tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

2023年回顧/ウィズコロナから、アフターコロナへ

2023年12月31日 | 日々是雑感
2023年(令和5年)も今日で終わる。この1年を振り返ると、「コロナ禍の終息」が大きく影響している。いわゆる「ウィズコロナ」の時代から、「アフターコロナ」の時代への移行だ。
※トップ写真は、年越しそばならぬ「年越しにゅうめん」

新型コロナウイルス感染症が、季節性インフルエンザ並みの「5類感染症」に移行した。移行したのは5月8日だったが、年初から「そろそろ終息かな」という声が聞こえてきた。

思えば「ステイホーム」は、最悪の政策だった。感染はある程度防げるのかも知れないが、精神衛生上は最悪だ。私は「奈良県内なら良いだろう」と勝手に解釈して、車や電車で動いていた。もし家に閉じこもっていたら、精神に変調を来したことだろう。

コロナ禍で講演やガイドが中止に追い込まれたので、時間ができた。しかし、その空き時間を活用して何かをしたかと問われると、ほとんど何もできなかった。全く「やる気」が起きなかったのだ。逆に5月以降、忙しくなってから、やる気が出てきた。今も出版のお手伝いや講演資料の作成に、追いまくられている。



映画も、5月以降は見に行くようになった。『銀河鉄道の父』『福田村事件』『PARFECT DAYS』のわずか3本だが、それぞれ感銘深い映画だった。自宅では9月から、加入しているケーブルテレビの「プラン見直し」で新しいチューナーが来て、視聴できるチャンネル数が飛躍的に増えた(同時に2番組が録画できるし、録画しながら別の録画を見ることもできる)。

おかげで『男はつらいよ』(毎週土曜日=BSテレ東)など、たくさんの映画を見ているし、ドラマや歌番組などの視聴も増えた。この機会にテレビも、42インチの大型液晶画面に買い替えた。山田太一さんが11月にお亡くなりになったので再放送を含め、追悼番組がたくさん放送された。バッチリ録画したので、正月の3が日はこれらを見るのが楽しみだ。

おいしいものはコロナ禍に関わらず、ミシュラン掲載店からB級グルメまで、よく食べに行っている。いまいましいマスクが不要になったし、邪魔なアクリルパネルも、いつの間にかなくなったので、ストレスがなくなった。

トップ写真は、年越しそばならぬ「年越しにゅうめん」。当ブログに「年越しにゅうめんで行こう!」という記事を書き、「手延べそうめん」の名産地である奈良県では、年越しはそばではなく、そうめん(にゅうめん)を食べましょう、と呼びかけた。

その後知人のKさんから、島原(長崎県)半田(徳島県)東京(恵比寿の「そうめん そそそ」)でも同様の呼びかけをしているということを知った。これが全国的な動きになれば、と大いに期待している。

「明日という字は明るい日と書くのね~♪」というアン真理子の歌があった(悲しみは駆け足でやってくる)。「コロナ禍」という長いトンネルを抜け出して、来年はぜひ明るい年といたしましょう!
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寿命が尽きる前に、心づもりをしておきましょう!/奈良新聞「明風清音」第97回

2023年12月30日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞「明風清音」欄に月1~2回、寄稿している。12月は年末進行のためお休みだったが、その代わり11月は2回、順番が回ってきて、今回の「寿命が尽きる2年前」は、2回目(2023.11.30)に掲載された。

厚生労働省の「令和4年簡易生命表」によると、70歳の平均余命は15.56年、つまり私は(統計上は)あと15.56年、85.56歳まで生きられる。だから寿命が尽きる2年前は、約13年後ということになる。

そう考えれば「まだまだ先だな」とも思うが、「メメント・モリ」(死を意識して生きよ=今を楽しめ)の精神で、この13年を精一杯生き切り、残る2年間では仏教書などを読みながら、心静かに「その日」を迎える準備をしたいと思う。では、全文を紹介する。

寿命が尽きる2年前
私の周囲には、元気なお年寄りが多い。中には、「日本120学会」という健康長寿をめざす組織を作った人もいる。医師で作家という久坂部羊氏の著書『寿命が尽きる2年前』(幻冬舎新書)を読んだ。

