ミシュラン掲載店のなかでも、「田舎料理 千恵」、「川波」、「清澄の里 粟」、「食の円居 なず菜」、「蕎麦 菜食 一如庵」などは、大和野菜などの地場食材にこだわった料理を提供されている。またミシュラン掲載店のうち8ヵ店ほどが、新興住宅地のお店であった。

まだまだこれから ☆☆「花墻」の古田さん
 「あまから」が名店の筆頭に挙げ、ミシュランでも二つ星を獲得した日本料理「花墻(はながき)」(奈良市学園南2)の古田俊彦さん(44)は「若手が人まねにとどまらずに頑張れば、もっと充実していくはず」と語る。90年に市中心部で開店。伝統的な町並みが残る旧市街・奈良町を経て、00年に現在地に移った。新興住宅地、近鉄奈良線・学園前駅からタクシーで10分足らず。敷地面積約560平方メートルで、野鳥のさえずりが聞こえる。「大阪か京都に出店したら」との声も多かったが、「少し足を延ばせば花や山菜を摘めるし、質の高い野菜を作っている農家もある」と奈良にこだわったという。

 全ての料理を古田さん1人で作る。昼夜各1組限定の完全予約制で、1人当たり1万1000~2万6000円。東京からの常連客も多く、翌月分まで受け付ける予約は、あっという間に埋まる。「奈良はまだまだこれから」と厳しく語るのも、古都の底力を信じているからだ。


茶々を入れてしまったが、全国紙が夕刊で全5段(1ページの3分の1)を使って「奈良はおいしい」をPRしてくれるとは、時代も変わったものである。09年7月25日、私は「けいはんな市民雑学大学」(第15回)で、「奈良にうまいものあり」という講話をさせてていただいた。この「雑学大学」は、毎月1回、京阪奈地区住民から希望者を募って開かれる公開講座である。話の中身はリンクした記事を読んでいただくとして、驚いたのは、その1か月前である。

第14回雑学大学の懇親会(打ち上げ)の席上で、司会者が「次回の演題は“奈良にうまいものあり”で、講師は、そこにいらっしゃるtetsudaさんです」と紹介してくださった。するとすかさず手が上がり、中年男性が「私は生駒に住んで大阪に通っていますが、生駒に美味しいものがないので、いつも大阪で食べて帰ります」、中年女性からも手が上がり「吉野に美味しいものはありますが、奈良に美味しいものはありません」と曰(のたも)うたのである。

そこですかさず、生駒の男性には「近鉄生駒駅から徒歩5分圏内で、美味しい店が5軒あります。次回はそのお店を紹介します」、吉野の女性には「私は母の里が吉野なので、吉野に美味しいものがあるのは存じています。しかし、美味しいものは県下各所にあります。ぜひ私の話をお聞きください」と申し上げた。生駒の男性も吉野の女性も、過去のある時期に「奈良にうまいものがない」という先入観ができ、その後、永らくその先入観から脱することがてきないでいるのだろう。奈良県の「食」事情は、この10年で大幅に改善されているというのに、お気の毒なことである。

上記アンケート(南都経済センター)の「おいしい食べ物がある」で、奈良へ4回以上行ったことがある人の評価が低かったのも、単に訪問時点が古かったからではないか(「0~3回」の人と「4回以上」の人の間に、10ポイントほどのギャップがある)。その意味でも、「奈良はもむない」は「今は昔」の話なのである。

私が「奈良にうまいものあり」を喧伝するようになったのは、02年に「奈良のうまいもの」づくり部会委員(県農林部)を引き受けて以降なので、丸10年になる。これはちょうど、あまからの中本編集長や食文化研究会の瀧川理事長がおっしゃる期間とピッタリ重なる。毎日新聞の「古都の復活劇」に引っかけて、「失われた10年」の逆、奈良の食「復活の10年」と名づけたい。皆さん、「うまいものあり」の奈良県をお訪ねください!
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12月11日(日)に講演します!(2011Topic)

2011年11月28日 | お知らせ
近鉄学園前駅の駅前に「パラディⅡ」というテナントビルがある。その6階に、このほどイベントルーム「近鉄『楽・元気』プラザ」がオープンした。沿線住民が、イベントやセミナーを無料で開催できるという有難いスペースである(ただし入場無料の催しに限る)。ここで、来たる12/11(日)14:00~15:30、私が「ミシュランで知った!奈良にうまいものあり」という講演をさせていただくこととなった。参加は無料で、フリーダイヤル「0120-841-333」(10:00~20:00 無休)で予約することになっている(定員27人・先着順)。


畿央大学での講話(8/28)

