tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

日本林業の父・土倉庄三郎/奈良まほろば館(日本橋三越前)で7月10日(日)11:00から講演!

2016年06月30日 | お知らせ
いよいよ近づいてきました! 2か月に1度(奇数月)、「奈良まほろば館」(東京・日本橋三越前)で開催している「まほろばソムリエの深イイ奈良講座」、7月10日(日)11:00から90分、私が日本林業の父・土倉(どぐら)庄三郎翁(天保11~大正6)を語ります!

翁の「土倉式造林法」は、日本中に広まり、森林王国・日本の基礎を作り上げました。また教育も重視し、「あさが来た」の廣岡淺子の日本女子大学、「八重の桜」の新島襄の同志社大学設立にも多額の資金援助をしています。板垣退助の海外渡航費用を負担したことでも知られています。

また翁の次男・龍次郎は台湾で林業や電力事業を興したほか、日本のカーネーション王として知られ、カルピスの創業にも関与されました。

たまたま参議院選挙の投票日と重なってしまい、お申し込みが低調です。川上村の林業団体「吉野かわかみ社中」からいただいた林業の関連資料やグッズなども無料配布。90分で土倉翁と林業の全貌がつかめます。参加費は500円。ぜひ、お申し込みください!同館のHPから抜粋しますと、

まほろばソムリエの深イイ奈良講座
平成28年7月10日(日)11:00~12:30
「日本林業の父 土倉庄三郎~百回忌に知る!翁の生涯~」

NPO法人奈良まほろばソムリエの会より講師にお出でいただき、奈良の魅力を色々な切り口で楽しく語っていただきます。

今回のテーマは、吉野が生んだ偉人・土倉(どぐら)庄三郎翁。「森と近代日本を動かした男」とも呼ばれ、今年は百回忌を迎えます。NHKの連続テレビ小説「あさが来た」の主役・白岡あさのモデルとなった廣岡淺子女史の日本女子大学設立を支援したことでも知られています。土倉翁のすべてが90分で分かる今回の深イイ講座。ぜひ、ご参加ください!

1.日  時:平成28年7月10日(日)11:00~(1時間半程度)
2.演  題:日本林業の父 土倉庄三郎~百回忌に知る!翁の生涯~
3.講  師:鉄田 憲男 氏
       NPO法人奈良まほろばソムリエの会 専務理事、奈良佐保短期大学 講師
4.会  場:奈良まほろば館2階
5.資料代等:500円(※当日受付にて申し受けます。)
6.定  員:70名(先着順)
7.申込方法:
  ・ハガキまたはFAX
   必要事項(講演名・講演日・住所・氏名(ふりがな)・電話番号・年齢)を明記いただき、
   奈良まほろば館までお送りください。
  ・ホームページ
   「申込フォーム」からお申し込みください。
お問い合わせ先
奈良まほろば館 【開館時間】10:30~19:00
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-6-2 奈良まほろば館2F
電話03-3516-3931 / FAX03-3516-3932

※聴講券等の発行はいたしません。定員に達し、お断りする場合のみご連絡いたします。
※キャンセルされる場合は事前にお知らせください。


吉野式林業(吉野林業)の紹介とあわわせ、日本の林業の現況についてもお話しいたします。たくさんのお申し込みをお待ちしています!
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真田丸(25)別離

2016年06月29日 | 日々是雑感
日曜日(6/26)のNHK大河ドラマ「真田丸」は「第25回 別離」だった。藤丸タダアキさんによれば、これは「豊臣政権の世代交代としての別離。政権内部の派閥の別離。秀吉と鶴松の別離。そして秀吉の目標だった天下統一が達成されたことによる目的との別離。天下統一という目標と、その後の次は何をすればいいのかという政権内部の目的意識の別離」。

このように、さまざまな「別離」が描かれた。印象に残ったのは、やはり千利休との別離。利休は敵方の北条に武器を売っていた「死の商人」だったのだ。NHKのHPから「あらすじ」を拾うと、

北条の滅亡によって秀吉の天下統一が完成。しかし、その矢先、秀吉の愛児・鶴松が重い病を患う。日に日に悪化する病状。信繁や三成は、千利休のことが頭から離れない。利休は武器商人として北条ともつながり暗躍していたが、それを信繁たちが突き止めると秀吉によって切腹に追い込まれだのだ。利休の呪いを恐れる人々。家康は秀吉が嫡男を失った後の天下の行方を思い描く。

NHKの「あさイチ」(6/3)に出演した桂文枝は、利休のラストシーンについて「意外な展開。見事です」と絶賛していた。また「できることならもうちょっと出たかったですね」とも。オリコンのHPによると、

