壷阪寺(住職:常盤勝範氏)は、浄瑠璃「壺坂霊験記」で知られる、眼病平癒にご利益のあるお寺である。『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)なよると《高市郡高取町壷阪 正式には南法華寺、俗には壷阪観音という。大宝三年(七〇三)に佐伯姫足子入道尼(善心)が高市郡に建てた、あるいは大宝三年に元興寺の僧、弁基大徳が建立したともいう。境内から出土する白鳳期の瓦は両説の年代と一致する。平安時代には長谷寺とともに定額寺に列せられ、『枕草子』『今昔物語集』などの王朝文学にも名のあがる著名な寺になった》。
※トップ画像は、財団法人アジア・アフリカ国際奉仕財団のホームページより拝借
《嘉保三年(一〇九六)に本堂、礼堂、五大堂、弥勒堂、宝蔵、船形房、客房、小板敷などが焼失したが、これらはその後再建。南北朝時代以降は高取城を拠点とする越智氏の寺になったものの、その滅亡とともに寺も衰微した。慶長年間(一五九六~一六一五)に高取城主の本多氏によって修復がなされ、寛永年間(一六二四~四四)以後は高取城主植村氏の庇護により栄えた。明応六年(一四九七)に建立された三重塔と室町時代中期の礼堂、絹本著色一字金輪曼荼羅図や鳳凰文塼が重要文化財。盲目の沢市と、その眼を治そうと壷阪寺の千手観音に通い詰めた献身的な妻お里の人情話を描いた世話物浄瑠璃「壺坂霊験記」でも知られ、眼病平癒の祈願に訪れる参詣者も多い。西国三十三ヶ所の第六番札所》。
お寺には常盤住職のお父さま(先代住職)が創設された「財団法人アジア・アフリカ国際奉仕財団」(AIV)がある。同財団のHPによると
アジア・アフリカ国際奉仕財団(AIV)は西国観音霊場第六番壷阪寺が行っていた国際協力活動を継続・発展させる為、1989年に設立された国際協力団体(NGO)です。インド5地域、ウガンダ1地域で、社会の中で周縁におかれた人たちが、機会を得て、自立の道を歩めるよう教育支援、自立支援、現地NGO助成を実施。2011年度からは、東日本大震災で被災した子どもたちへの教育支援を始めるとともに、日本での国際理解・国際交流活動を行っています。2009年に開始したフェアトレードを中心に、企業・学生団体との連携した事業も行っています。お気軽にご相談ください。
「フェアトレード」とは何か。AIV事務局員の鶴田美翔(つるた・みと)さんから送っていただいた「2011年度活動報告書」によると《途上国の人々と安定かつ持続可能な製品の取引をすることで、生産者の生活と環境を守る取り組みです。AIVでは、2009年度からインドでのフェアトレードを始め、日本人スタッフが製品開発を行い、技術指導や検品をカウンターパート(学校やNGO)が担当。また日本では、フェアトレード製品を通して、インドの人々の暮らしや、生産者の声を届ける活動を行っています。AIVのフェアトレードはインドと日本の人々を結び、お互いのことを深く知り、ともに活動をする参加型事業となっています》とある。HPからの引用を続ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/1d/3205f15cea009dee228669ad8d415520.jpg)
アジア・アフリカそして日本の人々に“気づき”を促し、潜在能力を引き出すきっかけをつくり、ともに考え、行動する世界をつくります。
壷阪寺先代住職 故常盤勝憲和尚が、ハンセン病患者支援を始めたのは、差別や偏見が残る1960年頃の日本においてでした。ある日、勝憲和尚が自身の講演中に資料を口に持っていく方がおられることに気がつきます。その方はハンセン病により視覚障害をお持ちの上、手指の感覚がなくなり、点字で書かれた資料を舌で読んでおられたとのことでした。勝憲和尚は胸を痛め、僧侶として何かできることはないのか、との想いを抱き、ハンセン病患者の里帰り支援(故郷には戻れないため、第二の故郷として壷阪寺への訪問)などの支援を始めました。
1965年には、勝憲和尚がインドを訪問した折、アグラにてハンセン病患者の救済事業を行う日本とインドの医師、ボランティアと出会いました。当時、インドでは隔離政策はなかったものの、ハンセン病の正しい理解や医療技術が発展しておらず、多くの患者が病気と社会からの偏見に苦しんでいました。このような中、日印両政府が協働で運営するハンセン病治療・研究施設「ジャルマ」での医師たちの献身的な奉仕活動に感銘を受け、資金、物資の支援、日本からのボランティアの派遣などで支援を開始しました。
