水曜日(6/28付)の毎日新聞「論点」(オピニオン頁)に、「文化財と学芸員の役割」という記事が出ていた。前文化庁長官・青柳正規氏、小西美術工藝社社長・デービッド・アトキンソン氏、興福寺貫首・多川俊映氏の3人の意見が述べられている。リード文には、
※トップ画像は、アトキンソン氏の近著
美術館、博物館などで勤務する学芸員が注目されている。きっかけは山本幸三・地方創生担当相が4月、講演後の観光施策などに関する質疑で「一番のがんは学芸員。観光マインドが全くなく、一掃しなければだめ」と発言したことだ。発言は翌日に撤回されたが、学芸員に求められる本来の役割とは何だろうか。
山本幸三氏の発言は、新聞などで大きく報道されたのでほとんどの方はご存じだろう。しかしこの意見、もとはデービッド・アトキンソン氏の主張である。ベストセラー『新・観光立国論』(東洋経済新報社刊)に出てくるが、続刊の『国宝消滅』(同)がより詳しい。抜粋すると、
文化財を「楽しめる、くつろげる、勉強できる場」にしようとすると、困る人々も存在します。その代表が、文化財の専門家、とりわけ学芸員でしょう。学芸員の資格認定基準を見ていただければわかるとおり、その仕事内容は従来の保護行政を具現化したものになっており、主に守ること、調査すること、学問的な展示に重点が置かれています。より開かれた業界にするには、もっとも意識改革が急がれる分野でしょう。(P75)
私は、これからは特に学芸員の意識改革がもっとも求められていくと感じます。その意識こそが、「文化財=観光資源」という考え方です。(P111)
二条城の拝観料が1500円ならば、それに見合う文化体験ができないとクレームが出ます。施設がボロボロだったら不満も出るでしょう。しかし600円ならば「まぁ、そんなもんか」という感じで、クレームは出ません。サービスを手厚くする必要はありませんし、改善要望などに耳を傾ける必要もありません。つまり、シニカルに考えると、入場料が安いと運営側、とりわけ学芸員が楽なのです。こういう仕事のやり方に慣れている人たちからすると、私のような主張は「面倒くさい」こと極まりないでしょう。(P182)
山本氏はこれらの主張に賛同するあまり、「一番のがんは学芸員」と口が滑ったのだろう。今回の記事の3人の意見は末尾に全文を記載するが、まずは大筋の主張を抜粋(青字)してみる。黒字部分は私の意見である。
1.「活用と保存、調整できる人材を」青柳正規氏
1980年ごろから「持続可能な社会」ということが地球上で最も重要な将来計画になった。ところが、山本幸三氏の発言は「勢いに乗っている今のうちに何でもかんでも使っちゃえ」と聞こえる。
両者(文化財の公開と保存)の折り合いをどうつけるかは文化行政の要であり、文化財を管理する組織や学芸員が最も知恵を絞るべきところだが、200年以上の議論を経た今も結論は出ていない。
外国人観光客の志向が「爆買い」からエコツーリズムや文化体験へと移るなか、人数を増やすことだけを考えていたら必ずつまずく。
だからこそ、学芸員には専門性を高め、知識を蓄積し、研究の成果を人々に伝えていくことが必要なのだ。しかし、現状は1人当たりの仕事量が増え、観光という新しい要素にまで考えを巡らせて対応することを難しくしている。一番の根幹は人づくり。国は学芸員を増やし、その役割を強化する方策を考えるべきだ。
保存と活用の折り合いをどうつけるか、「200年以上の議論を経た今も結論は出ていない」とは、ずいぶん暢気な話である。その間にも観光客は来るし、現場は対応しなければならないのだ。
私も学芸員の何人かを存じ上げている。深い知識はあるのだろうが、観光ガイドのようなサービス精神のある人は少ない。学芸員の頭数を増やしても、問題は解決しそうにないと思う。
2.「国の『観光戦略』従うのは当然」デービッド・アトキンソン氏
山本幸三氏の発言について、表現は別にして正しい指摘だと思う。これからの文化財保護には活用が不可欠で、その邪魔をするような学芸員は退場してもらうことも致し方ないという内容だった。