何歳まで生きようと、寿命はいつか尽きる。この期(ご)に及んでじたばたするのではなく、穏やかに死を受け入れられるよう、あらかじめ心の準備をしておきましょう、というのが本書の趣旨である。以下、私の心に残ったところを紹介する。

▼広告に振り回されない
〈年は取りたくない、いつまでも若々しくありたいというのは、万人の願いです。その思いに応えるかのように、新聞やテレビ、週刊誌には、老化予防、若返りに関する広告があふれています。(中略)勧められているのは、いわゆるサプリメントの類いですが、当然ながらいずれも医学的なエビデンスはなく、それらしい実証データを掲げている宣伝もありますが、たいていが無関係か、信頼性の低いものばかりです〉。

▼「老い」を受け入れる
〈老いが苦しいと感じられるのは、いつまでも若いときのままいられると思っているからで、老いれば身体が弱り、できないことが増え、見た目も衰えるのがふつうです。はじめからそういうものだと思っておけば、徒(いたずら)に苦しむことはありません〉。

▼生きている「今」を楽しむ
〈我々は現代において、もう十分、寿命を延ばしているのです。であれば、残りの人生をさらに寿命を延ばすことに費やすよりは、楽しむことや、自分を解放することに使ったほうが有意義ではないでしょうか。(中略)ラテン語の警句「メメント・モリ(死を想え)」には、「死を意識して生きよ」という意味のほかに、「今を楽しめ」という意味も含まれます〉。

久坂部氏は「今を楽しむ」実例を挙げている。旅行(海外・国内)、趣味を極める、コレクションの展示、自伝の執筆や自費出版、お世話になった人に感謝の気持ちを伝える、など。

▼「死」に対する心づもり
〈死ぬための準備なんて、縁起でもないと思う人も多いでしょうが、よく考えてみてください。毎日その日は近づいてくるのに、準備もせずにいたら、最後にあたふたして、徒に無駄で苦しい道を選んで後悔する危険性が高まるだけです。生きるための努力はもちろん大事ですが、一方で死に対する心づもりを進めておくことも必要でしょう〉。

▼医療は「死」に対して無力
〈以前、講演後の質疑応答で、80代の女性に、「私はチューブをいっぱいつけられて、器械に生かされるようなことになりたくないんですが、どうすればいいですか」と聞かれて、私はこう答えました。「それならいい方法があります。病院に行かなければいいんです」〉。

〈死にたくない人は、死が迫ったとき、必ずといっていいほど医療に頼ります。これがまず第一のあやまりです。治る病気のときは医療に頼ればいいですが、治らない病気を無理に治そうとすると、徒に苦しみを深めます。先にも書いたように、死に対しては医療は無力だからです〉。

▼「今でしょ」と考える
〈人間として成熟すれば、寿命が尽きる2年前には、もう自分を解放してもいいでしょう。不安や心配から自由になり、死におびえることもなく、長生きのための努力も辛抱も遠慮もいらない。ほんとうに自分がやりたかったことができるのが、寿命が尽きる2年前です〉。

〈それがいつかわからないから困るんだと言う人には、こう応えましょう。「それは今でしょ」。まちがっているかもしれませんが、そう考えても損はないはずです〉。いかがだろう。少し気持ちが楽になりませんか?(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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田中利典師の「金剛蔵王権現の怒りと救世」(朝日新聞「人生あおによし」第13回)

2023年12月29日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「金剛蔵王権現の怒りと救世」、2014年の朝日新聞奈良版「人生あおによし」第13回である。師は〈蔵王権現様は人間の愚かさを怒っているのではないでしょうか〉とお書きだが、怒っているのは利典師の方ではないだろうか。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7撮影)

海外ではウクライナ戦争、ガザでの戦闘、国内では自民党の裏金疑惑やダイハツの認証不正問題…。来年こそ、マトモな年であってほしいものだ。では、全文を紹介する。

金剛蔵王権現の怒りと救世
蔵王堂の秘仏金剛蔵王大権現は、ほぼ同じ形相のお姿で三体で祀られています。三尊は釈迦如来、千手観世音菩薩、弥勒菩薩が本地(元のお姿)で、それぞれが過去、現世、未来を司る守護仏です。

