tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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田中利典師の『吉野薫風抄』白馬社刊(13)/お釈迦さまは「霊能力」の使用を禁じた

2022年09月30日 | 田中利典師曰く
田中利典師の処女作にして最高傑作という『吉野薫風抄 修験道に想う』(白馬社刊)を、師ご自身の抜粋により紹介するというぜいたくなシリーズ、第13回は「正しい霊能者」である。
※トップ写真は、一言主神社参道(御所市)のヒガンバナ。2022.9.25撮影

修験者は厳しい修行の結果、霊能力を身につけている。しかしお釈迦さまは、霊能力の使用を禁じており、さらに霊能力を得ることを目的とした修行は、「外道」であると断じている。霊能力は人々を教化するための「方便」に過ぎず、それにこだわりすぎると自らを惑わすことになるのだ。では以下、師のFacebook(5/25付)から全文を紹介する。

シリーズ吉野薫風抄⑬/「正しい霊能者」
霊感や霊能者というと何かとてつもない魅力に充ち満ちている。逆にうさんくさいイメージもある。近頃世間を騒がせた霊感商法などはその代表であろう。そこで今、正しい霊能者について、拙稿をしたためたい。

わが修験道の行者にとって、霊能力を以って人々を教化するのは最も得意とする所であり、誇りとすべき武器ともいえる。しかし、この霊能力には大きな落し穴が、まさに、〈影が形に従うがごとく)に潜んでいることを自覚しなければならない。

お釈迦さまはその生涯において、自らは幾度か霊能力(神道力)をお使いになりながら、ほとんどの場合、その使用は禁じておられる。また仏典には、修行が進み悟りに至るならば、六神通という素晴らしい霊力が得られるとしているが、神通力を得るための修行は外道(げどう)であると断じている。これは霊能力者に対する厳しい警告である。

霊能力や霊感というのは最終目的ではないと仏法は説くのである。人々を教化する方便にはなっても、あくまで方便でしかないのである。人間完成という、第一義の目的を見失ってはならない、いや、霊能力という方便にこだわりすぎると外道におちいりかねないと警告するのである。

霊感や霊能力は優れた力であるだけに、人々を魅了しやすく、その分、人々を惑わし、自らをも惑わしてしまうという、大きな落し穴がある。霊感者、霊能力者は、もしかすると、ある意味では選ばれた人々であるかもしれない。

普通人より、いわば特殊の優れた能力を持った人々なのかもしれないが、しかしながら、その能力を統制できるだけの自己(心)の完成がなければ、その自らの能力がついには自らをも蝕んでしまうのである。お釈迦さまが神通力の使用を禁じられた意図はまさにそこのかと思われる。

霊感者や霊能者は、力が大きければ大きいほどに、より以上に敬虔(けいけん)にならねばならない。正しい求道者であらねばならない。そして普通人以上に、人々に奉仕する心を保ち、自己の完成を目指さなければならない。

それを怠るならば、霊能者は即座に低能者になり、わけのわからぬ魑魅魍魎(ちみもうりょう)や低級霊の檎(とりこ)になり果ててしまうであろう。正しき霊能者をめざすものはこのことを夢々、忘れてはならない。

**************

若書きの一文(なにせ36年前…)。顔から火が出るようだ。でも、なんだか、落ちぶれて薄汚れたいまの私よりは遙かに純粋で清らかな感じもする(笑)。

40歳半ばで、鈴木大拙の「日本的霊性」という名著に出会った。この世は霊的な世界が元であって、その上に物質的な世界が広がっている…というような内容だったが、それ以降、霊能の世界をそういう目で見つめ直すようになった。もちろん、60歳を過ぎてなお、その答えは見つかっていないのだが…。
◇◇
私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され(26歳から35歳まで書いたコラムを編集)、平成15年に白馬社から改定新装版が再版、また令和元年には電子版「修験道あるがままに シリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されています。「祈りのシリーズ」の第3弾は、本著の中から紹介しています。Amazonにて修験道あるがままに シリーズ〈電子版〉を検索いただければ、Kindle版が無料で読めます。
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杉の巨木に守られた御杖神社/毎日新聞「やまとの神さま」第19回

