tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

吉野荘 湯川屋は、「サービス優秀」選定旅館!

2011年05月31日 | グルメガイド
職場の慰安旅行で、5/20(金)~21(土)、吉野山の「吉野荘 湯川屋」(吉野町吉野山440)に泊めていただいた。料理も、おもてなしも素晴らしい宿だった。私の目に映った順に、この旅館とお料理を紹介する(料理はテカりを避けるため、畳の上に置き直して撮影させていただいた、念のため)。
※トップ写真は館主(専務)の山本義史(よしひと)さんと女将さん






この3枚の写真は、同館のHPなどから拝借した

同館のHPによると《当館は、「あたたかみのある宿」をモットーに、地元吉野材を使用した木造吉野建て和風旅館です。歴史的には、嘉永元年(1848年)氷室長翁先生が書かれた「芳野日記」や、天保12年(1841年)小田宅子先生が書かれた「東路日記」などに登場する歴史のある旅館です。当館の位置は、日本で2番目に大きな木造建築で国宝であり世界遺産に登録された「金峯山寺蔵王堂」に最も近い旅館で(徒歩約5分)、吉野山の中心に位置します》。「吉野建て」とは斜面に建てる建て方で、客室へは道路に面した玄関ロビーから、階下へ降りていく。







仕事を終えてから奈良市を大型バスで出発。宿に着いてひと風呂(ラジウム泉)浴びたあと、食事がスタートした。同館のHPによると《当館の御料理は、吉野本葛を使用した、独特の特製だしで作りあげた「西行鍋」(登録商標)を一品とした「西行御膳」が好評で、田舎の山の会席料理です。当館の温泉は、「沸かし湯」ではありますが、「ラジウム鉱石」を使用し、神経痛・肩こりなどに、効能があります》。私たちがいただいたのも、贅沢な山の幸づくしの「西行御膳」だった。吉野葛の刺身もあれば、猪肉の角煮もある。からりと揚がった春野菜の天ぷらも、とても美味しい。


季節のキノコの土瓶蒸し





「西行鍋」という鍋も名物だ。本式のものは大鍋で出てくる。同館のHPによると《その昔吉野山のさくらをこよなく愛した西行法師がひとりわび住居にあるとき、山中の野草を摘みとり栄養源としてあみ出したといわれる料理です。当館では吉野山の新鮮な季節の山野草に鶏肉や雉肉などを取り入れ名産吉野葛をベースに当世風にアレンジし調理いたしました》。


西行鍋(小鍋)。柿の葉寿司は、名店「ひょうたろう」製

《鍋の煮え立つほどにコクのある豊かな味わい、すりゴマ入りの器にスープごととって召し上がって頂きます。このかぐわしい淡白な風味は他では味わうことのできない独特の名物料理として大変ご好評頂き、今では味の「西行鍋」と吹聴されてまいりました。どうか是非一度ご賞味下さい》。確かに、これはイケる。鶏がらダシの利いたスープに吉野葛のとろみがついていて、しみじみと美味しい。いちど冬場に、この鍋だけをいただきに来よう。そういえば、2年ほど前、初詣に吉野神宮をお参りしたこともある。



館主の山本専務は、大学では物理学科で、理論物理を学んでいたそうだ。HPによると《当初は、旅館業が好きではなかったので、企業のエネルギー変換研究所に就職し、アモルファス太陽電池を研究していました》。実家の旅館に戻られたのは《昭和61年です。代々続いている、この旅館をなくすことは出来ないと考えて、家業を継ぐことになりましたが、今ではこの商売を誇りに思っていますし、やり甲斐のある商売だとも考えています》。



《お客様が帰られるとき、喜んで帰っていただけたり、丁寧な礼状を戴くことも度々あります。そんな時、本当にうれしく思います。私たちは、お客様が、どのような形態の旅行であるにせよ、旅館を選ばれたということは、「なんとなくの安らぎ」を求めて旅館に来られていると考えます。そんな「なんとなくの安らぎ」を、私たちの旅館で味わって戴けたら、ありがたく思います》。