NHK大河ドラマ『真田丸』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)。19日放送の第24回で北条が滅亡し、秀吉(小日向文世)は名実ともに天下の覇者となった。その翌年(天正19年=1591)に起きたことといえば、千利休の切腹。本作で利休を演じる落語家の桂文枝は、今月3日に同局の『あさイチ』に生出演した際、自身のラストシーンについて「意外な展開。見事です」と絶賛していた。

秀吉のもとで厚遇され、その親密ぶりは「(豊臣政権内での)内々のことは宗易(利休) に、公儀のことは宰相(秀長)に」と言われるほどだった利休。それが、秀吉によって切腹に追い込まれることになるなんて。一体何が起きたのか。その理由については、諸説あって現在もなお大きな謎となっている。

きょう26日放送の第25回で、作者・三谷幸喜氏はどのように利休を追い込むのか。三谷氏は「今までの千利休ではなく、“万”利休を目指す」と掲げていた。伏線は第24回にすでにあって、信繁(堺雅人)が小田原城の蔵にあった鉛や箱に打たれた刻印と、利休の出店で茶々が手にした扇子の刻印が同じであることに目ざとく気づいてしまう。

大河ドラマは欠かさず視聴してきたという文枝。出演は今作が初となる。それも、自身と同じ大阪・堺出身の利休という大役がめぐってきた。「出られるということだけでうれしくて。でも、お茶を立てながらせりふを言うのは難しかったですね。できることならもうちょっと出たかったですね」と名残惜しそうに話していた。



奈良県民として名残惜しいのは大和大納言・豊臣秀長の死。信繁、三成、吉継から利休の「死の商人」ぶりを聞かされた秀長は、病身を押して兄・秀吉にそのことを告げる。これは秀長の最後の大仕事となった。しかしこのシーン以外、秀長はあまり登場せず、とても残念だった。せっかくの機会なので、以下、秀長のことを『世界大百科事典』(第2版)から紹介しておく。

豊臣秀長 1541‐91(天文10‐天正19)安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の異父弟。筑阿弥の子。小一郎,のち美濃守。初め長秀,1585年(天正13)ころより秀長に改めた。1577年以降秀吉の中国征伐に従って頭角をあらわし,但馬竹田・出石城主などとして但馬・播磨経略に努めた。本能寺の変後も秀吉の片腕として山崎の戦,賤ヶ岳の戦,小牧・長久手の戦に従軍。85年には紀州一揆弾圧後の紀伊経略,秀吉の名代として長宗我部氏を下した四国征伐で大役を果たし,その功により同年閏8月大和・紀伊に和泉・伊賀の一部を加えた100万石を領し,大和郡山を居城とした。

さて、最後に藤丸タダアキさんの解説を彼のブログから紹介しておく。行政の長・秀吉と商人・利休には「美的感覚の違いが決定的にあった「その差が利休を死に追いやった」という分析は面白い。

真田丸25話別離は豊臣秀長の死と千利休の切腹の話から始まりました。この二人は秀吉の往年の名助手です。秀吉は九州の大名大友宗麟にこのようなことを言っています。「外のことは秀長に、うちうちのことは利休に」。政権のNo.2の秀長が政商の千利休を切腹へと手筈を進めます。ここには行政と商業者の事情の違いが垣間見えます。

行政とは地域の上に成り立つ収税権を持つ組織です。商業者は人のいるところには需要を見つけて進みます。豊臣政権にとって北条家は敵でした。しかし、商業者の千利休にとっては北条が相手であってもそこの需要がある限り商圏を広げます。豊臣政権にとっては敵が有利になる可能性がそこにできるかもしれない。千利休がそれを武器を売ることで不利になるかもしないという猜疑心になります。

また、秀長と千利休の死は同時に豊臣政権の世代交代も意味しています。私は秀吉と利休には美的感覚の違いが決定的にあったと思います。今でもその差が利休を死に追いやったと思っています。


鶴松の病気は利休の祟りだと噂があると話がありました。しかし利休にはそんな趣味はないと思います。石田三成の詰所に加藤清正と福島正則が訪ねます。このシーンでは武断派と文治派というような印象が出ました。ただし、三成には骨もあるという書き方でした。

親族も集まりました。秀次・秀俊・秀保・秀勝。そして宇喜多秀家。秀家は厳密には血縁ではありません。しかし、秀吉の期待にもっとも応えた猶子です。秀家に関しては以下で紹介しています。宇喜多秀家について

