tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良少年刑務所で 改装前 最後の見学会/事前申し込み制で 7月16日(日)開催!(2017 Topic)

2017年05月31日 | お知らせ
7月16日(日)、ホテルとして生まれ変わる「奈良少年刑務所」で、リニューアル前としては最後の見学会が開催される。産経新聞のニュースサイト(5/29付)によると、
※トップ写真は松永洋介さん(ならまち通信社主宰)のFacebookから拝借

奈良少年刑務所を7月16日に一般公開へ、改装前の最後の公開
奈良市は29日、国の重要文化財に指定された同市の奈良少年刑務所について、7月16日に一般公開すると明らかにした。秋以降はホテルなどに活用する事業が本格化するため、改装前の最後の公開となる。

同刑務所は明治政府が全国に建設した「五大監獄」で唯一現存し、老朽化のため3月末に閉鎖された。今回は、矯正展などでは非公開だった受刑者の舎房や実習場も見学できる。活用事業では、ホテルへのリノベーションや、刑務所の歴史を伝える史料館の建設が計画されている。

7月16日は、事前申し込み不要な自由見学会を午後1時と2時、4時からの3回実施。午後3時からのガイド付き見学会は、奈良市教育委員会文化財課に事前申し込みが必要。問い合わせは同課、電話0742(34)5369。


奈良市の公式HPはこちら。市の報道資料(PDF)に、より詳しく紹介されている。それによると、

■内容
見学指定区域(庁舎・中央監視所・舎房・工場・教室など)を見学していただきます。矯正展の見学会では入れなかった区域も見学していただく予定です。

1.市内中高生(教員含む)限定見学会(午前)
1 回目 午前 10 時~ 2 回目 午前 11 時~
定員は各回 50 名とし、事前申込み制とします。(市内在住・在勤・在学の中高生及びその
教員であれば申込み可)。各回とも開始 10 分前までに表門周辺に各自で集合してください。法務省からの特別授業と記念品があります。

2.自由見学会(午後)
1 回目 午後 1 時~ / 2 回目 午後 2 時~ / 3 回目 午後 4 時~
自由に見学していただきます。要所にガイドを配置します。事前申込み不要ですが、各回 200 名程度を予定しております。

3.ガイド付き見学会(午後)
午後 3 時~ 開始 10 分前までに表門周辺に集合してください。定員は 100 名とし、事前申込み制とします。25 人程度を 1 グループとしてガイドに引率してもらいます。

4.講演会(午後)
午後 2 時~(約 60 分) 講演会場(体育館)に直接集合してください。定員は 200 名とし、事前申込み制とします。
講演テーマ及び講師
「赤れんがの監獄が物語る明治の近代化」 京都工芸繊維大学石田潤一郎教授
「(仮)今後の保存・活用について」 法務省担当者

■参加費 無料

■アクセス方法
「近鉄奈良駅」または「JR奈良駅」から、「青山住宅行き」または「州見台八丁目行き」バスに乗車 般若寺バス停で下車し、徒歩 3 分 会場には駐車場を準備していませんので、公共交通機関での来場をお願いします。

■申込み
「①市内中高生(教員含む)限定見学会」と「③ガイド付き見学会」及び「④講演会」は、6 月 1 日(木)から 6 月 30 日(金)まで事前申込みを受け付けます。申込み方法は、
メール・FAX・往復はがき(6 月 1 日より郵便料金が改定されますのでご注意ください)に必要
事項(参加希望プログラム①・③・④ 住所・氏名・年齢・電話番号)を明記のうえ、奈良市教育委員会文化財課まで。
メール bunkazai@city.nara.lg.jp / FAX 0742-34-4859
往復はがき 〒630-8580 奈良市二条大路南一丁目 1-1
各プログラムとも申し込み多数の場合は、抽選とします。抽選の有無に関わらず、参加通知をお送りします。(落選の場合も通知します。)