勝憲和尚がジャルマへの支援活動を続けていた1977年頃、その敷地内のガレージでインド人医師の妻たちによって無料の青空教室が開かれていました。「貧しい子どもたちほど、しっかりと教育を受けなければいけない。子どもが教育を受ければ、教育を受けられなかった親を助け、貧困と闘うことができる」という想いのもと、ハンセン病患者の子どもや近隣の貧しい子どもたちを対象にしていいました。
この青空教室は、日に日に子どもたちが増えていき、ガレージでは収まりきらなくなりました。「しっかりとした教室で、よりたくさんの子どもたちに教育の機会を与えたい」という先生たちの熱意に勝憲和尚は賛同し、すぐ近くの敷地内に「ロパ・ムドラ学校」校舎の建設を支援、その後も運営の助成を続けました。また、インド政府の全面支援によって同じ年に南インドのカルカラにて大観音石像石彫事業を開始し、地域の雇用も生み出しました。完成後の1983年には壷阪寺にて開眼法要も行い、日本国内でのインドでの支援活動が紹介されました。
1985年には、熊本県のハンセン病施設で生活されていた方が壷阪寺の活動を知り、「インドの救ハンセン病事業のために使ってほしい」と遺産を寄託されました。その善意を生かしていけるよう、インド中部ワルダに「壷阪寺救ハンセン奉仕財団(TDKSP)」を設立し、ハンセン病患者やその家族への奨学金事業や、ハンセン病差別に苦しむ女性の入所施設などの運営を開始しました。
1988年、勝憲長老が遷化され、そのインドでの支援活動を継続し、より充実させるため(財)アジア・アフリカ国際奉仕財団が設立されました。団体設立後は、インドではロパ・ムドラ学校への支援を継続するとともに、奨学金事業、現地NGO支援事業、またアフリカ東部ウガンダでは1990年ンゴビャ学校での奨学金事業を開始しました。現在はインド5地域、ウガンダ1地域で活動を続けています。国内では、事務局を置く壷阪寺境内での活動紹介と募金活動、会報やホームページによる広報活動、壷阪寺行事また国際協力イベントへの参加などを行っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/0a/b7c140b600242ea3908896dd1c0744d9.jpg)
上記活動報告書の「2012年度の取り組み」によると《2012年度は、活動母体である壷阪寺境内での募金活動を行うほか、ホームページ・facebookを活用した広報・募金活動およびフェアトレード製品の委託販売、国際協力・交流イベントへの出店・開催に力を入れます。インターネット媒体を活用した広報・募金活動により、若年層へのアプローチを行い、支援者層の多様化を図りたいと考えています。さらに、フェアトレード製品の委託販売やイベントといった市民との接点を増やすことで、活動を行うスタッフや団体への理解を深めていただく機会を広げます》。
《また2011年度に引き続き、ボランティアを受け入れ、日本のイベントへの出展やフェアトレード製品の開発、またインドとの異文化交流等を行います。これらの活動を通じ、インド・日本の現状を知り、国際理解を深めながら、ともに活動を行う人材を育成します。2012年度も、アジア・アフリカそして日本の人々に“気づき”を促し、潜在能力を引き出すきっかけをつくり、ともに考え、行動する世界をつくる活動へのご参加を宜しくお願い申し上げます》。
今年は奈良県下では初となる「地球愛祭り2012 in 奈良」が開催される(11/11[日]於:木材振興センター「あるぼ~る」)。AIVはこのイベントにも出展されるそうである。また「AIVニュースレター」(2012年8月号)によると
※トップ画像は、財団法人アジア・アフリカ国際奉仕財団のホームページより拝借
《嘉保三年(一〇九六)に本堂、礼堂、五大堂、弥勒堂、宝蔵、船形房、客房、小板敷などが焼失したが、これらはその後再建。南北朝時代以降は高取城を拠点とする越智氏の寺になったものの、その滅亡とともに寺も衰微した。慶長年間(一五九六~一六一五)に高取城主の本多氏によって修復がなされ、寛永年間(一六二四~四四)以後は高取城主植村氏の庇護により栄えた。明応六年(一四九七)に建立された三重塔と室町時代中期の礼堂、絹本著色一字金輪曼荼羅図や鳳凰文塼が重要文化財。盲目の沢市と、その眼を治そうと壷阪寺の千手観音に通い詰めた献身的な妻お里の人情話を描いた世話物浄瑠璃「壺坂霊験記」でも知られ、眼病平癒の祈願に訪れる参詣者も多い。西国三十三ヶ所の第六番札所》。