鶴松は亡くなります。秀吉はその悲しみを忘れるように新しい企画に没頭し始めます。真田丸25話では秀吉と鶴松もまた別離となってしまいました。真田丸25話別離の感想ですが、豊臣政権の世代交代としての別離。政権内部の派閥の別離。秀吉と鶴松の別離。

そして秀吉の目標だった天下統一が達成されたことによる目的との別離。天下統一という目標と、その後の次は何をすればいいのかという政権内部の目的意識の別離。今回の真田丸25話ではそんな感想を持ちました。


北条を滅ぼし天下統一を成し遂げた秀吉は、しかし秀長と利休という名参謀を失った。糸の切れた凧のようになった秀吉の次の「企画」とは…。次回「瓜売(うりうり)」をお楽しみに!
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葛城市で観光パネルディスカッション/7月9日(土)13:30から!(2016 Topic)

2016年06月28日 | お知らせ
葛城市の主催で、インバウンドによる観光振興などに関する講演とパネルディスカッションが開催される。参加費は無料だが申し込みが必要だ。定員は300人。元観光庁長官の溝畑宏氏など、豪華キャストが登壇する。同市のHPによると、

葛城市は、大阪市内より車で約40分、関西国際空港より約50分と大変アクセスの良い位置にあります。さらに「相撲発祥の地」と言われ、全国でも珍しい相撲の資料館、相撲館「けはや座」や、数多くの国宝・重要文化財を抱える當麻寺などの観光資源が豊富な街でもあります。

現在の日本の観光をめぐる状況としては、政府が成長戦略の一つとしてインバウンドの増加を掲げており、2015年の訪日外国人観光客数は過去最高の1,973万7千人、また関西国際空港の国際線外国人旅客数も暦年で過去最高の1,001万人を記録したというデータがあります。

こうした背景を踏まえ、現大阪観光局長であり元観光庁長官の溝畑宏氏のほか様々な分野でご活躍されている葛城市観光アドバイザー委員の方々にご登壇頂き、様々な立場からの提言、意見交換を通じてより有効な「葛城観光」の発信戦略を市民の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

日時 7月9日(土)午後1時30分から午後3時20分まで
場所 當麻文化会館ホール

内容
◆基調講演
「インバウンド観光による地域活性化」現大阪観光局長・元観光庁長官  溝畑宏 氏
「地方からの情報発信とメディアの使い方」株式会社KADOKAWA・ウォーカー総編集長 玉置泰紀 氏
◆パネルディスカッション「葛城観光~その魅力と発信~」
・パネラー
 現大阪観光局長・元観光庁長官  溝畑宏 氏
 株式会社毎日放送 相談役最高顧問  山本雅弘 氏
 環境・エネルギーコンサルタント  宅清光氏
 株式会社KADOKAWA・ウォーカー総編集長  玉置泰紀 氏
 當麻寺護念院住職  葛本雅崇 氏
 NHK国際放送番組『Forbidden Kyoto』エグゼクティブ・プロデューサー シェリー・ヤマグチ 氏
・モデレーター
 葛城市長 山下和弥

告知用チラシはこちら [PDFファイル]
お申込方法
以下参加申込書にご記入いただき、7月4日(月)までに、葛城市商工観光課までFAX(0745-48-2302)をお願い致します。
参加申込書 [docxファイル]

お問い合わせ
担当部署 商工観光課(奈良県葛城市長尾85番地)
電話番号 0745-48-2811
FAX番号 0745-48-3200


これは2時間足らずではもったいないような充実した内容である。私はこの日は東京入りしているので出席できないが、観光関連の事業者や自治体職員、観光まちづくり団体など、興味のある方は多いことだろう。定員は300人。ぜひ、お早めにお申し込みください!

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勝間和代が生駒で講演!/参加無料・要申込 7月3日(日)開催!(2016 Topic)

2016年06月27日 | お知らせ
あの勝間和代が、生駒に来る! 「勝間和代の働き方・生き方」という講演だ。場所は、生駒駅北口のたけまるホール。生駒市主催の講演会だが、市民以外でも参加できる。先着順なのでお急ぎを!生駒市の公式HPによると、

 無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法
 勝間和代
 ディスカヴァー・トゥエンティワン

テレビなどで活躍する経済評論家の勝間和代さんを招き、自身の経験を踏まえ、生駒市における新しい働き方を皆さんと語り合う「わくワークミーティング」を開催します。本市は、特に若者や子育て中のパパ・ママなどが、「自分らしく働き続けられる街」を目指し、生駒駅周辺に「ワーキングスペース」の整備を進めています。今回はそのキックオフイベントとしてこのミーティングを開催します。

