tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師を囲み「世界遺産登録20周年記念シンポジウム」(第2回)、7月6日(土)開催!(2024 Topic)

2024年05月31日 | お知らせ
2024年7月6日(土)、「第2回世界遺産登録20周年記念シンポジウム」が近鉄大和西大寺駅南口の奈良商工会議所で開催される。入場無料で要申し込み。基調講演とパネルディスカッションのコーディネーターは、田中利典師である。

ディスカッションには、世界遺産登録の立役者など4人が登壇される。お申し込みは、Eメール、Faxまたはハガキで奈良新聞社中南和支社へ。金峯山寺のHPには、

第2回世界遺産登録20周年記念シンポジウム 参観者募集
金峯山寺を含む「吉野・大峯」が世界遺産に登録されて、今年で20周年を迎えます。

それを記念して、(公社)現代奈良協会・(一社)なら文化交流機構・(株)奈良新聞社が企画し、奈良トヨタグループが主催する「世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』登録20周年記念シンポ『吉野大峯世界遺産 登録活動の全貌を語る』」が、次の通り開催されます。

金峯山寺の田中利典長臈(ちょうろう)が、基調講演され、パネリストとしても出演される予定です。



日  時 : 令和6年7月6日(土)
       開場:13時30分/開演:14時/終演:16時30分(予定)
場  所 : 奈良商工会議所 : 奈良市西大寺南町8番地33号
参 観 料 : 無料
内  容 : *基調講演:金峯山寺長臈 田中利典師 
        演題「修験道の聖地・吉野大峯の世界遺産登録
           ~世界最速!地元から発題した初の世界遺産登録~」
       *ディスカッション: テーマ 「世界遺産登録の立役者が語る登録への道」
        パネリスト: 本中 真氏(奈良文化財研究所長)
               田中 敏彦氏(元奈良県地域振興部長)
               田中 敏雄氏(元吉野町参事)
               菊池 攻氏 (奈良トヨタグループ代表取締役社長)
        コーディネーター: 田中 利典師(金峯山寺長臈・種智院大学客員教授)
 なお、令和6年の秋に、このシンポジウムの3回目が行われる予定です。
 詳細が決まり次第お報せします。
【お問い合わせ並びにお申し込み先】
*奈良新聞社 中南和支社「世界遺産登録20周年記念シンポ」係
 所在地:〒636-0247 奈良県磯城郡田原本町阪手685-1
 FAX : 0744-34-1222 E-mail : planning@nara-np.co.jp
 一般の方もお申し込みいただくことができます。
 座席に限りがありますので、できるだけお早い目にお申し込みください。


皆さん、ぜひお早めにお申し込みを!



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来村多加史教授が「富雄丸山古墳」を語る! by 松原純さんのYouTubeチャンネル「古色の栞」

2024年05月30日 | 奈良にこだわる

NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員で、Nara観光コンシェルジュの松原純さんは、「古色の栞」というYouTubeチャンネルを運営されている。阪南大学国際学部・来村多加史(きたむら・たかし)教授へのインタビュー記録だ。その第27弾は、話題の「富雄丸山古墳を徹底解説(蛇行剣・盾形銅鏡など)」。気鋭の考古学者がどのように 「富雄丸山古墳」を語るのか、ぜひ視聴していただきたい。なお過去の映像は、こちらで視聴していただける。

今回は、近年大発見があったことで注目されている奈良県奈良市「富雄丸山古墳(とみおまるやまこふん)」の解説です。「蛇行剣(だこうけん)・鼉⿓⽂盾形銅鏡(だりゅうもんたてがたどうきょう)」の意味は?被葬者はどんな人?など話題にあがりますが、立地や類例などを交えながら、来村先生に詳しく説明頂いておりますのでお楽しみ下さい。

0:00 オープニング
0:50 古墳の立地について
4:58 墳丘について
8:25 副葬品(遺物)について
11:40 大発見について
17:53 盾形銅鏡について
22:08 蛇行剣について
26:31 今後の注目ポイント
29:28 被葬者について
31:30 エンディング

【来村先生の経歴】
来村先生は兵庫県明石市のご出身で、幼い頃から考古学に興味を持っておられました。高松塚古墳を発掘された関西大学「網干 善教(あぼし よしのり)先生」に憧れ、関西大学に入学して網干先生に師事。関西大学大学院博士課程終了後、中国陵墓研究により博士号を取得されました。現在は阪南大学の教授として学生に「観光学」を指導。他にもテレビ出演や書籍の出版、また観光ガイドとして「クラブツーリズム」の講師など多方面で活躍されております。
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澤田瞳子さんが語る「行基と聖武天皇の時代」講演、7月28日(日)堺市で開催!(2024 Topic)

2024年05月29日 | お知らせ
7月28日(日)14時から、堺市総合福祉会館大ホール(堺市堺区南瓦町2-1)で、澤田瞳子さんの「SPECIAL LECTURE 行基と聖武天皇の時代」が開催される。参加費は@1,000円で、要申し込みだ。

〈天変地異、パンデミック、飢饉、長屋王の変、動乱の奈良時代、国家造りに苦悩する帝と、それをささえた僧、行基の生き様を、直木賞作家 澤田瞳子先生にお話しいただきます〉というもので、これは興味深い。チラシはこちら(PDF)、お申し込みは、こちら(1回で5人まで申し込める)。主催者のHPによると、

SPECIAL LECTURE 行基と聖武天皇の時代
直木賞作家 澤田瞳子 氏が語る行基と聖武天皇の時代

天変地異、パンデミック、飢饉、長屋王の変、動乱の奈良時代、国家造りに苦悩する帝と、それをささえた僧、行基の生き様を、直木賞作家 澤田瞳子先生にお話しいただきます。

開催要項
開催日 2024年7月28日(日)
堺市総合福祉会館大ホール [ 地図 ]
南海高野線堺東駅西出口徒歩7分
14時開演 16時頃閉演

講師 澤田 瞳子 先生(直木賞作家 / 同志社大学客員教授)
参加費 1,000円(入場時支払)
申込期間 満席なり次第終了
申込方法 こちらをご確認ください。
お申込みに関するお問い合わせは、リレーウォーク事務局までお願いいたします。

お問合せ先 大阪・奈良 歴史街道リレーウォーク実行委員会 事務局
TEL:050-5468-7522
運営団体 大阪・奈良 歴史街道リレーウォーク実行委員会
後援 行基さん大感謝祭実行委員会 行基に学ぶ関西再発見の会
事務局 一社)近畿建設協会
協力 丸善 高島屋堺店




コメント (2)
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ユネスコ世界文化遺産「吉野大峯」登録20周年回顧録 by 田中利典師

2024年05月28日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、過去のお行の日記からは離れ、『月刊奈良』(2024年4月号)に執筆された〈ユネスコ世界文化遺産「吉野大峯」登録20周年回顧録 〉を紹介する。師はこれをご自身のFBに2回(2024.5.27~28)わたって紹介された。当ブログでは、これを一挙に紹介する。

実はNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、6/9(日)、会員を対象とした利典師による90分の講演会を予定している、演題は「修験道の今日まで、そして明日から~吉野大峯・世界遺産登録20周年記念講演~」である。14時半頃から、東大寺総合文化センター(東大寺ミュージアム)地下小ホールで開催する。この回顧録は、その良い「予習」にもなることだろう。

今年は金峯山寺を含む「吉野大峯」がユネスコの世界文化遺産に登録されて20周年を迎える。当時しゃかりきに活動した私としては感慨深い。10周年事業までは猛烈に駆け抜けた。その当時のことを書きませんかと『月刊奈良』から依頼を受けて、4月号に書かせていただいた。よろしければお読み下さい。

◆運は動より生ず
「運は動より生ず」というが、まず動きを始めることで運は動き出す。物事の精査とか課題はたくさんあるだろう。けれど、そのときの直感とひらめき、やってきた諸縁によって動くのがいいんだろうな。私のこれまでの人生経験ではそういうことになっている。

まずは、動きを始める。先のことはわかりっこない。それでいいんだ。でも動き出すことで、宇宙のシステムというのか、神仏の働きというのか、運勢はサポートしてくれる。そんな感じで生きてきた。

◆役行者大遠忌事業が契機
吉野大峯の世界遺産登録のきっかけは、修験道史上初めて修験三本山(本山派修験/聖護院、当山派修験/醍醐寺、吉野修験/金峯山寺)合同によって催行された開祖役行者神変大菩薩1300年大遠忌事業であった。

本事業の準備は平成7(1995)年頃から始まったが、平成11(1999)年にはプレイベントとして大阪・東京の2会場で「役行者と修験道の世界」特別展(修験三本山・毎日新聞社・開催館主催)を開催し、さらに本番の平成12(2000)年8月には三本山と大峯山寺合同による大遠忌法要などが執行され、大遠忌に相応しい数々の歴史的な事業が成し遂げられた。

その中の「役行者特別展」でのこと。本展の企画統括を担当されたのは自称「役行者オタク」の大阪市立美術館学芸員(当時)の石川知彦氏だが、その石川氏から「りてんさん、せっかく出来た三本山合同の連帯を、吉野大峯一帯の世界遺産登録運動につなげるのはどうだろうか」と提案を受けた。

当時、世界遺産という概念自体、まだまだ日本では認知が低かったが、おもわず「それ、私やります!」と即断した。それがその後の運を動かすことになっていく。

◆世界遺産ってなに
といっても、肝心の「世界遺産」のことがなにもわかってない。法隆寺と姫路城が世界遺産だったなあ…くらいのこと。一からの学び始め。世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へ、そして未来の世代に引き継いでいくべきかけがえのない宝物のことだ。

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が「人類共通の遺産」として保護・保全していくための国際的な協力体制を築く国際条約として昭和47(1972)年に「世界遺産条約」を採択した。日本はこの条約の批准が20年遅れたために、当時はまだまだ国内での世界遺産の認知度は低かった。

◆動き出せば誰かに会う、そしてどこかに連れて行ってくれる
物事を成し遂げるのはまず発心を持つこと。そうすると誰かに出会う。その出会った人がその先へ連れて行ってくれる。本格的な登録活動を始めたのは平成12(2000)年の春だった。紆余曲折はあったものの、登録要件である文化庁の文化審議会に、熊野・高野とともに吉野大峯の三霊場が答申されたのはその年の11月だった。

手を挙げてこんなに早く答申された前例はなかった。これは吉野町、天川村、奈良県それぞれの担当者の努力のたまもの。そして、修験三本山の後押しや、吉野大峯の登録運動に先んじて始めていた熊野と高野の動きと吉野大峯の活動が一体となったことが、担当所管の文化庁を動かすことになった。

走り出して、本当に多くの人に出会い、人と人との力で道は拓かれていった。まさに運は動より生ずである。ほんとに運に恵まれた。ただし、地元の吉野山にしても奈良県にしても諸手を挙げて大賛成という滑り出しではなかった。当時の県の文化財保存課長からちょろちょろ動くなと叱責されたり、地元からも世界遺産になんてそんな簡単になるかよ、と揶揄され鼻で笑われたこともあった。

それでも平成16(2004)年7月。吉野大峯は熊野三山と高野山とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産リストに登載されることが決定する。活動を始めてから4年。まさに世界最速であった。奈良県としては法隆寺地域の仏教建造物、古都奈良の文化財に次ぐ3件めの登録である。 

◆世界遺産の第一の門番(custodian:カストーディアン)を目指す!
吉野大峯は開祖役行者以来、日本独自の民俗宗教修験道の聖地である。その聖地性のもとに吉野ではさまざまな歴史が繰り広げられてきた。天武・持統天皇の行幸、藤原道長の御嶽詣で、源義経の吉野潜行、日本一の桜の名勝地としての発展、南北朝の動乱、太閤の花見などなど枚挙に暇がないほど多彩な歴史と文化を持ち得た地である。

が、明治以降、神仏分離施策と修験道の衰退と相まって、聖地性も歴史の唯一性も損なわれてきた感があった。世界遺産登録の目指すものは、吉野の地が持ち得た宝物は日本の至宝であること。そして世界の宝物として、再認識を図るとともに先々まで保護・保全に努めていくことである。登録がゴールではなく、登録が保護・保全のスタートでなければならない。

そのために私は、登録年には世界遺産登録記念特別展「祈りの道~吉野・熊野・高野の名宝~」(三重県、奈良県、和歌山県、世界遺産登録推進三県協議会、毎日新聞社、NHK、開催館主催)を大阪・名古屋・東京の三会場で企画開催し、さらに大峯奥駈道保全連絡協議会や紀伊山地三霊場会議など、登録地域の保護・保全のための、宗教と行政が連帯した協議会などを発足させた。

今年で吉野大峯の世界遺産登録は20周年を迎える。イコモス(国際記念物遺跡会議)が定めた『国際文化観光憲章』の中の第一の門番(custodian)とは、世界遺産の自然と文化を守っていく役目を担う人々のことを指す。世界遺産の第一の門番こそ、世界遺産に関わる金峯山寺など構成施設をはじめとする地域の人々の意識有る取り組みである。

世界遺産登録によって、人類共有の宝物である貴重な世界遺産が、心ない観光開発にのみ利用され、肝心の保護・保全活動に結びつかないという、過去に起こったような失敗例に陥らせてはならない。

それぞれのキーマンとなる方は、「世界遺産の第一の門番」としての役割を大いに担っていただきたいものだ。登録20周年の慶事を前に改めて記して、私の拙き回顧録とする。






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「雑記帳の集い」、5年ぶりにリアル総会を開催!

2024年05月27日 | 奈良にこだわる
土曜日(2024.5.25)の奈良新聞に、〈「雑記帳の集い」橿原で総会 会員高齢化で運営見直し 新体制で再出発〉という記事が出ていた。1978(昭和53)年頃にできた同紙「雑記帳」欄への投稿者により、「雑記帳の集い」は1980(昭和55)年に発足した。会則の「目的」には〈本会はペンを通じて会員の親睦と教養を高め、家庭と社会の向上に努めます〉とある。
※トップ写真は、奈良新聞の同記事サイトから拝借

1978年といえば、私が就職のために奈良に来て働き出した年なので、とても感慨深い。「雑記帳の集い」のことは、私も「明風清音」欄に投稿したことがある。土曜日の記事には、〈解散ではなく無理のない運営体制での存続を望む声が相次ぎ、従来の役員制度や会費制度は廃止し、会員同士が緩やかにつながる新体制で再出発することを決めた〉とある。

「雑記帳」欄は続くので、投稿は今後も続くし新会員の募集は続ける。しかし年1回発行し、2022年を最後に休刊している会員文集「雑記帳」をどうするかは、今後検討するという。

県下の各種団体と同じく、会員の高齢化により、「集い」の運営や文集の刊行が難しくなっているのだ。「雑記帳」欄への投稿者も高齢化が進んでいるので、会員が高齢化するのは理の当然といえる。

これまでは特定の役員さんに負担が集中していたが、これからは〈会員同士が緩やかにつながる新体制で再出発する〉ということなので、SNSなどでつながるような工夫をされるのだろう。どのような形であれ、緩やかなつながりが継続されることを期待している。



6/8 追記:この画像は奈良新聞(2024.6.5付)

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