tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奥村彪生著『日本めん食文化の1300年』を読む

2010年01月31日 | ブック・レビュー
日本めん食文化の一三〇〇年
奥村 彪生
農山漁村文化協会

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昨年9月の刊行時から読もうと思っていた大著を、先日やっと読み終えた。版元の紹介文には《そうめんやうどん、そばの始まり、めんのおいしさの俗説と真実、地方に花咲いた農山村のめん食文化の重要性…膨大な古文書にあたり、再現実験や科学分析を行ない、30余年に渡る全国調査を集大成した画期的労作》とあるとおり、まさに目からウロコの大スペクタクルである。
http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_4540073052/

総ページ数が約600頁、重さ約1kgのハードカバーを通勤カバンに入れ、電車の中や退社後の喫茶店で、半月かけて読み終えたのだが、読後感は爽快である。よくこれだけ調べられたものだ。少し長くなるが、同書の概要を紹介させていただく。

版元の「著者紹介」には《奥村彪生(おくむら・あやお)伝承料理研究家。美作(みまさか)大学大学院客員教授、大阪市立大学大学院生活科学研究科非常勤講師。学術博士。著書多数。平成12年度和歌山県民文化賞受賞。 NHK「きょうの料理」、NHKラジオ『関西ラジオワイド 旬の味』、NHK『日めくり万葉集』などに出演》とある。お生まれが和歌山県(西牟婁郡すさみ町)お住まいが奈良県(香芝市)と、私と共通点があるので、以前から私淑していた。NHKの「日めくり万葉集」も奥村氏の出演分は、何度も録画を見直したものだ。

高校卒(和歌山工業高校卒業・近畿大学理工学部中退)ながら、昨年、美作大学大学院に、同書のモトになる「日本のめん類の歴史と文化」という博士論文を提出し、見事審査に合格して博士号を取得された。

同書で最もセンセーションを巻き起こしたのは、うどんは中国渡来の切麦(きりむぎ=ひやむぎ)を、日本人が独自に改良したものだ、という新説である。和歌山工業高校OB有志による祝賀会のブログ記事にその辺りが要領よくまとめられているので、紹介する。
http://tatemisak.exblog.jp/11850723/


釜粋(かまいき 奈良市東向商店街)のつけめん

《うどんのルーツ中国ではなく日本だった》《中国のワンタンがうどんの起源とする説に、料理人の立場から疑問を抱いていた。この説は、昭和初期の中国文学者青木正児京都大教授(故人)が発表、今ではうどんの起源として最も有力な説となっている》《青木説は、ワンタンの中国表記である「コントン」のコンは食へんに「昆」と書き、トンは饂飩(うどん)の飩だが、コンを食へんに「軍」と書くことがあり、ウントン、ウンドンとも読む。これが読みの同じ温飩になり、饂飩に変わった》とする。

奥村氏は《起源を探ろうと三十年かけて、中国各地で麺を食べ歩き日本国内の古文書を読みあさった。結果、中国には、湯で温めた麺をつけ汁につけるうどん本来の食べ方がなく、饂飩の「饂」の字もないことが分かった》。つまり「饂飩」は日本の造字で、日本語なのである(同書P252)。《うどんが切り麺ということに着目し、切り麺の歴史をさかのぼった。切り麺が中国から伝わったのは鎌倉時代。中国の切り麺の歴史をひもとくと、唐代に「ぷとう」と呼ばれる切り麺がある。これが発展したのが「切麺(ちぇめん)」で、宋代に盛んに作られるようになる。そして、この切麺が1200年代前半、留学僧によって伝えられ、日本で「切麦(きりむぎ)」と呼ばれた。切麦は中細麺で、今の冷麦のことだ。「この切麦こそがうどんの祖先」》。

《それでは、切麦がどのようにうどんに変化したのか。江戸時代の記録などによると、うどんは、ゆでた麺を水で洗った後熱湯につけ、つけ汁につけて食べていた。今でいう「湯だめ」だ。中細の麺を湯につけたのでは、どうしても麺が伸びてしまう。そこで、湯につけても伸びないよう発明された専用の太切り麺こそが、うどんというのだ》。

《うどんが初めて文書に登場するのは南北朝時代の1351年。法隆寺の古文書に出てくる「ウトム」がそれ。うどんの記述はその後、京都の禅寺や公家の記録に頻出する。留学僧によって切麦が伝えられたのが1200年代前半。当時、中国へ渡る留学僧は禅宗の僧が中心だった。こうした経緯から「うどんは、1200年代の終わりごろ、京都の禅寺で生まれた」》と推定される。

