ガラスの靴・悪い仲間 (講談社文芸文庫) | |
安岡章太郎 | |
講談社 |
第三の新人、安岡章太郎が逝去した。もう92歳になっていたのだ。msn産経ニュース(1/29付)《作家の安岡章太郎さん死去 「第三の新人」、文壇をリード》によると、
「第三の新人」と呼ばれて活動をスタートさせ、戦後の文壇をリードした作家、安岡章太郎(やすおか・しょうたろう)氏が26日午前2時35分、老衰のため東京都の自宅で死去した。92歳だった。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻、光子(みつこ)さん。高知市出身。陸軍獣医の家に生まれた。慶大文学部予科に学び、同人誌に熱中。在学中の昭和19年に召集を受け、旧ソ連国境へ。胸部疾患で入院中、所属部隊がフィリピンに移動、レイテ島で全滅した。戦後、一家は窮乏し、自身も脊椎カリエスにかかるなど闘病を続けた。
海辺の光景 (新潮文庫) | |
安岡章太郎 | |
新潮社 |
26年、病床で執筆し「三田文学」に発表した「ガラスの靴」で芥川賞候補。28年、「悪い仲間」「陰気な愉しみ」で芥川賞を受賞した。吉行淳之介さん、遠藤周作さんらと並んで、戦後派に続く「第三の新人」と呼ばれた。軍隊生活の悲惨を描いた「遁走」に続き、母の死と主人公の自立を窮乏の回想に重ねた34年の「海辺(かいへん)の光景」で芸術選奨文部大臣賞と野間文芸賞を受賞。文壇での地位を確立した。
35年、ロックフェラー財団の招きでアメリカ南部に留学し、「アメリカ感情旅行」を発表。独特の目で見た文明批評が評判になった。「幕が下りてから」「走れトマホーク」などを発表した後、51年に日本芸術院会員。自在な語り口の「放屁抄」を経て、土佐の郷士だった安岡家の歴史を描くライフワーク「流離譚(りゅうりたん)」を6年の歳月をかけて完成させ、57年に日本文学大賞を受賞した。以降、同時代と歴史への関心を深め、63年「僕の昭和史」で野間文芸賞、平成3年には「伯父の墓地」で川端康成文学賞を受賞した。晩年になってカトリックに入信し、話題になった。13年、文化功労者。
アメリカ感情旅行 (岩波新書) | |
安岡章太郎 | |
岩波書店 |
私はこれまで、安岡章太郎の作品を愛読してきた。第三の新人は軒並み好きだったが、ピカイチが安岡だった。『悪い仲間』『ガラスの靴・愛玩』『海辺の光景』『花祭』『幕が下りてから』などの小説のほか、岩波新書の『アメリカ感情旅行』も、とても興味深く読んだ。独特の皮膚感覚を発揮して作り上げた作品は、私にはピッタリときた。村上春樹も、安岡章太郎を高く評価していて、村上の『若い読者のための短編小説案内』にも安岡作品が登場する 。
別のmsn産経ニュース(1/29付)《「僕は落第生」…挫折感から生まれた文学 病を押して書き続け》によると、
口癖は「僕は落第生」。自らの平凡さや卑小さへの自覚から生まれた滑稽さと深刻さがまじった一連の小説は、世代を超えて読者に読み継がれた。「文学というのは何らかの挫折感から生まれてくるんでね」。父方のルーツを追った大作「流離譚」での日本文学大賞受賞に合わせたインタビューでの言葉が、安岡さんの“原点”を言い表している。
若い読者のための短編小説案内 (文春文庫) | |
村上春樹 | |
文藝春秋 |
若き日の挫折体験は、芥川賞受賞作「悪い仲間」などに顕著な対象への低い目線と、老いや病気など人間が避けては通れない問題に向き合う作風をはぐくむ。病の母を看取る息子の心象風景を描く戦後文学の記念碑的作品「海辺の光景」は、母親の病への悲しみが昇華されたものだろう。
「病気のデパート」と自身が振り返るように30代ではリューマチ熱、50代末期からはメニエール病、60代半ばには胆嚢炎から心筋梗塞(こうそく)を併発。晩年のカトリックへの入信は、戦後の屈折を見つめ、描き続けた末の決断だった。文壇の重鎮だったが洒脱(しゃだつ)な語り口で常に周囲をなごませた。湿っぽさの少ない端正な文章は作家の村上春樹さんも敬意を表わすなど、後進にも影響を与えた。
第三の新人名作選 (講談社文芸文庫) | |
安岡章太郎ほか | |
講談社 |
安岡の小説に、自分がナマケモノになったのは、幼少の頃から決まった時間に食事するのではなく、お腹が空いたら食事する習慣だったから、という一節があり、今でもよく思い出す。休日に1人でいる時など、ふと時計を見て「これはいけない。お腹は空いていないが、そろそろ食べなければ…」と自分に言い聞かせている。
それにしても第三の新人は、多くが鬼籍に入った。小島信夫、近藤啓太郎、庄野潤三、遠藤周作、吉行淳之介…。阿川佐和子(私と同年齢)のお父さん・阿川弘之と、曽野綾子のご主人・三浦朱門には、ぜひ頑張って書き続けていただきたい。安岡を偲びつつ、久しぶりに『花祭』でも読み返そう。