tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

平城京天平祭 秋 2015 は、11月8日(日)まで!

2015年10月31日 | お知らせ
いよいよ今日(10/31)から11/8(日)まで、「平城京天平祭 秋 2015」が開催されます(公式HPは、こちら)。奈良経済新聞《「平城京天平祭秋」開催へ スターダストレビュー、元ちとせさんらフリーライブも》によりますと、

平城宮跡で10月31日から、花と古(いにしえ)のフェスティバル「平城京天平祭 秋2015」が始まる。昨年は天候に恵まれなかったものの、9日間で5万1000人を動員した同祭。今年は期間中、ビオラ、キンジョソウ、菊など約2万株の花で描く「天平花絵巻」や「花の遣唐使船」などが第一次朝堂院の広場を彩るほか、約25メートル×約20メートルの巨大迷路も登場する。

第一次大極殿特設ステージでは、11月1日=「FM OSAKA Dramatic LIVE」(13時開演、出演アーティスト=スターダストレビュー、植村花菜さん、三戸なつめさん)、同7日=古代行事を再現した「伎楽」「石見神楽」「菅野獅子舞」披露など、同8日=元ちとせさんライブ(14時45分開演)を行う。いずれも観覧無料。このほか、土曜・日曜・祝日限定企画として、奈良時代の遊び体験、天平衣装体験(有料)などを実施。約20店の飲食・物販ブースも軒を連ねる。

奈良県まちづくり推進局平城宮跡事業推進室の片山さんは「花に彩られた平城宮跡の景色や建物をご家族連れなどで楽しんでいただければ」と来場を呼び掛ける。期間中の土曜・日曜・祝日は、近鉄西大寺駅南口から奈良観光周遊バス(100円)のほか、近鉄奈良駅やJR奈良駅西口などから「ぐるっとバス」(100円)も運行する。開催時間は10時~16時。入場無料。11月8日まで。

片山さんが登場されていて、驚きました。ネットでは早くも「巨大迷路」が話題になっています。私も明日は平城宮跡へ足を運ぶ予定です。皆さんも、ぜひどうぞ!



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古墳クッション大博覧会、11月3日(火・祝)まで。限定販売も!(2015 Topic)

2015年10月30日 | お知らせ
ユニークな前方後円墳型のクッションで知られる「宇宙椅子」のフクトククニヲさんが、こんな企画展を開催される。今回はレアな「旅する古墳クッション」の写真集とポストカードの限定販売も行われる。数量限定なので、ご希望の方は、ぜひお早めに! 宇宙椅子のHPによると、

2015年10月30日(金)~11月3日(火・祝)の5日間、宇宙椅子アトリエにて「古墳クッション大博覧会」を開催させていただきます。たくさんの古墳クッションが並ぶ企画展、宇宙椅子とご縁のあるたくさんのアーティストの方々にも作品、ワークショップで参加していただくことになりました!

古墳モチーフ作品、グッズ販売、日替わりゲストと盛りだくさん!古墳クッションが気になる方はもちろん、古墳クッションユーザーさんの里帰り古墳クッション、うちのコ(古墳クッション)自慢などもお待ちしております。古墳クッションをキーワードに奈良でみなさまと楽しく交流できたらと思っています。この機会に宇宙椅子のアトリエにぜひ遊びにいらしてください。

参加アーティスト:(他にも飛び入りがあるかも!)
kunea、豆パン屋アポロ、香豆舎、プティ・マルシェ、okazari、Fairytale、The Cozy Garden、Ruby Flower、nico、こまひとみ、cookies、haiji、ハルモモ手芸店、みわはんこ、
伊藤壮(古墳にコーフン協会)、maki rie(come come* はにコット)etc…

『古墳クッション大博覧会』
日時 :2015年10月30日(金)~11月3日(火・祝) 11時~17時
場所 :宇宙椅子cosmic re-chair
奈良市多門町35-2(近鉄奈良駅より徒歩15分)

※お車で来られる方へ。会場に駐車場はございません。付近は道が大変狭く車が抜けられなくなる可能性がございます。近隣の(転害門付近など)有料駐車場などをご利用ください。
期間中は正倉院展の開催のため奈良駅周辺は道路の混雑が予想されます。公共交通機関でのお越しをおすすめしております。
入場無料・期間中無休 お問い合わせ:090-9864-1927(フクトク)


