8/27~29に開かれた「第12回バサラ祭り」が閉幕した。昨日の産経新聞奈良版によると《暑さ吹き飛ぶパフォーマンス 「バサラ祭り」感動フィナーレ》《古都の晩夏を盛り上げる「バサラ祭り」は29日、奈良市登大路町の奈良国立博物館前庭でフィナーレを迎えた。この日の同市は最高気温36・1度を記録する猛暑日だったが、参加者らは暑さを吹き飛ばす元気いっぱいのパフォーマンスを披露した》。
《バサラ祭りは平成11年から始まったイベント。12回目の今年は過去最多となる53チーム、計約1500人が出場し、27日から3日間、平城宮跡(同市佐紀町)などでステージやパレードを繰り広げてきた》。
今年のバサラ祭りは初の3日間開催。平城遷都1300年祭とあいまって、相当力が入っていた。公式HPによると《『ひとり一人、違う個性豊かな輝きを持った個人が輝きあって、この街の明日を照らす大きなひとつの光りになりたい』- そのような思いで古都・奈良に立ち上げた「バサラ祭り」は、今年十二年目を迎え、奈良の夏を熱く彩る祭りとして、まほろば奈良への感謝と敬意を込めて、奈良の魅力をもっと引き出し、まちと人をもっと元気にすることを目指して、2010バサラ祭りを開催致します》。
※バサラ祭りの公式ホームページ
http://www.basaramatsuri.com/top.html
《今年はさらに、平城遷都1300年を祝し、その記念事業の主軸を担い、フィナーレを飾る祭りとして、日本の心のふるさと奈良から、新たな時代の幕開けを告げます》。
最終日の8/29(日)、このお祭りを見物しようと奈良市の三条通を訪ねた。会社の同僚3人が、県職員らで構成される「県庁伐折羅(バサラ)」というチームに加わって踊るというのだ。出発は午後3時の予定だったが、2時過ぎに現地入りした。
県庁伐折羅チームで踊るウチの同僚3人(向かって右から1人め、2人めと4人め)
県庁伐折羅はHPも作っている。それによると《チームコンセプト 奈良県庁職員を中心とする、イベントや踊り、楽しいことが好きな有志で活動しているサークルです。奈良に活気と元気を、というバサラ祭の目的に賛同し、第2回(2000年)より参加しはじめました》《2010年には、平城遷都1300年記念事業が開催されます。世界に誇れる遺産がてんこもりの古都・奈良。バサラ祭の観覧を通じて、皆様が奈良を好きになってくださることを願いつつ、熱く踊っています。どうぞご声援をお願い申し上げます》。
http://kenchoubasara.ojaru.jp/index.htm
《観ていただける皆様に楽しんでいただくため、チームのコンセプトも、ずばり 楽しむ!! 何よりも踊っている私たちが、バサラ祭において「楽しさ」を学びました。至らぬ点は多々ありますが、温かく見守ってください》。
「バサラ祭の観覧を通じて、皆様が奈良を好きになってくださることを願いつつ、熱く踊っています」というくだりが、泣かせる。このチームはなかなかの強豪で、初参加の翌年から、数々の賞を受賞している(08年から、コンテストはなくなった)。
偶然、tsujikenさんにお会いした。ミストシャワー係をされていた
それにしても静かな古都・奈良で、よくこんな賑やかなお祭りを考え出されたものだ。発足当初から「バサラ祭り実行委員会」委員長を務める魚谷和良氏(うおたに・かずよし 魚万専務取締役)が、インタビューに答えている(2003年)。上田悟氏(奈良県議会議員・自民党)のサイトに出ている記事で、タイトルは《町衆の力で完成した奈良の祭り》だ。
http://www.satoru-withyou.com/zyuzu/zyuzu_Frameset.html
やはり、平城人(ならびと)は迫力がある
《1999年8月、奈良に新しい祭り『バサラ祭り』が誕生した。みんながキラキラと輝く祭りとして、そして市民参加型のエネルギーに満ちた祭りとして注目の『バサラ祭り』。街の中をダンシングパフォーマンスしながら歩くこの祭りを、企画運営する実行委員会の委員長として個性豊かな実行委員メンバーを束ねる魚谷和良さんにお話をうかがった》。