観光戦略は政府や中央省庁が決めた新しい国策であり、学芸員が従うのは当然といえる。文化財の活用には二つの目的がある。一つは「生きている文化財」にすることで多くの人に親しんでもらい、支持を促す。もう一つは付加価値を高めて「稼ぐ文化財」にすることで経済に貢献し、その代わりに補助金をもらう。
これまでたくさんの学芸員と接してきたが、「文化財は見せてあげる程度でいい」という人や解説パネルの設置に反対する人がいた。そういう考え方が文化財をつまらないものにしてしまう。しかし本来、学芸員の調査や研究による情報の蓄積は国民の財産のはずだ。その情報を生かし、守るべき価値を理解してもらわないと国の補助金もおりず、修理も適切にできない。
観光客の関心は歴史や美術、建築などさまざまで、誰が来ても退屈しないような工夫が必要だ。
山本氏の発言は、人口減の時代に文化財をどう守るのかというマクロな視点がある。国内外の観光客にお金を落としてもらい、そのための戦略に学芸員も協力しなければ、文化財を守るどころか結果として破壊を招くことになるだろう。
山本氏の発言は、もとはアトキンソン氏の意見だから、両者の意見が合うのは当然のことだ。《たくさんの学芸員と接してきたが、「文化財は見せてあげる程度でいい」という人や解説パネルの設置に反対する人がいた》は、事実だろう。学芸員には「文化財=観光資源」という意識はないと感じる。「保存と活用のバランス」を現場で議論しつつも、やはり方向性は《文化財を「楽しめる、くつろげる、勉強できる場」にしよう》ということだと思う。
3.「経済効果のみ重視は困る」多川俊映氏
文化財にとって大切なのは、要は「保存」と「公開」のバランスだ。学芸員はその感覚を誰よりも持っていなければならない。
保存だけを重視すれば暗所で非公開にしておくことがベストだが、公開して多くの人に文化財の素晴らしさを感じてもらい、守り伝えていこうという社会的な同意を形成する必要もある。そのバランスの落としどころを探るのが学芸員だ。
お寺で公開する分には何も言わないが、自分たちの責任となるととにかく慎重になってしまうきらいが学芸員にはある。
もっぱら経済的な効果を重視する意味で「文化財を活用する」と言われることは宗教者として抵抗がある。お寺の文化財はすなわち「宗教財」だということを忘れてはならない。たとえば「秘仏」は、公開しないことに宗教的な意味がある。
お堂落慶などの節目でもない時にやたらとお祭り騒ぎをするのはいかがなものか。社寺は祈りの場であり、心落ち着く静寂さこそが魅力。
学芸員が本当に「バランスの落としどころを探る」ことを意識していれば良いが、「とにかく慎重になってしまうきらいが学芸員にはある」とは私も感じる。
《「秘仏」は、公開しないことに宗教的な意味がある》は1つの見識ではあるが、興福寺を除く多くの社寺は「できるだけたくさん公開して、多くの拝観者を集めたい」がホンネではないだろうか。拝観料が入れば、そのおカネが保存にも回るのだから。
また「社寺は祈りの場」だとしても、文化財があるのは社寺だけではない。博物館などの学芸員が「Watching」と称して何もしない(監視だけしている)のは、あまりに不親切だと思う。
来たる7月19日(水)、アトキンソン氏ほか4人の論客をお呼びして「第8回観光力創造塾」というシンポジウムを開催する。基調講演をしていただくアトキンソン氏の演題は「『文化財観光』はなぜ必要か」。
パネルディスカッションには、金峯山寺長臈(ちょうろう)・種智院大学客員教授の田中利典(りてん)氏、海龍王寺住職の石川重元(じゅうげん)氏、明日香村長の森川裕一氏、奈良県観光局理事・奈良県ビジターズビューロー業務執行理事の中西康博氏にアトキンソン氏を交えて行う。定員は400人だが、すでに300人ほどのお申し込みをいただいている。
お申し込みの締切は、7月5日(水)。ぜひお早めにこの用紙の3枚目にご記入いただき、最寄りの南都銀行本支店にご持参いただくか、FAXで南都銀行 公務・地域活力創造部(FAX番号: 0742-25-2077)へお送りください!