お寺には常盤住職のお父さま(先代住職)が創設された「財団法人アジア・アフリカ国際奉仕財団」(AIV)がある。同財団のHPによると
アジア・アフリカ国際奉仕財団(AIV)は西国観音霊場第六番壷阪寺が行っていた国際協力活動を継続・発展させる為、1989年に設立された国際協力団体(NGO)です。インド5地域、ウガンダ1地域で、社会の中で周縁におかれた人たちが、機会を得て、自立の道を歩めるよう教育支援、自立支援、現地NGO助成を実施。2011年度からは、東日本大震災で被災した子どもたちへの教育支援を始めるとともに、日本での国際理解・国際交流活動を行っています。2009年に開始したフェアトレードを中心に、企業・学生団体との連携した事業も行っています。お気軽にご相談ください。
「フェアトレード」とは何か。AIV事務局員の鶴田美翔(つるた・みと)さんから送っていただいた「2011年度活動報告書」によると《途上国の人々と安定かつ持続可能な製品の取引をすることで、生産者の生活と環境を守る取り組みです。AIVでは、2009年度からインドでのフェアトレードを始め、日本人スタッフが製品開発を行い、技術指導や検品をカウンターパート(学校やNGO)が担当。また日本では、フェアトレード製品を通して、インドの人々の暮らしや、生産者の声を届ける活動を行っています。AIVのフェアトレードはインドと日本の人々を結び、お互いのことを深く知り、ともに活動をする参加型事業となっています》とある。HPからの引用を続ける。
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私たちのミッション(使命)~思いやりの心を広く、深く~
アジア・アフリカそして日本の人々に“気づき”を促し、潜在能力を引き出すきっかけをつくり、ともに考え、行動する世界をつくります。
活動の始まり―壷阪寺常盤勝憲和尚とハンセン病患者支援
壷阪寺先代住職 故常盤勝憲和尚が、ハンセン病患者支援を始めたのは、差別や偏見が残る1960年頃の日本においてでした。ある日、勝憲和尚が自身の講演中に資料を口に持っていく方がおられることに気がつきます。その方はハンセン病により視覚障害をお持ちの上、手指の感覚がなくなり、点字で書かれた資料を舌で読んでおられたとのことでした。勝憲和尚は胸を痛め、僧侶として何かできることはないのか、との想いを抱き、ハンセン病患者の里帰り支援(故郷には戻れないため、第二の故郷として壷阪寺への訪問)などの支援を始めました。
1965年には、勝憲和尚がインドを訪問した折、アグラにてハンセン病患者の救済事業を行う日本とインドの医師、ボランティアと出会いました。当時、インドでは隔離政策はなかったものの、ハンセン病の正しい理解や医療技術が発展しておらず、多くの患者が病気と社会からの偏見に苦しんでいました。このような中、日印両政府が協働で運営するハンセン病治療・研究施設「ジャルマ」での医師たちの献身的な奉仕活動に感銘を受け、資金、物資の支援、日本からのボランティアの派遣などで支援を開始しました。
活動の発展―インドでの支援活動の広がり
勝憲和尚がジャルマへの支援活動を続けていた1977年頃、その敷地内のガレージでインド人医師の妻たちによって無料の青空教室が開かれていました。「貧しい子どもたちほど、しっかりと教育を受けなければいけない。子どもが教育を受ければ、教育を受けられなかった親を助け、貧困と闘うことができる」という想いのもと、ハンセン病患者の子どもや近隣の貧しい子どもたちを対象にしていいました。
この青空教室は、日に日に子どもたちが増えていき、ガレージでは収まりきらなくなりました。「しっかりとした教室で、よりたくさんの子どもたちに教育の機会を与えたい」という先生たちの熱意に勝憲和尚は賛同し、すぐ近くの敷地内に「ロパ・ムドラ学校」校舎の建設を支援、その後も運営の助成を続けました。また、インド政府の全面支援によって同じ年に南インドのカルカラにて大観音石像石彫事業を開始し、地域の雇用も生み出しました。完成後の1983年には壷阪寺にて開眼法要も行い、日本国内でのインドでの支援活動が紹介されました。