記録上、うどんを初めて食べたのは、法隆寺の快賢という僧兵であった。合戦で手柄を立てた祝いの席の酒肴に「ウトム」が出ている(同書P237)。《初めて記録に登場するのは奈良だが、その後の記録の多くが京都に集中していることから「発祥の地は京都とみるのが妥当」。麺をつけ汁につける食べ方について、「食べ方に美しさを求め、素材そのものの味を味わう禅宗の考え方につながる中国にはない食べ方だ」》とする。

聞き書・ふるさとの家庭料理〈4〉そば・うどん
奥村 彪生
農山漁村文化協会

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うどんのルーツ以外にも、注目すべき新説が同書には続々と登場する。《「大阪のうどん、東京のそば」と言われる東西のめん文化の違いは、江戸時代の水事情が決定づけた――。奈良県に住む伝承料理研究家の奥村彪生(あやお)さん(72)=写真=が、大著『日本めん食文化の一三〇〇年』(農文協)の中で、丹念な調査をもとに新説を唱えている》(読売新聞 09.12.4付「東西めん文化 水事情反映 江戸時代の上水設備に差」)。

《「いらち(せっかち)な大阪人が、早くゆで上がるうどんを求めた」「粋な江戸っ子が、つるっとしたそばののどごしを愛した」 東西で好むめん類が違うのは有名だが、理由は漠然と説明されることが多い。NHKの番組「きょうの料理」の講師歴がある奥村さんは食べ歩きや文献調査を重ね、徳川時代後期の文献にある大阪のうどん屋のメニューに注目した。「うどん」「そば」「しっぽく」(具入り)など種類は豊富でも、すべて熱いめんだった。一方、江戸は早くからそばを水で冷やして洗い、盛りやざるで食べたという》。

《この原因を、奥村さんは当時の水事情にみる。物流用に運河が発達した「水都」大阪は当時、実は上水設備が不十分で井戸水も海水が混じり、水は「水屋」から買って飲んだ。「料理は安全が一番。水が悪ければ、沸騰させて使うしかない」。大阪では温かいめん類が広まった。それに対し、徳川幕府は住民の飲料水確保に力を入れ、神田上水や玉川上水を完成させる。ふんだんに水を使うことができ、冷たいそばの愛好者が増えた》。

《この条件に、大阪は、北海道や青森から北前船でコンブやカツオ節が手に入り、経済が栄えて換金作物の小麦が集まったこと、東日本は北関東や東北など良質なそば産地を控えることが、それぞれ重なった。素材の色や味を生かす京料理の影響も受けた大阪では、だしを利かせ汁の色の薄いうどん。素材より、つけ味を良しとした東京では汁の甘辛いそばが発達したという》。

《『麺(めん)の文化史』の著書がある国立民族学博物館の石毛直道名誉教授は「中国南部では中華めんを作る際、水がアルカリ性でないためかん水を混ぜる。各地のめん文化は水に影響され、大阪の水の悪さに着目したのは興味深い」と太鼓判を押す》。


京都のしっぽくうどん

奥村氏は、日本農業新聞の「論点」欄にも寄稿されているタイトルは「郷土のめん食文化/高齢社会に生かそう」(日本農業新聞 09.08.10付)である。まず、麺常識のウソを解明。

《(1)奈良時代の索餅(さくべい)は小麦粉と米粉で作る縄のごとく捻(ひね)っためん、あるいは揚げ菓子でなく、小麦粉単独で作る手延べめんであった。(2)索(素)麺(そうめん)は索餅が進化した手延べめん。古くなるほど美味(おい)しくなる説は誤り。せいぜい3年までで、のど越しは良いが味は失(う)せる》。

上述のとおり《(3)うどんは空海が伝えたのではなく、鎌倉末期から南北朝にかけて、京都の禅寺で誕生した太切りの熱湯漬け専用のめんであった。(4)そば切り(麺としてのそば)は信州で生まれたのではなく、京都の禅寺で室町時代に種が播(ま)かれて芽が出、寺方ネットワークで信州に伝えられて成長し、信州からこれまた寺方ネットワークで江戸に伝播(でんぱ)し、元禄のころに花が咲き、結実した》。

そばについては《高齢社会を迎え、ソバが体によいといって人気が高まり、消費量は伸びている。今、東京を中心に「さらしな」が人気だ。そこで私は、「さらしな」「並」「田舎」のそば切りをゆで、前後の栄養成分の比較試験を行った。その結果、たんぱく質や人間の体に有効な機能を持つルチンやギャバは「田舎」に最も多く、ゆでても溶出量は少ない。続いて「並」。「さらしな」は機能成分が全くなく、エネルギーが高いだけだった》。