※以下「論点 文化財と学芸員の役割」の全文
活用と保存、調整できる人材を 青柳正規・前文化庁長官
1980年ごろから「持続可能な社会」ということが地球上で最も重要な将来計画になった。ところが、山本幸三氏の発言は「勢いに乗っている今のうちに何でもかんでも使っちゃえ」と聞こえる。文化財の公開と保存は、大英博物館や仏ルーブル美術館ができた18世紀半ばごろから、常に相対立する概念としてあった。両者の折り合いをどうつけるかは文化行政の要であり、文化財を管理する組織や学芸員が最も知恵を絞るべきところだが、200年以上の議論を経た今も結論は出ていない。
一方で、近年の保存科学の進展には目を見張るものがある。たとえば文化財を展示する時、気密性の高いケースに入れることで外界の影響をかなりの割合で避けられるようになった。劣化の一因となる照明も紫外線や赤外線の少ない光源が開発されつつある。こうした技術は発展途上だが、もう少し我慢すればもっといい状態で長期にわたって展示できる状況が開けてくる。ここはもう少し時間幅を大きく取り、100年、200年という軸で保存というものを考えるべきだ。そのことは、結果として多くの人に文化財を見てもらい、接してもらうことにつながる。
今、日本は年間2000万人以上の外国人観光客が訪れている空前の観光ブームだ。しかし、そんなものは砂上の楼閣にすぎない。観光というのはゼロサムゲームのようなもので、第二次大戦後のヨーロッパがそうだったように、どこかで観光客が増えれば別のどこかで減る。外国人観光客の志向が「爆買い」からエコツーリズムや文化体験へと移るなか、人数を増やすことだけを考えていたら必ずつまずく。
観光の分野でこれから期待されるのは、映画や漫画、アニメなどをきっかけに旅する「コンテンツツーリズム」だ。文化庁が共通の歴史を持つ地域などで認定を進めている「日本遺産」のように、地域の文化財や景観を組み合わせ、ストーリーで観光客を魅了する仕組みが求められるが、そこでは学芸員の知恵や知識が非常に重要になってくる。
ところが、国と地方の抱える借金が1000兆円を超える中で、美術館や博物館を取り巻く予算は減少傾向にある。文化財の保存修復は海外の技術に学ぶところも大きいが、地方の公立美術館では海外研修もままならない。学芸員がアクセル(活用)とブレーキ(保存)をうまく踏み分けなければ、文化財は後世に継承されない。
だからこそ、学芸員には専門性を高め、知識を蓄積し、研究の成果を人々に伝えていくことが必要なのだ。しかし、現状は1人当たりの仕事量が増え、観光という新しい要素にまで考えを巡らせて対応することを難しくしている。一番の根幹は人づくり。国は学芸員を増やし、その役割を強化する方策を考えるべきだ。
2020年の東京五輪・パラリンピック以降、日本経済は一層厳しい時代に突入するだろう。学芸員の調査研究や普及活動によって、多くの人々が文化や歴史に関する知識を得ることは、その足元を強固にし生きる原動力となるはずだ。【聞き手・林由紀子】
国の「観光戦略」従うのは当然 デービッド・アトキンソン 小西美術工芸社社長
山本幸三氏の発言について、表現は別にして正しい指摘だと思う。これからの文化財保護には活用が不可欠で、その邪魔をするような学芸員は退場してもらうことも致し方ないという内容だった。保存と活用をできるだけ両立させる意見として、私も同意する。山本氏は観光戦略を熟知しており、軽はずみな発言ではないことを理解する必要がある。重要なのは文化庁ではなく、現場の役割に言及していた点。観光戦略は政府や中央省庁が決めた新しい国策であり、学芸員が従うのは当然といえる。
文化財の活用には二つの目的がある。一つは「生きている文化財」にすることで多くの人に親しんでもらい、支持を促す。もう一つは付加価値を高めて「稼ぐ文化財」にすることで経済に貢献し、その代わりに補助金をもらう。これまでたくさんの学芸員と接してきたが、「文化財は見せてあげる程度でいい」という人や解説パネルの設置に反対する人がいた。そういう考え方が文化財をつまらないものにしてしまう。しかし本来、学芸員の調査や研究による情報の蓄積は国民の財産のはずだ。その情報を生かし、守るべき価値を理解してもらわないと国の補助金もおりず、修理も適切にできない。
最近は変化も生まれている。例えば大政奉還の舞台になった世界遺産の京都・二条城では、歴史的背景やドラマを伝える説明が不十分なままだったが、昨年5月に私が特別顧問に就任し、解説パネルが充実した。(1626年にあった)後水尾天皇の行幸再現といった特別なイベントも行われた。学芸員の協力で実現したが、そこに至るまでの道のりは長かった。観光客の関心は歴史や美術、建築などさまざまで、誰が来ても退屈しないような工夫が必要だ。山本氏の発言にもあった「観光マインド」とはそういうことを意味している。国内外の観光客にいかに楽しんでもらえるか、そのコンテンツを整備する義務が学芸員にはある。