チラシ(PDF)は、こちら。詳しい内容は、この講演会を運営する株式会社ワイズスタッフのHPに出ている。紹介すると、

 結局、女はキレイが勝ち
 勝間和代
 マガジンハウス

開催日: 2016年7月3日(日) 15:00~16:50(14:00開場)
場 所: たけまるホール 大ホール
参加費: 無料・生駒市民以外の方のご参加も可能 です。
定 員: 600名
託児:  1歳以上の託児があります。(先着15名 申込順 (電話受付)

プログラム:
経済評論家 勝間和代氏による基調講演
「勝間和代の働き方・生き方」~自分で働き方を選んだからこそ今の私がある~
公開ミーティング
ゲストディスカッションや会場の皆さんとの意見交換
今後の活動報告等

お申込方法:
お名前(ふりがな):
ご住所:
参加人数:
お電話番号:

こちらを、下記のいずれかの方法でお知らせください。
【電話】 0743-74-2012 (平日10:00~17:00)
【FAX】 0743-74-2013
【メール】 ikoma0703@ysstaff.co.jp
【申込フォーム】 こちらからお申込み下さい。

勝間さんへの質問や、生駒での働き方について、ご意見・ご希望があれば自由にお寄せ下さい。
公開ミーティングにて参考にさせて頂きます。


勝間和代は数々の著作とともに、2009年の紅白歌合戦にはゲスト審査員として出演したのでよくご存じだろう。多忙な彼女が生駒に来てくれるとは、願ってもないチャンスである。皆さん、ぜひお申し込みを!



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田中利典師/随想随筆(4)拝観講座を主催

2016年06月26日 | 奈良にこだわる
金峯山寺長臈(ちょうろう)の田中利典師が中外日報(宗教・文化の専門紙)に4回連載された「随想随筆」の最終回(6/3付)を紹介する(第3回は、こちら)。師のブログ「山人のあるがままに」に掲載された。
※トップ写真以下3枚の写真は、「りてんさんといく拝観講座」で撮影(4/29~30)

今回の見出しは「拝観講座を主催/世間にアクセス積極的に」。先日開催された「りてんさんといく拝観講座」(私も参加した)をマクラに、金峯山寺宗務の第一線から退かれて以降の活動についてお書きである。しかし師のブログには

中外日報で連載している拙稿「随想随筆」全4回の最終回です。少々甘い最終章になりましたが、まあ、とんがらないでつれづれに、いまの心象をしたためています。よろしければご覧下さい。

実は今回の原稿執筆は大ちょんぼをしていまして、字数制限を勘違いしたまま書き上げました。依頼されていたのは12字×79行でしたが、私が書いたのは17字×79行。

なんと3割も多く書いたので、削るのに大変苦労をしました。少し舌足らずな感が残ったのはそのせいもあります。またなにかの機会で元原稿をアップしたいと思います。

とあった。つまり新聞に掲載される前に「完成稿」があったのだ。私は、そのモト原稿を拝見したいとムリを申し上げた結果、このほど原稿をお送りいただいた(師のパソコンがウイルスに冒されたので、お送りいただくのが遅くなった)。以下にモト原稿を紹介させていただく。文字数調整後の原稿は、中外日報の紙面でご覧いただきたい。



本山宗務の第一線から退いて、今までとは違う比較的自由な立場でいろんなことに関わっているが、この春、「りてんさんといく金峯山寺拝観講座」を企画した。Facebookやブログなど、SNSでの告知を中心に、20名限定で募集して、有り難いことに最終21名の参加者を得た。

内容は吉野山の宿坊に宿泊して、修験道講座、宿坊夕座勤行、食事作法付き食事、蔵王堂夜間拝観、夜の交歓親睦会、そして翌日の朝からは蔵王堂勤行、朝食、蔵王堂秘仏拝観案内、本地堂法話会、お別れ昼食会と、午後3時から翌日のお昼過ぎまでびっちりと予定を組んで、ご一緒した。普通の講演会なら、4回分くらいはしゃべったかもしれない。

おおよその参加者の意見は、来て良かったというものであった。次はいつやりますか?と催促も受けた。そんな研修会を主催して感じたのは、自分たちが思う以上に僧侶の世界、お寺の世界に対して一般の方々が興味を持っているのだということだった。「こんなに身近にお坊さんと会うことはないです」と何度も言われたりしたし、「一杯、接したことが嬉しい」と何人もの参加者に言われたのだった。逆に言えば、私たち僧侶が思う以上に普段は一般の人々から僧侶が遠ざかってしまっているということだろう。そのこと自体を私たちは深く自覚しなくてはいけない。



