金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師は、2016年(平成28年)11月、東京の奈良まほろば館で「吉野と嵐山の縁(えにし)」という講演をされた。師はその講演録を7回に分けてご自身のFacebookに連載された(2023.2.28~3.6)。あまり聞く機会のない貴重なお話なので、当ブログでも追っかけて紹介させていただく。
役行者は山上ヶ岳(大峰山)で、一千日の修行をしてご本尊を祈り出した。すると最初にお釈迦さま、次に千手観音菩薩。最後に弥勒菩薩が現われた。しかし役行者は悪魔を降伏するような姿をさらに念じると、悪魔降伏の大変怖い姿のご本尊が出現した。お釈迦さまと観音さまと弥勒さまが、大峰の岩を割って「蔵王権現」という恐ろしい姿になって出現した…。では師のFacebook(3/3付)から、全文を抜粋する。
※トップ写真は、金峯山寺蔵王堂のあたりから望む南朝妙法殿(2023.3.28 撮影)。南朝妙法殿は〈南朝の四帝と忠臣たちを祀り、第二次世界大戦の戦死者と有縁無縁(うえんむえん)の霊を合祀する三重塔として昭和33年(1958)に建立されました。かつてここには、後醍醐天皇が行在所とした実城寺がありました。南朝妙法殿には旧実城寺の本尊と伝えられる、奈良県指定文化財の木造釈迦如来坐像が安置されています。また、毎年10月15日に後醍醐天皇御聖忌法要が営まれます〉(金峯山寺のHP)。
シリーズ「吉野山と嵐山」④
著作振り返りシリーズの第7弾は、2016年11月に開催した世界遺産連続講座から「吉野と嵐山の縁(えにし)」の講演録です。吉野の歴史からひもとくので前置きが長く、なかなか本題の「吉野山と嵐山」の話に入りませんが、7回に分けてアップします。講演の雰囲気を伝えるために、あまり手を入れていませんので、饒舌ですがお許しください。ご感想をお待ちしています。
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話を元に戻します。もともと、神仙境としての吉野があって、天皇家が吉野離宮を中心に行幸をされたというような場所として知られていた。そして、その時代の後の吉野の歴史は俄然、修験との関係が大きいわけです。そうしますと修験道というのはどういうものなのか?この話を少しします。
葛城山のふもとに生まれた役行者という方が、…吉野から南に24キロ参りますと、大峰山山上ヶ岳という山がございますが、ここで一千日の修行をされ、山伏の宗教・修験独特のご本尊を祈りだした。自分が修行していた山上ヶ岳の山頂に、その祈りだした金剛蔵王権現という悪魔降伏の、大変怖いお姿のご本尊をお祀りし、山のふもとの吉野山にもお祀りした。
山上というのは、今も女の人が登れない女人禁制のお山であります。山が開いているのが夏だけ。現在は5月3日から9月23日。144日しか開いていない。いつでも誰でも行けるところではないので、いつでも誰でもお参りできるところとして、山のふもとの吉野山にお祀りをしたのが金峯山寺の始まりで、その金峯山寺の勢力を頼って、先ほど縷々申し上げたいろんな歴史が展開をされることになります。
役行者が蔵王権現を祈りだした時に、最初にお釈迦様が現れたそうであります。続いて千手観音菩薩。続いて弥勒菩薩。次々とあらたかな仏さまが現れたのですけれども、役行者は悪魔を降伏するような姿をさらに念じられると、悪魔降伏の大変怖いお姿の御本尊が出現された。お釈迦様と観音様と弥勒様が、大峯の岩を割って「蔵王権現」という恐ろしい姿に権化して出てきた。メイドインジャパンです。
権現(ごんげん)の「権(ごん)」は権力(けんりょく)の「権(けん)」。「仮」という意味なんです。仮に現れた。仏さまが大峯の岩を割って湧出してきた神様です。これが金剛蔵王権現で、もとのお姿のお釈迦様は過去世、観音様は現在世、弥勒様は未来世。過去・現在・未来、三世にわたって人々を救うという役行者の願いにこたえて現れたのが権現さまです。権現は、かりに現れた姿、仏さまが神の姿で現れた、権現とは神と仏の融合であるということになります。
そのお姿は大変怖い、目は怒りに燃え、毛髪は逆立ち乱れ、口の両方には牙、右手には三鈷杵という武器を持ち、左に刀印を結んで腰、左足は盤石を踏み、右足は大地を蹴り上げ、背後には智慧の火炎があると。
これはそれぞれの悪魔調伏の意味がありますが、ひとつ注目して頂きたいのは、悪魔調伏の姿ですけれどもただ怖いだけではない。元々は仏さまが本地(元の姿)ですから、仏さまの慈悲を持っておられる。それを肌の色で表わすと言います。青黒い色です。青黒は慈悲の色です。怖いお姿ですけれども、その本質は仏の慈悲がある。これが権現さん。
さっき言いましたが、「権(ごん)」とは「仮」という意味、で、「現」は「あらわれる」。かりに現れた。いわゆるアバター、化身ですね。仏さまの化身。