入場料にも問題がある。世界の主要文化財を比較すると、海外平均の1891円に対して日本は593円と安すぎる。展示の質や飲食サービスの向上といった付加価値を高めて単価を上げるべきだ。内閣府が管轄する東京・迎賓館赤坂離宮は昨年から一般公開を始めた。本館・主庭に和風別館を加えた参観料は一般1500円だが、それだけの価値がある。ガイドツアーを設けたり庭でカフェを開いたりして、ゼロだった収入が年間数億円以上になった。結果、財務省から修復費が認められ、念願だった本館「朝日の間」の改修につながった。自助努力しないと国の補助金はおりない。文化財修復はコストではなく投資なのである。
日本の戦後の経済成長は人口増加に支えられてきた。だが今や人口は減り始め、学芸員が自分の興味のあることにだけ従事できるようなぜいたくな時代は終わった。山本氏の発言は、人口減の時代に文化財をどう守るのかというマクロな視点がある。国内外の観光客にお金を落としてもらい、そのための戦略に学芸員も協力しなければ、文化財を守るどころか結果として破壊を招くことになるだろう。【聞き手・清水有香】
経済効果のみ重視は困る 多川俊映・興福寺貫首
文化財にとって大切なのは、要は「保存」と「公開」のバランスだ。学芸員はその感覚を誰よりも持っていなければならない。
日本の文化財には埋蔵文化財もあるが、多くは伝世品、つまり人から人へと受け継がれてきたものだ。興福寺には国宝指定の寺宝31件が伝わり、そうした文化財を欠くことなく、あるいは修復によってより良い状態にして次世代へと受け渡していく使命がある。とはいえ公開も大事だ。保存だけを重視すれば暗所で非公開にしておくことがベストだが、公開して多くの人に文化財の素晴らしさを感じてもらい、守り伝えていこうという社会的な同意を形成する必要もある。そのバランスの落としどころを探るのが学芸員だ。
興福寺ではこれまで各地の博物館や美術館で展覧会を開く機会があったが、学芸員や文化財行政に携わる人のガードが堅過ぎると感じたこともある。1996年にパリで興福寺の仏像展が開かれた時、フランス側と寺が仏像の前に祭壇やお供え物を置いた空間をそのまま展示しようとしたところ、日本の文化庁側が強く反対した。政教分離の問題もあったが、「お供えの生花が傷むと、ハエが飛んで仏像に卵を産み付けたりしかねない」という理由が付け加わったのには驚いた。普段、仏像を安置しているお堂の中にはハエもクモもいる。お寺で公開する分には何も言わないが、自分たちの責任となるととにかく慎重になってしまうきらいが学芸員にはある。
観光は「国の光を観(み)る」、つまり国の素晴らしい部分を共有するということで、政府として推進することは理解できる。しかしもっぱら経済的な効果を重視する意味で「文化財を活用する」と言われることは宗教者として抵抗がある。お寺の文化財はすなわち「宗教財」だということを忘れてはならない。たとえば「秘仏」は、公開しないことに宗教的な意味がある。それを活用したいから公開してくれと言われても困る。興福寺の国宝館には学芸員が2人いるが、彼らにも単なる展示施設ではなく、「仏さまに会いに来る方たちのためのお堂なのだ」と意識してほしいと伝えている。
「活用」重視には危うさもある。たとえば、海外で仏教美術の展覧会をするよう求められる機会が増えるだろうが、日本の文化財は乾漆像や塑像など非常にもろい素材で作られているものも多く、欧州の絵画などとは違う。寺としてはどんな仏さまであれ空輸することは非常に心配だ。パリの展覧会の際も、最後の便が無事到着したことを知らせる電話に胸をなで下ろしたことをよく覚えている。
近年、史跡や名勝に指定されている境内でコンサートなどのイベントが行われるケースが目立つ。主催者側も社寺側も話題性で人が集まるというメリットがあるからだが、お堂落慶などの節目でもない時にやたらとお祭り騒ぎをするのはいかがなものか。社寺は祈りの場であり、心落ち着く静寂さこそが魅力なのに、安直な「活用」でそれが失われている。学芸員には、そうした危うさを丁寧に説明する役割も期待したい。【聞き手・花澤茂人】
約7800人、5690施設で勤務
学芸員は、博物館法で「博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる」と位置づけられた国家資格。文部科学省の2015年度調査によると、全国で7821人の学芸員が、美術館、博物館、水族館など5690の施設で勤務している。長期的視野に立って専門知識を駆使する役目が求められるが、一方で雇用期間が限定された契約職員が増えている問題なども取りざたされている。