人気の古墳クッションの購入については、こちらのサイトをご覧いただきたい。とても楽しそうな「古墳クッション大博覧会」、ぜひ電車と徒歩でお訪ねください!
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いよいよ明日(10/30)、九度山町で講演会!「真田幸村が生きた時代」(2015 Topic)

2015年10月29日 | 九度山町
来年(2016年)のNHK大河ドラマは「真田丸」、主演は半沢直樹こと堺雅人。これにちなんだ講演会が明日開かれる。「戦国武将 真田幸村が生きた時代~真田三代 幸綱・昌幸・信繁(幸村)の史実に迫る」が、10/30(金)19:00~20:30 九度山町ふるさとセンター5階ホールで開催されるのだ。講師は戦国史がご専門の平山優(ひらやま・ゆう 山梨県立中央高校教諭)さん。聴講は無料で要申込。主催は九度山町商工会(和歌山県伊都郡)だ。概要は、
※トップ写真は「真田丸」の出演者発表会、Girls Channelから拝借

●日時 平成27年10月30日(金)午後7時~午後8時30分
●場所 九度山町ふるさとセンター5階ホール(九度山町役場隣)
■主催 九度山町商工会
【お問合せ・申込先】九度山町商工会TEL 0736-54-4268 FAX 0736-54-4278
(月曜日~金曜日の午前8時30分~午後5時15分)

現時点では、まだ残席があるとのこと。皆さん、ぜひお電話でお申し込みください!

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日本仏教の危機~僧侶がみずから祈りを取りもどすこと by 田中 利典 師

2015年10月28日 | 奈良にこだわる
今日は田中利典師がブログ(前半後半)とFacebookに連載されている「田中利典 著述を振り返る」シリーズから、「日本仏教の危機~僧侶がみずから祈りを取りもどすこと」(2010年12月 中外日報「論壇」)を紹介する。利典師は、もと金峯山修験本宗宗務総長で、現在は金峯山寺宝勝院住職・代表役員、大容山林南院住職・代表役員を務めておられる。
※トップ写真は吉野山。田中利典師のFacebookから拝借

5年前、中外日報社から「日本仏教の危機について」ということで依頼された論壇の記事です。

1.葬式仏教の危機じゃないの?
友人から「日本仏教って危機なの?」と聞かれた。「そりゃあそうでしょう。日本仏教って危機的じゃないの。ここ数年、お寺を取り巻く状況は悪化の一途をたどっているよ。たとえば、『おくりびと』って映画には僧侶は出てこなかった。葬送の場に僧侶が不在だった。

『千の風になって』が流行ったけど、お坊さんまで「私のお墓の前で泣かないでください~♪」と歌う。島田裕巳氏の『葬式は、要らない』って本もよく売れた。それから、イオングループが葬祭業に参入し、死者を弔う心も一種の経済行為としての見方に拍車をかけた。読経や葬送儀礼のない直葬や無宗教葬は、どんどんと広がっている。檀家離れや無縁社会が現出し、肝心のお寺自身も後継者不足が問題になっていて、日本仏教は間違いなく危機に瀕しているんじゃないの」私はそう答えた。

だが、友人は反論する。「でもそれって、葬式仏教の危機であって、それが日本仏教の危機ということにはならないんじゃないのかなあ……。だってさ。仏教そのものは、一般の人の間では、関心は高まってるよ。仏教書はよく売れている。上座部仏教系の気づきの瞑想の本とか、ダライ・ラマ法王をはじめチベット仏教系の本は、書店で平積みになっている。ここ数年の仏像ブームはすごいよね。奈良・平城遷都1300年祭がらみでは、寺院を訪れる人はすごく増えたんじゃないの。君の寺だって、昨秋に12万人が押し寄せたんでしょ。だから、どこが日本仏教の危機なのよ」──なるほどなあ、そう言われたら、そうかなあとも思う。でもやはり、日本仏教は危機を迎えているように思えてならない。

2.多くの寺院は葬祭仏教を基盤にしている
10年ほど前だが、私がまだ全日本仏教青年会の副理事長だったときに、「葬式仏教をぶっとばせ!」というテーマで全国大会を京都で行ったことがある。そのときの大会記録を『葬式仏教は死なない』(白馬社刊)として出版した。その中で全国の寺院にアンケート調査を行い、調査報告を掲載した。全調査の8割以上が、葬儀や年忌法事、墓地管理など葬祭関連によるお布施収入に頼っていた。やはり今の日本の多くのお寺の実態は、葬祭と法事で経済基盤を成り立たせているのである。葬祭仏教の危機は日本仏教の危機に直結している……。寺の内側から見て、正直にそう感じたし、今もそれは変わらない。

