tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

璉珹寺の特別公開は、5月1日(水)~31日(金)!(2013Topic)

2013年04月30日 | お知らせ
奈良市西紀寺町の璉珹寺(れんじょうじ)で、5月の1ヵ月間、ご本尊の阿弥陀如来立像などが特別公開される(以前にも当ブログで紹介させていただいたことがある)。県観光局のHPによると
※写真は同寺の阿弥陀如来立像。特別の許可を得て撮影させていただいた(2011.2.6)

璉珹寺(れんじょうじ)阿弥陀如来立像、観音・勢至菩薩立像など
美しい花々に包まれた寺院で秘仏・阿弥陀如来立像や観音・勢至菩薩立像が特別に公開されます



拝観・参拝内容 春にはニオイバンマツリやオオヤマレンゲなどの美しい花々が咲き匂い、清楚で気品のある境内が美しい璉珹寺。紀氏(きし)の氏寺として栄え、別名、紀寺(きでら)とも呼ばれます。 本堂の厨子が開かれ、下半身に袴を穿き上半身は肌を露わにした白色裸形の秘仏・阿弥陀如来(県指定文化財)および観音・勢至菩薩立像(重文)が特別に拝観できます。

拝観・参拝期間 2013年5月1日 ~ 2013年5月31日
拝観・参拝時間 9時 ~ 17時
拝観料・参拝料など 大人400円、中高生200円
開催場所 璉珹寺(0742-22-4887)〒630-8307 奈良市西紀寺町45
アクセス方法 JR・近鉄奈良駅から市内循環バス(外回り)「紀寺町」下車徒歩2分




女性ご住職の下間景甫(しもつま・けいほ)さんによると、5月19日(日)と25日(土)には、境内で野点(のだて)が行われる(有料)。両日とも二胡の奉納演奏が行われる(奏者は森井康文さん)。美しい仏さま、ジャスミンのような「匂い蕃茉莉(ニオイバンマツリ)」の香り、抹茶とお菓子、二胡の音色と、まさに奈良の魅力を五感で楽しむスペシャルイベントである。ぜひ、お訪ねください!
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史跡 頭塔、春の特別公開。5月6日まで!(2013Topic)

2013年04月29日 | 奈良にこだわる
通常は事前予約が必要な「史跡 頭塔(ずとう)」(国指定史跡)が、特別公開されている(予約なしで拝観できる)。期間は5月6日まで。県のHPによると、

奈良時代の東大寺僧・実忠和尚(じっちゅうかしょう)が築いたとされる、まちなかの土塔
ならまちの東方のまちなかにあり、「謎のピラミッド」と話題になった頭塔(ずとう)と呼ばれる階段状の土塔は、一辺32m、高さ10mのピラミッド形をしており、あたかも立体の曼荼羅のように多数の浮彫石仏(重文)が配されています。

ここでは「ナント・なら応援団」(南都銀行の退職者によるボランティアガイド団体)がガイドをしている。説明を聞かなければ分からない、とても不思議な史跡なのである。ぜひゴールデンウイーク中に、お訪ねいただきたい。
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前登志夫を偲ぶ会(第3回)は、5月2日~6日まで(2013Topic)

2013年04月28日 | お知らせ
故・前登志夫氏を偲ぶ展示会が、ならまちセンター1階のギャラリーで開催される。会の事務局(前登志うた宇宙)からご案内状をいただいたが、すでにブログ鹿鳴人のつぶやきに紹介されている。

奈良県が生んだ歌人でありエッセイストの、前 登志夫さん没後5年 第3回偲ぶ会がひらかれるそうです。劇作・演出の小野小町さん(奈良市在住、小町座主宰)からご案内をいただきました。

時:5月2日(水)から6日(祝)10時から17時まで、
所:ならまちセンター1階のギャラリーで
入場無料

~前 登志夫の声~
今年は、散文の名手でもある、歌人、前 登志夫のエッセイから、その作品世界を味わう企画です。珠玉の言葉とゆかりの写真を展示、映像コーナーでは、前 登志夫の人となりを、より身近にご覧いただけます。是非、お越しください。

