知人のMさんは、奈良市の林(りん)神社(漢國神社境内)で営まれた饅頭祭(まんじゅうまつり 2023.4.19)に、スタッフとして協力された。そんな彼は、ご自身のFacebook(2023.4.20付)に、菓子の祖神などのゆかりの地を思いつくままに記された。
※写真は全て饅頭祭で撮影(2023.4.19)。トップ写真はこの日、復元された「奈良饅頭」
説明書きには、〈古文献から薯蕷(じょうよ)饅頭に紅粉で一点を打った奈良饅頭を復元〉
以下の文章は「裏を取ってない資料もありますので、ご注意ください」とのことだった。あくまで「未定稿」として掲載させていただくので、そのつもりでお読みいただきたい。私はこれをヒントに、ゆかりの地を訪ねてみようと思っている。なお文章は読みやすさを考えて、句読点などを補った。
お天気が心配だったが、何とか傘なしでしのげた
大和國
奈良市に鎮座される漢國(かんごう)神社の林神社は、饅頭の祖である林浄因(りんじょういん)を祀り、国内の和菓子匠を中心に菓子を扱う方々の信仰を集めている。
但馬國
豊岡市に鎮座される中嶋神社は、菓子の祖である田道間守(たじまもり)を祀る。 国内の菓子メーカーの信仰を集めている。
兵庫県豊岡市に隣り合う京都府京丹後市久美浜町そして網野町
垂仁天皇の命を受けた田道間守が、非時香果(ときじくのかぐのこのみ)つまり橘を持ち帰ったとされる地。久美浜町の箱石浜(旧くは函石浜)に上陸したとも、網野町の木津浜に上陸したともされる。
木津は「きつ」と読み、橘の音の「きつ」からきているという。地名の「木津」も古くは「橘」であり、今も橘小学校などにその名を残している。飛鳥時代の律令制導入に伴い、地名の好字二字化が行われた時に、変更されたものだという。
京都府与謝郡伊根町
話はひょいと飛ぶが、京丹後市網野町から東へ丹後半島をぐるりと回り込むと、京都府与謝郡伊根町となる。舟屋建築などで知られた伊根町に ハコ石(ハコ岩)というところがある。田道間守が、大陸から非時香果を持ち帰って来た時に、上陸地となったとされる候補地のひとつ「箱石(函石)」。
おお、どこかで見たような巫女さんだ!
伊根町の「ハコ石(岩)」は、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の薬を探しにやってきた 徐福(じょふく)が上陸したという伝承を持つ。いわゆる虚構として知られる伝承だが、同じ「ハコイシ」という名前のところに、ひとつは非時香果を持ち帰った田道間守、ひとつは不老不死の薬を求めてやってきた徐福。なんとなく裏返しの類似性を持つ伝承が丹後半島を挟んで東西にある、そんなところが好きであったりする。
近くには浦島太郎伝承の地もある網野町は、倭姫命による元伊勢伝承もある。近くには間人皇后の隠棲地もある。乙姫伝説と天女伝説もある。静御前伝説もある。細川ガラシャが幽閉された地も近い。安寿と厨子王…山椒大夫の伝承地も近い。鬼退治の麻呂子親王伝説の地でもある。饅頭祭から 頭の中をめぐったあれこれである(笑)
以下は、私の書き込みに応える格好で書かれたMさんのコメントである。
但馬から丹後という土地が太古から大陸との行き来が盛んであり、常世伝承を生む源となっていてことは事実でしょうね。函石浜は非常に有名な大量の古墳群、弥生期の遺跡、大陸からもたらされた品々が発見されているところ。但馬国守たる田道間守との関連が生まれても、これまたしかたがないところかと思われます。
徐福伝説は、あくまで「虚構として知られる伝承」であるが、丹後半島の突端とつけ根に「裏返しの類似性を持つ伝承」があるというのは、興味深い。現地リサーチできる日が、今から楽しみだ。
(ご参考)TVN(奈良テレビ)ニュース「菓子業界の発展を祈願 林神社の饅頭祭り」
2023.04.19 18:45配信
奈良市の林神社では、菓子業界の発展を祈願する饅頭祭が19日、行われました。近鉄奈良駅近くの漢国神社境内にある林神社には、室町時代に小豆餡の饅頭を考案したとされる林浄因が祀られています。この饅頭祭は、毎年4月19日に行われており、奈良をはじめ東京や徳島など全国から菓子業界関係者などが集まり、業界の繁栄を願いました。
