NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の刊行を記念して毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。9月17日付で掲載されたのは「謎の大寺跡大型礎石群/毛原廃寺跡(山添村)」、執筆されたのは同会会員の小倉つき子さん。小倉さんはもと新薬師寺執事長、最近は得度され、小倉涼眞の法名を持つ。
※集落内に保存されている毛原廃寺金堂跡の礎石群=山添村毛原で
小倉さんは奈良まほろばソムリエの会で「保存・継承グループ」に所属し、県下の文化財などを調査。その副産物として、本年(2020年)6月には『廃寺のみ仏たちは、今』(京阪奈新書)を上梓された。では記事全文を紹介する。
三重県と奈良県との県境に位置する山添村毛原(やまぞえむらけはら)に、奈良時代建立の大規模寺院跡と思われる大型礎石群が発掘され保存されています。1926(大正15)年に「毛原廃寺跡(けはらはいじあと)」として国の史跡に指定され、約100年にわたり調査と保存が行われてきました。
金堂跡は、集落内の稲荷神社周辺にあり、唐招提寺金堂に匹敵する大きさであろうと推定されています。金堂の南約50㍍の畑地に中門跡、さらに南約25㍍の地で南門跡も発掘されました。平成に入っての調査で、主要伽藍西側の水田から基壇が検出され、食堂(じきどう)跡ではないかと推測されています。
従来、東大寺の木材採取のための杣山(そまやま)を管理する天平時代中期の寺院と指摘されてきましたが、近年、出土瓦が天平時代初年のものと判明、山林修行者管理のための寺院ではなかったかとの説が有力になっており、大寺跡の謎は深まるばかりです。
現在、同廃寺跡の中心部は宅地になっていますが、礎石群が地域の暮らしの中に溶け込み、供養祭が毎年、住民の手で行われているのも毛原廃寺の魅力です。(奈良まほろばソムリエの会 会員 小倉つき子)
(住 所)山辺郡山添村毛原
(電 話)0743・85・0081(山添村観光協会)
(交 通)近鉄名張駅からバス「毛原神社前」下車、徒歩約5分
(拝 観)見学は自由
(駐車場)無
※集落内に保存されている毛原廃寺金堂跡の礎石群=山添村毛原で
小倉さんは奈良まほろばソムリエの会で「保存・継承グループ」に所属し、県下の文化財などを調査。その副産物として、本年(2020年)6月には『廃寺のみ仏たちは、今』(京阪奈新書)を上梓された。では記事全文を紹介する。
三重県と奈良県との県境に位置する山添村毛原(やまぞえむらけはら)に、奈良時代建立の大規模寺院跡と思われる大型礎石群が発掘され保存されています。1926(大正15)年に「毛原廃寺跡(けはらはいじあと)」として国の史跡に指定され、約100年にわたり調査と保存が行われてきました。
金堂跡は、集落内の稲荷神社周辺にあり、唐招提寺金堂に匹敵する大きさであろうと推定されています。金堂の南約50㍍の畑地に中門跡、さらに南約25㍍の地で南門跡も発掘されました。平成に入っての調査で、主要伽藍西側の水田から基壇が検出され、食堂(じきどう)跡ではないかと推測されています。
従来、東大寺の木材採取のための杣山(そまやま)を管理する天平時代中期の寺院と指摘されてきましたが、近年、出土瓦が天平時代初年のものと判明、山林修行者管理のための寺院ではなかったかとの説が有力になっており、大寺跡の謎は深まるばかりです。
現在、同廃寺跡の中心部は宅地になっていますが、礎石群が地域の暮らしの中に溶け込み、供養祭が毎年、住民の手で行われているのも毛原廃寺の魅力です。(奈良まほろばソムリエの会 会員 小倉つき子)
(住 所)山辺郡山添村毛原
(電 話)0743・85・0081(山添村観光協会)
(交 通)近鉄名張駅からバス「毛原神社前」下車、徒歩約5分
(拝 観)見学は自由
(駐車場)無