1985年には、熊本県のハンセン病施設で生活されていた方が壷阪寺の活動を知り、「インドの救ハンセン病事業のために使ってほしい」と遺産を寄託されました。その善意を生かしていけるよう、インド中部ワルダに「壷阪寺救ハンセン奉仕財団(TDKSP)」を設立し、ハンセン病患者やその家族への奨学金事業や、ハンセン病差別に苦しむ女性の入所施設などの運営を開始しました。
アジア・アフリカ国際奉仕財団の設立
1988年、勝憲長老が遷化され、そのインドでの支援活動を継続し、より充実させるため(財)アジア・アフリカ国際奉仕財団が設立されました。団体設立後は、インドではロパ・ムドラ学校への支援を継続するとともに、奨学金事業、現地NGO支援事業、またアフリカ東部ウガンダでは1990年ンゴビャ学校での奨学金事業を開始しました。現在はインド5地域、ウガンダ1地域で活動を続けています。国内では、事務局を置く壷阪寺境内での活動紹介と募金活動、会報やホームページによる広報活動、壷阪寺行事また国際協力イベントへの参加などを行っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/0a/b7c140b600242ea3908896dd1c0744d9.jpg)
上記活動報告書の「2012年度の取り組み」によると《2012年度は、活動母体である壷阪寺境内での募金活動を行うほか、ホームページ・facebookを活用した広報・募金活動およびフェアトレード製品の委託販売、国際協力・交流イベントへの出店・開催に力を入れます。インターネット媒体を活用した広報・募金活動により、若年層へのアプローチを行い、支援者層の多様化を図りたいと考えています。さらに、フェアトレード製品の委託販売やイベントといった市民との接点を増やすことで、活動を行うスタッフや団体への理解を深めていただく機会を広げます》。
《また2011年度に引き続き、ボランティアを受け入れ、日本のイベントへの出展やフェアトレード製品の開発、またインドとの異文化交流等を行います。これらの活動を通じ、インド・日本の現状を知り、国際理解を深めながら、ともに活動を行う人材を育成します。2012年度も、アジア・アフリカそして日本の人々に“気づき”を促し、潜在能力を引き出すきっかけをつくり、ともに考え、行動する世界をつくる活動へのご参加を宜しくお願い申し上げます》。
今年は奈良県下では初となる「地球愛祭り2012 in 奈良」が開催される(11/11[日]於:木材振興センター「あるぼ~る」)。AIVはこのイベントにも出展されるそうである。また「AIVニュースレター」(2012年8月号)によると
インドでの地域開発協力(1977年~)7万人もの雇用が生まれた大観音石像事業
事業地:カルカラ 対象者:石彫従事者
「奉仕してやる」などとは、とんでもない。
「奉仕させていただく」というのでさえもなく、
「奉仕を通して、教えていただく」のである。
先代住職 常盤 勝憲
「奉仕させていただく」というのでさえもなく、
「奉仕を通して、教えていただく」のである。
先代住職 常盤 勝憲
AIVの活動母体である壷阪寺(奈良県)は、1977年よりインド・カルナタナ州カルカラにおいて全長20mもの大観音石像の制作を開始しました。この制作は、インドの文化勲章受賞者、マイソール大学名誉博士R.G.シェノイ氏が監修し、約7万人もの人々がカルカラに集まり、機械を使用せず、手作業で彫刻にあたりました。
多くの人々に雇用を産みだした石彫事業はその後も継続され、1996年には、Tsubosaka AIV India(ツボサカ・エーアイ・ヴイ・インディア)が設立され、現在に至るまで、石材・石彫工場を運営しています。このように雇用を産み出す事業を継続することで、石彫従事者は安定的な賃金を得ることができ、家族が養えるようになり、ついには石彫従事者の村が生まれました。今では、カルカラの地場産業として発展しています。
AIVは、石材・石彫工場を運営するツボサカ・エーアイ・ヴイ・インディアとともに、技術訓練が継続的に行われるよう支援を行っています。2012年度も引き続き、当該地域の人々の石彫による雇用産出を目的として、石彫事業従事者に対する技術指導への助成を行います。
「奉仕を通して、教えていただく」という先代住職の言葉には、頭が下がる。僧侶の奉仕事業というと、奈良時代の行基菩薩や鎌倉時代の忍性菩薩の名前がすぐに思い浮かぶが、現代にも立派な僧侶がいらっしゃったのだ。皆さまにはぜひ、壷阪寺のAIVの活動にご注目いただき、また可能な範囲内で同財団にご支援いただきたい。