《健康という視点でいえば「田舎」は最良で、「さらしな」は趣味食としての美食の極みだ。かつて農山村では、そば切りはハレの食べものであった。普段はそばがきやおやき、薄焼き、だんご汁、そば米雑炊などソバそのものの栄養を丸ごと体内に取り込み、身体と精神力、活力を養ってきた。これが生活食、かつ労働食、いわゆる健康食なのだ。いま一度、郷土食を見詰め、改良して高齢社会に生かそう》。

『日本めん食文化の1300年』の最終章には、こんなくだりがある。大阪ではコナモンというが、長野県ではこなもの(粉物)と呼ぶ。奥村氏は、南部(青森県東南部)や信州の粉物に注目する。それは麺類、そばがき、おやき、薄焼、団子などである。《実にバラエティに富んでいる。食糧が不自由なるがゆえの自由で豊かな発想から生まれた食べごとの文化である》(1.粉食[めん食]は庶民のゆたかな食文化)。

《こなものは食べてきた目的が違う。南部や信州では、コムギやソバ、他の雑穀を含めると、これらは生命の糧であった》。例えば《味噌煮込みうどんは農山村の夕餉の主食として用いられてきた。主食とおかずと汁が一体になっている。材料の無駄を一切しない栄養豊かな食べ方である。醤油を用いず味噌で味付けするのは、農山村では味噌は自家製であり、醤油は買うものであった。ために、醤油を買うと不経済であるからである》。

それらは《素朴なるがゆえにその美膳となした食べものには作る方の鼓動の響きと体臭を養った。貧しく(米を食べられないから)とも美しく生きる精神と美しい肉体、心遣いを養った。この作り手の魂がこもった鼓動の響が食べる者と共鳴してシンフォニーを奏でた。その響が明日への労働の英気となった》。

「粉もん」庶民の食文化 [朝日新書065]
熊谷 真菜
朝日新聞社

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ここまで書いて、ふと思い出した。以前、タコヤキストの熊谷真菜さん(日本コナモン協会会長)が、ある知事と食文化について対談したあとで「粉もんより、もっとすばらしい食文化があるでしょう」と言われて憤慨した話を自著(「粉もん」庶民の食文化)に書いておられた。そのとき「粉食こそが、庶民の食文化の原点です」と逆襲されれば良かったのである。

このように同書は、日本の食文化に関する大いなる示唆を与えてくれるが、堅苦しい一方の本ではなく、麺類全般に関するウンチクが得られ、また美味しいお店への手引き書ともなる。1冊3990円の超大作は、おいそれと薦めるわけにはいかないが、「人類は麺類」を自認する麺類好きには、必読の快著である。
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体感!十津川産材の家

2010年01月30日 | 林業・割り箸
1/17(日)、十津川産材住宅の「構造見学会&家づくり相談会」(1/16~17)にお邪魔した。年末(12/30)に当ブログで紹介した知人宅(奈良市六条1丁目)で行われた催しである。主催は株式会社スペースマイン、共催は県農林部林政課。十津川村、同森林組合、同木材協同組合、NPO法人木造住宅品質確保普及促進会が協賛している。見学会には、両日で60組(グループ)以上が来場されたそうだ。
※十津川産材の家、1/16~17に見学会(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/7f4df7f00668e660b2499385feb71bf7


柱は吉野杉の磨き丸太

この見学会のことは新聞でも報道されていた。制度面については、朝日新聞(奈良版 1/16付)に詳しい。見出しは「使って!十津川産木材 産直でコスト減/補助金も活用」だ。《十津川産木材の生産・流通コストを下げ、売り上げ増を図る取り組みに、県や地元住民らが挑戦している。十津川産を使えば補助金が出る制度もあり、その住宅相談会が16、17両日、奈良市で催される》。
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000001001160003


太い梁(松)を上から見ると、ひび割れ防止のスリットが見える

《県内の製材工場が丸太を入荷する価格は、主要20県で最も高い。スギ中丸太(2009年12月、1立方メートルあたり)は全国平均1万1200円に対し、奈良は1万5700円。奈良は山が急峻(きゅうしゅん)で深く、伐採や搬出にコストがかかり採算ラインが高いため、県産を入荷することで全体の価格を引き上げているとみられる》。


十津川産の間伐材が、縦横に組み合わされている

《このため、高コストの県産材は「伐採しても売れない。たとえ売れても、搬出コストなどでもうけが出ない」(県担当者)状態だ。しかし、県産材の質は高い。強度の目安になる年輪の幅が狭く、1センチに8年輪が詰まっている丸太もあるほどで、全体的に他府県産や輸入材の2倍という。特に十津川村の森林面積は県内の2割強、約6万5千ヘクタールを占め、1960年代に植林された多くのスギやヒノキが住宅建築に適した樹齢に成長している》。