ところで、私は実は葬儀をしない僧侶である。寺はあるが檀家はない。信者さまを相手に、加持祈祷を専職にしている祈願寺院である。もちろん葬式ができないわけではなく、頼まれればしないこともないし、法事や年忌のお勤めもさせていただくこともあるが、それが主たる法務ではない。だから檀家制度の崩壊と、葬祭仏教の衰微は、逆に我々にとって大きなチャンスなのだ……って言える立場にいるのかもしれない。が、ことは、そんな簡単なことではない。

3.その時代に生きた僧侶たちが血の滲むような努力をつづけてきたからこそ
6世紀中頃、日本に仏教が公伝して以来、仏教は国家的な規模による繁栄とともに、幾多の危機も迎えている。豊臣秀吉の時代、刀狩りが行われ、寺院にあった僧兵達は武装解除して寺は武力を失う。武力を持った寺院が日本の仏教にとってよいことだったかどうかは別だが、それ以来、政治に対して発言力を失ったことは間違いない。江戸時代の寺請制度・檀家制度は、寺院の経済基盤を安定させたが、しかし布教の自由はなく、葬祭仏教となって、いきいきとした活力は奪われてしまった。


 体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)
 田中利典
 集英社

明治の「神仏分離・廃仏毀釈」による打撃も日本仏教の形を大いに変容させた。そして大東亜戦争の敗戦による農地解放は、寺院の経営基盤であった田畑などを大いに失い、これによって葬祭儀礼に収入を依存する体質や実子相続などの形が一般化した。戦後は新興宗教が活発に起こった。また都市化による核家族化が進み、檀家離れに拍車をかけた。

しかしながら、大きな節目ごとに、その時代に生きた僧侶たちが血の滲むような努力をつづけたからこそ、現代にまで、曲がりなりにも日本仏教の法灯は守られてきたのだと思う。それはまた僧侶だけの努力ではなく、日本人全体が先祖供養や現世利益などの祈りを通して、やはり日本仏教を心のよりどころとして求め、存続させてきたのだと思う。

4.本当の日本仏教の危機とは
人の生き死には人生最大の問題である。そこに宗教が必要とされるのは世の東西を問わず、そして長い人類の歴史を通じて変わらないことだったはずである。けれども、いまやその厳粛な場に僧侶が必要とされない社会となってきているのだ。それがもし本当なら、人生の厳粛なる節に、祈願などの場さえも生まれない。そしてそれは、祈りを喪失させた社会をも生むことになるであろう。

先祖供養や死者儀礼は現世利益と表裏一体でやってきたのが日本仏教だった、と私は思っている。そこにこそ、祈りがあったのだ。人々の心に祈りの心があり、僧侶の祈りが必要とされてきたのである。映画『おくりびと』で僧侶がいなかったことも、「私のお墓の前で泣かないで下さい~♪」と歌う心も、『葬式は、要らない』のベストセラーも、イオングループのビジネスモデルも、どこか、僧侶自身の祈りの喪失とつながっているような気がする。社会ぜんたいで祈りの喪失という現象は、今後ますます拍車をかけるにちがいない。実はそこが今の日本仏教の危機たる本当の所以なのではないだろうか。──そう私は思っている。

5.まず僧侶自身が祈りを取り戻さなければならない
まず、僧侶自身が祈りを取り戻さなければならない。 仏に祈りもしない僧侶が死者儀礼や加持祈祷などに携われるはずがない。世間の人たちが祈りを忘れているのは、しっかりと祈る僧侶がいないからなのではないだろうか。

その現れをもっとも顕著に感じるのが葬儀の場だ。祈りの心を伝えられない僧侶が増えている。たんなる儀式の執行者になっていないだろうか。人の生き死にの場で、祈りを期待されないような僧侶では意味がない。葬祭の場こそ、僧侶がみずから祈りの心をお伝えする機会なのだと思う。

あるいは、仏像は見るものではない。拝むものであり、祈りの対象である。そこにも僧侶が祈りの体現者として登場していなくてはならない。博物館の管理人のようなことではダメなのは言うまでもない。祈りのない、拝む心のない仏像ブームは仏教の自滅であるとさえ、僧侶は思わなくてはならないだろう。祈りを取り戻すこと、私はそれをなにより大切にしていきたいと思っている。


