tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

毎年11月20~26日の献灯祭で、紅葉ライトアップ!「等彌(とみ)神社」(桜井市桜井)

2024年11月07日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。昨日(2024.11.6)掲載されたのは〈神武天皇が初の大嘗祭(だいじょうさい)/等彌神社(桜井市)〉執筆されたのは、同会会員で橿原市にお住まいの田村基樹さんだった。田村さんは同会の「ガイドグループ」と「講演・講座グループ」に所属され、熱心に活動されている。
※トップ写真は、等彌神社上津尾社(かみつおしゃ)の拝殿=桜井市で

等彌神社は桜井市立図書館の向かい(多武峰に向かう県道を挟む)にあり、立派な一の鳥居で知られる。この鳥居は、もとは伊勢神宮の内宮(皇大神宮)の鳥居(奥にあり通常は拝観できない)で、これが20年に1度の式年遷宮で撤下(てっか)されたものである。では、記事全文を紹介する。


等彌神社一の鳥居。写真は同神社のFacebookから拝借

等彌神社(桜井市)
鳥見山の西に鎮座する当社は、10世紀前半制定の「延喜式神名帳」に記載された「式内社」であり、明治時代まで、能登の宮と呼ばれており、1940年に旧村社から県社に列せられました。 
                                     
橿原宮で即位したとされる初代神武天皇が、鳥見山中(桜井市外山)に霊畤(まつりのにわ)を設け最初の大嘗祭(だいじょうさい)を行った地と伝えられ、この故事を顕彰する鳥見山中霊畤春季大祭が5月13日に行われます。 
   
160基あまりの石燈籠(いしどうろう)が並ぶ左の参道を進むと、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る「上津尾社(かみつおしゃ)」があります。社殿は、元は鳥見山山中にありましたが、山崩れのため12世紀初めに現在地に移されたと伝えられます。

裏参道を下ると「下津尾社」に至ります。本殿は2棟あり、右殿は八幡社で、神武天皇、応神天皇を、左殿は春日社で、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭ります。

境内には、万葉歌碑、句碑、歌碑が13基建立されています。手水(ちょうず)舎には、中国の伝説上の神獣「贔屓(ひいき)」(亀の姿で贔屓の語源とされる)が使われています。県道脇に立つ一の鳥居は、2015年に伊勢神宮内宮の鳥居を譲渡されたものです。11月下旬の献灯祭では、奉納された行燈が参道に並び、紅葉がライトアップされ、多くの参拝者で境内が賑わいます。(奈良まほろばソムリエの会会員 田村基樹)

(住 所)桜井市桜井1176
(祭 神)天照大神、神武天皇、応神天皇、高皇産霊神、天児屋根命
(交 通)JR・近鉄桜井駅下車東南へ徒歩15分
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり(無料)
(電 話)0744・ 42・3377


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古祭(ふるまつり)にスコの餅、国津神社(奈良市都祁白石町)/毎日新聞「やまとの神さま」第101回

2024年10月27日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.10.23)掲載されたのは〈冬を告げる「スコの餅」/国津(くにつ)神社(奈良市)〉、執筆されたのは奈良市にお住まいの同会会員、小西和子さんだった。
※トップ写真は、国津神社拝殿=奈良市都祁(つげ)白石町で

「国津神社」という名前の神社は、ざっと調べただけでも、三重県や和歌山県にもある。奈良県にも、桜井市箸中や奈良市都祁南ノ庄(=本文に登場)にもある。混同を避けるため、「白石国津神社」と書くこともあるが煩雑になるので、今回は単に国津神社とした。では、全文を紹介する。

冬を告げる「スコの餅」/国津神社(奈良市)
奈良市東部の都祁白石町にあります。創建の由来は、古代より当社地、字神子尻(かみこじり)に大きな白い石があり白石明神と呼ばれるようになったとも、6人の年寄りが都祁南ノ庄の国津神社から神体の白い石を持ち帰ったところこの場所で急に動かなくなったのでそれをここに祭ったとも伝わります。

当社の東700㍍にある雄神(おが)神社との間には、「やすんば」と呼ばれる木の茂みが田の中に点々と4ヵ所あり、神様が両社の往来の途中に休まれた神聖な場所とされています。

祭礼は大祭が10月中頃の日曜日、古祭(ふるまつり)が旧暦10月16日(現行11月3日)です。古祭では、「スコの餅」と呼ばれる御供(ごく)が3基運び込まれます。藁(わら)で作った胴(ほで)を菊花で飾り、輪切りの大根と丸餅を交互に刺した長い竹串を花が咲いたように上部からぐるりと垂らします。

胴の上部に1.5升ほどの丸く平たい餅を載せ、それぞれ松・紅葉・梅を立てます。胴には、3本の竹の足がついており、紋付・羽織・袴(はかま)に下駄(げた)履き・山高帽姿の宮座衆が、太鼓を先頭に「チョウサヤ、チョウサヤ」と唱和しながら掲げて運びます。色とりどりに飾られた「スコの餅」は、淡い秋の日差しに輝いて、都祁の里に冬の訪れを告げるのです。(奈良まほろばソムリエの会会員 小西和子)

(住 所)奈良市都祁白石町580
(祭 神)主神、大国主命 末社春日神社、天児屋根命(あめのこやねのみこと) 同厳島神社 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
(交 通)名阪国道針ICより南へ約1㌔
(拝 観)自由
(駐車場)あり


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雷の神さま、笛吹連(ふえふきのむらじ)が居住「葛木坐火雷神社」/毎日新聞「やまとの神さま」第100回

2024年10月25日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.10.16)掲載されたのは〈日露戦争戦利品の砲も/葛木坐火雷(かつらきにいますほのいかづち)神社(葛城市)〉、執筆されたのは同会会員で葛城市にお住まいの東辻裕子さんだった。東辻さんは、今回が初の執筆だ。

2022年4月にスタートしたこの連載も、今回で、はや100回目を迎えた。当初、当会の15周年(2026年4月)記念に書籍を出版しようと思い立ち、その準備として本欄への連載がスタートした。

当初は神社のリストを作り、計画的に執筆者を募っていたが、途中から「近所にこんな神社がある」「小さいが、村人に守られている祠(ほこら)がある」などという紹介をいただき、リストがどんどん増えている。2026年に掲載終了、とはならないとは思うが、良い機会なので、できるだけ多くの神社を紹介していきたいと思う。では、記念すべき100回目の全文を紹介する。

日露戦争戦利品の砲も/葛木坐火雷神社(葛城市)
葛城山のふもと、笛吹神山に鎮座するこの神社の創建は神代とも神武天皇の代とも伝えられますが、明らかではありません。神社に伝わる旧記から崇神天皇の御代にはすでにこの地に鎮座していたことがうかがえます。

祭神は火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)と天香山命(あめのかぐやまのみこと)です。王朝の笛師をつとめた笛吹連(ふえふきのむらじ)がこの地に居住、天香山命を祖先神として笛吹神社に祭られたのが始まりといわれています。

火雷大神は雷神、つまり雷雨をもたらす農耕神として祭られました。夏の雷をともなう雨が稲作にとってめぐみの雨で雷神は人びとが畏敬(いけい)する神でした。「延喜式」神名帳には火雷大神は大膳職(だいぜんしき)(宮中の食事や儀式のお膳を担当する役所)に祭られる三神のうちの火の神と記されています。

葛木坐火雷(かつらきにいますほのいかづち)神社と笛吹神社は元々別の神社でしたが、現在は一つになり、その地名から正式名の葛木坐火雷神社よりも笛吹神社の名で地元の人々に親しまれています。

境内では古びた大砲がひときわ目立ちます。これは日露戦争の戦利品として1909年に政府より贈られたものです。当時、日本各地の神社などに奉納されましたが、太平洋戦争などでほとんどが軍などに回収され、当時のままの姿で残っているのは大変貴重なものです。(奈良まほろばソムリエの会会員 東辻裕子)

※トップ写真は、葛木坐火雷神社拝殿と大砲=葛城市で

(住 所)葛城市笛吹448
(通 称)笛吹神社
(祭 神)火雷大神、天香山命
(交 通)近鉄御所線・忍海駅から徒歩約35分
(拝 観)境内自由
(駐車場)あり。無料。
(電 話)0745・62・5024


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謎の盃状穴(はいじょうけつ)、牛頭天王(ごずてんのう)を祭る 神波多神社(山添村中峰山)/毎日新聞「やまとの神さま」第99回

2024年10月19日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.10.9)掲載されたのは〈大和守る要衝 除疫神祭る/神波多神社(山添村)〉、執筆されたのは同会会員の藤井哲子さんだった。藤井さんのご主人が山添村のご出身なので、村のことには、とてもお詳しい。
※トップ写真は、神波多神社拝殿と本殿(右奥)=山添村中峰山で

本文中に、さらりと「盃状穴」という言葉が出てくる。厄除け祈願の痕跡かとも言われているが、よく分からない。以前、同会の藤村清彦さん(故人)が産経新聞奈良版の「なら再発見」で取り上げたこともある。10月26日(土)は、秋祭りの「天王祭り」(10月第4土曜日)なので、ぜひお参りいただきたい。では、全文を紹介する。

大和守る要衝 除疫神祭る/神波多神社(山添村)
「波多の天王さん」と呼ばれ広く信仰を集めている神波多(かみはた)神社は、名阪国道五月橋ICの南東部、中峰山(ちゅうむざん)地区の台地に鎮座しています。参道に立つ鳥居の背後には本殿に向かう急な石段、表面に円い穴が彫られた盃状穴(はいじょうけつ)が、複数残っています。

石段を登り振り返ると、参道が描く曲線が美しく、絵になる風景が広がります。その南西にある牛の宮は、秋に行われる天王祭りの神輿(みこし)のお旅所。天王の獅子舞が奉納され、牛の宮へのお渡りは郷愁を誘います。

創建の由来は、奈良に都が遷(うつ)った頃より疫病が流行し、大和の国の四境のひとつとして、また東国に通じる要衝の地であることから、除疫神(牛頭天王)が祭られました。  
 
戦国時代の兵火で多くを焼失しましたが、江戸時代に再建された本殿は、五間社流造り、桧皮葺(ひわだぶ)き、千鳥・向唐破風(むかいからはふ)と様々な技法が用いられた社殿建築で、県の指定文化財です。

本殿裏の壁には「絵から抜け出す牛」が模写復元されています。諸国行脚の絵師が、本殿外壁に牛を描いて立ち去ったところ、夜な夜な絵から抜け出し、周囲の田畑を食い荒らし村人を困らせました。再訪した絵師が、牛のかたわらに松の木を描き添え綱でつなぐと、平穏が訪れたと伝わります。(奈良まほろばソムリエの会会員 藤井哲子)

(住 所)山添村中峰山310の1
(祭 神)須佐之男命他2柱
(天王祭り)10月第4土曜
(文化財)本殿(県指定)
(交 通)名阪国道五月橋ICから南へ約1㌔。駐車場なし。
(電 話)山添村観光協会 0743・85・0081


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蛇(じゃ)祭りで知られる織物の神「倭文(しずり)神社」(奈良市西九条町)/毎日新聞「やまとの神さま」第98回

2024年10月06日 | やまとの神さま(毎日新聞)
今週から、毎週「水曜日」の連載となった「やまとの神さま」(毎日新聞奈良版)、水曜の初回(2024.10.2)は〈常陸平定に貢献 織物の神/倭文神社(奈良市)〉、執筆されたのは、奈良市にお住まいの青木章二さんだった。青木さんは歴史をテーマとした講演の講師として、ご活躍中である。
※トップ写真は、倭文神社本殿。奈良市西九条町で

この神社のことは以前、同じ毎日新聞奈良版のコーナー「ディスカバー!奈良」で紹介したことがある。なお「倭文」とは〈古代の織物の一種。梶木(かじのき)、麻などで筋や格子を織り出したもの。荒妙(あらたえ)。しずおり。しずぬの〉(日本国語大辞典)。同神社の「蛇祭り」は、理源大師聖宝(しょうぼう、当山派修験道の祖)の大蛇退治に由来するという。では、以下に全文を紹介する。

常陸平定に貢献 織物の神/倭文神社(奈良市)
倭文(しずり)神社は奈良市西九条町、旧の字名、辰市に鎮座しており、この地は春日大社の社家(神主)が最初に居住した辰市郷で、「大和名所図会」(1791年刊)には「倭文社、俗にひずりのやしろという」とあります。

祭神は武羽槌雄命(たけはづちおおのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)の三神で、武羽槌雄命は武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸国(ひたちのくに)を平定される際に武甕槌命に反旗をひるがえした神(香香背男=かかせお)を討った神で、また倭文の神(織物の神)ともされています。

武甕槌命が鹿島神宮から御蓋山(みかさやま)の頂に降臨された時、侍従、中臣時風(ときふう)・秀行氏が、768(神護景雲2)年、この地に倭文神社を勧請し、移住してきた中臣一族が鹿島神宮で行っていた祭祀(さいし)を辰市郷でも行ったといわれています。

この中臣時風・秀行氏は「鹿島立神影図 (だちしんえいず) (奈良国立博物館所蔵)」の下に描かれている人物です。本殿は春日移しの社殿で若宮摂社三十八所神社の旧本殿を移したと伝わっています。

倭文神社の秋祭りはスポーツの日の前日の日曜日(今年は10月13日)に行われ「蛇(じゃ)祭り」と呼ばれています。この祭りは大蛇に人身御供(子供)を捧げる昔の風習を今に伝える、民俗学的にも大変興味深いお祭りです。現在は人身御供を表した神饌(しんせん)が供されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 青木章二)

(住 所)奈良市西九条町2の14の2
(祭 神)武羽槌雄命、経津主命、誉田別命
(交 通)近鉄九条駅から東へ徒歩約25分
(拝 観)境内自由
(駐車場)なし
(電 話)なし


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