前 登志夫(1926~2008)
歌人。山繭の会主宰。
日本芸術院賞恩賜賞、毎日芸術賞、読売文学賞など受賞多数。「現代の西行」といわれ、吉野の山中から、格調高く自然と人への慈しみに満ちた歌を数多く発表。散文の名手でもあり、そのエッセイは人気が高い、ということです。


前登志夫氏は吉野郡下市町広橋のお生まれで、私の母は、前氏の妹さんと高女で同級生だったそうである。氏が講師を務めたNHK市民大学の「万葉びとの歌ごころ」は、私も再放送で拝見した。氏の代表的な歌を紹介すると、

夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ(『子午線の繭』昭和39)

暗道(くらみち)のわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か(『子午線の繭』昭和39)

杉山に朝日差しそめ蝉のこゑかなしみの量(かさ)を湧き出づるなり(『霊異記』昭和47)

雲かかる遠山畑と人のいふさびしき額(ぬか)に花の種子播く(『鳥獣蟲魚』平成4)

夜となりて雨降る山かくらやみに脚を伸ばせり川となるまで(『青童子』平成9)

アニミズムというのだろうか、吉野の風土を投影した歌の数々は心を打つ。ぜひならまちセンターに足をお運びください!

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波宝神社(五條市西吉野町)の日食壁画(産経新聞「なら再発見」第26回)

2013年04月27日 | なら再発見(産経新聞)
こんな壁画があるとは、ついぞ知らなかった。奈良は奥が深い。今朝(4/27付)の産経新聞「なら再発見」の見出しは「五條・西吉野町 波宝(はほう)神社の日食壁画」、執筆されたのはNPO法人奈良まほろばソムリエの会の藤村清彦さん(大阪市在住)である。以下、全文を紹介する。

 昨年5月は金環日食で日本中が沸いたが、五條市西吉野町夜中(よなか)に、日食伝承と、それを表現した珍しい壁画があるのをご存じだろうか。銀峯山(ぎんぷせん 614㍍)の頂上にまつられ、「岳(だけ)さん」として親しまれる波宝(はほう)神社本殿の壁画だ。
 南西に面した春日造の二棟の本殿は、板壁でつながっており、正面からはひとつの建物に見える。壁画は正面の壁に描かれている。
 金泥で輝く太陽が表現され、太陽に重ねて銀泥で月も描かれているが、相当はがれている。太陽の上には、祭神である住吉三神を表すとされる3羽の鶴が舞う。



 壁画は、神功(じんぐう)皇后(一説には弘法大師とも)がこの地を訪れたとき、真昼に空が暗くなり、地の神に祈ったところ晴れたので、地名が「夜中」になったとの伝承に基づく。
 かつては神宮寺があり、幕末に建物が天誅(てんちゅう)組の本陣に使われ、明治元年の神仏分離以降は小学校の校舎に転用されたという。
      *   *   *
 山腹の湯塩で古民家を活用した「旬の野菜レストラン 農悠舎王隠堂(のうゆうしゃおういんどう)」を切り盛りする王隠堂裕子さんに、地場の食材を使ったおいしい料理をいただきながら、土地の歴史を尋ねた。


丹生川沿いにのどかな集落がみえる五條市西吉野町周辺

 古代には栃原(とちはら)岳から金、銀峯山から銀、櫃(ひつぎ)ケ岳から銅が、多く採れたそうで、吉野三霊峰というそうだ。
 「至る所で水銀も採れたようで、湯塩や湯川、湯谷の地名の『湯』は、鉱物を表す言葉と、舅(しゅうと)からよく聞かされました」と嫁いだ頃を振り返る。
 北の京都御所と南の熊野本宮を結ぶ線上にあり、東の吉野山と西の高野山を結ぶ山岳信仰の道も交差し、交通の要衝だった。
 王隠堂さんの家は、天台系修験道の聖護院一行の宿でもあった。
 「以前は尾根伝いに街道があり、要所を最短距離で結んでいました。姑(しゅうとめ)は実家のある吉野山蔵王堂へ尾根道を通って4時間で帰ったといいます」と話してくれた。
 周辺の歴史は鉱山と山岳信仰(修験道)の結びつきを抜きには語れないが、鉱物採掘活動の実態や、関わったとされる修験者の役割は謎に包まれている。
      *   *   *
 すぐ隣の石窯焼きピザの美味しい「cafe&農家民宿 こもれび」は、対照的に南欧風建築だ。金剛山や葛城山、生駒山まで見渡せ、雄大な眺望が満喫できる。深い歴史を秘めた柿と梅の里、西吉野の新たな動きから目が離せない。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 藤村清彦)