「2.自由見学会」であれば申し込みは不要だが、各回の人数が多いので十分な説明が受けられそうにない。やはりここは、午後2時からの「4.講演会」と、午後3時からの「3.ガイド付き見学会」に申し込んで、じっくりと学んでから見学したいものである。

申し込みは明日からスタートする。皆さん、ぜひお申し込みください!
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寮美千子さんの講演会「詩が開いた心の扉~奈良少年刑務所での試み~」/紀州・九度山で 8月5日(土)開催!(2017 Topic)

2017年05月30日 | お知らせ
私の生まれ故郷・九度山町(和歌山県伊都郡)の「ふるさとセンター」(町役場の敷地内)で8月5日(土)、詩人・寮美千子さんの講演会「詩が開いた心の扉~奈良少年刑務所での試み~」(14:00~15:30)が開催される。入場無料・申し込み不要。寮さんのHPによると、

■寮美千子講演@九度山町「詩が開いた心の扉~奈良少年刑務所での試み~」
日時:8月5日(土) 13:00開場 14:00~15:30
 ※13:30~55開会行事、15:30~40質疑応答
場所:九度山ふるさとセンター (南海高野線「九度山」駅より徒歩6分)
和歌山県伊都郡九度山町九度山1190-1
料金:無料
申込:不要
主催:伊都地方人権教育研究協議会・伊都地方PTA連合会
後援:橋本市・かつらぎ町・九度山町・高野町・伊都地方教育委員会連絡協議会・伊都地方社会教育委員連絡協議会・伊都地方父母クラブ連絡協議会・伊都郡橋本市公民館連絡協議会

寮美千子、和歌山県九度山町での講演です。第11回伊都地方教育講演会。奈良少年刑務所での教育と、「奈良少年刑務所詩集」について話します。どなたでも無料で聴講できます。本の販売もあります。お近くのみなさま、ぜひ。


 空が青いから白をえらんだのです ―奈良少年刑務所詩集―
 寮美千子編
 新潮文庫

寮美千子さんは、奈良少年刑務所の「社会性涵養(かんよう)プログラム」の講師を務めておられた。受刑者たちの詩集『空が青いから 白をえらんだのです』(寮美千子編)は、私の愛読書である。本書の「はじめに」に、寮さんはこう書かれている。

この詩集は、奈良少年刑務所の更生教育である「社会性涵養プログラム」から生まれた作品を中心に57編を編んだものです。「詩」は、閉ざされた彼らの心の扉を、少しだけ開いてくれました。

詩など、ほとんど書いたことのない彼らには、うまく書こう、という作為もありません。だからこそ生まれる、宝石のような言葉たち。心のうちには、こんなに無垢で美しい思いが息づき、豊かな世界が広がつています。

そこから垣間見える、彼らのやわらかな心、やさしさや苦悩。彼らはいつか、あたりまえの心を素直に表現できるようになるでしょうか。

あたりまえの感情を、あたりまえに表現できる。受けとめてくれる誰かがいる。それこそが、更生への第一歩です。受刑者たちの心の声に、どうか耳を傾けてみてください。


本のタイトルの「空が青いから 白をえらんだのです」も、「くも」と題する1編の詩である。寮さんはこんな解説を書いている。

Aくんは、普段はあまりものを言わない子でした。そんなAくんが、この詩を朗読したとたん、堰(せき)を切ったように語りだしたのです。「今年でおかあさんの七回忌です。おかあさんは病院で『つらいことがあったら、空を見て。そこに私がいるから』とぼくにいってくれました。それが、最期の言葉でした。おとうさんは、体の弱いおかあさんをいつも殴っていた。ぼく、小さかったから、何もできなくて……」

Aくんがそう言うと、教室の仲間たちが手を挙げ、次々に語りだしました。(中略) たった一行に込められた思いの深さ、そこからつながる心の輪。「詩」によって開かれた心の扉に、目を見開かれる思いがしました。