4回にわたり本稿で紹介した、地元綾部でのコミュニティラジオの出演も、Amazonの僧侶派遣業の問題も、寺社フェス向源のことも、更には「りてんさんといく拝観研修」も、私にとっては同根から来ている。宗教から遠ざかった人々に少しでも寄り添う試みが大切なんだという思いである。幸い私の周りには「たなかりてんを若い人に近づけようプロジェクト」というような動きをしてくれる人々もいて、この5月、6月だけでも地元綾部での講演会や奈良町での法話会など、8つの催しが企画されている。

初詣に行き、お盆には墓参りをし、神社や教会で結婚式を挙げ、クリスマスも祝い、人生の終焉には大方が僧侶を呼んで葬儀をする…そういう日本人が無宗教であるはずがない。宗教者側が、もっと積極的に世間に対しいろんなアクセスをする必要があると私は思っているが、思っているだけではだめなので、まず出来ることから始めることとしたのである。

宗教を取り巻く状況は決してよいとはいえない。政教分離の問題もあるし、オウム真理教事件以降はここ20年、宗教といえば禁忌される風潮さえ漂ったままである。スキャンダラスに取り上げられる宗教事例ばかりが氾濫して、宗教の持つ良さや尊厳性にあまり目が向けられない現状もある。そこを打破する努力がこれからは一層、問われていくのだと思っている。

まさに修験の教えで言う「山の行より里の行」を自分なりに体現しなければならないと思うばかりである。さてさて、本稿も約束の紙面が尽きた。私に何が出来るのか、たかがしれてはいるが、最後に、私なりにこの道を進めることをお誓いして、筆を置くこととする。徒然なる文章に最後までお付き合いいただき感謝申し上げたい。


この写真は利典師のFacebookから拝借

「りてんさんといく拝観講座」について、「おおよその参加者の意見は、来て良かったというものであった」とお書きの通り、私も参加して本当に良かったと思っている。お坊さん、しかも修験道のお坊さんたちと身近に接し、一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだり。なかなか普段はお聞きすることのないお話も聞くことができた。夜間や早朝に蔵王権現さまの前でのお勤めに参加できたのも、得がたい経験だった。

しかし何より素晴らしかったのは、田中利典師というスゴい方と四六時中顔をつきあわせることができたということ。ご講話以外は別のお坊さんに任せることもできたと思うが、師はそれをせず、常に付き合っていただけたということが、何より有り難かった。

「日本人が無宗教であるはずがない」は、この随筆の第3回で紹介させていただいた。英語の「religion」を「信仰」ではなく「宗教」と訳したことから「私は無宗教で…」などという日本人ができあがった。分別のつくトシになって、全く信仰心を持たない日本人など、いるのだろうか?

「宗教を取り巻く状況は決してよいとはいえない」は、残念ながらその通りである。オウムの昔もあれば、最近はイスラム過激派によるテロ事件があいついでいる。私の身近で、こんなこともあった。湯川遥菜さんや後藤健二さんの拉致事件が起きた2014年頃、国内のある銀行が「ハラール」(イスラム法で許されたもの)に関するセミナーを企画し公表した。訪日外国人観光客が急増する中、インドネシアやインドなどからムスリム(イスラム教徒)がたくさん来られているので、その対応を学ぼう、というものだが、それが公表後、突然中止された。

それは「イスラム教徒=過激分子」という誤った思い込みがあったのだろう。世界で最も人口の多いのがキリスト教徒で、2番目がイスラム教徒だ。おそらくそんな事実も知らずに思い込みだけで中止したのだろう。ウチは幸い実施できたが、やはりこの裏には「宗教=危険なもの」という誤った刷り込みがある。

以前師は『月刊住職』に、こんなことを書かれた。昭和の終わり頃、金峯山寺の知名度が低かった時代の話だ。《「薬師寺の高田好胤さんみたいな人が金峯山寺から出なあかんな」といわれたのです。薬師寺には橋本凝胤和上もおられたが、その弟子の好胤さんが出たことが再興につながった。立派な仏様や伽藍があっても、現実には人を介してしか伝わらない。(中略)そこで不肖、自分は高田好胤にはなれないけれど田中利典にはなれる、と》。利典師は一念発起し、金峯山寺の再興に取り組まれたのである。蔵王権現像の特別ご開帳も、利典師が企画された事業の1つだ。

最後に師は《私なりにこの道を進めることをお誓いして、筆を置くこととする》と書かれている。人生80年の時代にあって、還暦をお迎えになったばかりの師は、まだまだこれからが正念場だ。利典師、今後ともよろしくお願いいたします!

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