これは奈良まほろばソムリエ友の会と、同会が提携する株式会社ワイズスタッフとの連携事業として開催するもので、セミナーの模様は、ワイズスタッフが作る奈良の観光ポータルサイト「今奈良.jp」において、Ustreamによりライブ配信される。案内パンフレットには《奈良は日本の食文化発祥の地です。本セミナーでは、ミシュランガイドに掲載の店や「隠れグルメスポット」、地元食材など、「奈良のうまいもの」を紹介します》と書かれている。

10月に「第2回あしたのなら表彰」をいただいて以来、講演や原稿執筆の依頼をたくさんいただいている。話すことは嫌いではないし、文章を書くのは得意分野なので、時間の許す限りお受けすることにしている。


奈良市役所での講話(11/21)

「奈良にうまいものあり」という演題の講話は、今までに何度もしている。今回、ミシュランで25か店が星を獲得したことで、やっとそれが事実であったことが、世間に知れ渡ることになった。今回は、「うまいものなし」といわれてきた経緯や奈良の「食」に関するエピソードを交え、奈良の美味しい食べものやお店を紹介する、という趣旨である。

90分の長丁場なので、質疑応答の時間も取っている。県ビジターズビューロー制作の「三つ星グルメ」のパンフレットも、会場で配布する予定である。当日のスライド(Power Point)資料も、ほぼ出来上がった。ご都合のつく方は、ぜひ電話予約を入れられた上で、会場にお越しください!
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維盛塚と、平維盛歴史の里

2011年11月27日 | 奈良にこだわる
来年のNHK大河ドラマは『平清盛』である。清盛の孫が維盛(これもり)だ。Wikipedia「平維盛」によると《平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男。平氏一門の嫡流であり、美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称された。治承・寿永の乱において大将軍として出陣するが、富士川の戦い・倶利伽羅峠の戦いの二大決戦で壊滅的な敗北を喫する。父の早世もあって一門の中では孤立気味であり、平氏一門が都を落ちたのちに戦線を離脱、那智の沖で入水自殺した》とある。

『平家物語』巻10には、こんな文章が載っている。京に残してきた妻子を思ってこの世に未練を残す維盛に対して、滝口入道が論す場面である。古文の時間に教わったという人も多いのではないか。《まことにさこそおぼしめされ候らめ。高きも卑しきも、恩愛の道はちからおよばぬ事也。なかにも夫妻は一夜の枕をならぶるも、五百生の宿縁と申候へば、先世の契あさからず。生者必滅、會者定離(えしゃじょうり)はうき世の習にて候也》。「生者必滅、会者定離」(生きる者はいつかは滅ぶ、会えば必ず別れがある)。滝口入道の訓戒で生への執着を断ち切ることができた維盛は、那智の海に入水して果てる。維盛と親交のあった建礼門院右京大夫は、その死を悼んで「悲しくもかかる憂き目をみ熊野の 浦わの波に身沈めける」と歌を詠む…。

平維盛の真実
坂本顕一郎
文芸社

しかし、維盛が入水したというのはウソ(流言)だという話もある。Wikipediaには「伝承」ととして《維盛が入水したというのは頼朝の残党狩りから逃れる為の流言で、実際は平家の落人として紀伊国色川郷に落ち延び盛広・盛安の男子をもうけ、盛広は清水を名乗り、盛安は水口を名乗って戦国時代の色川氏の祖となったと言う説がある》。生き延びた維盛の終焉の地は、野迫川村平(たいら)であるとする説がある。

11/16(水)、野迫川村平の「維盛塚」と「平維盛歴史の里」を訪ねた。村のHPによると《平維盛は熊野・吉野の山中を流浪の末、ここ野迫川村でその生涯を終えたと伝えられています。歴史資料館では数々の資料を展示・保存すると同時に、維盛にまつわる多くの伝承を映像・ジオラマ・レプリカなどを駆使して再現しています。また、野迫川村の自然が生かされた敷地内には、維盛塚を中心に花風月の庭、ツツジ園、散策の路、展望台などが整備されています。伝説のロマンに思いを馳せ、心和む散策のひとときをお過ごしください。また、毎年7月に夏の大祭が開催されます。平家の赤旗がはためく中、野瀬川夜叉太鼓の勇壮な音が響きわたります。その他、熱気溢れるイベントをぜひお楽しみください》。



私は高野龍神スカイラインの「鶴姫公園」交差点から谷へ降り、「平維盛歴史の里」をめざした。ならリビンク.comに、詳しい情報が出ている。《野迫川村は雲の向こうにある。国道168号線から野迫川村方面に折れ、尾根伝いに険しい山をいくつもいくつも越える。役場も過ぎ、さらに山道を進むと「平」という標識が見え、次の角を曲がると集落があり「平家維盛歴史の里」と書かれた大きな看板があった》。この記者は、五條市経由で村に入ったようだ。こちらの方が奈良からは近いが、途中の道がやや狭隘である。