白鳳の昔、金峯山上で千日間の苦行に入られた役行者が、衆生を三世に渡って救済するご本尊の出現を願い、それに応えてお姿を示されました。

しかしいずれも柔和なお姿なのでさらに勇ましいご本尊の出現を念じられたところ、三尊が変化して、大憤怒の形相で現れたのが蔵王権現なのです。顔を怒らせ、右手に三鈷杵を打ち振るい右足で虚空を蹴る、悪魔降伏のお姿。この恐ろしい姿で過去現世未来をお守り下さっているのです。

一人の人間の一生にも三世は存在します。なのに死んだら終わりだと考えている人のなんと多いことか。この世でこしらえた罪は未来永劫背負うことを知るべきです。寿命が延びたといってもたかだか80年、三世で考えなければ今生を正しく生きる意味は見いだせません。

文明社会がまきちらした環境破壊という災禍に怯える時代に、蔵王権現様は人間の愚かさを怒っているのではないでしょうか。怒りは大いなるエネルギーの発現です。そして怒りの形相は衆生済度の姿でもあるのです。
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2023年の締めは、贅を 尽くした「富小路やま岸」珠玉の季節料理!

2023年12月28日 | グルメガイド
2023年を締めるにふさわしい、贅(ぜい)を 尽くした季節の京料理をいただいた(2023.12.26 16:00 訪問)。それが「富小路(とみのこうじ)やま岸」(京都市中京区富小路通六角下る骨屋之町560)だ。三条高倉の京都文化博物館の近くで、お店から少し下がると錦市場である。私は通い慣れた地下鉄「烏丸御池」駅から、徒歩で訪ねた。




烏丸通の花屋さんでは、門松にする松が、こんなにたくさん並んでいた!





縁あって、この予約困難な名店に伺うことができた。たくさんお酒をいただいたので値段は書きにくいが、食べログでは「¥60,000~¥79,999」と出ている。食べログの出だしは、


風情のあるアプローチ。奥から入り口に向けて撮った


大きな活松葉ガニがお出迎え(=トップ写真)。浜坂(兵庫県美方郡新温泉町浜坂)産タグつき




初めて見た!松葉ガニの心臓(体液を循環させるポンプ)、ピクピク動いていた

茶懐石に則った伝統的手法と主人の独創性が調和した一皿から、移り変わる京の四季を感じる


またたく間に、包丁が入った!



京の都によく馴染む、風情ある長屋。暖簾をくぐった先にある印象的な石畳のアプローチを進むにつれて、客人の期待は膨らんでいく。茶室をイメージした静謐な和空間で供されるのは、季節の献立で構成したコース。





「奈良のお酒を」。店員さん「こちらです。ここは若社長さんが頑張っておられますね」


手前の小皿に見覚えがあった。「作家ものですか?」「尾形乾山(けんざん)の写しです」


セコガニ(雌のズワイガニ)が、こんな逸品に変身して現われた!

茶懐石の流れを守りつつも、店主の独創性を混じえた珠玉の一皿が繰り出される。訪れる度に異なる食体験を惜しげもなく披露する「富小路やま岸」は、これからも多くの美食家の心をとらえ、翻弄し続けるに違いない。


ご主人の山岸隆博さんは、ちょっとケンコバ(ケンドーコバヤシ)に似た気さくな人だった



一方、お店の公式HPには、

ご挨拶 懐石料理「富小路やま岸」は2015年10月京都 富小路にて開店いたしました。当店では、京料理の伝統を守りながら、茶懐石のおもてなしの精神を基本に、四季の移り変わりをじっくりと感じて頂けるお料理をご提供させていただきます。



富田林産のエビイモを揚げ、白味噌と辛子のタレにからめ、花鰹をかけたもの


手前はウズラの肉、向こうは堀川ごぼう。ゴボウはとても柔らかい!(2人前)