執筆から5年。…そろそろ仏教界側からも、いろんな動きが起こっているように思う。それも若い世代の人たちの中からである。この3月末に金峯山寺の役職を私自身離れ、それを契機に、管長・総長職以下、平均年齢40歳代という、金峯山寺の体制は考えられないくらいの若返りを果たしたが、そういう中でしか、大きな変革はなしえないのかも知れない。ただ、単に若返っただけでは意味がない。若年寄のような思考ではなく、激動の現代に向かって船出をしてほしいものである。

私は…といえば、である。私はしばし、「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」という吉田兼好法師の態で、1,2年は、自らを眺める時間を持ちたいと思っている。折角の還暦退職を大事にしたい。それも運命であり、仏縁でもあるのだから。5年前の記事を読み返してみて、しみじみと思う秋である。


現代社会では祈りの心が失われている、まずは僧侶自身が祈りを取り戻さなければならない、と語る利典師の言葉には千鈞の重みがある。現代日本人の心のありようをいま一度考えさせてくれるお話だった。利典師、有難うございました!
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チャイナダイニング飛天の担々麺

2015年10月27日 | グルメガイド
ラーメン好きの人から、よく「奈良市内には、担々麺の美味しいラーメン屋さんはありませんか?」と聞かれる。担々麺のあの四川風の独特の味は、時々無性に食べたくなることがある。「東向商店街にある『チャイナダイニング飛天』の担々麺がおススメです」とお答えすると、決まって意外な顔をされる。ラーメン専門店ではないからだ。しかし、ここの担々麺は絶品である(「石焼きマーボー丼」と双璧)。久々に食べたくなって、ランチタイムにお邪魔した。

訪ねたのが日曜日(10/25)だったので、お店はたくさんのお客さんで賑わっていた。通常メニューには「自家製 胡麻たっぷりタンタンメン(担担麺)」860円(税込み928円)が載っていた。一方、ランチメニューには「四川タンタン麺ランチ」(四川タンタンメン・ご飯かサラダまたはデザート)870円(税込み)とあった。「こちらのメニューとランチメニューの担々麺は違うのですか?」とお聞きすると「いえ、全く同じです」。迷わず「四川タンタン麺ランチ」を注文。付け合わせは少し迷って「サラダ」を注文した。



運ばれてきたのが写真の「自家製 胡麻たっぷりタンタンメン」だ。
お店のHPには《おなじみタンタンメンは四川料理の代表格。辛さだけでなく胡麻の香りもいっぱい》とある。Wikipedia「担担麺」によると《1841年ごろ、四川省自貢の陳包包というあだ名の男性が考案して、成都で売り歩いたと言われる。もともとは、天秤棒の片側に豆炭を使う七輪と鍋を、もう一方に麺、調味料、食器、洗い桶などを吊して、担いで売り歩いた。鍋はまん中に区切りがあり、片方には具を、片方には湯を入れるようにしていた。暖かく、辛い麺を出したのが受けて流行ったという》。「担担」は成都の方言で「天秤棒」のことだそうだ。なるほど「担ぐ」の担なのだ。



また《日本の担担麺は、麻婆豆腐と同様に、四川省出身の料理人陳建民が日本人向けに改良した作り方を紹介して広まったと言われる。一般に中国のものと比べて直径で1.5倍以上、場合によっては3倍ほどの碗で出され、日本のラーメンのように一杯で一食が事足りるようになっている。そして、辛さをおさえるためにラー油と芝麻醤の風味を効かせたスープを合わせ、汁麺として出されることが多い》。芝麻醤(チーマージャン)は、練り胡麻ベースの調味料なので、これを使うと「胡麻の香りもいっぱい」になるという按配である。


まずはスープを一口。唐辛子の辛さに濃いゴマの味がミックスして、マイルドな味に仕上がっている。トッピングの肉そぼろを混ぜると、また深い味になる。うーん、やはりここの担々麺は美味しい! ストレートの中太麺が、このスープによくマッチする。

「食べ順ダイエット」の原則に従い、スープ、野菜サラダ、麺の順番にいただいた。しかし最後になって「やはりご飯を頼んでおけば良かったなぁ」と後悔した。残ったスープにご飯を混ぜていただくと、とても美味しそうだったからだ。「追加でご飯を頼もうか」という誘惑を断ち切り、スープを残して毅然として立ち去った(しかし、少しは後悔している)。

とにかく奈良の東向商店街という便利な場所でいただける絶品の担々麺、ぜひお試しください!
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