また、祭を盛り上げる催しとして奈良の和菓子の即売が行われました。こちらは、江戸時代に林浄因の子孫が考案した「奈良饅頭」の復刻版です。饅頭祭限定で500箱販売され、約2時間で完売するほどの人気でした。訪れた人は林浄因の遺徳を偲びながら祭を楽しんでいました。
※写真は全て饅頭祭で撮影(2023.4.19)。トップ写真はこの日、復元された「奈良饅頭」
説明書きには、〈古文献から薯蕷(じょうよ)饅頭に紅粉で一点を打った奈良饅頭を復元〉
以下の文章は「裏を取ってない資料もありますので、ご注意ください」とのことだった。あくまで「未定稿」として掲載させていただくので、そのつもりでお読みいただきたい。私はこれをヒントに、ゆかりの地を訪ねてみようと思っている。なお文章は読みやすさを考えて、句読点などを補った。
お天気が心配だったが、何とか傘なしでしのげた
大和國
奈良市に鎮座される漢國(かんごう)神社の林神社は、饅頭の祖である林浄因(りんじょういん)を祀り、国内の和菓子匠を中心に菓子を扱う方々の信仰を集めている。
但馬國
豊岡市に鎮座される中嶋神社は、菓子の祖である田道間守(たじまもり)を祀る。 国内の菓子メーカーの信仰を集めている。
兵庫県豊岡市に隣り合う京都府京丹後市久美浜町そして網野町
垂仁天皇の命を受けた田道間守が、非時香果(ときじくのかぐのこのみ)つまり橘を持ち帰ったとされる地。久美浜町の箱石浜(旧くは函石浜)に上陸したとも、網野町の木津浜に上陸したともされる。
木津は「きつ」と読み、橘の音の「きつ」からきているという。地名の「木津」も古くは「橘」であり、今も橘小学校などにその名を残している。飛鳥時代の律令制導入に伴い、地名の好字二字化が行われた時に、変更されたものだという。
京都府与謝郡伊根町
話はひょいと飛ぶが、京丹後市網野町から東へ丹後半島をぐるりと回り込むと、京都府与謝郡伊根町となる。舟屋建築などで知られた伊根町に ハコ石(ハコ岩)というところがある。田道間守が、大陸から非時香果を持ち帰って来た時に、上陸地となったとされる候補地のひとつ「箱石(函石)」。
おお、どこかで見たような巫女さんだ!
伊根町の「ハコ石(岩)」は、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の薬を探しにやってきた 徐福(じょふく)が上陸したという伝承を持つ。いわゆる虚構として知られる伝承だが、同じ「ハコイシ」という名前のところに、ひとつは非時香果を持ち帰った田道間守、ひとつは不老不死の薬を求めてやってきた徐福。なんとなく裏返しの類似性を持つ伝承が丹後半島を挟んで東西にある、そんなところが好きであったりする。
近くには浦島太郎伝承の地もある網野町は、倭姫命による元伊勢伝承もある。近くには間人皇后の隠棲地もある。乙姫伝説と天女伝説もある。静御前伝説もある。細川ガラシャが幽閉された地も近い。安寿と厨子王…山椒大夫の伝承地も近い。鬼退治の麻呂子親王伝説の地でもある。饅頭祭から 頭の中をめぐったあれこれである(笑)
以下は、私の書き込みに応える格好で書かれたMさんのコメントである。
但馬から丹後という土地が太古から大陸との行き来が盛んであり、常世伝承を生む源となっていてことは事実でしょうね。函石浜は非常に有名な大量の古墳群、弥生期の遺跡、大陸からもたらされた品々が発見されているところ。但馬国守たる田道間守との関連が生まれても、これまたしかたがないところかと思われます。
徐福伝説は、あくまで「虚構として知られる伝承」であるが、丹後半島の突端とつけ根に「裏返しの類似性を持つ伝承」があるというのは、興味深い。現地リサーチできる日が、今から楽しみだ。
(ご参考)TVN(奈良テレビ)ニュース「菓子業界の発展を祈願 林神社の饅頭祭り」
2023.04.19 18:45配信
奈良市の林神社では、菓子業界の発展を祈願する饅頭祭が19日、行われました。近鉄奈良駅近くの漢国神社境内にある林神社には、室町時代に小豆餡の饅頭を考案したとされる林浄因が祀られています。この饅頭祭は、毎年4月19日に行われており、奈良をはじめ東京や徳島など全国から菓子業界関係者などが集まり、業界の繁栄を願いました。
また、祭を盛り上げる催しとして奈良の和菓子の即売が行われました。こちらは、江戸時代に林浄因の子孫が考案した「奈良饅頭」の復刻版です。饅頭祭限定で500箱販売され、約2時間で完売するほどの人気でした。訪れた人は林浄因の遺徳を偲びながら祭を楽しんでいました。