《魚谷 以前に各種青年団体や行政と一緒になって開催していたイベントがありましたが、回を重ねるうちに、規制がいろいろと出てきたのです。企画運営している者たちの、立場的なものや、利害関係、主張が交差して、はっきり言って、「また参加したい」と思えるおもしろいモノではなくなってきたのです》。
《団体や行政主導のイベント開催には良いものと、良くないものがあると改めて感じましたね。そんな時に高知の『よさこい祭り』を目の当たりにしたのです。街に溢れるエネルギーを受け、「これは凄い!ぜひこんな祭りをやりたい!」と思ったのがきかっけです》。
《まったくの町衆で始めました。もちろん、実行委員会のメンバーの中には、各種団体や行政に所属している人たちもいますが、バサラ祭り実行委員会に関しては個人という形での参加でした。そのへんにはみんながこだわっていましてね》。
《許認可やら、運営費やら、問題は山積みでした。それと同時に祭り自体の組立もありましたからね。だけど、うちの実行委員会のメンバーは、『この指止まれ』で集まった人たちなのですよ。「他の祭りとは違ったオリジナルのうたを創ろう」、それなら詞を作れる人、曲を作れる人、うたを歌える人、「正調の踊りがほしいなぁ」、それなら踊れる人、「みんなにスポットライトをあびてもらって踊ってもらいたいな」、それなら舞台関係の人…という感じで、メンバーのネットワークの中から参加を促したのが、実はその道のプロばかりだったという感じです(笑)》。
《肩書き関係なしに、仕事ではなく、結局、祭りのコンセプトでもある、バサラな奴らの集団が実行委員会となり祭りを創ったのです》《バサラの語源はダイヤモンド、磨いて輝く石。鎌倉・室町時代に粋で、人とは違った魅力を持ち、歌舞伎ファッションにも影響を与えることになる『婆沙羅大名』や薬師如来の周りを取り巻く十二神将のひとり『伐折羅大将』にも、いろんな意味でこだわり、調べもしましたね》《楽しむところは、一生懸命に楽しむ。日常の街を舞台に、非日常の祭りを楽しむのです。バサラな奴らとはそんな人たちのことです》。
《今までのお祭りは、特に奈良市内では、寺社を中心に守られてきた伝統行事が多く、バサラ祭りのように参加型の賑やかなものがありませんでした。ですから商店街を大きな音楽を鳴らしながら、派手な衣装を身につけた人たちが踊り歩くこのお祭り当日は「うるさいなぁ」と顔をしかめる人もありました。「奈良らしくない」という人もいます》。
奈良市役所チーム「八重櫻」。50人もの職員さんが踊っていた
《でも反対に「こんな面白い、楽しい祭りが奈良に出来てよかった」「1年に1度くらい、奈良らしくない日があるほうが良い。刺激があって楽しい」「あんまり好きな街じゃなかったけれど、バサラ祭りが毎年の楽しみになった」という人たちも出てきたのです》。
奈良市職員養成塾(8/18)でお世話になったSさん(手前)。ウチの長男の同級生である
《実際、祭りを開催するにあたり、実行委員会のみんなの負担は時間的にも、精神的にも多大な労力を要しています。例えば、私自身も家業のかまぼこ屋が会場ともなる商店街内にあり、良きにつけ悪きにつけ、店や家族に影響を与えています。だけど、祭りは必要なのです》《学生時代に、祭り参加と引き換えに単位を棒に振った、岸和田の友人がいました。その時は理解できなかったその友人が言った「オレが行かな、祭りが始まらへんねん」の言葉、今は解ります。うちの実行委員会のメンバーはみんな、そう思っていますよ(笑)》。
「練習不足で…」とおっしゃっていたが、大した熱演だった
バサラ祭りが始まった翌年、魚谷さんは新聞のインタビューに答えて「ある程度、バサラ祭りが県内で定着したら、私は引退しようと思っています」とおっしゃっていたが、その気配はないし、むしろNPO法人「奈良元気もんプロジェクト推進会議」を設立されたり、と活躍の場が広がっている。
バサラ祭りは、河瀬直美監督の映画『沙羅双樹』(03年)に取り上げられたこともある。主人公の父親が、バサラ祭りの実行委員長という設定で、「輝かないと人間じゃないんだと思うんです」という名セリフも登場した。実行委員会の方々は、「オレが行かな、祭りが始まらへんねん」の思いで、お祭りをここまで大きくしてこられたのだ。
「静」の祭り・なら燈花会が終わると「動」の祭り・バサラ祭りが始まり、奈良の夏が終わる。すっかり奈良の風物詩として定着したこれらのお祭り、「ポスト1300年」の来年以降も、このパワーで奈良を大いに盛り上げていただきたいものだ。
《バサラ祭りは平成11年から始まったイベント。12回目の今年は過去最多となる53チーム、計約1500人が出場し、27日から3日間、平城宮跡(同市佐紀町)などでステージやパレードを繰り広げてきた》。
今年のバサラ祭りは初の3日間開催。平城遷都1300年祭とあいまって、相当力が入っていた。公式HPによると《『ひとり一人、違う個性豊かな輝きを持った個人が輝きあって、この街の明日を照らす大きなひとつの光りになりたい』- そのような思いで古都・奈良に立ち上げた「バサラ祭り」は、今年十二年目を迎え、奈良の夏を熱く彩る祭りとして、まほろば奈良への感謝と敬意を込めて、奈良の魅力をもっと引き出し、まちと人をもっと元気にすることを目指して、2010バサラ祭りを開催致します》。
※バサラ祭りの公式ホームページ
http://www.basaramatsuri.com/top.html
《今年はさらに、平城遷都1300年を祝し、その記念事業の主軸を担い、フィナーレを飾る祭りとして、日本の心のふるさと奈良から、新たな時代の幕開けを告げます》。
最終日の8/29(日)、このお祭りを見物しようと奈良市の三条通を訪ねた。会社の同僚3人が、県職員らで構成される「県庁伐折羅(バサラ)」というチームに加わって踊るというのだ。出発は午後3時の予定だったが、2時過ぎに現地入りした。
県庁伐折羅チームで踊るウチの同僚3人(向かって右から1人め、2人めと4人め)
県庁伐折羅はHPも作っている。それによると《チームコンセプト 奈良県庁職員を中心とする、イベントや踊り、楽しいことが好きな有志で活動しているサークルです。奈良に活気と元気を、というバサラ祭の目的に賛同し、第2回(2000年)より参加しはじめました》《2010年には、平城遷都1300年記念事業が開催されます。世界に誇れる遺産がてんこもりの古都・奈良。バサラ祭の観覧を通じて、皆様が奈良を好きになってくださることを願いつつ、熱く踊っています。どうぞご声援をお願い申し上げます》。
http://kenchoubasara.ojaru.jp/index.htm
《観ていただける皆様に楽しんでいただくため、チームのコンセプトも、ずばり 楽しむ!! 何よりも踊っている私たちが、バサラ祭において「楽しさ」を学びました。至らぬ点は多々ありますが、温かく見守ってください》。
「バサラ祭の観覧を通じて、皆様が奈良を好きになってくださることを願いつつ、熱く踊っています」というくだりが、泣かせる。このチームはなかなかの強豪で、初参加の翌年から、数々の賞を受賞している(08年から、コンテストはなくなった)。
偶然、tsujikenさんにお会いした。ミストシャワー係をされていた
それにしても静かな古都・奈良で、よくこんな賑やかなお祭りを考え出されたものだ。発足当初から「バサラ祭り実行委員会」委員長を務める魚谷和良氏(うおたに・かずよし 魚万専務取締役)が、インタビューに答えている(2003年)。上田悟氏(奈良県議会議員・自民党)のサイトに出ている記事で、タイトルは《町衆の力で完成した奈良の祭り》だ。
http://www.satoru-withyou.com/zyuzu/zyuzu_Frameset.html
やはり、平城人(ならびと)は迫力がある
《1999年8月、奈良に新しい祭り『バサラ祭り』が誕生した。みんながキラキラと輝く祭りとして、そして市民参加型のエネルギーに満ちた祭りとして注目の『バサラ祭り』。街の中をダンシングパフォーマンスしながら歩くこの祭りを、企画運営する実行委員会の委員長として個性豊かな実行委員メンバーを束ねる魚谷和良さんにお話をうかがった》。
《魚谷 以前に各種青年団体や行政と一緒になって開催していたイベントがありましたが、回を重ねるうちに、規制がいろいろと出てきたのです。企画運営している者たちの、立場的なものや、利害関係、主張が交差して、はっきり言って、「また参加したい」と思えるおもしろいモノではなくなってきたのです》。
《団体や行政主導のイベント開催には良いものと、良くないものがあると改めて感じましたね。そんな時に高知の『よさこい祭り』を目の当たりにしたのです。街に溢れるエネルギーを受け、「これは凄い!ぜひこんな祭りをやりたい!」と思ったのがきかっけです》。
《まったくの町衆で始めました。もちろん、実行委員会のメンバーの中には、各種団体や行政に所属している人たちもいますが、バサラ祭り実行委員会に関しては個人という形での参加でした。そのへんにはみんながこだわっていましてね》。
《許認可やら、運営費やら、問題は山積みでした。それと同時に祭り自体の組立もありましたからね。だけど、うちの実行委員会のメンバーは、『この指止まれ』で集まった人たちなのですよ。「他の祭りとは違ったオリジナルのうたを創ろう」、それなら詞を作れる人、曲を作れる人、うたを歌える人、「正調の踊りがほしいなぁ」、それなら踊れる人、「みんなにスポットライトをあびてもらって踊ってもらいたいな」、それなら舞台関係の人…という感じで、メンバーのネットワークの中から参加を促したのが、実はその道のプロばかりだったという感じです(笑)》。
《肩書き関係なしに、仕事ではなく、結局、祭りのコンセプトでもある、バサラな奴らの集団が実行委員会となり祭りを創ったのです》《バサラの語源はダイヤモンド、磨いて輝く石。鎌倉・室町時代に粋で、人とは違った魅力を持ち、歌舞伎ファッションにも影響を与えることになる『婆沙羅大名』や薬師如来の周りを取り巻く十二神将のひとり『伐折羅大将』にも、いろんな意味でこだわり、調べもしましたね》《楽しむところは、一生懸命に楽しむ。日常の街を舞台に、非日常の祭りを楽しむのです。バサラな奴らとはそんな人たちのことです》。
《今までのお祭りは、特に奈良市内では、寺社を中心に守られてきた伝統行事が多く、バサラ祭りのように参加型の賑やかなものがありませんでした。ですから商店街を大きな音楽を鳴らしながら、派手な衣装を身につけた人たちが踊り歩くこのお祭り当日は「うるさいなぁ」と顔をしかめる人もありました。「奈良らしくない」という人もいます》。
奈良市役所チーム「八重櫻」。50人もの職員さんが踊っていた
《でも反対に「こんな面白い、楽しい祭りが奈良に出来てよかった」「1年に1度くらい、奈良らしくない日があるほうが良い。刺激があって楽しい」「あんまり好きな街じゃなかったけれど、バサラ祭りが毎年の楽しみになった」という人たちも出てきたのです》。
奈良市職員養成塾(8/18)でお世話になったSさん(手前)。ウチの長男の同級生である
《実際、祭りを開催するにあたり、実行委員会のみんなの負担は時間的にも、精神的にも多大な労力を要しています。例えば、私自身も家業のかまぼこ屋が会場ともなる商店街内にあり、良きにつけ悪きにつけ、店や家族に影響を与えています。だけど、祭りは必要なのです》《学生時代に、祭り参加と引き換えに単位を棒に振った、岸和田の友人がいました。その時は理解できなかったその友人が言った「オレが行かな、祭りが始まらへんねん」の言葉、今は解ります。うちの実行委員会のメンバーはみんな、そう思っていますよ(笑)》。
「練習不足で…」とおっしゃっていたが、大した熱演だった
バサラ祭りが始まった翌年、魚谷さんは新聞のインタビューに答えて「ある程度、バサラ祭りが県内で定着したら、私は引退しようと思っています」とおっしゃっていたが、その気配はないし、むしろNPO法人「奈良元気もんプロジェクト推進会議」を設立されたり、と活躍の場が広がっている。
バサラ祭りは、河瀬直美監督の映画『沙羅双樹』(03年)に取り上げられたこともある。主人公の父親が、バサラ祭りの実行委員長という設定で、「輝かないと人間じゃないんだと思うんです」という名セリフも登場した。実行委員会の方々は、「オレが行かな、祭りが始まらへんねん」の思いで、お祭りをここまで大きくしてこられたのだ。
「静」の祭り・なら燈花会が終わると「動」の祭り・バサラ祭りが始まり、奈良の夏が終わる。すっかり奈良の風物詩として定着したこれらのお祭り、「ポスト1300年」の来年以降も、このパワーで奈良を大いに盛り上げていただきたいものだ。