ご意見、ご感想をお寄せください。 〒100-8051毎日新聞「オピニオン」係 opinion@mainichi.co.jp
■人物略歴 あおやぎ・まさのり
1944年生まれ。東京大名誉教授、山梨県立美術館長。専門はギリシャ・ローマ美術考古学。国立西洋美術館長も務めた。著書に「皇帝たちの都ローマ」(毎日出版文化賞)など。
■人物略歴 David Atkinson
1965年英国生まれ。ゴールドマン・サックスのアナリストを経て、文化財修復などを手がける「小西美術工芸社」(東京都)へ。著書に「新・観光立国論」など。
■人物略歴 たがわ・しゅんえい
1947年奈良市生まれ。立命館大卒。89年に貫首に就任。98年から境内整備に取り組み、来年秋には現在再建工事中の中金堂が落慶の予定。著書に「唯識とはなにか」など。
※トップ画像は、アトキンソン氏の近著
美術館、博物館などで勤務する学芸員が注目されている。きっかけは山本幸三・地方創生担当相が4月、講演後の観光施策などに関する質疑で「一番のがんは学芸員。観光マインドが全くなく、一掃しなければだめ」と発言したことだ。発言は翌日に撤回されたが、学芸員に求められる本来の役割とは何だろうか。
山本幸三氏の発言は、新聞などで大きく報道されたのでほとんどの方はご存じだろう。しかしこの意見、もとはデービッド・アトキンソン氏の主張である。ベストセラー『新・観光立国論』(東洋経済新報社刊)に出てくるが、続刊の『国宝消滅』(同)がより詳しい。抜粋すると、
国宝消滅―イギリス人アナリストが警告する「文化」と「経済」の危機 | |
デービッド・アトキンソン | |
東洋経済新報社 |
文化財を「楽しめる、くつろげる、勉強できる場」にしようとすると、困る人々も存在します。その代表が、文化財の専門家、とりわけ学芸員でしょう。学芸員の資格認定基準を見ていただければわかるとおり、その仕事内容は従来の保護行政を具現化したものになっており、主に守ること、調査すること、学問的な展示に重点が置かれています。より開かれた業界にするには、もっとも意識改革が急がれる分野でしょう。(P75)
私は、これからは特に学芸員の意識改革がもっとも求められていくと感じます。その意識こそが、「文化財=観光資源」という考え方です。(P111)
二条城の拝観料が1500円ならば、それに見合う文化体験ができないとクレームが出ます。施設がボロボロだったら不満も出るでしょう。しかし600円ならば「まぁ、そんなもんか」という感じで、クレームは出ません。サービスを手厚くする必要はありませんし、改善要望などに耳を傾ける必要もありません。つまり、シニカルに考えると、入場料が安いと運営側、とりわけ学芸員が楽なのです。こういう仕事のやり方に慣れている人たちからすると、私のような主張は「面倒くさい」こと極まりないでしょう。(P182)
世界一訪れたい日本のつくりかた: 新・観光立国論【実践編】 | |
デービッド・アトキンソン | |
東洋経済新報社 |
山本氏はこれらの主張に賛同するあまり、「一番のがんは学芸員」と口が滑ったのだろう。今回の記事の3人の意見は末尾に全文を記載するが、まずは大筋の主張を抜粋(青字)してみる。黒字部分は私の意見である。
1.「活用と保存、調整できる人材を」青柳正規氏
1980年ごろから「持続可能な社会」ということが地球上で最も重要な将来計画になった。ところが、山本幸三氏の発言は「勢いに乗っている今のうちに何でもかんでも使っちゃえ」と聞こえる。
両者(文化財の公開と保存)の折り合いをどうつけるかは文化行政の要であり、文化財を管理する組織や学芸員が最も知恵を絞るべきところだが、200年以上の議論を経た今も結論は出ていない。
外国人観光客の志向が「爆買い」からエコツーリズムや文化体験へと移るなか、人数を増やすことだけを考えていたら必ずつまずく。
だからこそ、学芸員には専門性を高め、知識を蓄積し、研究の成果を人々に伝えていくことが必要なのだ。しかし、現状は1人当たりの仕事量が増え、観光という新しい要素にまで考えを巡らせて対応することを難しくしている。一番の根幹は人づくり。国は学芸員を増やし、その役割を強化する方策を考えるべきだ。
保存と活用の折り合いをどうつけるか、「200年以上の議論を経た今も結論は出ていない」とは、ずいぶん暢気な話である。その間にも観光客は来るし、現場は対応しなければならないのだ。
