tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

ルーツは饅頭の神さま林浄因!南都林家のファミリーヒストリー/奈良新聞「明風清音」第105回

2024年06月30日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月1~2回、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している。先週(2024.6.20)掲載されたのは〈饅頭の神さま 林浄因命(りんじょういんのみこと)〉だった。
※トップ写真は、饅頭祭り(2024.4.19)で全国の和菓子屋さんから林神社にお供えされた饅頭

ご子孫の藤林文和さんが自費出版された『まんじゅう忘れた太左衛門 南都林家の六百八十年』(JITSUGYO刊)に基づき、浄因以降約680年のファミリーヒストリーを紹介させていただいた。なお藤林さんの娘さんは、スムージーの専門店「DRINKDRANK」を営んでおられ、私も以前、当ブログで紹介した。では以下に、全文を紹介する。

饅頭の神さま林浄因命
今年4月、奈良市橋本町の藤林文和さんが、『まんじゅう忘れた太左衛門 南都林家の六百八十年』(A5判136㌻)を自費出版された。近鉄奈良駅の西、高天町交差点から南に少し下ったところに漢國(かんごう)神社がある。この境内に、日本の饅頭(まんじゅう)の祖神として林浄因命(りんじょういんのみこと)をまつる林(りん)神社がある。

文和さんは浄因の三十一代目のご子孫である。本書は古文書などに基づき、浄因に始まる南都林家のファミリーヒストリーを明らかにした労作である。



▼浄因の来日と突然の帰国
中国に渡り仏教を学んでいた龍山徳見禅師は、帰朝するにあたり、浄因ら中国人を連れてきた(1349年)。浄因は中国浙江省杭州の出身だ。著名な北宋の詩人・林和靖(りんなせい)の子孫だったと伝わる。

浄因は現在の奈良市林小路町のあたりに住み、そこで小麦粉で作った皮に小豆餡(あん)を包んだ饅頭を日本で初めて考案した。餡には、甘葛煎(あまずらせん)という甘味料に塩味を加えていたようだ。それまでにも、日本には中国から饅頭が伝わっていたが、それは蒸しパン状のもので、餡は入っていなかったという。

浄因は饅頭を天皇(おそらく北朝の光明天皇または後光厳天皇)に献上し、お褒めいただき、官女を妻に賜る。二男二女に恵まれるが、1358年に龍山禅師が亡くなると、その翌年の4月19日に突然、中国に帰ってしまう。浄因の男子一人は饅頭屋に、もう一人は龍山禅師の跡を継いで僧侶となった。

1460年代、林家は南都林家と京都林家に分かれるが、ともに饅頭を商って繁盛した。京都林家はのちに塩瀬を名乗り、徳川家康の江戸開府に合わせて江戸へ進出、これが現在の「塩瀬総本家」につながる。



饅頭祭りの当日には、県内4軒の和菓子屋さんが、いにしえの「奈良饅頭」を復刻された

▼天才・饅頭屋宗二の登場
南都林家の七代目が「饅頭屋宗二」と呼ばれた林宗二である。家業のかたわら連歌、和歌、漢学をよくし、『源氏物語林逸抄五十四巻』(源氏物語の注釈書)、『饅頭屋本節用集』(実用的な国語辞典)などの著書がある。

今も漢國神社では、宗二の業績を称え、毎年9月15日に「節用集まつり」が営まれている。宗二は現存最古の茶会記『松屋会記』にも登場する文化人で、奈良を治めた松永久秀から、奈良での饅頭の販売権を一手に与えられていたという。



五條市「菓匠居 千珠庵きく川」(文久年間創業)の奈良饅頭。しっとりおいしい薯蕷饅頭だ

▼饅頭屋から具足師へ
十代目孫四郎は、饅頭屋から、具足師に転身する。その理由について本書は、松永久秀の死とそれによる饅頭販売の独占権の消滅、その4年後の宗二と翌年の宗社(宗二の子)の死による宗博(宗二の孫)の苦境などを挙げ、林家を存続させるための手段として転職を図ったのではないかと推測している。

林小路には、当時著名な具足師だった岩井与左衛門がいた。与左衛門の親族で職人として活躍していた一人を宗博が養子に迎え(十代目孫四郎)、宗博または孫四郎の子を弟子として具足師に育て上げたのではないだろうか(十一代目久兵衛)。