《何とかコストを下げようと、村民や工務店で作る「十津川郷土(さと)の家ネットワーク」が、生産者(森林所有者や製材業者ら)と販売者・消費者を直接つなぎ、従来の市場や中間業者を省く「産直」に取り組み始めた。一方、強度や乾燥度の測定、割れや曲がりをチェックする「県地域材認証センター」(橿原市)の認証制度に県が着目。「認証材」の使用量に応じて、業者に15万~30万円を支給する制度を作った。十津川産はほぼ認証を受けていて、補助対象となる》。



《制度を利用した住宅は、この2年間ですでに31棟。県林政課の相馬友一郎主査は「地産地消で環境にもいい。『認証材』の家が増えれば、その分、村が潤う」と期待する》。




木材を伐り出した場所が、地図に示されている

当日の様子は奈良新聞(1/17付)に詳しく出ていた。《この建物は同材の生産から住宅施工まで一括管理する十津川郷土(さと)の家ネットワークの商品で、構造材の約6割に同材を使っており、3月末の完成予定》《この日(1/16)は十津川村の村上次郎副村長が、施主に記念品を贈り「丈夫な木材と透明性のある供給体制で、安心して住んでいただける」とPRした。施主の大川健さん(48)は「長持ちする家なので子どもに末永く住んでほしい」と話していた》。


十津川村の副村長から贈呈された記念品


村の特産品も販売されていた

十津川産材の住宅見学会は、他社も実施している。堺市の丸勇ハウジングは、十津川産木材を構造材や内装仕上げ材などに採用した国産無垢材(集成材ではない天然の材)住宅の完成見学会を実施した。《地域工務店と国産材製材産地が直接連携、十津川産木材の住宅を全面に出すことで他の住宅各社との差別化を図る取り組みを進めている。「今後は施主と連携して、山に何かを返せるような運動も考えていきたい」(古谷社長=棟梁)》(1/14付 日刊木材新聞)。

私が大川邸にお邪魔した1/17には、奈良テレビ放送も取材に訪れ、同日夜にオンエアされたそうだ。(株)スペースマインの「工事スタッフブログ」に出ていた。
http://smstaffblog.blog99.fc2.com/blog-entry-161.html


テレビ取材の様子(工事スタッフブログより)

一昨日(1/28)のスタッフブログには、内装工事の様子が写真とともに紹介されている。《急ピッチで進んでいまして只今、棟梁は階段に取り掛かっています。階段といっても現在ではメーカーによる内装建材のプレカットで, 加工済のものを大工さんが組立てる・・と言う、手間の省かれたものが一般的なのですが、 スペースマインでは健康住宅のこだわりから無垢材を使用しいる現場が多く、大工さんの手加工を主流としています。従って、大工さんの腕が問われるのですが…》。


階段材の加工にとりかかる大工さん(工事スタッフブログより)

《常時、数名の大工さんに仕事をして頂いておりますが、どの大工さんもお客様の満足を一番に、自分の仕事に誇りを持って日々、頑張ってくれています!》
http://smstaffblog.blog99.fc2.com/blog-entry-166.html

いよいよ3月13日、14日には完成見学会が開催される。こちらにも、ぜひ足をお運びいただきたい。
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佐保・佐紀路

2010年01月28日 | 奈良検定
1/25、奈良県立図書情報館館長である千田稔さんのお話をお聞きする機会があった。「平城京の春」という90分の講話だが、そのなかで千田さんは「私は、ウワナベ・コナベ古墳や磐之媛命陵(いわのひめりょう)の辺りが、奈良では一番好きなんです。ここは穴場ですよ。最近はよく高校生のカップルがいて、目のやり場に困るのが玉にキズですが」と、ユーモアたっぷりに紹介されていた。
※佐保・佐紀路(近鉄のサイト)
http://www.kintetsu.co.jp/nara/history-culture/Travel/Michi/B30016.html



この辺りは「佐保・佐紀路」と呼ばれていて、今月、日経新聞でも紹介されていた。切り抜きを探すと、土曜版の特集記事(日経プラスワン 1/9付)だった。《歴史しのぶ奈良の散策スポット ― 古都で体感悠久の時間》という見出しの「何でもランキング」だ。その道の専門家の評価を点数化したランクで、堂々の6位であった。ベスト10すべてを紹介すると、  

1位 奈良公園周辺(奈良市)670点
2位 西ノ京(奈良市)666点
3位 飛鳥(明日香村)593点
4位 斑鳩(斑鳩町)559点
5位 吉野(吉野町)415点
6位 佐保路・佐紀路(奈良市)357点   
7位 山の辺の道(天理市、桜井市)300点
8位 奈良町(奈良市)298点
9位 高畑(奈良市)270点
10位 室生(宇陀市)234点

という結果であった。さすがに専門家のランキングだけあって、高畑や室生という「渋い」散策スポットもランクインしている。



佐保・佐紀路には《丘陵の山すそに沿って古寺が点在。大小の古墳群や広大な平城宮跡も味わい深い》《平城宮の跡がある佐保路・佐紀路は6位に。「今どきこんな広い野原はない。ここにかつて何があったか、想像してみてほしい」(鈴木さん)。佐保丘陵の南に点在する古寺や佐紀古墳群も見どころだ》という説明がついていた。ここには、奈良検定ではおなじみの佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群という日本最大級の古墳群があり、千田稔さんは、その周辺を推奨しておられるのだ。

平城宮の北側には、かつて松林苑(松林宮)という大規模な苑地が拡がっていた。《『続日本紀』に「松林苑・松林・松林宮・北松林」として記載された平城宮に属する施設である。『続日本紀』には、天平元年(729年)3月3日の条に天皇が松林苑に群臣を集めて宴をもよおし、諸司井朝集使主典以上を御在所に引い、そして物を賜ったとあるのが初見である。同年5月5日にも、天皇松林御し、王臣五位以上を宴し、物を賜わったとある。翌年の天平2年3月3日にも五位以上を松林宮で宴し、天平7年(735年)5月5日にも天皇北松林に御し、騎射を覧す、とある。天平10年(738年)1月17目には皇帝松林に幸し文武官に宴を賜う、と記されでいる。このように松林苑は天平元年までに作られ3月3目や5月5日の節句、節句の宴に使われたことが知られる》。

《松林苑の範囲については、松林苑が確認された当初、踏査によって確認できた土塁をもとに、南辺500m、東辺1000m以上を想定し、これを外郭と考えた。しかし、その後、中国の禁苑との比較から、中国の外苑としての禁苑と同じ性格を持ったものであると考えられると考え、松林苑は東西1キロ、南北1.2キロ以上の範囲を想定できるとした。さらに最近、東方のコナベ古墳周辺の調査により古墳を改造したと見られる園池を確認したことによりさらに東へ広がると考えられた》。
※河上邦彦氏の講話をまとめられたtaisi123jpさんのブログ記事から引用
http://taisi123jp.exblog.jp/7220814/



松林苑ができる以前から築造されていた周辺の古墳は、この苑地に取り込まれ、積極的に再利用された。そのため、改変を受けた古墳も数多いという。

この辺りは、専門家の評価こそ高くても、訪ねる人は多くないので「穴場」であることは間違いない。この記事に掲載している写真は、「萬葉チャリティーウォーク ― 晩秋の佐保・佐紀路を歩く」(09.11.28)で撮影したものだが、山辺の道とはまた違った意味合いの「歴史の道」であることがお分かりいただけるだろう。
※以前(ちょうど今頃)、この近くで小ブナが異常発生していた(JanJanニュース)
http://www.news.janjan.jp/area/0701/0701288994/1.php

今はオフシーズンだが、暖かくなれば、ぜひお訪ねいただきたい。平城遷都1300年祭の平城宮跡会場(メイン会場)も近い。高校生諸君、オンシーズンには旅人に遠慮するように。
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観光地奈良の勝ち残り戦略(34)「観光力」を考えるヒント

2010年01月26日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略
1/20~22、奈良日日新聞に、《「観光力」考 ― 最前線の胎動に迫る》という力の入った特集記事が、1面トップに連載された。担当されたのは山本宣義記者である。土産物、英語情報誌、ゲストハウス(低料金宿泊施設)など、若い記者の感性で、奈良市内における「観光力」の発信源を丁寧にレポートされている。関係者のコメントを中心に、「最前線の胎動」を紹介させていただく。

1/20(上)のタイトルは《地産なるか奈良みやげ 売れ筋トップ10 過半数は他府県製 「攻めの大仏商法」に変身を》。ならクターショップ「絵図屋」(奈良市橋本町)の販売トップ10のうち、6商品が他府県製。奈良県製は4商品のみで、しかも3商品が菓子なのだという。《フィギュアなどの物品関係は弱く、県内製の魅力の乏しさや開発力の弱さなどが浮き彫りとなった形だ》。


※絵図屋のホームページ
http://www.ezuya.jp/

奈良観光物産製造卸組合会長の前田武氏(68)がコメントを寄せている。「大規模な企業に比べると製造や流通力で、どうしても負けてしまう現状も。奈良の非力であるところだが、いかに特徴のある商品が作れるかどうかが課題」「魅力的な商品開発には新しい着眼点が必須だ。いろんな企業が競争して、初めて魅力的な商品が生まれる。これまで、奈良の観光産業に欠けていたことだが、『受けの大仏商法』から『攻めの大仏商法』に変わらなければならない」。

土産物屋の店員さんの「大人の男性が持つことのできる商品は少ない」というコメントも紹介されていたが、以前から「奈良の土産物には、酒の肴(サカナ)になるものがない」という指摘がある。この分野の開拓も課題だろう。

私はかつて、猿沢池近くの土産物屋さんにお邪魔し、前田氏のようなコメントを期待してご主人に質問したところ「京都から奈良へのアクセス道路が悪い」「宿泊客が少ないので土産物が売れない。もっと旅館・ホテルが宿泊客を誘致すべきだ」など、責任をヨソに転嫁するような話ばかり聞かされ、ガッカリしたことがある。それに対し、前田氏のコメントには納得する。

魅力的な商品開発の例として、「ロク」ちゃんが紹介されている。10~20歳代の女性をターゲットにしたキャラクターで、ワールドコレクション(奈良市南市町)という若い会社が制作されたものだ。上記の絵図屋では、ロクちゃん関連商品の売り上げが、なーむくん(1300年祭の市民募集キャラクター)関連商品の売り上げを上回っているという。


※ワールドコレクションのホームページ
http://www.worldcollection.net/

1/21(中)のタイトルは《アッと驚く見せ方演出 若手、デザイン性に命 増えるぞ外国人客 無料で英語情報誌》。上記ワールドコレクションのデザイナー・三原賢治氏(28)のコメントが紹介されている。「奈良に徹底的にこだわった、デザイン性の高い商品づくり」「商品ひとつとっても、パッケージや、見せ方ひとつで良くなる」「外からの目線で見ると、奈良にはポテンシャルがある。本当に、もったいない」。

奈良もちいどのセンター街専務理事の魚谷和良氏(50 魚万専務)のコメント。「昨年、興福寺で行われた『お堂でみる阿修羅展』が大盛況だった。けれど、阿修羅は奈良にずっとあった。商品づくりでも、地に足を着けながらも“奈良の顔”を、いかに別の見せ方ができるかどうか」。


※「Nara Explorer」のホームページ
http://www.naraexplorer.jp/japanese/index.html

もちいどの夢CUBE内の足袋スニーカー専門ショップ「TABI-JI」代表の米原亮さん(30)は、無料の英文奈良観光文化情報誌「Nara Explorer(奈良エクスプローラー)」を3か月に1度の割で発行されている。「英語の生きた観光情報がないという状況だった。国際観光文化都市と言われるには、あまりにも壊滅的」「続けるのは、これから奈良への訪日外国人が確実に増えるから。その時、英語で情報発信できるのは『自分たちだ』と思わせたい」。

奈良に関する英文での情報発信は、まだまだ少ない。著名な『ロンリープラネット』でも、奈良のページ数が少ないのが現状である。「Nara Explorer」に掲載された情報は、ぜひまとめてWebに掲載するなど、奈良に来られる外国人客に便利にご利用いただきたいものだ。

Lonely Planet Japan

Lonely Planet

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1/22(下)のタイトルは《ロビーで交流、安く宿泊 ゲストハウス“発芽” 外国人旅行者のオアシス》。ゲストハウス「ウガヤ」(奈良市奥子守町)が紹介されている。上記「Nara Explorer」は、県下の観光案内所や関空、京都駅ビルなどで計1万部が無料配布されている。ウガヤでは多くの「Nara Explorer」が配布されており、その部数はホテル日航奈良(500部)を上回るというからすごい。

なおゲストハウスとは《ユースホステルのように1泊単位で宿泊できるバックパッカー向けで、欧米などでは浸透している宿泊施設》である。私は以前、よく似たコンセプトの澤の屋旅館(東京・谷中)に泊めていただいたことがある。
※家族旅館という選択肢(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/b768e3a7f8a261372e28d6c95f4310f2

ウガヤのオーナー・瀬戸一平氏のコメント。「安い宿泊料金ということもありますが、実は一番重要なのがロビーなんです。旅行者同士が情報交換する、つながる場所の提供です」「ゲストハウスは他の宿泊施設に比べ、お客さんとの距離が近いんです。本当に奈良のことが好きだと、それは伝わる」。それは、澤の屋旅館を訪ねても感じることである。


