今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行7日「朝題目夕念仏」〉(師のブログ 2015.5.7 付)である。天台宗では「朝題目夕念仏」、つまり朝に法華経を読み、夕方に阿弥陀経を唱えるというのが基本なのだそうだ。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)
師は40年以上前に履修されたお経を、叡山学院で学ばれたばかりのご長男とお二人で唱えておられるそうで、これは微笑ましい。ご参拝者も、途切れずに続いているとのことだ。では、以下に全文を紹介する。
「朝題目夕念仏」
蔵王供正行7日(5月7日)。晴れ。今日の一日。ちなみに昨日の就寝は風邪のため、9時。でも結局12時半には目が覚めて、なかなか寝られず。風邪は回復。
5時前に起床。
5時半、第13座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第14座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者1名。
****************
「朝題目夕念仏」
Eテレ(こころの時代)をみて、護摩の時間に訪ねてきた舞鶴の方があった。本物がいる!って、なんかパンダをみたような感動をされてしまった。ぎりぎりにおいでになったので、今日はノー参拝デーになるかなあと思っていたが、ならなかった。有り難い。前行のときから法楽(読経)として、一座目が法華懺法(ほっけせんぼう)、二座目が例時作法(れいじさほう)という、天台法儀のお経をお唱えしている。正行も同様である。
私が僧侶になってお経を覚えたのは比叡山高校での山家寮という、天台宗の宗内生が寄宿する寮での手ほどきだった。天台宗では「朝題目、夕念仏」といって、朝に法華経を読み、夕方に阿弥陀経を唱えるというのが基本である。
法華懺法というのは法華経を中心に作法が整えられた法式。例時作法というのは阿弥陀経を中心に整えられた法式。その法華懺法と例時作法を毎日お唱えするのは基本中の基本となる。
しかし正直にいうと、私がこんなに、この両法儀を毎日お唱えするのは四度加行履修のとき以来かもしれない。四度加行は18才で履修したので、40年以上前のことである。加えて、脳天堂での蔵王供直後の法楽は天台常用声明の基本である三礼と如来唄を唱えているが、本当に一から基本に返った修行三昧となっている。
自坊での勤行はついついおろそかにしてきた私だけに、基本から、学び直しをしている。幸い昨年、叡山学院で天台勤行の手ほどきをわずかながらでも受けてきた子息が、毎座、随喜(参加)していて、一緒に唱えさせていただいている。これも有り難いことである。化他行というが、自分の学びも多い修行である。自利利他円満になれば、なお素晴らしい。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7 撮影)
師は40年以上前に履修されたお経を、叡山学院で学ばれたばかりのご長男とお二人で唱えておられるそうで、これは微笑ましい。ご参拝者も、途切れずに続いているとのことだ。では、以下に全文を紹介する。
「朝題目夕念仏」
蔵王供正行7日(5月7日)。晴れ。今日の一日。ちなみに昨日の就寝は風邪のため、9時。でも結局12時半には目が覚めて、なかなか寝られず。風邪は回復。
5時前に起床。
5時半、第13座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法 於本堂
9時、第14座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時半、本堂法楽・例時作法 於本堂
12時半、水行 於風呂場
13時、法楽護摩供修法 於脳天堂
14時、本堂法楽・法華経読誦 於本堂
参拝者1名。
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「朝題目夕念仏」
Eテレ(こころの時代)をみて、護摩の時間に訪ねてきた舞鶴の方があった。本物がいる!って、なんかパンダをみたような感動をされてしまった。ぎりぎりにおいでになったので、今日はノー参拝デーになるかなあと思っていたが、ならなかった。有り難い。前行のときから法楽(読経)として、一座目が法華懺法(ほっけせんぼう)、二座目が例時作法(れいじさほう)という、天台法儀のお経をお唱えしている。正行も同様である。
私が僧侶になってお経を覚えたのは比叡山高校での山家寮という、天台宗の宗内生が寄宿する寮での手ほどきだった。天台宗では「朝題目、夕念仏」といって、朝に法華経を読み、夕方に阿弥陀経を唱えるというのが基本である。
法華懺法というのは法華経を中心に作法が整えられた法式。例時作法というのは阿弥陀経を中心に整えられた法式。その法華懺法と例時作法を毎日お唱えするのは基本中の基本となる。
しかし正直にいうと、私がこんなに、この両法儀を毎日お唱えするのは四度加行履修のとき以来かもしれない。四度加行は18才で履修したので、40年以上前のことである。加えて、脳天堂での蔵王供直後の法楽は天台常用声明の基本である三礼と如来唄を唱えているが、本当に一から基本に返った修行三昧となっている。
自坊での勤行はついついおろそかにしてきた私だけに、基本から、学び直しをしている。幸い昨年、叡山学院で天台勤行の手ほどきをわずかながらでも受けてきた子息が、毎座、随喜(参加)していて、一緒に唱えさせていただいている。これも有り難いことである。化他行というが、自分の学びも多い修行である。自利利他円満になれば、なお素晴らしい。