母親を詠ったこんな詩もある。タイトルは「誕生日」。

小さいころは いつも手を引いてもらったのに
いつのまにか その手を拒み 避けてきた

「産んでくれなんて 頼んでない」
勢い余って そう言ったとき 泣き崩れた母

きょうは わたしの誕生日
それは あなたが母になった誕生日

産んでくれなんて 頼まなかった
わたしが自分で
あなたを親に選んで 生まれてきたんだよね

おかあさん 産んでくれてありがとう


消すことのできない過去を背負った受刑者のLくんは「まほうの消しゴム」という詩を書いた

なんでもかんでも 消せる消しゴム
いやなことや
いろんな人に迷惑かけたこと
こんな自分を 消せる消しゴム
そんな消しゴムが あったらいいな

最後に、こんな初々(ういうい)しい詩を紹介しておく。タイトルは「雨と青空」。

ざんざんぶりの雨のなか
水玉のカサをさして
花柄のスカートが少し濡れて
かわいくって 恋におちました

窓から見える 青い空
ぼくの好きな人も 見ているかな


寮さんが紀州・九度山で、どんなお話をされるか楽しみである。紀北にお住まいの皆さん、ぜひ足をお運びください!
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世界宗教としての仏教(仏教の普遍性について)/田中利典師

2017年05月29日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)で、種智院大学客員教授の田中利典(りてん)師が、ご自身のFacebookとブログ「山人のあるがままに」に、こんな文章を載せられた。

「ほんまに朝(5/28)、起きて、勤行をしながら、ふいに思ったことをざーと書いたので、推敲も、原典確認もできていない乱暴なものです。ま、神が降りてきて書いたものということで…」ということだが、これだけの文章を「ふいに思ったことをざーと」書けるということ自体が、すごい。長文なので、まずは抜粋版を紹介し、最後に全文を紹介させていただく。

Ⅰ.仏教の普遍性について(tetsudaによる抜粋版)
仏教とは仏の教えである。仏(釈尊=お釈迦さま)が説いた教えである。そして私が仏となる教えである…という範疇を出ない。で、そこを根底に2500年間、さまざまな先人が出て、仏教を継承・発展させてきた。その継承発展こそが、仏教を世界三大宗教になさしめたのである。釈尊本来の仏教というなら、インドではとうの昔に死滅しているのだ。

釈尊が開いた仏教が各地につたわり、それぞれの風土や民族、歴史の違いの中で、なお、仏教として信仰され、根付いて来たことこそが、仏教なのだと私は思っている。

日本に伝わる仏教は、伝来当時にすでに日本古来の信仰である神道とある種の融合がうまれ、その後には神仏習合、本地垂迹説などが興って、神と仏は共存してきたのである。

現代の日本仏教界最高峰の碩学といえる高野山真言宗の松長有慶師とダライラマ法王との象徴的な面白いやりとりがある(2016年紀伊山地三霊場会議フォーラム)。

(以下「」内は松長有慶師の話)「仏教では一切衆生と言います。日本人は石ころでも命あるものとする。山や川も全て命があり、尊崇する。それがまさに自然観だろうと思うのです。しかし、そういう話をすると、いろいろな点で話が合うところと合わないところがあるのです。その点をダライ・ラマは非常に嫌っているのですね」。

「日本仏教、特に平安仏教は、天台でも真言でも、そういう意味では一切のものの中に命が含まれている。そして、天地万物が自然環境に根付き、全てのものがそれぞれ命を持っていて、自分の命と同じなのだという考え方がある。この話をすると、ダライ・ラマは『違う』と言うのです。やはり命があるのは人間であり、動物までだということです」。

「そういう議論をしてその後物別れになったのですが、それから1年ほど経ってまた日本に来られ、一緒にお昼を食べながら話しました。この前あなたが言っていた石ころにも命があるという考え方は、神道の考え方だなと言った。勉強してきたのですね」。

キリスト教、イスラム教という世界宗教は自分たちの持った普遍性を全世界に広めようとする教えである。であるから、その土地や国が持ってきた歴史や風土を破壊して、自分たちの宗教だけを広めてきたきらいがある。

仏教は同じ世界宗教と言うが、それぞれの土地や国や風土を打ち壊して打ち立てるのではなく、うまく融合して、その土地土地に根ざした信仰を育んできたといってもよいだろう。

現状の葬式仏教には、糾弾されるべき点はごまんとある。寺族(じぞく=住職の家族)による寺院の私物化をはじめ、僧侶の質の低下、葬式自体の形骸化と信仰心の希薄化などなど、数え上げればきりがない。だからといって、あんなものは仏教ではないというなら、釈迦滅後、本来の仏教などというものはこの世にそんなものは存在していないことになる、と私は思う。

しかし仏教は厳然と今も存在し、多くの人々の生きる支えとなっている。また日本でも葬儀という厳粛なる場を通じて、やはり仏教の持つ大きな力が人々の生きる支えを担う部分もゼロなどでは決してないわけだ。私は仏教が2500年にわたって持ち得た歴史自体が人類の叡智なのだと考えていて、そういう叡智が世界宗教としての仏教を仏教ならしめてきたといってもよいだろうと思っている。


 体を使って心をおさめる 修験道入門
 田中利典
 集英社新書

いかがだろう? 今まで「山川草木悉有仏性」はおシャカさまの教えだと固く信じ込んでいたが、これが神道と結びついた日本独特の思想だったとは!

「葬式仏教」と言って仏教界全体をおとしめるような人がいるが、ではその人は、お葬式を挙げてもらわなくて良いというのだろうか。

私は日本人の信仰心の根底にあるのは「祖霊信仰」(祖先崇拝、先祖祭祀とも)だと思っている。仏教は「祖霊信仰」と親和的な宗教なので、神道的な考えを取り入れながら約1,500年の長きにわた、信仰され続けてきたのだろう。

いろんなことを考えるヒントをいただいたのが「仏教の普遍性について」だった。利典師、有り難うございました。皆さん、以下の「記事全文」も、ぜひお読みください!

Ⅱ.仏教の普遍性について(利典師の書かれた全文)
仏教はいまから2500年ほど前にインドのゴータマ・シッダッタ(釈迦族から出た聖者という意味で「釈尊」と尊称される)が覚者(悟りを開く)となって開かれた宗教である。そのひろがりはキリスト教・イスラム教とならんで、世界三大宗教という。

仏教はインドでは早い段階で死滅する。今もわずかである。ないとは言えないが、インド全土では仏教とは1%にも満たない。しかし釈尊が説いた法は、その金口説(こくんじきせつ=お釈迦さまご自身の説法)に近い原型を伝えるテーラワーダ(上座部仏教=小乗仏教)系が南伝して、スリランカやタイ、ミヤンマーなどに根付いて、今も国教に近い形で多くの人々の信仰を得ている。

ダライ・ラマ法王をいただくチベット仏教も、中期後期密教の教義を包含しつつもインド純粋のテーラワーダの思想を根底にしている部分も大きいと思われる(ここはちょっと怪しいかも…)。

かたや、釈尊が入滅して500年ほど経った頃から起こったいわば宗教革命的要素で、大乗仏教系の経典が次々と編纂され、般若思想や浄土教や密教などの新しい仏教運動を生みつつ北伝して、中国、韓国、そして日本へと伝えられてきた。おおまかな流れなので、齟齬がたくさんあるが、まあ、一般的にはこんな仏教の変遷といってもよいだろう。