歯に衣着せぬストレートな評価で知られる「trip advisor」での評判も高く、吉野町の旅館14軒中、1位だった。2人の口コミ評価が紹介されている。《吉野山に位置する和風旅館。高野豆腐や鮎を使用した懐石料理や特産吉野葛使用の西行鍋が絶品! 部屋から望む四季折々の吉野の景色が楽しめますよ》。



《チリ一つない館内、綺麗で居心地のいいお部屋掘りゴタツ最高でした、電話で問い合わせした時も思ったのですが、気持ちの良い接客で凄く愛想よかったです。夕飯はたくさん品数が出てきてまた違う意味でびっくりしました。お風呂は空いてる時間を教えて頂いて入ったのでゆっくり出来ました、広くはないですけど感じのいいお風呂でしたよ》というものだった。



この旅館をそろそろ当ブログで紹介しようと、昨日、館主(吉野山旅館組合 組合長)のブログ(5/28付)を拝見すると、なんと、この旅館はJTBの「2010年度サービス優秀旅館・ホテル」に選ばれていた! そんなことは、ひと言もおっしゃっていなかったのに…。



私たちが泊まる3日前の5/17(火)、「JTB協定旅館ホテル連盟西日本支部連合会通常総会」(於:神戸ベイシェラトンホテル&タワーズ)で表彰を受けていたのだ。サービス部門で表彰されたのは、西日本(対象=939館)では、同館1館だけというから、すごい。


翌朝は徒歩5分の蔵王堂で、朝のお勤め

しかも《今回の受賞を記念して、当館で宿泊していただくお客様が、チェエクインの時に、フロントで「ホームページを見たよ!」とか「ブログ見たよ!」と言っていただければ、言っていただいた方お一人に「吉野杉の割り箸(5本1セットになっています)を1セットプレゼントします」【宿泊利用の方のみです】 このブログを見た方は、是非 ご宿泊下さい》とある。


茶粥のついた朝食。私は、茶粥に白ご飯を足していただいた

私が「いつも山本さんのブログを見てますよ」と申し上げたからか、ちゃんと一行全員に割り箸セットをプレゼントしてくださった。同館のサイトは、奈良ファン倶楽部(奈良県ビジターズビューロー)のサイトにバナー広告を貼っているので、よく目にしていたのだ。

(追記)山本さんは、この記事を大変喜んでくださり、ご自身のブログ(5/31付)で、私のブログのことを紹介してくださった、これは光栄なことである。

この旅館は、ぜひ桜のシーズンを外して訪れていただきたい。静かなオフシーズンに、宿の「あたたかみ」と「なんとなくの安らぎ」を感じてほしいのである。そして、美味しいお料理を心ゆくまで味わっていただきたい。

山本専務、女将さん、有難うございました。またお邪魔します!
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なぜ? 5月に台風!

2011年05月30日 | 環境問題
台風2号は5/29(日)の午後に温帯低気圧に変わったが、30日にかけても東北地方などで激しい雨の予想となっている。九州や四国では、犠牲者も出た。それにしても、なぜ今頃台風なのだろう。ネットで検索していると、こんな記事がヒットした。毎日新聞(中部朝刊5/28付)の「台風が連続接近、なぜか」だ。
※トップ写真は、花空間けいはんな(08.6.22撮影)

《またもや台風接近! 22日にフィリピンの東海上で発生した台風2号が少しずつ進路を北に取り、日本に接近中だ。先々週も台風1号が九州に接近して西日本を中心に大雨を降らせたばかりだ。台風の統計は今年で61年目を迎えるが、過去60年で1号、2号が日本の九州、四国、本州に連続して接近した例は一度もない。もし、2号が接近ということになったら初のケースとなる。だいたい1号や2号は発生してもさほど発達せずに消滅してしまうか、ヨロヨロと中国大陸方面へ行ってしまうことが多く、日本にやって来ることは少ない。では、どうして連続してやって来るのか。その鍵は太平洋高気圧にある》。