《ここが源平の戦いで敗れた平維盛(これもり)が最期を迎えたと伝えられている地である。平維盛は平家の黄金時代を作った平清盛の孫であり、大変な美男子であったらしい。そのためもあるのだろうか、紀伊山中には維盛に関するさまざまな伝説が残っている。「平家物語」によると、一ノ谷の合戦後、維盛は熊野に逃れ那智で入水したとされている。この地に伝わる話は少し違っており、維盛は使者として熊野別当湛増 に援助を求めに行く。しかし源氏優勢と見た湛増は援助を断り、維盛と娘を結婚させて維盛をかくまう。源頼朝が平家狩りを行う中、熊野山中各地を転々としな がら、この野迫川平の地にたどり着き、61歳で人生を終えたという―》。



《里人が彼をしのんで建てたという維盛塚が残っている。塚の向こう側は深い谷になっており、まさに自然の砦である。しかし反対側を見れば、歴史の里に作られた資料館や民家がのどかな山里の風景を作り出している。資料館は以前は管理人もいたそうだが、今は朝夕の施錠に近所の人が来るだけで自由に入ることができる。中にはこの地に伝わる維盛の生涯を記したパネルや維盛のレプリカが飾られている》。ちょうど管理人さんらしきおじさんが資料館から出てこられたので「入っていいですか」とお聞きすると「機械が故障して映像が見られないので、閉館しています」とのこと、これは残念だった。



《歴史の里の向かいに、つい見落としてしまいそうになる鳥居があった。入ると道幅より太いような高い杉の木が立ち並び、木に挟まれるように弁天社と勝手神社 という銘のついた2つの社があった。先ほどの資料館に里人が維盛の死を悲しみ神社(勝手神社)を建立したという説明もあった。その神社であろう。木々に守 られるように、山の斜面にひっそりと建っていた。800年以上も昔の話。真実がどうであったか、それは謎である。しかし落武者が隠れていたと想像すると、ここが平家の里にも見えてくる。この地には800年前と同じ静けさが残っている》。

十津川村五百瀬(いもぜ)の山中にも、平維盛の墓と伝えられる祠があるそうなので、頭の中がこんがらがってくるが、平家の落人伝承の地は、それほど各地に散らばっているのだ。野迫川村平では、毎年夏に「平維盛の大祭」が開かれている。今度は避暑がてらに、夏の野迫川村を訪ねてみることにしよう。

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巡る奈良に、公式twitterとFacebookページが登場!

2011年11月26日 | 奈良にこだわる
「巡る奈良」事業とは、滞在型周遊観光の活性化に向けて推進している県の事業である。公式HPによると《2010年に平城遷都1300年を迎えた奈良では、日本の歴史・文化が連綿と続いてきたことを "祝い、感謝"する祭典として、平城遷都1300年祭が一年間を通して行われました。平城宮跡及び県内各地を多くの方が巡り、奈良の奥深い多彩な魅力に触れていただくことができました》。
※トップ写真は、奈良公園(東大寺南大門参道脇)。11/14撮影

《この賑わいを一過性のものとせず、継承発展させ、滞在型周遊観光の活性化に向け、奈良県では「巡る奈良」事業を推進します。具体的には、官民が連携して参画する「巡る奈良実行委員会」を設立して、情報交換や情報共有化を図り、情報発信につなげたり、「祈りの回廊」や「国宝巡礼」などをテーマとした社寺等の魅力発信などの事業を展開していきます》。

目的が壮大なので、公式HPの情報も多岐にわたっている。ある程度予備知識のある私でも読みづらく「メールマガジンやスタッフブログなどで、情報をかみ砕いてもらえないだろうか」と思っていた矢先、公式twitterFacebookページができたという話を聞いた。若い職員さんのアイデアだろうが、これはヒットだ。

私はtwitterこそやっていないが、Facebookは、比較的早くからやっている。「巡る奈良」のFacebookページを閲覧していると、これがなかなか面白い。まず《「巡る奈良」の公式twitterとFacebookページを作成いたしました。奈良に関する様々な情報を発信する予定です。是非、フォロー・いいね!をよろしくお願いいたします》との前置きのあと、室生寺海住山寺金勝寺(きんしょうじ 平群町)の紅葉情報、當麻寺中之坊海龍王寺のFacebookページ紹介、中宮寺境内のストリートビューなど、ユニークな情報が満載である。県観光局も、なかなかやる!

最近は、「今奈良.jp」「奈良へ行こう!」など、面白い観光情報サイトが充実してきた。老舗の「ええ古都なら」も健闘している。そこに本家本元の奈良県観光局が、twitterとFacebookによる情報発信に参入したことは、とても意義のあることだ。大いに奈良の観光情報を発信し、「奈良にええとこ(所)あり」をアピールしていただきたいものだ。
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