※ウガヤゲストハウスのホームページ
http://www.ugaya.net/ja/index.html

このウガヤを参考に、ゲストハウスを開業された方がいる。「町家ゲストハウスならまち」(奈良市北京終町)を開業された安西俊樹氏(60)は、《シャープ奈良工場などで特許関係の業務に約40年間携わり、定年退職を機に先月12日にゲストハウスを開業した。きっかけは3年前、アメリカ留学をした娘の友人を自宅などに泊めているうちに、対応できないまでに滞在者が膨れ上がったこと。「それなら、海外の若者を低料金で泊められるゲストハウスをやろう」。そう思い立ったという》。

ライバルが出現したことについて、ウガヤの瀬戸氏は「ゲストハウスが増えることは歓迎。良いサービスを提供するためには競争が必要ですが、それは奈良で最も欠けているところ」とコメントしている。


※町家ゲストハウスならまちのホームページ
http://nara-naramachi.com/

山本記者は、1/22(下)の記事を次のように締めくくっている。《奈良の観光産業は、ホテル客室数の少なさ、アクセス道路などインフラ面の整備が課題として、常に指摘される。しかし、県や奈良市のホテル誘致事業は進まず、道路整備なども長期的な問題だ。そのような現状の奈良で「観光力」の底上げを図るため、今ある奈良の「魅力」を磨き上げ、切り口を変えて観光客に提供していくアイデアが求められている》。

そのとおりで、もう「箱モノ」に頼るのは、やめにしたい。既存の旅館・ホテルでは、春秋の観光シーズンは満室でも、夏冬には閑古鳥が鳴く。それよりゲストハウスや民宿、宿坊など、小回りの利く宿泊施設をたくさん用意すれば、観光ピーク時の緩衝材になるし、何より《お客さんとの距離が近い》施設は、個人や少人数グループで奈良に来られる方に、大いに喜ばれることだろう。地場産の食材を使った手料理なども、歓迎されるに違いない。

土産物もミニコミ誌もゲストハウスも、民間の知恵と努力で実現できることばかりだ。「10カラットのダイヤモンド1個より、01カラットのダイヤモンド100個」の精神で、「民」の力で奈良の観光を盛り上げよう!
※トップ写真は、奈良公園で撮影(09.11.9)

※「Nara Explorer」(Winter 2009/2010)から
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さようなら、大門市場

2010年01月24日 | 奈良にこだわる
木の茶の間 輪(りん)さんからスクープ情報をいただいた大門(おおもん)市場の閉鎖が、いよいよ1週間後に迫ってきた。昨日(1/23)は「第3回大門玉手箱」という一箱古本市が開かれ、今日(1/24)は「大門50周年感謝祭」が開かれる。
※スクープ!大門市場が閉鎖
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/37729d71b2dc92ec00bc580850d7473d



先日(1/20)、市場の近くを通りかかったので、そのポスターを目にしたが、1/24は閉場に伴うイベントではなく、もともとは50周年を祝うイベントであったのではないだろうか(閉鎖のお知らせとイベントの告知が別のポスターになっていたし、閉鎖のポスターの方があとから貼られた様子だ)。

周年イベントが早くから企画されていて、そのあとから閉鎖が決まったので、最終日でなく1週間前にイベントが行われるのかも知れない。記念すべき50周年祝典が閉場イベントになったとは、何とも無念なことである。





市場の閉鎖を当ブログで報じて以来、いろんなメディアが取材されていた。読売新聞(奈良版1/20付)の見出しは《さらば「大門市場」 奈良東部の台所担い半世紀 客足減り月末閉鎖》だ。《今年、開設50周年の節目だったが、近隣にスーパーが進出したことや、郊外型の大型商業施設の登場で客足が遠のき、苦境に立たされてきた》。



《大門市場は、1960年頃に開業。最盛期には、約1000平方メートルの市場内に36店舗が店を構えていた。市東部の台所として、10キロ以上離れた月ヶ瀬や柳生などから訪れる買い物客も多く、1日2000人が来店したこともあった。ただ、近隣に大型スーパーなどの出店が相次ぎ、売り上げは減少。20年ほど前には、「大門楽市」というスーパー型の店舗として生まれ変わる案が浮上したが、関係者の意見が合わず断念。客足は戻らず、現在は8店舗が営業していたが、配達を主な収入源とする店も多かった》。



朝日新聞(奈良版1/20付)には《閉鎖後、8店主のうち数店舗は市内のほかの地域へ移転し、商売を続ける。天ぷらを扱う須山商店は神殿町に移る予定で、市場の協同組合会長を務める店主の須山一信さん(68)は「地元を離れるのは本当に断腸の思い。無念だけど、とにかく前を向いて頑張りたい」と話す》。