さて最近、日本の仏教の現状を捉えて「釈迦本来の仏教とは似ても似つかぬ非なるもので、葬式仏教など噴飯ものだ」という論がまさに正論のように語られる風潮がある。たしかに江戸時代に寺請け制度の下、日本の大方の寺院は檀家制度に組み入れられて、葬式仏教を育んできた。いま、その葬儀の現状が音と立てて変容を遂げるその論理を支える正論が、一つはそういう「本来の仏教ではない」という論調だろう。

では本来の仏教とはなんだ。仏教とは仏の教えである。仏(釈尊)が説いた教えである。そして私が仏となる教えである…という範疇を出ない。で、そこを根底に2500年間、さまざまな先人が出て、仏教を継承・発展させてきた。その継承発展こそが、仏教を世界三大宗教になさしめたのである。釈尊本来の仏教というなら、インドではとうの昔に死滅しているのだ。

釈尊が開いた仏教が各地につたわり、それぞれの風土や民族、歴史の違いの中で、なお、仏教として信仰され、根付いて来たことこそが、仏教なのだと私は思っている。

そういう意味では、6世紀半ばに公式に日本に伝わる仏教は、伝来当時にすでに日本古来の信仰である神道とある種の融合がうまれ、その後には神仏習合、本地垂迹説などが興って、神と仏は共存してきたのである。仏教本来からいうなら、日本の仏教は釈尊が説いた仏教からは遠く離れて、神道教といってもよいかもしれない。ちょっと言い過ぎた、神道と融合した仏教っていうくらいにしておこう。

現代の日本仏教界最高峰の碩学といえる高野山真言宗の松長有慶師とダライラマ法王との象徴的な面白いやりとりがある。以下、引用をする。


… ダライ・ラマ法王とは集まりの時に環境問題についての話をしました。日本人は、ものの中にも命を認める考え方を持っている。人間の道具としてものを使うのではなく、ものを命あるものとする、お互いの命の連関の中で環境問題を考えないといけない、という話です。

仏教では一切衆生と言います。日本人は石ころでも命あるものとする。山や川も全て命があり、尊崇する。それがまさに自然観だろうと思うのです。しかし、そういう話をすると、いろいろな点で話が合うところと合わないところがあるのです。その点をダライ・ラマは非常に嫌っているのですね。

あの方は、自分がインド仏教のナーランダの伝統を継いでいるのだというプライドを持っておられます。だから、インドのものの考え方をする。よく考えてみると、仏教が中国に来て、動物と植物を衆生に含めるかどうか、一切衆生悉有仏性について、中国人は盛んに議論しているのです。

インド人は、動物、植物は命を持たないものだと考えます。しかし中国では、動物までは認めるけれども植物は認めない、あるいは動物も植物も認めるのか、そういう議論があるのです。

しかし、それが一番盛んに論じられたのは日本仏教です。ですから、日本仏教、特に平安仏教は、天台でも真言でも、そういう意味では一切のものの中に命が含まれている。そして、天地万物が自然環境に根付き、全てのものがそれぞれ命を持っていて、自分の命と同じなのだという考え方がある。この話をすると、ダライ・ラマは「違う」と言うのです。やはり命があるのは人間であり、動物までだということです。

そういう議論をしてその後物別れになったのですが、それから1年ほど経ってまた日本に来られ、一緒にお昼を食べながら話しました。この前あなたが言っていた石ころにも命があるという考え方は、神道の考え方だなと言った。勉強してきたのですね。日本の仏教をそれなりに勉強してきたのです。ですから結局、仏教もそういう考えを持っていた。山や川といった命がないと思われるような全ての存在が命を持つという考えは、やはり日本に来て一番盛んになってきた。(2016年紀伊山地三霊場会議フォーラムより)


本稿では仏教の普遍性について話をしている。キリスト教、イスラム教という世界宗教は自分たちの持った普遍性を全世界に広めようとする教えである。であるから、その土地や国が持ってきた歴史や風土を破壊して、自分たちの宗教だけを広めてきたきらいがある。

いま世界を席巻しているグローバルリズムやISのイスラム原理主義っていうのは、そういうキリスト教、イスラム教が持っている価値観を基盤としているところがあるのではないだろうか。