▼具足師から質札屋へ
具足師は1669(元禄12)年まで約100年間続いたが、平和な時代となり、具足の需要が減少。しかも商品経済の発達で、貨幣取引が活発になる。そこで十四代具足師林久兵衛は、奉行所に「質札証紙の販売」を願い出る。質屋に質札という証紙を売ることで、質屋の元締めのような権利を得ることができる(質屋は質札屋から証紙百枚を銀三分で購入する)。

この十四代目がのちの質札屋太左衛門である。本書のタイトル『まんじゅう忘れた太左衛門』は、これに由来する。その後、南都林家は「林」から「藤林」への改姓、筆軸屋の開業と廃業、小鳥店の開業と廃業、飲食店(DRINKDANK)とペットショップ(ぽちたま雑貨店)の開業など、興味深いエピソードが続くが、紙数が尽きた。浄因由来のパイオニア精神は、まだまだ健在だ。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中利典師の「蔵王供正行/第46日 菩薩道に生きる」

2024年06月29日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行46日目 「見えた!…かな」〉(師のブログ 2015.6.15 付)。満行を間近に控え、答え(目標)が見えてきた、というお話である。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5撮影)

師は〈ようやく私なりの答えが見えてきたような気がする。キーワードは使い古された金言かもしれないが、「上求菩提下化衆生」。…上には菩提(悟り)を求め、下には衆生を教化していくという大乗仏教の大切な修行目標である〉とお書きである。この日は愛弟子で、今年(2024年)5月にお亡くなりになった河内利心さんも、駆けつけてくださった(6回目)。では、全文を紹介する。

「見えた!…かな」
蔵王供正行46日目(6月15日)。晴れ時々曇り。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第91座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法         於本堂 
9時10分、第92座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時20分、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行              於風呂場
13時、法楽護摩供修法          於脳天堂
13時45分、法楽勤行          於本堂
参拝者1名。弟子の河内(利心)さんが行中6度目の助法。

****************

「見えた!…かな」
「吉野を降りてどうするの?」という課題を以て入行し、黙して語らない権現様を前に、前行を入れて、今日で49日を過ごしてきた。準備不足で行に突入したため、当初、おいでになる参拝者への対応や、一願祈願の千願祈祷受付事務など、時間に追われる修行であったが、6月に入ると落ち着いて来て、自分自身の問題にようやく直に向き合えるようになった。

それでも昨日までの日記に綴ってきたように、確たる答えが見いだせないまま、修行の時間だけが通り過ぎて、もう最後の段階に入いりつつあった。

そして今日の蔵王供。その2座目。トータルで92座目で、ようやく私なりの答えが見えてきたような気がする。キーワードは使い古された金言かもしれないが、「上求菩提下化衆生」。…上には菩提を求め、下には衆生を教化していくという大乗仏教の大切な修行目標である。

「楽して悟りたい」とか「70のたなかりてんに会いたい」とか、「人は誰でも、いま生きているように未来を作っていく」とか、様々なキーワードが浮かんで消えたが、ようやく腹におさまるところに、心が落ち着いた。

「上求菩提下化衆生」とは菩薩道のことでもある。権現様を拝む中で、私の目の前には何度も何度もフラッシュバックのように役行者のお姿が浮かんでは消えたのだったが、役行者は神変大菩薩。その法脈に繋がるわれわれは、すべからく小菩薩なのだ。

菩薩道に生きることが天命というなら、それが私の本来的な天命かも知れない。少なくとも、いまの自分のいるべき、目指すべき場所だと気づいたのである。吉野でも綾部でも東京でも、どこでもいいのだ。真の居場所は菩薩たるべしという、自分自身の心の有り様である。

それは今まで関わってきた世界遺産活動でもない、金峯山寺興隆でも、修験道発展でもない。ましてや自坊の経営でもなく、まさに自分自身の生き方の原点を問われているのだと、覚醒したのである。

まあ、自慢げに披瀝するような体験でもないし、明日の朝にはすっかり忘れているかも知れない、相変わらずの安わかりだが、ともかくようやく少し見えた気がした今日の修行であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ティーラウンジ/ナビカフェ」(奈良市三条町)で、飲み比べ体験!