日本では仏教が伝来してきて、最初少し蘇我氏と物部氏との争いがありますが、基本的に神様と仏さまは仲良くやって参りました。日本人は元々仏さまを神様として受け入れたんです。それは『日本書紀』なんかを読むと、外来から来た仏さまのこととして「アダシクニノカミ」、「蕃神(ばんしん)」と書きますけども、元々日本人は仏さまと神様を分けていなかった。
仏とは新しく外国から来た神様なのです。そして元々いる神様と外国から来た神様で、最初少し揉めましたが、その後は仲良くなっていくわけであります。で、仲良くなっていって「本地垂迹」という日本独特の考え方が、ここで生まれてくるわけであります。
月の光が湖や沼や水たまりに映るような、この場合本体の月が「本地」仏さんであるとすると、その池に映った月というのは「垂迹」つまり神様。神様と仏さまは、実はそういう関係にあって、同じものである、そういう考え方です。
吉野には釈迦観音弥勒の権化である蔵王権現、熊野には熊野三所権現。これは本宮の家都御子神(けつみこのかみ)様が本地・阿弥陀如来。ですから本宮は阿弥陀浄土ということで、時宗を開いた一遍上人がここでお悟りを開かれたといわれます。
それから、新宮速玉の神様は薬師如来。那智の夫須美の神様は千手観音、というような権現といいますか、神様と仏さまを融合させた信仰が生まれた。羽黒は、羽黒権現。これは観音さんの本地。白山は、白山妙理権現、これは十一面観音尊が本地。富士山は浅間(せんげん)大菩薩、これは大日如来が本地。京都には愛宕神社、愛宕権現というのは、これは地蔵菩薩の権化。全国に展開をしていきます。
なんと、江戸時代には徳川家康が死んで、東照大権現になった。これは薬師如来の権化…というような、神様と仏さまを融合させたそういう信仰。仲のよい仏という父と神という母の夫婦の間で生まれたのが修験信仰で、神仏習合、権現なのです。権現というのは、神でもあり仏でもある、ということになります。
そして吉野ではその蔵王権現様を役行者が祈りだした時に山桜の木に刻んでお祀りしたという由来から、山桜は蔵王権現の御神木として尊ばれてきた、千年単位で人々が大切に守ってきました。
その歴史が吉野中の、山を埋め、谷を埋め、千本桜ー花の名所になっていったわけでありますが、先ほど申し上げましたように、江戸の八代将軍吉宗の時に始まった庶民の花見より、はるかに以前に、信仰の証という形で、吉野では花がたくさん植えられてきて、それを人々が見るようになってきた。権現信仰あるいは金峯山寺というお寺の関係と、この山桜、吉野の桜というのは、大変深い関係なわけであります。
役行者は山上ヶ岳(大峰山)で、一千日の修行をしてご本尊を祈り出した。すると最初にお釈迦さま、次に千手観音菩薩。最後に弥勒菩薩が現われた。しかし役行者は悪魔を降伏するような姿をさらに念じると、悪魔降伏の大変怖い姿のご本尊が出現した。お釈迦さまと観音さまと弥勒さまが、大峰の岩を割って「蔵王権現」という恐ろしい姿になって出現した…。では師のFacebook(3/3付)から、全文を抜粋する。
※トップ写真は、金峯山寺蔵王堂のあたりから望む南朝妙法殿(2023.3.28 撮影)。南朝妙法殿は〈南朝の四帝と忠臣たちを祀り、第二次世界大戦の戦死者と有縁無縁(うえんむえん)の霊を合祀する三重塔として昭和33年(1958)に建立されました。かつてここには、後醍醐天皇が行在所とした実城寺がありました。南朝妙法殿には旧実城寺の本尊と伝えられる、奈良県指定文化財の木造釈迦如来坐像が安置されています。また、毎年10月15日に後醍醐天皇御聖忌法要が営まれます〉(金峯山寺のHP)。
シリーズ「吉野山と嵐山」④
著作振り返りシリーズの第7弾は、2016年11月に開催した世界遺産連続講座から「吉野と嵐山の縁(えにし)」の講演録です。吉野の歴史からひもとくので前置きが長く、なかなか本題の「吉野山と嵐山」の話に入りませんが、7回に分けてアップします。講演の雰囲気を伝えるために、あまり手を入れていませんので、饒舌ですがお許しください。ご感想をお待ちしています。
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話を元に戻します。もともと、神仙境としての吉野があって、天皇家が吉野離宮を中心に行幸をされたというような場所として知られていた。そして、その時代の後の吉野の歴史は俄然、修験との関係が大きいわけです。そうしますと修験道というのはどういうものなのか?この話を少しします。
葛城山のふもとに生まれた役行者という方が、…吉野から南に24キロ参りますと、大峰山山上ヶ岳という山がございますが、ここで一千日の修行をされ、山伏の宗教・修験独特のご本尊を祈りだした。自分が修行していた山上ヶ岳の山頂に、その祈りだした金剛蔵王権現という悪魔降伏の、大変怖いお姿のご本尊をお祀りし、山のふもとの吉野山にもお祀りした。