私も学芸員の何人かを存じ上げている。深い知識はあるのだろうが、観光ガイドのようなサービス精神のある人は少ない。学芸員の頭数を増やしても、問題は解決しそうにないと思う。
日本再生は、生産性向上しかない! (ASUKA SHINSHA双書) | |
デービッド・アトキンソン | |
飛鳥新社 |
2.「国の『観光戦略』従うのは当然」デービッド・アトキンソン氏
山本幸三氏の発言について、表現は別にして正しい指摘だと思う。これからの文化財保護には活用が不可欠で、その邪魔をするような学芸員は退場してもらうことも致し方ないという内容だった。
観光戦略は政府や中央省庁が決めた新しい国策であり、学芸員が従うのは当然といえる。文化財の活用には二つの目的がある。一つは「生きている文化財」にすることで多くの人に親しんでもらい、支持を促す。もう一つは付加価値を高めて「稼ぐ文化財」にすることで経済に貢献し、その代わりに補助金をもらう。
これまでたくさんの学芸員と接してきたが、「文化財は見せてあげる程度でいい」という人や解説パネルの設置に反対する人がいた。そういう考え方が文化財をつまらないものにしてしまう。しかし本来、学芸員の調査や研究による情報の蓄積は国民の財産のはずだ。その情報を生かし、守るべき価値を理解してもらわないと国の補助金もおりず、修理も適切にできない。
観光客の関心は歴史や美術、建築などさまざまで、誰が来ても退屈しないような工夫が必要だ。
山本氏の発言は、人口減の時代に文化財をどう守るのかというマクロな視点がある。国内外の観光客にお金を落としてもらい、そのための戦略に学芸員も協力しなければ、文化財を守るどころか結果として破壊を招くことになるだろう。
山本氏の発言は、もとはアトキンソン氏の意見だから、両者の意見が合うのは当然のことだ。《たくさんの学芸員と接してきたが、「文化財は見せてあげる程度でいい」という人や解説パネルの設置に反対する人がいた》は、事実だろう。学芸員には「文化財=観光資源」という意識はないと感じる。「保存と活用のバランス」を現場で議論しつつも、やはり方向性は《文化財を「楽しめる、くつろげる、勉強できる場」にしよう》ということだと思う。
3.「経済効果のみ重視は困る」多川俊映氏
文化財にとって大切なのは、要は「保存」と「公開」のバランスだ。学芸員はその感覚を誰よりも持っていなければならない。
保存だけを重視すれば暗所で非公開にしておくことがベストだが、公開して多くの人に文化財の素晴らしさを感じてもらい、守り伝えていこうという社会的な同意を形成する必要もある。そのバランスの落としどころを探るのが学芸員だ。
お寺で公開する分には何も言わないが、自分たちの責任となるととにかく慎重になってしまうきらいが学芸員にはある。
もっぱら経済的な効果を重視する意味で「文化財を活用する」と言われることは宗教者として抵抗がある。お寺の文化財はすなわち「宗教財」だということを忘れてはならない。たとえば「秘仏」は、公開しないことに宗教的な意味がある。
お堂落慶などの節目でもない時にやたらとお祭り騒ぎをするのはいかがなものか。社寺は祈りの場であり、心落ち着く静寂さこそが魅力。
学芸員が本当に「バランスの落としどころを探る」ことを意識していれば良いが、「とにかく慎重になってしまうきらいが学芸員にはある」とは私も感じる。
《「秘仏」は、公開しないことに宗教的な意味がある》は1つの見識ではあるが、興福寺を除く多くの社寺は「できるだけたくさん公開して、多くの拝観者を集めたい」がホンネではないだろうか。拝観料が入れば、そのおカネが保存にも回るのだから。
また「社寺は祈りの場」だとしても、文化財があるのは社寺だけではない。博物館などの学芸員が「Watching」と称して何もしない(監視だけしている)のは、あまりに不親切だと思う。
来たる7月19日(水)、アトキンソン氏ほか4人の論客をお呼びして「第8回観光力創造塾」というシンポジウムを開催する。基調講演をしていただくアトキンソン氏の演題は「『文化財観光』はなぜ必要か」。
パネルディスカッションには、金峯山寺長臈(ちょうろう)・種智院大学客員教授の田中利典(りてん)氏、海龍王寺住職の石川重元(じゅうげん)氏、明日香村長の森川裕一氏、奈良県観光局理事・奈良県ビジターズビューロー業務執行理事の中西康博氏にアトキンソン氏を交えて行う。定員は400人だが、すでに300人ほどのお申し込みをいただいている。
お申し込みの締切は、7月5日(水)。ぜひお早めにこの用紙の3枚目にご記入いただき、最寄りの南都銀行本支店にご持参いただくか、FAXで南都銀行 公務・地域活力創造部(FAX番号: 0742-25-2077)へお送りください!
※以下「論点 文化財と学芸員の役割」の全文
活用と保存、調整できる人材を 青柳正規・前文化庁長官
1980年ごろから「持続可能な社会」ということが地球上で最も重要な将来計画になった。ところが、山本幸三氏の発言は「勢いに乗っている今のうちに何でもかんでも使っちゃえ」と聞こえる。文化財の公開と保存は、大英博物館や仏ルーブル美術館ができた18世紀半ばごろから、常に相対立する概念としてあった。両者の折り合いをどうつけるかは文化行政の要であり、文化財を管理する組織や学芸員が最も知恵を絞るべきところだが、200年以上の議論を経た今も結論は出ていない。
一方で、近年の保存科学の進展には目を見張るものがある。たとえば文化財を展示する時、気密性の高いケースに入れることで外界の影響をかなりの割合で避けられるようになった。劣化の一因となる照明も紫外線や赤外線の少ない光源が開発されつつある。こうした技術は発展途上だが、もう少し我慢すればもっといい状態で長期にわたって展示できる状況が開けてくる。ここはもう少し時間幅を大きく取り、100年、200年という軸で保存というものを考えるべきだ。そのことは、結果として多くの人に文化財を見てもらい、接してもらうことにつながる。
今、日本は年間2000万人以上の外国人観光客が訪れている空前の観光ブームだ。しかし、そんなものは砂上の楼閣にすぎない。観光というのはゼロサムゲームのようなもので、第二次大戦後のヨーロッパがそうだったように、どこかで観光客が増えれば別のどこかで減る。外国人観光客の志向が「爆買い」からエコツーリズムや文化体験へと移るなか、人数を増やすことだけを考えていたら必ずつまずく。
観光の分野でこれから期待されるのは、映画や漫画、アニメなどをきっかけに旅する「コンテンツツーリズム」だ。文化庁が共通の歴史を持つ地域などで認定を進めている「日本遺産」のように、地域の文化財や景観を組み合わせ、ストーリーで観光客を魅了する仕組みが求められるが、そこでは学芸員の知恵や知識が非常に重要になってくる。
ところが、国と地方の抱える借金が1000兆円を超える中で、美術館や博物館を取り巻く予算は減少傾向にある。文化財の保存修復は海外の技術に学ぶところも大きいが、地方の公立美術館では海外研修もままならない。学芸員がアクセル(活用)とブレーキ(保存)をうまく踏み分けなければ、文化財は後世に継承されない。
だからこそ、学芸員には専門性を高め、知識を蓄積し、研究の成果を人々に伝えていくことが必要なのだ。しかし、現状は1人当たりの仕事量が増え、観光という新しい要素にまで考えを巡らせて対応することを難しくしている。一番の根幹は人づくり。国は学芸員を増やし、その役割を強化する方策を考えるべきだ。
2020年の東京五輪・パラリンピック以降、日本経済は一層厳しい時代に突入するだろう。学芸員の調査研究や普及活動によって、多くの人々が文化や歴史に関する知識を得ることは、その足元を強固にし生きる原動力となるはずだ。【聞き手・林由紀子】
国の「観光戦略」従うのは当然 デービッド・アトキンソン 小西美術工芸社社長
山本幸三氏の発言について、表現は別にして正しい指摘だと思う。これからの文化財保護には活用が不可欠で、その邪魔をするような学芸員は退場してもらうことも致し方ないという内容だった。保存と活用をできるだけ両立させる意見として、私も同意する。山本氏は観光戦略を熟知しており、軽はずみな発言ではないことを理解する必要がある。重要なのは文化庁ではなく、現場の役割に言及していた点。観光戦略は政府や中央省庁が決めた新しい国策であり、学芸員が従うのは当然といえる。
文化財の活用には二つの目的がある。一つは「生きている文化財」にすることで多くの人に親しんでもらい、支持を促す。もう一つは付加価値を高めて「稼ぐ文化財」にすることで経済に貢献し、その代わりに補助金をもらう。これまでたくさんの学芸員と接してきたが、「文化財は見せてあげる程度でいい」という人や解説パネルの設置に反対する人がいた。そういう考え方が文化財をつまらないものにしてしまう。しかし本来、学芸員の調査や研究による情報の蓄積は国民の財産のはずだ。その情報を生かし、守るべき価値を理解してもらわないと国の補助金もおりず、修理も適切にできない。
最近は変化も生まれている。例えば大政奉還の舞台になった世界遺産の京都・二条城では、歴史的背景やドラマを伝える説明が不十分なままだったが、昨年5月に私が特別顧問に就任し、解説パネルが充実した。(1626年にあった)後水尾天皇の行幸再現といった特別なイベントも行われた。学芸員の協力で実現したが、そこに至るまでの道のりは長かった。観光客の関心は歴史や美術、建築などさまざまで、誰が来ても退屈しないような工夫が必要だ。山本氏の発言にもあった「観光マインド」とはそういうことを意味している。国内外の観光客にいかに楽しんでもらえるか、そのコンテンツを整備する義務が学芸員にはある。