2024年06月28日 | 奈良にこだわる
昨日(2024.6.27)、面白いところにお邪魔した。その名は「Tea Lounge Navi Cafe」(奈良市三条町529-2)。JR奈良駅から、徒歩3~5分の場所にある。
※トップ写真は、株式会社Tale Navi 代表取締役の今井さん(向かって右)と取締役の鬼木さん

私は奈良市中部公民館で、邪馬台国に関する90分の熱弁をふるった直後だったので、フラフラだったが、何とか気力でお店にたどり着けた。お店のインスタグラムには、

Nara's sake & tea tasting (奈良酒と大和茶の飲み比べ)
Traditional crafts (工芸品の展示)
Travel concierge (旅の相談)
📅 10:00-18:00




主に外国人観光客を対象としているので、インスタもHPも、英語表記が優先されている。昨日はここで、大和茶(向かって左から、かぶせ茶、煎茶、玄米茶、ほうじ茶、和紅茶)の飲み比べと、2種類の奈良酒の試飲をさせていただいた。


5種類の水出し茶から好みを選び次はお湯で。私はほうじ茶。饅頭は「太子餅」(奈良祥樂)

奈良町資料館の南哲朗さんが主宰する「ならまちリーグ」で、プレゼンされたこともあるようだ。外国人観光客にこのような「奈良体験」をしてもらい、リピーターになってもらいたい、というコンセプトでこのような事業をされている。


山鶴(生駒市・中本酒造店)「段違い辛口」と、千代の松(宇陀市・芳村酒造)「神仏習合の酒」

情報発信の仕方や、リピーターになってもらうための工夫は必要だと思うが、「外国人観光客を奈良の関係人口にしたい」という試みであり、良いところに目をつけたものだと思う。

宿泊する外国人観光客向けのミニツアー(おとなの社会見学)も想定されているようで、奈良にはこれに適したスポットが多いので、いいツアーが企画できそうである。若い人たちの意欲的な取り組み、これからも応援していきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラーメン 河」の絶品!塩ラーメンとマグロ丼

2024年06月27日 | グルメガイド
6月25日(火)、ついに制覇!「ラーメン 河(かわ)」(吉野郡吉野町菜摘470)。会社の先輩だったFさんに、お声かけいただいた。奈良市の自宅を出たのが午前7時半、混雑する近鉄を乗り継いで、8時45分に吉野口駅到着。そこからFさんの車で、もと同僚のAさんと3人で吉野町入り。お店に着いたのは9時半だった。


この奥にテントがあり、食事はそこでいただく

営業時間は10時~12時のわずか2時間。それでも途中で売り切れることがあるという。メニューは、塩ラーメン(税込み1,000円)と、塩ラーメンとマグロ丼のセット(同2,000円)の2種類だけ。マグロ丼だけの注文はできない。


この左手奥に厨房がある。右はトイレ

到着順に紙に名前を書き入れるシステムだが、その時点で、すでに10人以上の先客があった。壁には、こんなご店主(長田亜起男さん)のメッセージがあった。



吉野の山奥の、こんな遠いところにお越しいただきありがとうございます。吉野の四季の風情を愛でながら、心安らかな気分で、私が心を込めて作った塩ラーメンをご堪能ください。ただ、何分にも老夫婦でやっているものですから、皆様をお待たせし申し訳なく思っております。


ご夫婦で営んでおられたが、奥さんはすでに他界されている

でも、ここでは時間がご馳走です。河のせせらぎの音、鳥の鳴き声、虫の音…に耳を傾けながら、都会の喧噪を忘れて、のんびりとお過ごしください。お待たせして、ごめんね!ラーメン河 亭主


ミシュラン掲載店だが、「SARAH JAPAN MENU AWARD 2023」でも三つ星(最高点)!

このお店は、ラーメン大好き中田さん(奈良アンバサダー)も、インスタグラムで絶賛していた。


食事はテントの下。10席ほどがあり、吉野川に向かっていただく。奥は順番待ちのベンチ

奈良県の吉野町に毎日他府県ナンバーの車やバイクが押し寄せるラーメン河!! ⁡⁡もう何十回通ったか分かりません。普段あまり同じラーメン屋さんをリピートしないんですが、ラーメン河さんだけは春夏秋3回は通いたいと思ってます(冬は休業期間長いです)⁡⁡


待つこと60分、塩ラーメンとマグロ丼が同時に出てきた!