 実録 天誅組の変
 舟久保藍
 淡交社

日食を象徴する「夜中」という地名が残っているのも、興味深いことだ。神宮寺には、あの天誅組が本陣を構えたとは…。舟久保藍著『実録 天誅組の変』(淡交社刊)によると、中山忠光や伴林光平はこの本陣に詰め、砦は樺ノ木(かばのき)峠と広橋峠に構えた、と出ている。

農悠舎王隠堂には、以前お邪魔し、当ブログで王隠堂邸のこだわり野菜料理として紹介したことがある。とれたての有機野菜や自家製漬物などを配したランチには、舌鼓を打った。建物も、すごい。地名の「湯塩」が鉱物を表す言葉とは、初めて知った。


「旬の野菜レストラン 農悠舎王隠堂」のランチ(2009年8月撮影)

神功皇后伝説、修験道に鉱山、そこに天誅組と奥深い歴史が投影し、しかも美味しい食事が味わえ、宿泊もできる西吉野に、ぜひお訪ねいただきたい。藤村さん、目からウロコのお話の数々、有難うございました!
※2015.2.12追記 この日食壁画発見の経緯は、HP「いこまかんなびの杜」に「西吉野の波宝神社と日食画」として掲載されています。ぜひ、ご一読ください。

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奈良の八重桜が満開!(2013Topic)

2013年04月26日 | お知らせ
昨日、奈良県庁東側の駐車場(奈良登大路自動車駐車場)の前(大宮通沿い)を通りかかると、奈良の八重桜(ナラノヤエザクラ)が満開だった。この桜の下にはこんな碑が建っている。

奈良の八重桜

いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな
 百人一首の中の一首 この歌の「八重桜」は奈良時代聖武天皇の御代に、春日の神体山である御蓋山から平城京へ、次いで興福寺の境内であったこの地に移植された霊木と言われている。また平安時代、一条天皇の御時にこの八重桜の一枝が献上され、伊勢大輔の詠んだのがこの歌である。
 以来、奈良の名所の一つとして世人に親しまれてきたが、その後いつか荒廃してしまっていたのを大正十二年 「八重桜」が天然記念物に指定されたのを機会に、東大寺知足院内の純正種の若木を故地に移植、保護を加えて今日に至ったものである。
 ちなみに、八重桜の花の蕾は紅、花は白、散り際は再び紅と色変わりする、珍しい貴重な名花木で奈良県の県花とされている。
昭和六十年一月 奈良県知事 上田繁潔書






満開のこの日の花は純白だったが、色は紅→白→紅と変化するのである。以前(2010年4月)、大安寺の境内で見つけた奈良の八重桜の写真を紹介すると、





よく間違える人がいるが《「奈良の八重桜」はれっきとした八重桜の一品種であり「奈良に植わっている八重桜」の総称ではない》《ナラノヤエザクラは岡本勇治が大正10年頃に天然記念物指定申請をおこなっている》《ナラノヤエザクラは奈良を代表する花として1968年には奈良県花に制定された。さらに1998年には奈良市花に制定されている》(以上、Wikipedia「ナラノヤエザクラ」)。

花は小さく可憐で、とてもはかなげである。《ナラノヤエザクラの繁殖力は極めて弱く、殖やすのが非常に難しい。樹勢は弱く、寿命も短い。後述する「知足院奈良八重桜」も1923年に天然記念物に指定された樹は既に枯れてしまっている》(同)。私も毎年、「今年はちゃんと咲くのかなぁ」と心配しながら眺めている。車の通行が多いので、空気は排気ガスで汚れている。近年の気候変動で、咲く時期も毎年大きく変わる。

ともあれ、今年も奈良の八重桜が咲いた。ここしばらくは花を楽しめる。ぜひ皆さん、「奈良登大路自動車駐車場」に足をお運びください!
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