入場料にも問題がある。世界の主要文化財を比較すると、海外平均の1891円に対して日本は593円と安すぎる。展示の質や飲食サービスの向上といった付加価値を高めて単価を上げるべきだ。内閣府が管轄する東京・迎賓館赤坂離宮は昨年から一般公開を始めた。本館・主庭に和風別館を加えた参観料は一般1500円だが、それだけの価値がある。ガイドツアーを設けたり庭でカフェを開いたりして、ゼロだった収入が年間数億円以上になった。結果、財務省から修復費が認められ、念願だった本館「朝日の間」の改修につながった。自助努力しないと国の補助金はおりない。文化財修復はコストではなく投資なのである。
日本の戦後の経済成長は人口増加に支えられてきた。だが今や人口は減り始め、学芸員が自分の興味のあることにだけ従事できるようなぜいたくな時代は終わった。山本氏の発言は、人口減の時代に文化財をどう守るのかというマクロな視点がある。国内外の観光客にお金を落としてもらい、そのための戦略に学芸員も協力しなければ、文化財を守るどころか結果として破壊を招くことになるだろう。【聞き手・清水有香】
経済効果のみ重視は困る 多川俊映・興福寺貫首
文化財にとって大切なのは、要は「保存」と「公開」のバランスだ。学芸員はその感覚を誰よりも持っていなければならない。
日本の文化財には埋蔵文化財もあるが、多くは伝世品、つまり人から人へと受け継がれてきたものだ。興福寺には国宝指定の寺宝31件が伝わり、そうした文化財を欠くことなく、あるいは修復によってより良い状態にして次世代へと受け渡していく使命がある。とはいえ公開も大事だ。保存だけを重視すれば暗所で非公開にしておくことがベストだが、公開して多くの人に文化財の素晴らしさを感じてもらい、守り伝えていこうという社会的な同意を形成する必要もある。そのバランスの落としどころを探るのが学芸員だ。
興福寺ではこれまで各地の博物館や美術館で展覧会を開く機会があったが、学芸員や文化財行政に携わる人のガードが堅過ぎると感じたこともある。1996年にパリで興福寺の仏像展が開かれた時、フランス側と寺が仏像の前に祭壇やお供え物を置いた空間をそのまま展示しようとしたところ、日本の文化庁側が強く反対した。政教分離の問題もあったが、「お供えの生花が傷むと、ハエが飛んで仏像に卵を産み付けたりしかねない」という理由が付け加わったのには驚いた。普段、仏像を安置しているお堂の中にはハエもクモもいる。お寺で公開する分には何も言わないが、自分たちの責任となるととにかく慎重になってしまうきらいが学芸員にはある。
観光は「国の光を観(み)る」、つまり国の素晴らしい部分を共有するということで、政府として推進することは理解できる。しかしもっぱら経済的な効果を重視する意味で「文化財を活用する」と言われることは宗教者として抵抗がある。お寺の文化財はすなわち「宗教財」だということを忘れてはならない。たとえば「秘仏」は、公開しないことに宗教的な意味がある。それを活用したいから公開してくれと言われても困る。興福寺の国宝館には学芸員が2人いるが、彼らにも単なる展示施設ではなく、「仏さまに会いに来る方たちのためのお堂なのだ」と意識してほしいと伝えている。
「活用」重視には危うさもある。たとえば、海外で仏教美術の展覧会をするよう求められる機会が増えるだろうが、日本の文化財は乾漆像や塑像など非常にもろい素材で作られているものも多く、欧州の絵画などとは違う。寺としてはどんな仏さまであれ空輸することは非常に心配だ。パリの展覧会の際も、最後の便が無事到着したことを知らせる電話に胸をなで下ろしたことをよく覚えている。
近年、史跡や名勝に指定されている境内でコンサートなどのイベントが行われるケースが目立つ。主催者側も社寺側も話題性で人が集まるというメリットがあるからだが、お堂落慶などの節目でもない時にやたらとお祭り騒ぎをするのはいかがなものか。社寺は祈りの場であり、心落ち着く静寂さこそが魅力なのに、安直な「活用」でそれが失われている。学芸員には、そうした危うさを丁寧に説明する役割も期待したい。【聞き手・花澤茂人】
約7800人、5690施設で勤務
学芸員は、博物館法で「博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる」と位置づけられた国家資格。文部科学省の2015年度調査によると、全国で7821人の学芸員が、美術館、博物館、水族館など5690の施設で勤務している。長期的視野に立って専門知識を駆使する役目が求められるが、一方で雇用期間が限定された契約職員が増えている問題なども取りざたされている。
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■人物略歴 あおやぎ・まさのり
1944年生まれ。東京大名誉教授、山梨県立美術館長。専門はギリシャ・ローマ美術考古学。国立西洋美術館長も務めた。著書に「皇帝たちの都ローマ」(毎日出版文化賞)など。
■人物略歴 David Atkinson
1965年英国生まれ。ゴールドマン・サックスのアナリストを経て、文化財修復などを手がける「小西美術工芸社」(東京都)へ。著書に「新・観光立国論」など。
■人物略歴 たがわ・しゅんえい
1947年奈良市生まれ。立命館大卒。89年に貫首に就任。98年から境内整備に取り組み、来年秋には現在再建工事中の中金堂が落慶の予定。著書に「唯識とはなにか」など。