《台風は巨大な雲の渦巻きで、グルグルと回っているが、自分自身で進むことはほとんどできず、風の後押しがあって初めて動くことができる。例年この時期、南の海上では風が弱く、日本に向かって来ることは少ない。しかし今年は一時的に太平洋高気圧の勢力が強まったために、高気圧から吹き出す風が強く、高気圧を回り込むように台風を北上させているわけだ。日本列島上空には梅雨前線がしっかりと横たわっており、接近する台風とのダブルパンチで週明けにかけて大雨が心配だ。何だかこの先が思いやられる梅雨のスタートとなりそうだ》。

なるほど、太平洋高気圧(英語では Pacific High という洒落た名前がついている)の勢力が強いため、台風を送り出しているということが分かった。では、なぜ太平洋高気圧が発生するのか。Wikipedia「太平洋高気圧」によると《赤道付近は強い日射のために暖められた海面や地上の空気が上昇し、対流圏界面まで達すると両極に向かって流れるが、地球自転の影響を受けて次第に東寄りに向きを変え、北緯30度付近に来ると東向きの流れとなり、赤道から来る空気が滞留するため、余分な空気は下降気流となって海面(地表)付近に達して周囲に吹き出し、高気圧を形成する》。

そうだったのか。赤道付近が熱せられると、太平洋高気圧が発生するのだ。太平洋高気圧に覆われると、日本は暑い夏になる。朝日新聞(5/26付)「今年も暑い夏 東日本から西、気象庁3カ月予報」によると《気象庁は25日、6~8月の3カ月予報を発表した。東日本から西の地域は、平年より暑くなる。東北3県の被災地を含む北日本では8月の気温が平年を下回り、雨が多くなる見通し》。

《同庁によると、記録的猛暑となった昨年と比べると全国的に気温は低めだが、広く太平洋高気圧に覆われる東日本、西日本、沖縄・奄美の3地域は平年を上回る見通し。特に沖縄・奄美は高温となる可能性が高い。一方、北日本は6~7月は平年並みで推移するが、太平洋高気圧の北への張り出しが弱いため、8月の気温は平年より低くなると予想した》。

つまり、早い台風=太平洋高気圧の勢力が強い=日本は暑い夏になる、という3点セットなのだ。今夏は原発問題で節電の必要性が叫ばれているのに、これでは先が思いやられる。こうなれば、スーパークールビズしかないのか…。

ちなみに、日本では賛否両論のスーパークールビズ、海外(外国人)の評判は悪くない。JapanToday(日本のニュースを専門とする英語サイト)での反応をブログ「とりいそぎ。」が翻訳して紹介している。以下にピックアップする。

■ありえないわ!こんなことが日本で起こるなんてなあ!こういうニュースはうれしいね。

■良い方向に進んでるよ、うん。でも、日本政府には、エネルギー漏れ対策をしてほしいところ。ビルや家屋の厚い断熱材、2重ガラス。これは必ずやらないとだめなこと。今あるビルにもそういう対策をとるよう奨励していかないとさ。
先進国では、こういうのは普通なんだ。日本がやってないのは、信じられない話。気候も極端だし、エネルギー危機もあるのに。Tシャツのファッションショーなんかやったって解決しないって。

■アイディアがあるんだ。ラッシュアワーの電車賃を2倍にするの。そしたら、みんなフレックスタイムを使うだろ。

■↑悪いが、アホだと思う。ほとんどは定期を使ってる。なんの影響も出ないよ。
政府がやったからって、企業がやるかなあ。疑問。僕が働いてる会社は、絶対やらないと思う。だって、ボスが古い時代の人なんだもん。なんにも変えたがらない。似たような会社は多いと思うよ。一般のビジネスマンにはまったく変化がないんじゃない?

■↑同意。政府が「絶対やれ!」とでも言わない限り(ありえないけど)、どこも従わないだろうね。

■スラックスよりジーンズって涼しいか?仕事着にしたら、ジーンズってだらしなく見えるだけで、涼しくなんかないって。やっぱ、半ズボンでしょ。涼しいのは。

■地獄のような暑さの夏を乗り切るシンプルな解決法。女性は、スカートを短く。これで、学生は勉強がはかどるし、OLは仕事がさくさく進む。男性は、バミューダショーツと遊び人風のハワイアン・シャツね。

■昔を思い出そうよ。日本には、暑い夏を美しく過ごす方法がもうあるじゃないか。ゆかた。あれってリネンとかの軽い布地でできてるだろ。ポンジーとか、ゆるく紡いだ綿みたいな素材。
でも、ハワイアン・シャツもいいよね!暑くて湿気の多いハワイに合うように作られてるものだし。女の子は、ストッキングははかないで、かわいい短めのソックスだけ。
オレはサンフランシスコ出身。暑い季節は、地味な半ズボンとトップスでいい。人間ってのは、服じゃなくて、やってることで判断したいしね。


話が広がってしまったが、せめて休日はエアコンを止め、Tシャツと短パンで「節電の夏」を過ごすことにしよう。
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古事記完成1300年(3)古事記とは何か(by ドナルド・キーン)

2011年05月29日 | 記紀・万葉
※キーン氏の文章を含む古事記の入門冊子『つぎはぎ古事記入門』
をアップしました。どなたでも無料でダウンロードできますよ!


以前、「古事記とは何か(by 世界大百科事典)」という小難しいブログ記事を書いたが、最近になって、とても分かりやすい評論文を読んだ。古本屋で見つけたドナルド・キーン著(土屋政雄訳)『日本文学の歴史(1)古代・中世篇1』(中央公論社刊)である。最近になってキーン氏は、東北大震災を受け、日本への帰化・永住を決意された。

古事記の解説には、難しくてピンと来ないものが多いが、キーン氏の書きぶりは、私の感覚にピタッと合う。日本人の学者より、ニューヨーク生まれでコロンビア大学名誉教授の解説の方が分かりやすいというのは、不思議な話だが、そもそも前例にとらわれるあまり、「古事記を現代人の感覚で読む」という視点からの解説が、少なすぎるのではないだろうか。

古事記と日本書紀 (図解雑学)
武光誠 著
ナツメ社

前置きが長くなった。キーン氏は、同書で約40ページを割いて古事記を論評している。小見出しをすべて拾うと

日本最古の書物『古事記』は重要な作品
意味よりも重視された言葉の響き
問題を含みながらもすばらしい宣長の業績
疑問が多い語部の『古事記』編纂への関与
火事で消失した『古事記』以前の歴史書
稗田阿礼は男か女か、さまざまな解釈
素朴で粗削りの美、伝統の宝庫『古事記』
日本の島々を生む神イザナギとイザナミ
冥府へ下るオルフェウスを連想させるイザナギの黄泉行き
他に例をみない神の性行為による国生み
中心的な神や英雄がいないため統一を欠く
最初の英雄スサノオの二面性
日本最初の和歌とみなされるスサノオの和歌
豊富で面白いオオクニヌシのエピソード
オオクニヌシが妻たちと交わす歌になまめかしさ
ニニギのエビソードで「神の代」から「人の代」へ
大和の勇者ヤマトタケルの各地征伐
「歌心ある武人」ヤマトタケルは日本的英雄の原型
新羅の記録に日本登場、アジアとの交流盛んに
初の心中事件も記される人間世界中心の下巻
文学的面白さに欠ける下巻
『古事記』は日本の文学的表現の源流


図説 地図とあらすじでわかる!古事記と日本書紀 (青春新書INTELLIGENCE)
坂本勝 監修
青春出版社

※入門書(概説書)としては、上記の2冊が最も読みやすい

では全40ページから、要点を小見出しとともに抜粋する。

■日本最古の書物『古事記』は重要な作品
712年に朝廷に献上された『古事記』は、日本最古の書物である。さらに古い記録があったことがその序文に記されているが、その大部分は645年に焼失した。

日本文化史に『古事記』が占める地位はきわめて大きい。単に最古の書物というだけでなく、18世紀以降には神道の聖典として扱われたし、文化の黎明期における日本人の信仰をうかがい知るには、これが最良の資料である。

数多くの歌謡を含み、興味深い神話や寓話がちりばめられていることから、今日、この書物は単なる宗教的文書でなく、重要な文学作品ともみなされている。

■問題を含みながらもすばらしい宣長の業績
現在出版されている『古事記』のほとんどは、原文の1字1字に「純粋な大和言葉」の発音を与えている。これは、偉大な国学者本居宣長(1730~1801年)の読み方にほぼ従ったものである。

■稗田阿礼は男か女か、さまざまな解釈
8世紀の戸籍を調べるという、あまりロマンチックとはいえない調査方法によれば、稗田阿礼は男性とみなせる。アレ(荒)はつねに男性の名であり、女性の名はアレメ(荒女)になるらしい。一方、もっと最近の研究者からは、『古事記』は後宮で吟誦するための、のちの持統天皇(在位690~697年)の皇女時代に女性が編纂したものだとする主張も現れた。

■素朴で粗削りの美、伝統の宝庫『古事記』
日本の神話と伝説の宝庫として、『古事記』の重要性ははかり知れない。

『古事記』を文学作品として読もうとすると、現代人はおそらく困難を感じる。その原因は、比較的短い説話でさえ首尾一貫せず、矛盾が多いこと、そして何よりも冗長であることにある。無数の男神・女神が生まれ、名前を与えられた直後に消え失せて、2度と登場しない。おそらく、各地の氏族の祖先として崇拝されていて、その地方では重要な神々だったと推測できる。『古事記』に見る古代日本人の想像力は、豊かだった反面、緊張の持続が苦手だったのかもしれない。

古事記 (ワイド版 岩波文庫)
倉野憲司 校注
岩波書店

■他に例をみない神の性行為による国生み
神の性行為による国生みなどはおそらく他に類を見ない。多くの日本人学者は、この性的結合の「大らかさ」をいい、『古事記』に現れる多くの性行為もみな同様だとしている。神だけでなく、島をも生むという二柱の神の不思議な能力の結果、日本の支配者は、自分が治める国と血でつながることになった。

イザナギとイザナミは、その数多い子孫ほどには崇拝の対象にはならなかったが、これは不思議なことである。

■「歌心ある武人」ヤマトタケルは日本的英雄の原型
嵐に襲われたヤマトタケルは目がくらみ、これ以後、疲労と孤独にさいなまれる。以前の雄姿は見る影もない。疲れはて、やがて病を得て、『古事記』の中で最もすぐれた歌謡の数編を作ってのち死ぬ。家族が葬式にやってくると、その目の前で、ヤマトタケルは大きな白い鳥になって飛び去る。妻と子は、海を超え、山を超えて鳥を追うがつかまえることはできず、鳥は天高く舞い上がっていく。アイバン・モリスは、著書 The Nobility of Failure(『高貴なる敗北』)の冒頭でこの説話を取り上げ、ヤマトタケルを日本的英雄の原型だといっている。

だが、ヤマトタケルの収める勝利自体は、英雄の勝利というより詐欺師の手口に近い。また、死後に白い鳥に変身するのは、敗北ではなく、人間的制約を乗り超えた勝利というべきだろう。

ヤマトタケルの歌は、日本語の歌謡として決して最高のものではないが、のちの日本文学に登場してくる「歌心のある武人」という、1つの理想像の形成には寄与しているかもしれない。

■文学的面白さに欠ける下巻
下巻の内容は、主として、皇室の誰がどの親族によってどういう理由で殺されたのかの説明である。わけのわからない理由も少なくない。殺人を淡々と記し、最後には歴代天皇の妻子の名をうんざりするほど書き連ねて終わる。

『古事記』が初めて(歴史でなく)文学作品として扱われたのが1925年であることは、倉野(憲司)も認めている。結局、『古事記』は歴史的文学書、もしくは文学的意図をもった歴史書であるというのが、倉野の結論である。

■『古事記』は日本の文学的表現の源流
『古事記』は、日本の文学的表現のほぼ源流に位置している。

さらに重要なことは、和歌の本質的な役割がすでに『古事記』に見えることである。英雄的な行為をたたえるときはもちろん、高揚した表現が要求される瞬間には、いつでも和歌が作られた。散文の語りの中に和歌を挿入する手法は、こののち千年ものあいだ日本文学の一大特徴となる。

日本という謎は、日本人の情熱をかき立てる。そして、その謎は『古事記』に始まるのである。


口語訳 古事記―神代篇 (文春文庫)
三浦佑之 著
文藝春秋

抜粋は以上である。キーン氏は《1930年代から40年代初期にかけて、日本の古典文学研究は軍国主義と天皇崇拝の影響下にあった。だが、戦後になって『古事記』への反動が起きたかといえば、むしろ逆である。政治的信念を異にするさまざまな学者が、制約から自由になって『古事記』を見直しはじめた》と書いている。古事記は、最近になって様々な現代語訳が出されるようになったし、古事記ゆかりの史跡を訪ねるガイド本やバスツアーも企画されている。



古事記が元明天皇に献上されたのは712年(和銅5年)1月28日。つまり古事記完成1300年の記念日は、来年の1月28日なのである。残すところ8か月。今こそイデオロギーから自由になり、「歴史的文学書」として古事記をじっくり読み返してみることにしたい。
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五條 源兵衛

2011年05月28日 | グルメガイド
台風2号接近のため、5/29(日)開催予定だった「かげろう座」(2011)は、残念ながら中止となった(同日開催予定の「第51回<ナント>萬葉チャリティーウォーク」も中止)。かげろう座のついでに再訪しようと思っていた「五條 源兵衛」(五條市本町2丁目 5-17)をここで紹介しておく。
※料理の写真は5/21に撮影。他は、昨年5/20に撮影させていただいた


門をくぐるとこんな風になっている


回れ右をして、門を振り返ったところ

五條 源兵衛は、昨年(2010年)5月にオープンしたばかりの、古い町家を改装して作られた和食のお店である。これまで2度訪れた(10.5.20と11.5.21 いずれもランチ)。よくよく聞いてみると、ウチの会社のOBのY氏の元自宅だった。「2階でよく麻雀をした」というOBもいた。この町家レストランをプロデュースしたのはアレックス・カー氏である。同氏が会長を務める株式会社庵のHPによると、




陰影礼賛。何だか心が落ち着く

《江戸の町並み残る新町通り。その通りに軒を連ねる築250年の町家レストラン「五條 源兵衛」。地元農家さんのこだわり野菜、手作りの味噌に豆腐、お漬物。レストランから程近い老舗のお酒やお醤油。郷土に残る食の知恵も加えた、五條ならではの豊かな味わいをお楽しみいただけます》。







《新町通りに面した門をくぐると、しっとりとした露地。玄関から通路を抜け、吹き抜けの大梁が見事な土間のテーブル席、ゆっくりくつろぐ掘りごたつの個室、和室から眺めるお庭もご馳走のテーブル席と、様々なよそおいでお客様をお迎えします。玄関やお部屋にしつらえた様々な調度品、スタッフが心を込めて生けた季節の草花もお楽しみください》。





《大和野菜、古代米、地鶏に川魚。こんにゃくの天ぷらにおかいさん(粥)、地元の旬の食材と伝統食を、源兵衛ならではのスタイルでお楽しみいただけます。昼は、五條の食をぎゅっと凝縮したお弁当仕立てのコース料理。夜は、地酒と共にゆっくりとお楽しみいただけるお料理を提供いたします。吉野杉のお箸、町家に残されていた塗り椀・お盆、地元作家の陶器など、器からも五條を味わいください》。


これはすごい、杉の一枚板である



papinさんの「めし ときどき おやつ」(奈良県中心のグルメブログ)でも、好意的に紹介されている。《五條新町をうろうろしていると、和食レストランを発見。その名も源兵衛》《古民家を改装し、雰囲気の良い和食のお店になっています。全てテーブル席で、土間席とこ上がり席。窓から中庭の景色が良いです》《かなり贅沢に3000円のコース。まずは、食前酢。酒ではなく、酢ですよ。梅酢》。


2,200円のコース。中央は湯葉に巻いたわらび。食前酢(サワードリンク)は桜梅酢。割り箸は最高級品・吉野杉のらんちゅう(卵中)


神納川(かんのがわ=十津川村)椎茸、切り干し大根、グリーンアスパラなどの炊き合わせ

《五條新町の街並みによくあう雰囲気いい中、とても満足なランチでした。お酒なしだったせいでしょうか、ポンポンとpapinが食べ進めるペースで出してくれました。papinのペースにあわせてくれたのだと思う。店内、女性客ばかり。やはり女性は、おいしいお店をよく知ってますね》。


お弁当(トップ写真とも)。独活(ウド)酢味噌、タケノコの木の芽焼、クレソンのお浸し、大和肉鶏の味噌漬など


朝に採れたばかりの春野菜

《五條新町にある和食のお店。お昼は、2200円と3000円の2コースでした。暖かみと笑顔溢れる接客。店内、全てテーブル席の様子。土間席と畳席があります。平日昼間でしたが、半分以上席が埋まっていました。もちろん女性客ばかりですが 週末や、外したくない方は、予約が無難な様子。お店にいたる前に、駐車場あります。落ち着いた良い雰囲気の中で、丁寧な和食が楽しめます。五條新町散策途中もよし、ここだけのために食べに行くのもありだと思いました》。


ご飯は赤米(古代米)


葛餅は作り置きなのか、プリプリ感がなくて残念だった

料理の特徴は、とにかく野菜が美味しいことだ。料理長の中谷暁人氏は、お店のHPに《在来種を守り育てたり、100種類以上もの、色とりどりのやさいを育てている農家さんに支えられています。宝の味がチカラ強く「郷土の味をかっこ良く」の主役です。元気な五條のやさい達が待ってます》。


重厚な外観

昼(2,200円と3,000円 11:00~12:30と12:30~14:00の2部制)、夜(3,500円と5,000円 17:00~20:30 要予約)ともコース料理のみだが、追加もできる(牛肉、夏のハモ、秋の松茸、冬のフグなど)。雰囲気抜群、野菜中心のお料理は美味しくてヘルシー。昼は予約なしでも可能だが、人気店なので予約が無難である。1周年を迎えてますます人気のこのお店、ぜひいちどお訪ねいただきたい。
※食べログの同店サイトはこちら。お店へのアクセスはこちら
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かげろう座2011が、5/29(日)に開催されます!(Topic)

2011年05月28日 | お知らせ
※注意 かげろう座(5/29)は
台風接近のため、中止となりました!

「自由市場 かげろう座」は、毎年1回(5月の最終日曜日)、五條の旧市内で開かれるフリーマーケットである。19回目を迎える今回は、「東日本大震災復興応援イベント」と位置づけ、5/29(日)に開催される。五條市のHPによると《新町通りには江戸時代に建築された民家が数多く残っており今なお歴史的な街並みが形成されています。この街並みの保存を考える自主活動団体「新町塾」は新町どおりの活性化と街並みをアピールするため活発な活動をしています》。
※画像はいずれも、かげろう座のホームページより拝借

《その活動の一環として年に一度開催される自由市場「かげろう座」では、市内を始め県内外から手作りの木工工芸品、手芸品やリサイクル品など様々な店が通りの軒先に連なり、往時の賑わいをよみがえらせています。また、民家では乙女文楽・津軽三味線・琴や尺八の演奏も行われ、江戸時代の風情を伝えます。そして、出店数の増加に伴い今では新町通りだけではなく、JR五条駅から新町通りに至るまでの駅前商栄会通り・商励会通り・えびす通りにも数多くの出店やイベントが繰り広げられています》。以下、かげろう座のHPから引用する。


   
日  時: 平成23年5月29日(日) 午前10時~午後4時  
場  所: 奈良県五條市 新町通り・エビス通り・商励会通り 合計約2.5Km( 徳川吉宗も通った道)
上記通りの町屋の軒先・空き家・駐車場等  
駐車場: 臨時駐車場を設置します。  

テ-マ: ”こうかん ”・・・新町通りという巷間で、好感の持てる好漢による交換と交歓・・・

趣 旨: 江戸時代の町並みとして知られる五條市・新町通りは、かつて宿場町として大変栄えにぎわいました。当時のにぎわいを再現し、通りの活性化をはかりながら、この町並みを多くの人達に見ていただき、その良さをアピ-ルする事、さらに各種団体の活動の場を提供しかつ応援する事を目的としています。

内 容: 新町通りの町屋の軒先を借りて、手作り産品を中心とした品物の展示・販売 (フリ-マ-ケット)を催すと共に、大道芸・古典芸能等忘れられようとしている古きよき文化の再発見の場となり、参加者や出店者との交流交歓をはかります。今年も、会場内で、いろんなイベントを催す予定をしています。

主  催: かげろう座2011実行委員会(主体:新町塾)  
後  援: 五條市・五條市教育委員会・五條市自治連合会・五條市商工会・五條市観光協会・吉野川活性化プロジェクト(いずれも予定)  
協  賛: 奈良県国民年金基金・奈良県高圧ガス保安協会五條支部(いずれも予定)

大和吉野川の自然学
御勢久右衛門編著
トンボ出版

「かげろう座」という風変わりなネーミングの名付け親は、ウチの親戚の故・御勢久右衛門(ごせ・きゅうえもん 元奈良産業大学教授)である。《かげろう座』の名前の由来 五條市の吉野川近辺にしか生息しない蜻蛉(かげろう)がいます。この蜻蛉を故御勢久右衛門先生が「五條蜻蛉」と名付けられました。また、楽市楽座は、織田信長や豊臣秀吉によって都市商業政策として、領国内の市場が享受してきた諸権利を承認し、城下町の繁栄をはかったものです。この「五條蜻蛉」と楽市楽座の「座」をもじって『かげろう座』と名付けられました》。

《かげろうは、トンボの古名「蜻蛉」でもあり、常に前向きに飛びます。そして、かげろうは、「陽炎」でもあり、大気や地面が熱せられて起こる現象です。これらのかげろうの意味のように、常に前向きの姿勢で熱い心をもって取り組んでいくという心意気が込められています》。

かげろう座を運営するのは、「新町塾」(代表:山本陽一氏)という地域おこし団体である。この団体の活動は、NPO法人奈良元気もんプロジェクト編『結び会(むすびえ) もうひとつの奈良観光』にも紹介されている。新町塾のHPによると《新町塾は、自分たちの住んでいる「まち」の成り立ち、発展、歴史のかかわりを知り住民各自がそれぞれの立場でそれぞれの意見・考え方・疑問点について、皆で話し合える場をつくろうという事で、新町通りに住む若者10数名により、平成2年に発足しました》。

結び会 ― もうひとつの奈良観光
奈良元気もんプロジェクト
ビレッジプレス

《まず「まち」の歴史等について講師を招いて勉強会をしたり、他のまちづくり団体と交流会を行ったり、先進地視察を行い、客観的な目で「まち」を見つめ直しています。次に行動として、新町通りにある電柱やフェンスを町並みにあうように色を塗り替えたり、奈良県や五條市のご支援を得て、街灯を町並みにマッチするものに付け替えをしました。また、かつて宿場町として栄えた当時のにぎわいを再現し、通りの活性化を図りながら全国でも、もっとも古いと言われているこの町並みを多くの人たちに見てもらって、町並み保存への機運づくりにつなげようと、年に1度、町並みの通りの軒下を使って、フリ-マ-ケット「かげろう座」を開催しています》。

《この「かげろう座」では、県内外から手作り品を中心とした、木工品・ガラス細工・手芸品・やリサイクル品や軽食のお店が並び、また、琴の演奏・人力車・バンド演奏や名物の柿の葉すしの実演等が行われ、市民だけでなく、市外県外からも多くの方が来られ、年を重ねるごとに五條の代表的なイベントの1つとなっています。我々の活動の基本理念は「か・き・く・け・こ」(感動・興味・工夫・経験・行動)です》。

かげろう座が初めて開催された1993年(平成5年)6月6日の出店者は約80店舗、買い物客は約2,000人だったが、昨年(第18回 5/30)は、出展者約450店舗(5.6倍)、買い物客は約68,000人(34倍)と激増した。まさにトンボのように前向き、陽炎のように上向きなのだ。

私はこれまで参加したことはなかったが、今年は、いちど覗いてみようと思っている。新町塾の皆さん、どうぞよろしく!
コメント (2)
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