2022年09月29日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2022.9.22)掲載されたのは〈ここに宮を…倭姫命の杖/御杖神社(御杖村)〉、執筆されたのは奈良まほろばソムリエの会会員で奈良市在住の坂口隆信さんだった。
※写真は、御杖神社拝殿。両脇はご神木の上津江(かみつえ)杉=御杖村神末(こうずえ)で

この神社、私は未訪問だが、拝殿の前にこんな杉の巨木があったとは、初めて知った。樹齢600年というから、室町幕府第三代将軍・足利義満の頃に植えられたということになる。写真に出ている2本以外にも、何本もの杉の巨木があるそうだ。では全文を紹介する。

御杖村を横断する伊勢本街道から少し南に入った、神末(こうずえ)川西岸のこんもりとした森の中に、御杖神社は鎮まっています。

社伝によると、三輪山麓(さんろく)に宮があったとされる第十一代垂仁天皇の皇女であった倭姫命(やまとひめのみこと)が、天皇の勅命により、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御杖代(みつえしろ)となり、大神宮の候補地を求めて、大和国笠縫邑(かさぬいむら)から各地を巡幸したとされています。

この地を訪れた倭姫命は、候補地の一つとしてしるすため、自分の「杖」を残しました。当社でこの杖を祭ることから、御杖村の村名が付けられました。

御祭神は、行路の安全を守護する久那斗神(くなどのかみ)、悪や災いを塞ぎ守る八衢(やちまた)二神(八衢比古神(やちまたひこのかみ)と八衢比女神(やちまたひめのかみ))の3柱です。

伊勢神宮と関係が深く、大和と伊勢の国境に位置することから、かつては悪霊を防ぐ道饗祭(みちあえのまつり)が行われていました。

現在の本殿は神明造りで、入母屋造(いりもやづく)りの拝殿の両脇には、樹齢600年と伝わる、御神木の「上津江(かみつえ)杉」がそびえています。

御杖神社が鎮座する、神末の地名も倭姫命の杖に由来しており、神末は、伊勢本街道における大和国の最後の宿場町でした。現在も往時がしのばれる、道標や常夜灯などの風景が残っています。(奈良まほろばソムリエの会会員 坂口隆信)

(住 所)御杖村神末1020
(祭 神)久那斗神・八衢比古神・八衢比女神
(交 通)近鉄榛原駅から曽爾村役場行きバス「掛西口」乗換え、御杖ふれあいバス「神末中村」下車、徒歩すぐ。駐車場有
(拝 観)境内自由


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第4回グルメサークル(奈良シニア大学)は、上ツ道沿いで「かみつみち弁当」(ならまち・はり新)!

2022年09月28日 | グルメガイド
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は6年前から毎年、奈良シニア大学(事務局=奈良市西大寺北町3丁目2−19 1)に講師を派遣して、授業を行っています(奈良校および橿原校)。2022年度(令和4年度)からは授業に加え、クラブ活動として「グルメサークル」を担当することとなりました。これは同年度からスタートした授業「奈良の暮らしと文化」(奈良歴史部)とリンクした活動として行うものです。
※トップ写真は、かみつみち弁当(松花堂弁当)



第4回(2022.9.19)は、はり新(奈良市中新屋町15)で「かみつみち弁当」(2,360円)をいただきました。この名前は、同店の前を通る上ツ道(上街道)にちなんで名付けられました。サイト「奈良まちあるき風景紀行」には、


カボチャと吉野葛で作られた豆腐。飲み物はお酒ではなくお酢ドリンクだった


これは古代のチーズ「蘇(そ)」。自家製で、牛乳を長時間煮詰めて作られたもの

上街道(かみかいどう・上ツ道・かみつみち)は、奈良市内から奈良盆地の東側を南北に貫き桜井市内までの区間を結ぶ「街道」です。この街道は、6世紀後半以降の飛鳥時代に整備された「官道」であり、かつては広い道幅の道がほぼ直線的に伸びていたとされています。古代の奈良盆地を貫く官道としては「下ツ道」・「中ツ道」も存在し、この「上ツ道」は最も山麓に近い場所を通っていました。