その点、仏教は同じ世界宗教と言うが、それぞれの土地や国や風土を打ち壊して打ち立てるのではなく、うまく融合して、その土地土地に根ざした信仰を育んできたといってもよいだろう。どちらに本当の普遍性があるのか?そこのところを考えないとこれからの世界はますます困ったことになるように私は思っている。

現状の葬式仏教には、糾弾されるべき点はごまんとある。寺族(じぞく=住職の家族)による寺院の私物化をはじめ、僧侶の質の低下、葬式自体の形骸化と信仰心の希薄化などなど、数え上げればきりがない。

だからといって、あんなものは仏教ではないというなら、釈迦滅後、本来の仏教などというものはこの世にそんなものは存在していないことになる、と私は思う。ダライラマ法王の説く仏教だって、釈迦が聞いたらひっくり返るかもしれない。「わしゃ、そんなこと言うとらん」とのたまうかも知れないのである。

しかし仏教は厳然と今も存在し、多くの人々の生きる支えとなっている。また日本でも葬儀という厳粛なる場を通じて、やはり仏教の持つ大きな力が人々の生きる支えを担う部分もゼロなどでは決してないわけだ。

私は仏教が2500年にわたって持ち得た歴史自体が人類の叡智なのだと考えていて、そういう叡智が世界宗教としての仏教を仏教ならしめてきたといってもよいだろうと思っている。

あっちこっちに話が行って、味噌も糞もごった煮の話になってしまったが、ふと、朝からそんなことを思いついて、筆を走らせてみた。つっこみどころ満載である。それは私の不徳でしかない。多くの叱責が予想されるので、前もってお詫びをしておく。
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奈良をもっと楽しむ講座/中部公民館で毎月第2金曜朝に開催!参加費は@300円(2017 Topic)

2017年05月28日 | お知らせ
奈良の歴史好きの方にお薦めしたいこんな講座がある。その名も「奈良をもっと楽しむ講座」。NPO法人奈良まほろばソムリエの会の「講演講座グループ」の主催で、毎月第2金曜日の朝、奈良市中部公民館(やすらぎの道と三条通の角)で開催している。参加費はわずか300円。同会の西川さんか前田さんに電話で申し込む。イベントのチラシから抜粋すると、

まほろばソムリエの会で一緒に楽しみませんか
奈良をもっと楽しむ講座 聴講者募集


私達の住む奈良は深い歴史と伝統文化の宝庫。奈良が好きなら誰でも参加できます。講座と史跡巡りで、私達と一緒に奈良をもっと楽しみませんか。
■開催日時
毎月第2金曜日 午前 10 時~11 時 55 分頃(8月はお休みです)
■講座予定
・6月 9日「奈良とくすりの深い関係」(西 慶子) 中部公民館
 推古天皇の薬猟り~大和の薬草の魅力まで。
・7月14日「奈良にまつわる語源・ことわざ 」(山崎愛子) 中部公民館
 意外と知らない、奈良にちなんだ言葉を集めてみました。
■各講座 会場費と資料代 300 円
NPO法人 奈良まほろばソムリエの会
西川 誠 090-8524-5000
前田康一 090-3657-5445


私も以前、『古事記』の話などをさせていただいた。マニアックな話というより、奈良の歴史に関するあれこれをやさしく紹介する、という趣旨である。ぜひ、お申込みください!

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奈良少年刑務所 国内初の「監獄ホテル」に/2020年にもオープン!