《同市東之阪町の自宅で商売を続ける予定の松本精肉店の松本晶子さん(59)は「みんな『ここへ来ればほっとする』と言ってくれ、遠方からもお客さんが来てくれた」と残念がる。顧客は高齢者が多く、「市場で会話するのを楽しみにしていた常連さんも多かった。閉鎖はやっぱり寂しい」》。



《市内の別の店舗で営業を続けるという大門ドラッグの衣川康代さん(61)は「なじみの人たちに感謝の気持ちを伝え、新しい第2のスタートへつなげたい。落ち込んでいる暇はありません」と前向きだ。感謝祭は24日午前11時から午後4時まで。歌声広場(カラオケ)や無料健康診断、南京玉すだれや皿回し、大正琴などのステージがある。フランクフルトや甘酒、お茶のふるまいもある。23日には古本市「大門玉手箱」もある。イベントの問い合わせは大門ドラッグ(0742・22・1677)へ》。



毎日新聞(奈良版1/21付)には《須山一信さん(69)は「やめると知って店先で泣き出したお客さんもいた。これまで支えてもらって本当にありがたい気持ち」》というコメントも紹介されていた。

今日の感謝祭のスケジュールは、以下の通りである。
11:00 歌声広場(カラオケ)、無料健康診断 
13:00 ピーチーズのダンス、ならっこダンス
14:00 南京玉すだれ、皿回し、奈良ばやし(踊り)、大正琴
15:00 歌声広場(カラオケ)
16:00 終了



ならっこダンスは以前、当ブログでも紹介させていただいた。NPO法人 DEAR DEER-あおによし(平田美恵子理事長)が考案された面白いダンスである。ピーチーズは、小さい子どもさんのダンシングチームである。
※歌って踊って!ならっこダンス(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/75bb4b32b0611f0ef8efa07acb054db4

木の茶の間 輪(りん)さんによると《市場の中で爆笑だったのは読売新聞にさらっと「店主らが歌や踊りを披露」と書いてあったことです。24日は「店主らは忙しい」はずなので、「歌ったり踊ったり」はなさらないのです。出し物は今までのイベントの出演者や関係者がやります》。

《「でも、誰かこっそり練習してはるんかな…」「当日のサプライズっていうやつか?」などという会話もあり、淋しさだけでなく、注目を浴びて、張り切っておられる感じも少し受けました》。

確かに読売新聞には《店主らが歌や踊りを披露するほか、甘酒やフランクフルトが無料で振る舞われる》とある。50年間、市場ととともに歩まれたご店主たちがカラオケで歌われたり、や奈良ばやしを踊られると、拍手喝采は間違いない。ぜひ「サプライズ」を期待したいところである。



※1/28追記
イベントは盛大に行われた。読売新聞(1/25付)によると《大門市場 感謝祭にぎわう 常連客ら「寂しい」》《今月末で閉鎖される奈良市今小路町の「大門(おおもん)市場」で24日、「大門50周年感謝祭」が行われた。半世紀続いた市場がなくなるのを惜しむ大勢の買い物客が訪れ、にぎわった。市内の幼稚園児らがダンスや舞を披露。買い物客にはフランクフルトや甘酒が振る舞われた》。

《卵を販売する「岡商店」では、午前中までに完売し、店主の岡ミサヲさん(69)は「たくさんのお客さんと話せたのは久しぶり。もっと仕入れておけば、良かったかな」と笑顔を見せた。薬局「大門ドラッグ」店主の衣川康代さん(61)は「普段の10倍くらいのお客さんが来てくれた」と喜んでいた》。

1/23の「第3回大門玉手箱」については、木の茶の間 輪(りん)さんがブログにたくさんの写真を掲載されている。
http://tamatehako.exblog.jp/9762215/

毎日新聞「鹿笛」(1/24付)には、こんな話が紹介されていた。《今月末、半世紀の歴史に幕を下ろす「大門市場」(奈良市今小路町)で、「大門ドラッグ」店主、衣川康代さん(61)らを取材していた時のこと。ある高齢男性が「まだやってる?」と不安げに店内に入ってきた。「24日は感謝祭もするから」と声をかけた衣川さんに、男性は泣きそうな顔になり、何度も握手を求めて店を後にした》。

《常連客。いつも買い物をするわけではないが、一人暮らしになり、朝、昼、晩と1日3回も顔を出すこの男性を皆、温かく迎えていた。「お客さんの家族構成から性格、持病まで全部頭の中に入ってる。スーパーには無理でしょう」。衣川さんの言葉に、街をつくってきたという気概を感じた》。
コメント (3)
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