メンマもチャーシューも、こんなにデカくて柔らかい! チャーシューは、ほぼ塩味のみ

⁡84歳のおっちゃんが作る優しい味の塩ラーメンと酢飯にわさび入りの漬けまぐろを乗せた絶品まぐろ丼を求めて朝早くから行列ができ、開店前には売り切れ必至の超人気店!なかなかハードル高いお店ですが、食べられた時の幸福感は得がたいものがありますので、ぜひ一度行ってみてくださいねー


マグロの漬け丼は、良い加減の酢飯だ。マグロには、醤油と少しのワサビを利かせてある

⁡【ラーメン河】〒639-3446 奈良県吉野郡吉野町菜摘470(0746-32-8384)
営業時間 ☀10:00~12:00 売り切れ次第終了
定休日 水曜日 木曜日 ※夏季休業 冬季休業あり



透明な塩スープは鶏ガラと白菜の味。塩味がよく利いているので、この時期にピッタリだ

場所は、とても分かりづらい。宮滝側(吉野川の下流側)と菜摘側(吉野川の上流側)に進入路があるが、宮滝側は169号を右(南)に降りて、ぐるりと回り込む格好になるので、それが分かりにくいのだ。菜摘側は、370号を吉野川に沿って北上し、途中で橋を渡る道なので、やや分かりやすい。駐車場も、あまり広くない。バイクで訪ねる人が多いのも頷(うなづ)ける。


麺はよくあるタイプの中細麺。冷たいお茶がセルフでいただけるのが、ありがたい

少しご店主と話をした。「ここに堤防を作るそうなので、立ち退きになるかも知れない(時期は未定)」「以前に雨で増水したときは、水がここまで来た(柱の2mほどのところに印がついていた)。いろんな物が流された」。優しそうな、いい感じのご店主だった。土日祝日などは、常連さんが自主的に厨房に入って、お手伝いされるそうだ。

奈良県でラーメンを語るには、ここは外せない店だ。土日祝日は混雑するので、ぜひ平日にお訪ねいただきたい。ご店主、ごちそうさまでした、FさんAさん、ありがとうございました、また誘ってください!
※食べログは、こちら

【MBSニュース特集】(2024年4月30日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中利典師の 「蔵王供正行/第45日 権現さまは黙して語らず、ただひれ伏すのみ」

2024年06月26日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、蔵王供正行45日目「黙して語らず…」(師のブログ 2015.6.14 付)。このお行も残すところあと5日となり、満行に向けての準備も、そろそろ始めておられるようだ。その頃の心境を、率直に綴っておられる。では、以下に全文を紹介する。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5 撮影)

「黙して語らず…」
蔵王供正行45日目(6月14日)。曇りのち晴れ。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第89座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法         於本堂 
9時10分、第90座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時30分、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行              於風呂場
13時、法楽護摩供修法          於脳天堂
14時、法楽勤行             於本堂
参拝者2組3名。初対面の方で、広島と三重からわざわざおいでいただいた。

****************

「黙して語らず…」
今日の来訪者は初めての方2組。しかも全く偶然ながら2組とも今年の蔵王堂夜間拝観に来た人。1組は広島からの青年2人。もう一人は松阪からの参拝者であった。もちろん今年の夜間拝観は私は出ていないので、初めてお会いした。

実はこれまでもそうなのだが、林南院には参拝録がないので、護摩木に名前を書いてもらっても、護摩で燃やすのでよく考えると、誰だったかわからなくなってします。

今回も記録が残らない遠来の参拝者であった。しかもフェイスブック恐るべし!で、広島からの二人は金峯山寺のFBサイトに掲載された護摩の記事を見ておいでになったのだが、友人ではないので、誰かわからない…。情報の広がり方は強烈だが、こちらの受け入れがいまいち、かな。反省…。

さてあと5日となった。あっという間という感である。あいかわらず、入我我入(仏と一体化する)の域には届かず、機根(仏教を信じ実践する力)の低さを実感している。まあ、90座も修法すれば、作法は板についたけれど、境地は一向に上がらない。権現様は黙して語らず…ただひれ伏すのみである。

今日も朝から鶯や小鳥の囀りがありがたい。雀もチュンチュンとお堂の横で、ささやきあっている。時間がおだやかに流れている。課題の答えはまだ見えぬまま、修行の時も終わりを迎えつつある。

今日は護摩のあと、夕方の時間に二度目の墓参りに行く。お行の報告と、無事満行のお願いをしてきたのだった。満行の準備もいろいろとはじめかけている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする