tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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文化財と学芸員の役割/観光地奈良の勝ち残り戦略(115)

2017年06月30日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略
水曜日(6/28付)の毎日新聞「論点」(オピニオン頁)に、「文化財と学芸員の役割」という記事が出ていた。前文化庁長官・青柳正規氏、小西美術工藝社社長・デービッド・アトキンソン氏、興福寺貫首・多川俊映氏の3人の意見が述べられている。リード文には、
※トップ画像は、アトキンソン氏の近著

美術館、博物館などで勤務する学芸員が注目されている。きっかけは山本幸三・地方創生担当相が4月、講演後の観光施策などに関する質疑で「一番のがんは学芸員。観光マインドが全くなく、一掃しなければだめ」と発言したことだ。発言は翌日に撤回されたが、学芸員に求められる本来の役割とは何だろうか。

山本幸三氏の発言は、新聞などで大きく報道されたのでほとんどの方はご存じだろう。しかしこの意見、もとはデービッド・アトキンソン氏の主張である。ベストセラー『新・観光立国論』(東洋経済新報社刊)に出てくるが、続刊の『国宝消滅』(同)がより詳しい。抜粋すると、

 国宝消滅―イギリス人アナリストが警告する「文化」と「経済」の危機
 デービッド・アトキンソン
 東洋経済新報社

文化財を「楽しめる、くつろげる、勉強できる場」にしようとすると、困る人々も存在します。その代表が、文化財の専門家、とりわけ学芸員でしょう。学芸員の資格認定基準を見ていただければわかるとおり、その仕事内容は従来の保護行政を具現化したものになっており、主に守ること、調査すること、学問的な展示に重点が置かれています。より開かれた業界にするには、もっとも意識改革が急がれる分野でしょう。(P75)

私は、これからは特に学芸員の意識改革がもっとも求められていくと感じます。その意識こそが、「文化財=観光資源」という考え方です。(P111)

二条城の拝観料が1500円ならば、それに見合う文化体験ができないとクレームが出ます。施設がボロボロだったら不満も出るでしょう。しかし600円ならば「まぁ、そんなもんか」という感じで、クレームは出ません。サービスを手厚くする必要はありませんし、改善要望などに耳を傾ける必要もありません。つまり、シニカルに考えると、入場料が安いと運営側、とりわけ学芸員が楽なのです。こういう仕事のやり方に慣れている人たちからすると、私のような主張は「面倒くさい」こと極まりないでしょう。(P182)


 世界一訪れたい日本のつくりかた: 新・観光立国論【実践編】
 デービッド・アトキンソン
 東洋経済新報社

山本氏はこれらの主張に賛同するあまり、「一番のがんは学芸員」と口が滑ったのだろう。今回の記事の3人の意見は末尾に全文を記載するが、まずは大筋の主張を抜粋(青字)してみる。黒字部分は私の意見である。

1.「活用と保存、調整できる人材を」青柳正規氏
1980年ごろから「持続可能な社会」ということが地球上で最も重要な将来計画になった。ところが、山本幸三氏の発言は「勢いに乗っている今のうちに何でもかんでも使っちゃえ」と聞こえる。

両者(文化財の公開と保存)の折り合いをどうつけるかは文化行政の要であり、文化財を管理する組織や学芸員が最も知恵を絞るべきところだが、200年以上の議論を経た今も結論は出ていない。

外国人観光客の志向が「爆買い」からエコツーリズムや文化体験へと移るなか、人数を増やすことだけを考えていたら必ずつまずく。

だからこそ、学芸員には専門性を高め、知識を蓄積し、研究の成果を人々に伝えていくことが必要なのだ。しかし、現状は1人当たりの仕事量が増え、観光という新しい要素にまで考えを巡らせて対応することを難しくしている。一番の根幹は人づくり。国は学芸員を増やし、その役割を強化する方策を考えるべきだ。


保存と活用の折り合いをどうつけるか、「200年以上の議論を経た今も結論は出ていない」とは、ずいぶん暢気な話である。その間にも観光客は来るし、現場は対応しなければならないのだ。

私も学芸員の何人かを存じ上げている。深い知識はあるのだろうが、観光ガイドのようなサービス精神のある人は少ない。学芸員の頭数を増やしても、問題は解決しそうにないと思う。

 日本再生は、生産性向上しかない! (ASUKA SHINSHA双書)
 デービッド・アトキンソン
 飛鳥新社

2.「国の『観光戦略』従うのは当然」デービッド・アトキンソン氏
山本幸三氏の発言について、表現は別にして正しい指摘だと思う。これからの文化財保護には活用が不可欠で、その邪魔をするような学芸員は退場してもらうことも致し方ないという内容だった。

観光戦略は政府や中央省庁が決めた新しい国策であり、学芸員が従うのは当然といえる。文化財の活用には二つの目的がある。一つは「生きている文化財」にすることで多くの人に親しんでもらい、支持を促す。もう一つは付加価値を高めて「稼ぐ文化財」にすることで経済に貢献し、その代わりに補助金をもらう。

これまでたくさんの学芸員と接してきたが、「文化財は見せてあげる程度でいい」という人や解説パネルの設置に反対する人がいた。そういう考え方が文化財をつまらないものにしてしまう。しかし本来、学芸員の調査や研究による情報の蓄積は国民の財産のはずだ。その情報を生かし、守るべき価値を理解してもらわないと国の補助金もおりず、修理も適切にできない。

観光客の関心は歴史や美術、建築などさまざまで、誰が来ても退屈しないような工夫が必要だ。

山本氏の発言は、人口減の時代に文化財をどう守るのかというマクロな視点がある。国内外の観光客にお金を落としてもらい、そのための戦略に学芸員も協力しなければ、文化財を守るどころか結果として破壊を招くことになるだろう。


山本氏の発言は、もとはアトキンソン氏の意見だから、両者の意見が合うのは当然のことだ。《たくさんの学芸員と接してきたが、「文化財は見せてあげる程度でいい」という人や解説パネルの設置に反対する人がいた》は、事実だろう。学芸員には「文化財=観光資源」という意識はないと感じる。「保存と活用のバランス」を現場で議論しつつも、やはり方向性は《文化財を「楽しめる、くつろげる、勉強できる場」にしよう》ということだと思う。

3.「経済効果のみ重視は困る」多川俊映氏
文化財にとって大切なのは、要は「保存」と「公開」のバランスだ。学芸員はその感覚を誰よりも持っていなければならない。

保存だけを重視すれば暗所で非公開にしておくことがベストだが、公開して多くの人に文化財の素晴らしさを感じてもらい、守り伝えていこうという社会的な同意を形成する必要もある。そのバランスの落としどころを探るのが学芸員だ。

お寺で公開する分には何も言わないが、自分たちの責任となるととにかく慎重になってしまうきらいが学芸員にはある。

もっぱら経済的な効果を重視する意味で「文化財を活用する」と言われることは宗教者として抵抗がある。お寺の文化財はすなわち「宗教財」だということを忘れてはならない。たとえば「秘仏」は、公開しないことに宗教的な意味がある。

お堂落慶などの節目でもない時にやたらとお祭り騒ぎをするのはいかがなものか。社寺は祈りの場であり、心落ち着く静寂さこそが魅力。


学芸員が本当に「バランスの落としどころを探る」ことを意識していれば良いが、「とにかく慎重になってしまうきらいが学芸員にはある」とは私も感じる。

《「秘仏」は、公開しないことに宗教的な意味がある》は1つの見識ではあるが、興福寺を除く多くの社寺は「できるだけたくさん公開して、多くの拝観者を集めたい」がホンネではないだろうか。拝観料が入れば、そのおカネが保存にも回るのだから。

また「社寺は祈りの場」だとしても、文化財があるのは社寺だけではない。博物館などの学芸員が「Watching」と称して何もしない(監視だけしている)のは、あまりに不親切だと思う。

来たる7月19日(水)、アトキンソン氏ほか4人の論客をお呼びして「第8回観光力創造塾」というシンポジウムを開催する。基調講演をしていただくアトキンソン氏の演題は「『文化財観光』はなぜ必要か」。

パネルディスカッションには、金峯山寺長臈(ちょうろう)・種智院大学客員教授の田中利典(りてん)氏、海龍王寺住職の石川重元(じゅうげん)氏、明日香村長の森川裕一氏、奈良県観光局理事・奈良県ビジターズビューロー業務執行理事の中西康博氏にアトキンソン氏を交えて行う。定員は400人だが、すでに300人ほどのお申し込みをいただいている。

お申し込みの締切は、7月5日(水)。ぜひお早めにこの用紙の3枚目にご記入いただき、最寄りの南都銀行本支店にご持参いただくか、FAXで南都銀行 公務・地域活力創造部(FAX番号: 0742-25-2077)へお送りください!

※以下「論点 文化財と学芸員の役割」の全文

活用と保存、調整できる人材を 青柳正規・前文化庁長官
 1980年ごろから「持続可能な社会」ということが地球上で最も重要な将来計画になった。ところが、山本幸三氏の発言は「勢いに乗っている今のうちに何でもかんでも使っちゃえ」と聞こえる。文化財の公開と保存は、大英博物館や仏ルーブル美術館ができた18世紀半ばごろから、常に相対立する概念としてあった。両者の折り合いをどうつけるかは文化行政の要であり、文化財を管理する組織や学芸員が最も知恵を絞るべきところだが、200年以上の議論を経た今も結論は出ていない。

 一方で、近年の保存科学の進展には目を見張るものがある。たとえば文化財を展示する時、気密性の高いケースに入れることで外界の影響をかなりの割合で避けられるようになった。劣化の一因となる照明も紫外線や赤外線の少ない光源が開発されつつある。こうした技術は発展途上だが、もう少し我慢すればもっといい状態で長期にわたって展示できる状況が開けてくる。ここはもう少し時間幅を大きく取り、100年、200年という軸で保存というものを考えるべきだ。そのことは、結果として多くの人に文化財を見てもらい、接してもらうことにつながる。

 今、日本は年間2000万人以上の外国人観光客が訪れている空前の観光ブームだ。しかし、そんなものは砂上の楼閣にすぎない。観光というのはゼロサムゲームのようなもので、第二次大戦後のヨーロッパがそうだったように、どこかで観光客が増えれば別のどこかで減る。外国人観光客の志向が「爆買い」からエコツーリズムや文化体験へと移るなか、人数を増やすことだけを考えていたら必ずつまずく。

 観光の分野でこれから期待されるのは、映画や漫画、アニメなどをきっかけに旅する「コンテンツツーリズム」だ。文化庁が共通の歴史を持つ地域などで認定を進めている「日本遺産」のように、地域の文化財や景観を組み合わせ、ストーリーで観光客を魅了する仕組みが求められるが、そこでは学芸員の知恵や知識が非常に重要になってくる。

 ところが、国と地方の抱える借金が1000兆円を超える中で、美術館や博物館を取り巻く予算は減少傾向にある。文化財の保存修復は海外の技術に学ぶところも大きいが、地方の公立美術館では海外研修もままならない。学芸員がアクセル(活用)とブレーキ(保存)をうまく踏み分けなければ、文化財は後世に継承されない。

 だからこそ、学芸員には専門性を高め、知識を蓄積し、研究の成果を人々に伝えていくことが必要なのだ。しかし、現状は1人当たりの仕事量が増え、観光という新しい要素にまで考えを巡らせて対応することを難しくしている。一番の根幹は人づくり。国は学芸員を増やし、その役割を強化する方策を考えるべきだ。

 2020年の東京五輪・パラリンピック以降、日本経済は一層厳しい時代に突入するだろう。学芸員の調査研究や普及活動によって、多くの人々が文化や歴史に関する知識を得ることは、その足元を強固にし生きる原動力となるはずだ。【聞き手・林由紀子】

国の「観光戦略」従うのは当然 デービッド・アトキンソン 小西美術工芸社社長
 山本幸三氏の発言について、表現は別にして正しい指摘だと思う。これからの文化財保護には活用が不可欠で、その邪魔をするような学芸員は退場してもらうことも致し方ないという内容だった。保存と活用をできるだけ両立させる意見として、私も同意する。山本氏は観光戦略を熟知しており、軽はずみな発言ではないことを理解する必要がある。重要なのは文化庁ではなく、現場の役割に言及していた点。観光戦略は政府や中央省庁が決めた新しい国策であり、学芸員が従うのは当然といえる。

 文化財の活用には二つの目的がある。一つは「生きている文化財」にすることで多くの人に親しんでもらい、支持を促す。もう一つは付加価値を高めて「稼ぐ文化財」にすることで経済に貢献し、その代わりに補助金をもらう。これまでたくさんの学芸員と接してきたが、「文化財は見せてあげる程度でいい」という人や解説パネルの設置に反対する人がいた。そういう考え方が文化財をつまらないものにしてしまう。しかし本来、学芸員の調査や研究による情報の蓄積は国民の財産のはずだ。その情報を生かし、守るべき価値を理解してもらわないと国の補助金もおりず、修理も適切にできない。

 最近は変化も生まれている。例えば大政奉還の舞台になった世界遺産の京都・二条城では、歴史的背景やドラマを伝える説明が不十分なままだったが、昨年5月に私が特別顧問に就任し、解説パネルが充実した。(1626年にあった)後水尾天皇の行幸再現といった特別なイベントも行われた。学芸員の協力で実現したが、そこに至るまでの道のりは長かった。観光客の関心は歴史や美術、建築などさまざまで、誰が来ても退屈しないような工夫が必要だ。山本氏の発言にもあった「観光マインド」とはそういうことを意味している。国内外の観光客にいかに楽しんでもらえるか、そのコンテンツを整備する義務が学芸員にはある。

 入場料にも問題がある。世界の主要文化財を比較すると、海外平均の1891円に対して日本は593円と安すぎる。展示の質や飲食サービスの向上といった付加価値を高めて単価を上げるべきだ。内閣府が管轄する東京・迎賓館赤坂離宮は昨年から一般公開を始めた。本館・主庭に和風別館を加えた参観料は一般1500円だが、それだけの価値がある。ガイドツアーを設けたり庭でカフェを開いたりして、ゼロだった収入が年間数億円以上になった。結果、財務省から修復費が認められ、念願だった本館「朝日の間」の改修につながった。自助努力しないと国の補助金はおりない。文化財修復はコストではなく投資なのである。

 日本の戦後の経済成長は人口増加に支えられてきた。だが今や人口は減り始め、学芸員が自分の興味のあることにだけ従事できるようなぜいたくな時代は終わった。山本氏の発言は、人口減の時代に文化財をどう守るのかというマクロな視点がある。国内外の観光客にお金を落としてもらい、そのための戦略に学芸員も協力しなければ、文化財を守るどころか結果として破壊を招くことになるだろう。【聞き手・清水有香】

経済効果のみ重視は困る 多川俊映・興福寺貫首
 文化財にとって大切なのは、要は「保存」と「公開」のバランスだ。学芸員はその感覚を誰よりも持っていなければならない。

 日本の文化財には埋蔵文化財もあるが、多くは伝世品、つまり人から人へと受け継がれてきたものだ。興福寺には国宝指定の寺宝31件が伝わり、そうした文化財を欠くことなく、あるいは修復によってより良い状態にして次世代へと受け渡していく使命がある。とはいえ公開も大事だ。保存だけを重視すれば暗所で非公開にしておくことがベストだが、公開して多くの人に文化財の素晴らしさを感じてもらい、守り伝えていこうという社会的な同意を形成する必要もある。そのバランスの落としどころを探るのが学芸員だ。

 興福寺ではこれまで各地の博物館や美術館で展覧会を開く機会があったが、学芸員や文化財行政に携わる人のガードが堅過ぎると感じたこともある。1996年にパリで興福寺の仏像展が開かれた時、フランス側と寺が仏像の前に祭壇やお供え物を置いた空間をそのまま展示しようとしたところ、日本の文化庁側が強く反対した。政教分離の問題もあったが、「お供えの生花が傷むと、ハエが飛んで仏像に卵を産み付けたりしかねない」という理由が付け加わったのには驚いた。普段、仏像を安置しているお堂の中にはハエもクモもいる。お寺で公開する分には何も言わないが、自分たちの責任となるととにかく慎重になってしまうきらいが学芸員にはある。

 観光は「国の光を観(み)る」、つまり国の素晴らしい部分を共有するということで、政府として推進することは理解できる。しかしもっぱら経済的な効果を重視する意味で「文化財を活用する」と言われることは宗教者として抵抗がある。お寺の文化財はすなわち「宗教財」だということを忘れてはならない。たとえば「秘仏」は、公開しないことに宗教的な意味がある。それを活用したいから公開してくれと言われても困る。興福寺の国宝館には学芸員が2人いるが、彼らにも単なる展示施設ではなく、「仏さまに会いに来る方たちのためのお堂なのだ」と意識してほしいと伝えている。

 「活用」重視には危うさもある。たとえば、海外で仏教美術の展覧会をするよう求められる機会が増えるだろうが、日本の文化財は乾漆像や塑像など非常にもろい素材で作られているものも多く、欧州の絵画などとは違う。寺としてはどんな仏さまであれ空輸することは非常に心配だ。パリの展覧会の際も、最後の便が無事到着したことを知らせる電話に胸をなで下ろしたことをよく覚えている。

 近年、史跡や名勝に指定されている境内でコンサートなどのイベントが行われるケースが目立つ。主催者側も社寺側も話題性で人が集まるというメリットがあるからだが、お堂落慶などの節目でもない時にやたらとお祭り騒ぎをするのはいかがなものか。社寺は祈りの場であり、心落ち着く静寂さこそが魅力なのに、安直な「活用」でそれが失われている。学芸員には、そうした危うさを丁寧に説明する役割も期待したい。【聞き手・花澤茂人】

約7800人、5690施設で勤務
 学芸員は、博物館法で「博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる」と位置づけられた国家資格。文部科学省の2015年度調査によると、全国で7821人の学芸員が、美術館、博物館、水族館など5690の施設で勤務している。長期的視野に立って専門知識を駆使する役目が求められるが、一方で雇用期間が限定された契約職員が増えている問題なども取りざたされている。

ご意見、ご感想をお寄せください。 〒100-8051毎日新聞「オピニオン」係 opinion@mainichi.co.jp

■人物略歴 あおやぎ・まさのり
1944年生まれ。東京大名誉教授、山梨県立美術館長。専門はギリシャ・ローマ美術考古学。国立西洋美術館長も務めた。著書に「皇帝たちの都ローマ」(毎日出版文化賞)など。

■人物略歴 David Atkinson
1965年英国生まれ。ゴールドマン・サックスのアナリストを経て、文化財修復などを手がける「小西美術工芸社」(東京都)へ。著書に「新・観光立国論」など。

■人物略歴 たがわ・しゅんえい
1947年奈良市生まれ。立命館大卒。89年に貫首に就任。98年から境内整備に取り組み、来年秋には現在再建工事中の中金堂が落慶の予定。著書に「唯識とはなにか」など。
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父母は七世、師僧は累劫なり。義深く、恩重し/田中利典師『父母への追慕抄』(2)

2017年06月29日 | 田中利典師曰く
今日も、田中利典師(金峯山寺長臈・種智院大学客員教授)からご恵送いただいた『父母への追慕抄~父母の恩重きこと天の極まりなきが如し~』という冊子の1篇を紹介する。今回は「父母は七世、師僧は累劫(るいこう)なり。義深く、恩重し」、『金峯山時報』(平成13年8月号)の「蔵王清風」欄に掲載された文章である。師のブログ「山人のあるがままに」では、こちらに出ている。

父が亡くなった。7月の暑い夜のことだった。病院のベッドで家族に看取られながら、片方ずつ息子2人の手を握りしめ、静かに息を引き取ったのであった。ここ数年、父は病の床にあったが、死の当日まで自坊で過ごし、わずか半日の緊急入院で、最後は穏やかに死期を迎えた。享年86歳の生涯だが、大往生と言わせてもらってもよいだろう。

父の急逝に悄然(しょうぜん)としながら、それでもばたばたと葬儀を終え、いまは、心の中にどうしようもない大きな空洞が空いてしまっているのを感じている。半年前からは寝たきりになっていたし、ある程度の覚悟は出来ていたつもりだが、この春からの多忙の中で、ついつい父のことが疎かになっていたことも確かだった。言いしれぬ悔いが残った。物言わぬ存在でもいいから、そのぬくもりだけでも永遠に感じていたいというのが正直な心根である。

親不孝な息子だったのかもしれない。あんなにたくさんのことをして貰いながら、何にも恩返しすることもなく、見送ってしまったようで、やるせなくて仕方がない。「親を亡くせば、誰でもが感じることだよ」と言われても、何の慰めにもならず、ただ自分の身勝手さ、愚昧(ぐまい)さ、至らなさに身が切り刻まれる思いなのである。

「父母は七世、師僧は累劫なり。義深く、恩重し」(唐の道宣[どうせん]律師)というが、私の場合、亡父は大好きな父でもあり、師僧でもある。若くして在家から験門に入り、数多(あまた)の修行を重ねながら、法師として活動するそんな父の大きな背中を見て育ってきたのであり、現在私が修験僧となり、また宗門の実務に携わっているのも、すべて父によって導かれた道なのである。その恩たるや如何なるものなるか、到底、計り知れない重さである。

生前父とはよく意見を違(たが)えた。教えを受くべきこともたくさんあったが、素直に聞けなかったし、そのことは後で絶対に後悔しないと心に決めていた。ただ亡くしてみて思うことは「若し能(よ)く自らの行が具足せば、即ち他を化すること自然(じねん)なり」という聖徳太子のお言葉である。父は父なりのやり方で愚息達を教化し導いて来てくれたのだと痛感する。だからこそ今の自分がある、のである。

生涯を一行者として見事に生き抜いた父であったが、その法嗣(ほっし)として、いくばくかでも報いることが、唯一、私に出来うる恩返しなのであろう。そのことを実践していく中でしか、この心の空洞を埋めるすべはないとわかる。いまはただ、その恩徳に、感謝して合掌するのみである。―「金峯山時報平成13年8月号」より


私は昭和56年に学校生活を終えて、金峯山寺に入寺しました。しかし、昭和59年と平成5年には年老いた父を思い、父からの教えを学び、また自坊の手伝いに専心するべく、金峯山寺を辞めて、綾部に帰ろうとします。しかしそのたびに、自坊での父との関係はうまくいかなくて、そのうち金峯山寺も忙しくなり、再び三度(みたび)吉野に呼び戻されたのでした。

そして平成13年に宗務総長に就任して、結局、父のもとには戻れないまま、父を見送ることになりました。そういう後悔が、父の死に臨んで、やはり私の中には大きかったと思います。もちろん、本山で活躍することは父が望んだことなので、親孝行になった部分も大いにあったのですが…。


「父母七世」とは、自分に至るまでの七代にわたる父母(直系の祖先)、「累劫」とは、きわめて長い時間のこと。利典師にとってお父上は師僧でもあったので、二重の意味で「義深く、恩重し」ということになるが、本山・金峯山寺の宗務総長として大活躍された利典師は、見事に親孝行を果たされた。

昨日、Mさんという方が師のFaebookに《『父母への追慕抄』が無事に我が家に到着しました。先生のお父様、お母様への思いが詰まった冊子となっております。なかなか上手く行かない親子関係の我が父母への接し方、親孝行のヒントにさせて頂きたいと思います。最後になりましたがお忙しい中、又、体調が優れない中、先生、有難うございました》と書き込んでおられた。

病からまだ十分癒えないお体で、素晴らしいご本をお送りいただいた利典師、有り難うございました。
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父母の血脈/田中利典師『父母への追慕抄』(1)

2017年06月28日 | 田中利典師曰く
昨日(6/27)出勤すると、田中利典師(金峯山寺長臈・種智院大学客員教授)からご恵送いただいた『父母への追慕抄~父母の恩重きこと天の極まりなきが如し~』という冊子が職場に届いていた。本年6月19日(月)、師はご両親の合同法要を営まれ(ご尊父の17回忌・ご母堂の7回忌)、それを期に制作された冊子である。師のFacebook(6/19付)には、

合同法要を記念して、『父母の追慕抄~父母の恩重きこと天の極まりなきが如し』という全36頁ばかりの小冊子を制作した。過去に金峯山寺の機関紙などで書いてきた、父母に関わる私の文章をとりまとめたものである。父母の供養になればという気持ちと、なにか、父母の足跡を残したいという、いわば私のわがままな思いだけで、編纂したものである。

幸い編集者の池谷さんという友人がいて、彼とは金峯山寺関連の書籍出版でなんども仕事をしており、今回も彼の手を借りて、上梓した。私の文章の中ではずぬけて有名?な「回転焼きと母」など、全9編をおさめている。フェイスブックやブログなどで何度か載せたものがほとんどであるが、本になってみるとまた一段と見栄えをよく感ずるものである。


「回転焼きと母」をはじめ過去に師のブログ「山人のあるがままに」などで拝読した文章も多いが、やはりこうして1冊にまとまると、また新たな感慨が湧く。親子の情愛が、しみじみと伝わってくるのだ。制作部数はわずか300部で、もう在庫がないとのこと。このような文章をわずか300人で独占するのはもったいないので、すでに師自らが公開しているものの中から、いくつかを紹介させていただくことにしたい。今回は「父母の血脈」という一篇。ブログではこちらに掲載されている。


お父上と利典師、金峯山寺蔵王堂前で(師のブログから拝借。冊子にも掲載)

「父母の血脈(けちみゃく)」
私の父は頭の良い人だった。頭の回転が速かった。その分、鋭すぎるところがあった。母は愚昧(ぐまい)ではなかったが、どちらかというと、ちまちましたことが嫌いで、おおらかな人だった。幼い頃から苦労をしたわりに、自分勝手なところもありはしたが、妙に度量の大きい人だったように思う。

私は父ほど頭の回転は速くないし、母ほどの度量があるわけではないが、ほどほどに二人の血を受け継いでいるように思う。父はケチで、そういうところは私の方が受け継いで、二人兄弟の弟は母の気前のよさを受け継いでいるが、全体を見ると、最近は弟の方が父に似てきて、私の方が母に似て来ているような気がする。

たぶん、弟は弟で、気前の良さはみとめるにしても、私と反対のことを思っているかも知れない。いずれにしても、「血」というのは嘘をつかないと、父と母を亡くしてみて、時間が過ぎゆくほどに、つくづくそう思う。

父はいまの私の年齢で、新寺の建立(こんりゅう)を発願して、成し遂げた。それは実にすごいことだったと、いまの私だからわかる。ちょうど寺建立の最中にオイルショックの不況があり、建立費寄付金勧募がうまくいかず、大変苦労したようだ。そういう意味では父も母も一生涯、お金に縁のない人生を送った。その辺は遺伝ではないはずだが、気前のよい弟と違って、私だけ貧乏性を受け継いでしまったようだ。

とはいえ、父も母も上々の人生を送ったのではないかと思う。ほかのことは似ていなくても、そういう人生を受け継ぐことが出来たら、なによりの幸せなのだろう。仏教では本来あまり血筋のことはとやかく言わない。「血」などというものは何代にもわたると、膨大な広がりを見せる。たとえば30代さかのぼるだけで、なんと約11億人にも連なるのだから血筋などは意味をなさないことになる。

それよりも仏教で大事にするのは「血脈(けちみゃく)」である。血脈とは、教法が師から弟子に伝えられること(師資相承[ししそうじょう])で、身体の血管に血が流れるのにたとえて、その持続性と同一性をあらわすものとしている。教法の相承を「血脈を白骨にとどめ、口伝を耳底に納む」などと表現するほどである。

私たちは肉身を両親から受けたが、人生を豊かに生きる教法はご本尊からいただいた。両方が大切であり、その両方を大切にしながら、上々の人生を送れたらと願わずにはいられない。ー「金峯山時報平成23年11月号」より


「血脈(けちみゃく)」を『日本大百科全書』で引くと《一般には親族としての血のつながり、血統の意であるが、仏教では師から弟子へと連綿と教法が伝えられることを血のつながりに喩(たと)えて血脈相承(そうじょう)という。自己の継承した法門の正統性と由緒正しさとを証明するものとして、とくに中国、日本で重要視された。また相承の次第を記した系図そのものをも意味し、師は法を授けた証(あかし)として弟子にその系図を与えた。日本では仏教以外に芸道や連歌(れんが)、俳諧(はいかい)などでも同様の意で用いる》とある。

それにしても、オイルショックの時代に今のお寺(大容山 林南院)を建立されたとは、すごい。利典師は、お父上から受け継いだこのようなパワーで、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録を成し遂げられたのだな、と合点した。

『父母の追慕抄』に掲載されているのは、わずか9篇。急がずじっくりと噛みしめてまいりたい。利典師、ご恵送ありがとうございました。
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纒向学セミナー(第9回)前方後円墳の築造と葬送儀礼/7月15日(土)開催!(2017 Topic)

2017年06月27日 | お知らせ
古代史ファン垂涎のこんな無料セミナー&トークセッションがある。開催場所は桜井市立図書館。先着270名限定で、お申し込みは往復ハガキ(料金が124円に改訂された)で。桜井市纒向学研究センターのHPによると、

第9回 纒向学セミナー開催のお知らせ
「前方後円墳の築造と葬送儀礼」

講  師 : 小山田 宏一 先生(奈良大学教授・桜井市纒向学研究センター共同研究員)
対  談 : 寺沢 薫(桜井市纒向学研究センター所長)
日  時 : 2017年7月15日(土) 13:30~16:00 (開場 13:00)
会  場 : 桜井市立図書館 研修室1 (桜井市河西31番地)
       桜井駅南口より桜井市コミュニティバス 談山神社行き「神之森町」下車すぐ
◆定 員 : 270名(事前申し込みが必要。定員になり次第締切)
◆参加料 : 無 料
◆応募方法
 ・往復ハガキに郵便番号・住所・氏名・電話番号を明記して下記まで郵送してください。
 ・往復ハガキは参加者1名につき1枚でお申込みください。
 ・「第9回 纒向学セミナー」のお申し込みは先着順です。定員になり次第締め切ります。
 ※2017年6月1日より郵便はがきの料金が変更しています。ご注意ください。  
  (往復はがき料金:104円→124円に変更)
◆応 募 先 〒633-0085 奈良県桜井市東田339番地
      桜井市纒向学研究センター 「纒向学セミナー」係
  ※受付後、参加券(返信ハガキ)をお送りいたしますので当日、会場受付までご持参下さい。
◆お問合せ先: 桜井市纒向学研究センター 電話 0744-45-0590
◆主   催: 桜井市纒向学研究センター
◆協   力: 桜井市立図書館


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奈良で開催の国民文化祭・障害者芸術・文化祭 2017/開会式の参加者を募集中 7月14日締切!

2017年06月26日 | お知らせ
本年(2017年)9月2日(土)19時から、東大寺大仏殿前で「第32回国民文化祭」および「第17回全国障害者芸術・文化祭」の開会式が行われる。主催の同フェスティバル事務局は、現在参加者を募集している。参加は無料で定員は約1,000人。奈良県出身の八嶋智人が司会を務め、伝統芸能や創作パフォーマンスなどが繰り広げられる。主催者のHPによると、

概要:世界遺産である「東大寺大仏殿」で、歴史と文化豊かな奈良の価値を感じる、大会の幕開けにふさわしいオープニング「開会式」を開催します。入場希望の方を募集しますので、ふるってご応募ください!
※入場のお申し込み(インターネット)はこちらから
※下記、「申込」についての【注意事項】をよく読んでからお申し込みください。

開催日時:2017年9月2日(土)
     開演 19時(受付時間16時30分~18時30分)
募集期間:2017年6月8日(木)~7月14日(金) 
     ※はがきで申込みの場合は、当日消印有効
場  所:華厳宗大本山 東大寺 大仏殿前(奈良市雑司町406-1)

内容
六世紀半ば、仏教をはじめ様々な文物が外国からもたらされ、この奈良の地で、日本古来の文化と交流・融合を果たし、今に続く日本文化の源が生み出されました。ここ奈良・東大寺を舞台に伝統芸能、創作パフォーマンスでその日本文化独自のダイナミズムを描き出します。

申込
・入場ご希望の方は、【注意事項】をご確認のうえ、「入場のお申し込みはこちらから」
(ページ上部・「概要」欄)をクリックし、申し込みフォームへ必要事項をご入力ください。

【注意事項】
・1回の応募でお申し込みいただけるのは、お二人様までです。
 ※お二人様での観覧を希望される方および、介助のために同行する方や中学生(15歳
  以下)に同伴する保護者については、お二人様分の必要事項を入力ください。
・お一人様につき1回に限り応募いただけます。※複数回の申し込みは無効となります。
・未就学児の入場はご遠慮ください。
・中学生(15歳)以下の方は、保護者の方とご応募ください。
・応募多数の場合は、抽選となります。
・「御案内」の発送をもって当選発表にかえさせていただきます。
 (「御案内」の発送は、8月上旬を予定しております)
 なお、当選されなかった方への御連絡はいたしませんので、あらかじめご了承ください。
・当選された場合、当日入場の際に本人確認をさせていただきます。
 代理の方は御入場いただけません。
・ご提供いただいた個人情報は、本業務の目的以外には使用いたしません。
・会場および周辺に来場者様用の駐車場は設けておりませんので、
 公共交通機関のご利用をお願いいたします。       

参加料:入場無料/事前申込制

問い合わせ
第32回国民文化祭・なら2017/第17回全国障害者芸術・文化祭なら大会
総合フェスティバル事務局 オープニング「開会式」係
〒630-8014 奈良県奈良市四条大路一丁目3番45号(インパクト株式会社内)
TEL 0742-36-0007 FAX 0742-33-6441


秋の奈良を彩る大イベントの幕開けである。皆さん、ぜひお申し込みください!



コメント (2)
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