お皿に取り分けていただいた、右はキクナのゴマ和え

京野菜や川魚など、京都の食材を使いながら、毎月おとずれる京都の歳時記の文化をお料理を通じてお楽しみいただければと思っております。また、お料理だけではなく「茶道」「華道」「書道」で得た精神を元に、お客様の五感で楽しんでいただけるような、非日常の新しい空間を感じていただければ幸いでございます。


水月聖護院(ダイコン)。昆布と鰹のダシだけで炊いてある


これは確か、フグに白子とポン酢をかけたもの

茶道裏千家講師、華道嵯峨御流華範 書道準五段、京都検定取得 山岸 隆博




身の厚いサバ寿司。サバは淡路島産

京都やま岸について
四季の風趣と京の伝統を新しい風と共に



海苔を巻いてかぶりつく!


2本目は「徳次郎 直汲み」をぬる燗で。京都府といっても城陽市の酒なので、半ば奈良の酒だ

01 京の伝統 京料理の伝統を守りながら、茶懐石のおもてなしの精神を基本に、四季の移り変わりをじっくりと感じて頂けるお料理をご提供させていただきます。基本を大切に、やま岸流の心を大切に一人一人のお客様に心からのおもてなしを約束します。


カニしゃぶとオレンジ白菜

02 料理の素材 京野菜や川魚など、京都の食材を使いながら、毎月おとずれる京都の歳時記の文化をお料理を通じてお楽しみいただければと思っております。生産者、取引業者様との縁を大切に、素材の産地、状態、流通、保管、仕込みまで徹底的にこだわり、素材の味を最高の状態でお届けしたいと考えています。


カニ足の炭火焼き


カニ味噌の甲羅焼き、白ネギを散らしてある

03 新進気鋭 お料理だけではなく「茶道」「華道」「書道」で得た精神を元に、お客様の五感で楽しんでいただけるような、非日常の新しい空間を感じていただければ幸いでございます。伝統を大切にしながらも、肩肘張らずお客様に楽しい食事を楽しんでいただける様精一杯おもてなしいたします。


タイと大根の炊き込みご飯、卵は「濃紅(こいくれない)たまご」


草餅が出てきた


大きなイチゴ(あまおう)が入っていた!



うーん、素晴らしい料理の数々に、圧倒された。年の瀬になって、こんなスゴいお店に出会えるとは! これは来年も期待が持てそうだ。皆さんも、特別な日に特別な人とお訪ねください!
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田中利典師の「役行者」(朝日新聞「人生あおによし」第12回)

2023年12月27日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「役行者(えんのぎょうじゃ)」。2014年の朝日新聞奈良版「人生あおによし」第12回である。役行者は、修験道の開祖と言われる。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7撮影)

修験道の基本的な考え方は、「体を使って心をおさめる」。それは役行者の遺訓とされる「身の苦によって心乱れざれば、証果自ずから至る」にも、現われている。では、以下に全文を紹介する。

役行者
修験道の開祖は役小角(えんのおづぬ)、尊称して役行者と呼びます。飛鳥時代後期に大和・葛城山麓に住んだ山林行者です。空を飛んだとか、鬼神を使役したとか超人的な伝説が残っていますが、架空の人ではありません。続日本紀にも正しく名前が残っています。

その役行者が根本道場と定めたのが大峯山であり、開いたのが修行道が大峯奥駈道です。大峯の峰中には役行者が金剛蔵王権現を祈り出した霊地山上ケ岳をはじめ、役行者由緒の場所や伝承が数多く伝わっています。

遺訓と伝わるものに「身の苦によって心乱れざれば、証果自ずから至る」(役行者本記)という言葉があります。体の苦痛に屈せずに心を磨けば、自然に成果が得られるということでしょう。その究極は自らの心の高みを得ることです。

山に入って修行に明け暮れ、滝に打たれて痛みを感じる。体で体験して精神を高めてゆく。その修行のありようは、実は万人向けのものです。実体感を失いつつある現代社会に大きな問いかけを与えてくれます。

肉体の快楽を求めすぎ、心のあり方が置き去りにされがちな文明社会にあって、実践性を重視する修験道は、大いに現代的な役割を感じます。精神と肉体の正常な関係は、自らの実践と体験の中でしか取り戻し得ないと私は考えています。そこが修験道の新しい使命と可能性なのです。
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