7/27付の奈良新聞に、こんなショッキングな見出しが踊っていた。《夏の伝統 消える灯 来月18日、最後の奉納 県無形文化財 奈良・大柳生「太鼓踊り」》。記事を紹介すると
※トップ画像は「楽々はがき2009」より
県の無形民俗文化財に指定されている奈良市大柳生町の伝統芸能「太鼓踊り」が8月18日を最後に夏の奉納を休止する。5年前にも中止の危機があったが、若者らが「踊りを続けたい」と立ち上がり、形を変えて存続。しかし後に続く世代が育たず、話し合いの結果、来年の中止を決めた。保存会の坊垣内昭典会長(70)は「寂しいが、少子高齢化の中で踊りを続けていくのはしんどい。後は自治会に委ねたい」とバトンを託した。
大柳生町の太鼓踊りは室町時代に始まり、豊臣秀吉も凱旋(がいせん)の祝いで踊らせたという。毎年8月には、同町の夜支布(やぎう)山口神社の分霊を1年間祭る「当屋」の庭先で、宮座のある地区の氏子らが太鼓踊りを奉納し、国家の安穏や五穀豊穣(ほうじょう)を祈ってきた。当屋は、上出▽塔坂▽西-の3垣内の氏子の元を回っていくことから「廻り明神」と呼ばれるが、物心両面での負担が大きく、近年は当屋を辞退する家も出てきたことから、平成19年に長老らが夏祭りの中止を決定。それを知った若者らが有志を集め、神社前の営農組合広場で踊る形に変えて続けた。
継続する中で踊り子が増えることを期待したが、後が続かず、昨年も最低限必要な12人を何とか確保できた状態で、あらためて保存会や若手の踊り子も交えて話し合い、休止を決定した。今回、踊り子として初めて参加する白石慧さん(16)は子どものときに見て、迫力のある太鼓だなと思った。なくなるのは残念」と話す。坊垣内会長は「生活の母体が地元から離れ、踊り子の確保が難しくなった。長続きさせられるような形を考えて継承してほしい」と、今後に期待を込めた。踊りの奉納は8月18日午後7時ごろから、同広場で行われる。
うーん、これは残念至極。かように、中山間地域では少子化・高齢化がキツいのだ。大柳生の太鼓踊りは、奈良県下唯一の太鼓踊りなので、これは「奈良県の太鼓踊りFINAL」ということである。『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)によると、このお祭りは
大柳生の太鼓踊り
◎奈良市大柳生町 西側垣内・上出垣内・塔阪垣内
奈良市の東部の山間大柳生町では、ガトウの太鼓踊りとも呼ばれる太鼓踊りが行われる。大柳生地区には素盞嗚命を祀る夜支布山口神社があり、この分霊といわれる「廻り明神」を宮座の年長者が座入り順に当屋となって自宅で丁重に祀るしきたりがある。この当屋の前庭で明神に奉納する形式で太鼓踊りが行われる。
カンコ(鞨鼓)を胸に吊り、桧の削り皮を束ねたシナイを背負った中踊り八名、大きな御幣を背負った大太鼓四名と歌あげ、笛、鉦ほかで一組となる。道中いりは」で踊りの場に練り込み、場所取り・打ち込みを経て、大太鼓の上に登って「口上」を述べてから、大太鼓役は左に廻りながら交代で太鼓を打ち、中踊りはカンコを打ちシナイを振りながら踊る。
県内でかつて広く踊られていた太鼓踊りは、雨乞いやその願満の際に踊られ、イサミ踊りやナモデ踊りとも呼ばれていたが、大柳生の太鼓踊りは、戦役の凱旋に踊ったものであると伝えられる。毎年踊られる県内唯一の太鼓踊りである。
奈良市観光協会のHPにも《8月18日(土)!「大柳生の太鼓踊り」が行われます(今年で最後の開催です) 4人の大太鼓と、背中に大きなシナイをつけた8人の小太鼓が、白鉢巻きのいでたちで踊る勇壮な奉納踊りです。江戸時代から継承されてきた伝統芸能で、奈良県の無形民俗文化財に指定されていますが、後継者不足などで残念ながら今年の太鼓踊りで最後を迎えることになりました》とあるので、やはりこれで見納めなのだ。
私たちの「奈良まほろばソムリエ友の会」は、NPO化の暁には「伝統行事の保存・継承」を事業の1つに据えようと思っているのであるが、こうして次々に伝統行事がなくなってしまっては、追いつくことさえ難しい。
大柳生町はこの時間、路線バスで行っても帰れないので、車で行くしかない。県下太鼓踊りの見納めとなりそうな「大柳生の太鼓踊り」、ぜひ迫力のある太鼓と踊りをシッカリと見届けていただきたい。
※日時:平成24年8月18日(土)午後7時~
※場所:奈良市大柳生町 大柳生営農組合交流広場(夜支布山口神社前)