山上というのは、今も女の人が登れない女人禁制のお山であります。山が開いているのが夏だけ。現在は5月3日から9月23日。144日しか開いていない。いつでも誰でも行けるところではないので、いつでも誰でもお参りできるところとして、山のふもとの吉野山にお祀りをしたのが金峯山寺の始まりで、その金峯山寺の勢力を頼って、先ほど縷々申し上げたいろんな歴史が展開をされることになります。
役行者が蔵王権現を祈りだした時に、最初にお釈迦様が現れたそうであります。続いて千手観音菩薩。続いて弥勒菩薩。次々とあらたかな仏さまが現れたのですけれども、役行者は悪魔を降伏するような姿をさらに念じられると、悪魔降伏の大変怖いお姿の御本尊が出現された。お釈迦様と観音様と弥勒様が、大峯の岩を割って「蔵王権現」という恐ろしい姿に権化して出てきた。メイドインジャパンです。
権現(ごんげん)の「権(ごん)」は権力(けんりょく)の「権(けん)」。「仮」という意味なんです。仮に現れた。仏さまが大峯の岩を割って湧出してきた神様です。これが金剛蔵王権現で、もとのお姿のお釈迦様は過去世、観音様は現在世、弥勒様は未来世。過去・現在・未来、三世にわたって人々を救うという役行者の願いにこたえて現れたのが権現さまです。権現は、かりに現れた姿、仏さまが神の姿で現れた、権現とは神と仏の融合であるということになります。
そのお姿は大変怖い、目は怒りに燃え、毛髪は逆立ち乱れ、口の両方には牙、右手には三鈷杵という武器を持ち、左に刀印を結んで腰、左足は盤石を踏み、右足は大地を蹴り上げ、背後には智慧の火炎があると。
これはそれぞれの悪魔調伏の意味がありますが、ひとつ注目して頂きたいのは、悪魔調伏の姿ですけれどもただ怖いだけではない。元々は仏さまが本地(元の姿)ですから、仏さまの慈悲を持っておられる。それを肌の色で表わすと言います。青黒い色です。青黒は慈悲の色です。怖いお姿ですけれども、その本質は仏の慈悲がある。これが権現さん。
さっき言いましたが、「権(ごん)」とは「仮」という意味、で、「現」は「あらわれる」。かりに現れた。いわゆるアバター、化身ですね。仏さまの化身。
日本では仏教が伝来してきて、最初少し蘇我氏と物部氏との争いがありますが、基本的に神様と仏さまは仲良くやって参りました。日本人は元々仏さまを神様として受け入れたんです。それは『日本書紀』なんかを読むと、外来から来た仏さまのこととして「アダシクニノカミ」、「蕃神(ばんしん)」と書きますけども、元々日本人は仏さまと神様を分けていなかった。
仏とは新しく外国から来た神様なのです。そして元々いる神様と外国から来た神様で、最初少し揉めましたが、その後は仲良くなっていくわけであります。で、仲良くなっていって「本地垂迹」という日本独特の考え方が、ここで生まれてくるわけであります。
月の光が湖や沼や水たまりに映るような、この場合本体の月が「本地」仏さんであるとすると、その池に映った月というのは「垂迹」つまり神様。神様と仏さまは、実はそういう関係にあって、同じものである、そういう考え方です。
吉野には釈迦観音弥勒の権化である蔵王権現、熊野には熊野三所権現。これは本宮の家都御子神(けつみこのかみ)様が本地・阿弥陀如来。ですから本宮は阿弥陀浄土ということで、時宗を開いた一遍上人がここでお悟りを開かれたといわれます。
それから、新宮速玉の神様は薬師如来。那智の夫須美の神様は千手観音、というような権現といいますか、神様と仏さまを融合させた信仰が生まれた。羽黒は、羽黒権現。これは観音さんの本地。白山は、白山妙理権現、これは十一面観音尊が本地。富士山は浅間(せんげん)大菩薩、これは大日如来が本地。京都には愛宕神社、愛宕権現というのは、これは地蔵菩薩の権化。全国に展開をしていきます。
なんと、江戸時代には徳川家康が死んで、東照大権現になった。これは薬師如来の権化…というような、神様と仏さまを融合させたそういう信仰。仲のよい仏という父と神という母の夫婦の間で生まれたのが修験信仰で、神仏習合、権現なのです。権現というのは、神でもあり仏でもある、ということになります。
そして吉野ではその蔵王権現様を役行者が祈りだした時に山桜の木に刻んでお祀りしたという由来から、山桜は蔵王権現の御神木として尊ばれてきた、千年単位で人々が大切に守ってきました。
その歴史が吉野中の、山を埋め、谷を埋め、千本桜ー花の名所になっていったわけでありますが、先ほど申し上げましたように、江戸の八代将軍吉宗の時に始まった庶民の花見より、はるかに以前に、信仰の証という形で、吉野では花がたくさん植えられてきて、それを人々が見るようになってきた。権現信仰あるいは金峯山寺というお寺の関係と、この山桜、吉野の桜というのは、大変深い関係なわけであります。