2017年05月27日 | お知らせ
昨年度末に閉鎖された「奈良少年刑務所」(国の重要文化財)が、国内初の「監獄ホテル」に生まれ変わる!産経ニュース(2017.5.26 17:15)「国内初の〝監獄ホテル〟閉鎖の奈良少年刑務所の活用事業、平成32年にも開業」によると、
※トップ写真は「近代の名建築 奈良少年刑務所を宝に思う会」のFacebookから拝借

 空が青いから白をえらんだのです ―奈良少年刑務所詩集―
 寮美千子 編
 新潮文庫

法務省は26日、老朽化で平成28(2016)年度末に閉鎖された奈良少年刑務所(奈良市)の活用事業について、全国にホテルを展開する「ソラーレホテルズアンドリゾーツ」(東京)を代表とするグループを優先交渉権者に選んだと発表した。刑務所の建物がホテルになるのは国内で初めて。グループは32年のホテル開業を目指している。

■官房長官も「日本の観光が変革しつつある象徴…」
法務省によると、奈良少年刑務所は、明治政府が監獄の国際標準化を目指して建設した「五大監獄」で唯一現存。今年2月に重要文化財に指定され、閉鎖決定後に地域住民から保存を求める声が上がっていた。

グループの提案によると、旧監獄棟をリノベーションしたホテルや、刑務所の建物を眺められるホテルを新設する。宿泊料金は1万2千円から2万円台までを想定。レストランや天然温泉、刑務所の歴史を伝える史料館も併設する。史料館は31年10月にオープンする予定。菅義偉官房長官は26日の記者会見で「日本の観光政策が変わってきた象徴になるのではないか」と述べ、視察に前向きな姿勢を示した。


これは朗報だ。古都奈良に「監獄ホテル」とは、新たな「奈良名物」の誕生である。「近代の名建築 奈良少年刑務所を宝に思う会」を立ち上げた松永洋介さん(ならまち通信社)は、同刑務所の写真展のための解説(2010年3月)に、このように書かれている(松永さんのFacebookより)。

 写真集 美しい刑務所 明治の名煉瓦建築 奈良少年刑務所
 上條道夫/寮美千子
 西日本出版社

奈良市般若寺町の奈良坂の丘にそびえる奈良少年刑務所(旧・奈良監獄)は、明治41年に竣工した、五大監獄の一つ。欧米列強に国威を誇示するためにあえて壮麗に作られた明治の名建築です。設計は司法省の山下啓次郎氏。設計に至る経緯は、孫であるジャズピアニストの山下洋輔氏により詳しく調査され、同氏の小説『ドバラダ門』に記されています。

五大監獄のうち千葉・金沢・長崎・鹿児島では、完全に解体されたり、一部建物を残すのみ。全容が保存され、百年の歴史を超えて現在も使用されているのは唯一奈良だけです。わが国の貴重な近代建築遺産ですが、いまだ文化財指定を受けておらず、また、現役の刑務所という施設の性質上、見学の機会はほとんどなく、残念ながら、その文化遺産としての価値が周知されていません。

ならまち通信社の松永洋介と寮美千子は、奈良少年刑務所で2007年に始まった先進的更生教育「社会性涵養プログラム」で受刑者向けの童話と詩の講座を担当しており、刑務所の中に入って、その建物の美しさに感銘を受けました。どうにかして広く一般にこの明治建築の実像を伝えたいと考え、今回、撮影許可を申請し、プロカメラマンを東京から招いて、刑務所職員ですら目にすることがないという奥の奥まで、徹底的な撮影を行いました。

遷都1300年の奈良で、わが国が誇る近代化遺産として、また地域のシンボルとして、奈良少年刑務所の建物の魅力を再発見していただければと存じます。また、これを機に、刑務所に対する興味・関心をお持ちいただくことで、奈良少年刑務所と刑務行政への理解の一助となれば幸いです。2010年3月 ならまち通信社 


「少年刑務所、ホテルにしたら面白いなぁ」とは、仲間内でもささやかれていたが、本当に実現するとは、すごい。これは「近代の名建築 奈良少年刑務所を宝に思う会」の松永さんや奥さんの寮美千子さんなどの熱い思いが通じたのだ。奈良の新たな観光資源の誕生、おめでとうございます!
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