なお、「上街道」とも呼ばれるようになったのは近世なってからのことであり、江戸時代などには京都・奈良方面から長谷寺・伊勢神宮への参詣時に通る道として利用されたことから「長谷街道」や「伊勢街道」といった別名で呼ばれたこともあります。





今回は大型の台風14号が四国まで来ていましたので、影響を心配していましたが、動きが遅いので決行することにしました。近鉄奈良駅の行基噴水前に集合し、徒歩ではり新をめざしました。定番の「かみつみち弁当」は、季節に応じてメニューの一部が変わりますので、それがまた楽しいです。今回は生ビールを注文する人もいて、ワイワイと楽しく食事しました。







食事のあとは、奈良まほろばソムリエの会会員の山﨑愛子さんの案内で、興福寺をお参りしました。早くも「来月はどこですか?」との質問もいただきました。来月(10月)は奈良市内を予定していますが、11月は奈良市を離れ、少し遠いところでのグルメを予定しています。皆さん、お楽しみに!
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ものがよく見える秋/喜多弘樹さんの「明風清音」

2022年09月27日 | 日々是雑感
吉野郡ご出身の歌人・喜多弘樹さんは、奇数月の第4木曜日、奈良新聞の「明風清音」欄に寄稿されている。先週(2022.9.22)お書きになったのは、「ものがよく見える秋」だった。全文は末尾の画像をお読みいただきたい。冒頭の一文は「秋は、ものがよく見える季節だ」。
※写真は明日香村で撮影(9/25)。ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)とフジバカマ(藤袴)か

私は「春霞や黄砂の季節と違い、秋は空も澄み、確かによく見えるなぁ」と油断して読んでいくと、「ものに宿っているさまざまな命のかすかな息づかいを感受することではないだろうか」「虚心という言葉があるが、ものに向き合う真摯(しんし)な姿勢は、そこから始まる」。



途中に小林秀雄の「徒然草」からの引用をはさみ、「名品とされる仏像、壺や茶碗、はては路傍の石ころであっても、慧眼(けいがん)の士に対しては、相手の方から何かを語りかけてくるにちがいない」「ものが語りかけてこないならば、こちらの方からものに対峙して、相手に語りかけてみることだ」「今年の秋は、すべての物音に耳を澄ませて、沈黙し、天地(あめつち)の中でおぼろになっていく己の姿、いや己の姿の影を、つつましく見続けることにしよう」。

相変わらず世間は騒々しい。しかも今日は安倍元首相の国葬の日である。騒々しい世間の声の中に身を置いていると、いつの間にか流されて自分を見失っていることに気づく。68歳の秋は、自分の姿の影をつつましく見続けることにしたい。喜多さん、良い「気づき」をいただきました、ありがとうございました!

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川上村で「秋の芸術祭」(講談、アンサンブル、木工作家展)が開催されます!(2022 Topic)

2022年09月26日 | お知らせ
吉野郡川上村にお住まいの書家・刻字家の土井一成さんから、チラシが送られてきた。コンサート(10/30)と木工作家展(10/28~30)がセットになったイベントで、「奈良県みんなでたのしむ大芸術祭」の一環である。

コンサートでは、アメリカ人の女性講談師・旭堂南春さんの講談「古事記 神武東征の巻」や、土井雄子さん(一成さんの奥さん)たちのアンサンブルが楽しめる。

木工作家展では、土井一成さんの刻字作品のほか、工房アップルジャックの小林清孝さん・兵庫さん父子の作品や、木工家具工房moonroundsの渡邊崇さんの作品などが展示される。「奈良県観光公式サイト」では、

奈良県川上村で「秋の芸術祭」が開催されます。
■第3回田舎コンサート
川上村の自然や情景が感じられる音楽を。
開催日時:10月30日 14:00~(会場:13:30)
■木工作家展
川上村で活躍する木工作家が制作したぬくもりある作品が集合。
開催日時:10月28日~30日 10:00~18:00


深まり行く秋の1日、ぜひ川上村「やまぶきホール」をお訪ねください!

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